【完結】愛しているから、触れないで

恋せよ恋

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愛する夫を飼い慣らす日々

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 ベルナール男爵夫人が修道院へ送られてから数ヶ月。社交界は「不実な誘惑者を退けた、健気で美しい侯爵夫妻」の噂に酔いしれていた。

 だが、ラングレー侯爵邸の空気は、以前のような澄み切った甘さを失い、重く淀んだ湿り気を帯びている。
 オリビエは、文字通りローゼリアの足元に跪く日々を送っていた。

 彼は少しでも時間が空けばローゼリアの元へ駆け戻り、彼女が望む以上の宝石を贈り、まるで慈悲を乞う罪人のように彼女の機嫌を伺う。

「ローゼリア、愛している。君を傷つけた自分を、一生かけて呪い、君に尽くすと誓うよ」
 オリビエが彼女の指先に口づけを落とす。かつてはその熱に陶酔したローゼリアだったが、今はただ、冷めた目でその銀髪を見下ろしていた。

(この口で、あの女に甘い言葉を囁いたのね。この手で、私に買い与えなかった一点物の宝石を、あの女に贈ったのよ)

 信じると決めた。けれど、脳裏にこびりついた不信の種は、オリビエが優しくすればするほど、鋭い棘となって彼女の内側を突き刺す。

 ある日の夕食時、オリビエが仕事の都合で帰宅がわずかに三十分遅れた。
 かつてのローゼリアなら「お仕事お疲れ様」と微笑んだだろう。だが、今の彼女は、食事に一切手をつけず、暗い部屋で一人、燭台の火を見つめて彼を待っていた。

「遅かったわね、オリビエ。どなたとご一緒だったのかしら?」
 その一言で、オリビエの顔面は蒼白になる。

「違うんだ、ローゼリア! 騎士団の会議が長引いて……嘘じゃない、信じてくれ!」
 取り乱して弁明する夫を見て、ローゼリアは心の中で奇妙な歪んだ悦びを覚えた。

 自分を裏切った男が、自分の顔色一つで、死刑宣告を待つ囚人のように震えている。
「ふふ、冗談よ。……でも、オリビエ。次に遅れる時は、会議の議事録と、居合わせた全員の署名を揃えてきてちょうだい。そうすれば、私は『普通の女』として、あなたを疑わずに済むわ」

 彼女が提示するのは、信頼ではなく「完璧な監視」だった。
 オリビエは、その異常な要求にさえ「もちろんだ、そうさせてもらうよ」と涙を浮かべて喜んだ。彼は、ローゼリアに疑われ、縛られることに、免罪符を得たような快楽すら感じ始めていたのだ。

 夜、再び同じ寝室で眠るようになっても、ローゼリアは決して彼に心までは許さなかった。
 オリビエが彼女を抱きしめようとすれば、彼女はそっと彼の手を導き、自分の首筋に添えさせる。
「抱きたいなら、抱いて。でも、忘れないでね。もしあなたの指先から、少しでも私以外の女の匂いがしたら……。その瞬間に、私はこの家から消えるわ。二度と、あなたの世界に私は存在しなくなるの」

 それは愛の言葉ではなく、鋭利な剃刀を首元に突きつけるような脅迫だった。オリビエは恐怖に震えながら、彼女の身体を貪る。

 二人の関係は、もはや「幸福」という言葉では形容できない。裏切りへの恐怖を支配に変えた妻と、罪悪感を執着に変換した夫。

 社交界の夜会に二人で現れれば、人々は「なんてお似合いの、仲の良いご夫妻でしょう」と口々に称賛する。

 その背後で、エメラルダやキャサリンが冷ややかな視線を送っていることも知っている。

(いいのよ。私はこの地獄で、この美しい裏切り者と一緒に、一生踊り続けるわ)

 ローゼリアは、隣で微笑むオリビエの腕を、痛いほど強く掴んだ。それは、折れるまで放さない、共依存という名の鎖だった。
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