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正論の証明
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その日は、ラングレー侯爵邸で小規模な夜会が開かれていた。ベルナール男爵夫人の事件から数年。ローゼリアは今や「夫を更生させた賢夫人の鑑」として、社交界の頂点に君臨していた。
オリビエは相変わらず、影のようにローゼリアの後に従い、彼女の視線一つで動く忠実な下僕のようだった。だが、悲劇はほんの些細な、無邪気すぎる「憧れ」から始まった。
騎士団の事務方である伯爵家の令嬢が、酔った勢いでオリビエに近寄り、手渡した一通の手紙。
「オリビエ様、ずっと憧れていました。これ、私からの……」
オリビエは顔を強張らせ、即座にその手紙を突き返した。
「無礼だぞ。僕には最愛の妻がいる。二度と近づかないでくれ」
その対応は完璧だった。かつてのような甘さは微塵もなく、ローゼリアへの忠誠を示したものだ。
しかし、その様子を遠くから眺めていたローゼリアの脳裏には、ある「光景」が浮かんでいた。
(……ああ。あの令嬢の、熱に浮かされたような瞳。かつての私と同じ、救いようのない盲信。そして、それを拒絶するオリビエの瞳の奥に、ほんの一瞬だけよぎった『自分を誇る悦び』)
彼は、拒絶しながらも楽しんでいる。自分に向けられる女たちの熱視線を、自分の価値を確認するための「餌」にしている。
それは、彼がどれほど謝罪を重ねても、どれほど監視を強化しても変えることのできない、彼の性そのものだった。
その光景を眺めていたローゼリアの心で、何かが音を立てて崩れ去った。
どれほど彼が忠誠を誓おうと、どれほど完璧に振る舞おうと、彼が女を惹きつける魅力あふれる男である事実は変わらない。そして、彼を欲しがる女が現れるたびに、ローゼリアはあの屈辱を、あの鼻を突く女の香水を、自分を「お人形」と笑った女の声を思い出し続けるのだ。
夜会が終わり、客人が去った静寂の中で、オリビエは誇らしげにローゼリアへ歩み寄った。
「見たかい、ローゼリア。僕はもう、あんな誘惑には……」
「……あああああああ!!」
突如として、ローゼリアが喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。
オリビエの言葉を遮り、彼女は自らの金髪をかき乱し、床に崩れ落ちる。
「ローゼリア!? どうしたんだ、しっかりしてくれ!」
「どうして……どうして他の女性なんかと浮気したの!? どうしてよ! こんなに愛しているのに! オリビエを、心から好きなのに!」
それは、かつて恋に悩む少女たちを導いた「正論のローゼリア」の姿ではなかった。
プライドも、知性も、公爵令嬢としての品位もすべて泥の中に投げ捨て、ただ一人の男を愛して傷ついた、剥き出しの女の叫びだった。
「小さな頃から、あなただけを、ずっと好きでいたのに! 他の男の人なんて一度も見たことなかった! あなたが私の世界だったのに……なぜ? どうしてよ! わあああああ!!」
子供のように泣きじゃくり、床を叩いて慟哭する妻を見て、オリビエは胸が潰れる思いだった。
彼女の「正論」という鎧の下には、これほどまでに、ぐちゃぐちゃに壊れた純粋な愛が隠されていたのだ。
「すまない……すまなかった、ローゼリア! ごめん、本当に、僕は……っ」
オリビエは彼女を抱きしめようとするが、ローゼリアはその胸を拳で叩き、泣き叫び続ける。
「許したい、忘れたい、それでも……頭を離れないの! あなたが私じゃない誰かを抱きしめた想像が、私を殺しに来るの! 苦しい、苦しいのよ!!」
ローゼリアは、彼を突き放しながらも、その温もりを離そうとはしなかった。
憎くてたまらない。けれど、この男なしでは一秒も生きていけない。長い、長い夜。二人は床に座り込んだまま、重なり合って泣き続けた。
ローゼリアの涙でオリビエの正装が濡れ、オリビエの謝罪がローゼリアの耳元で繰り返される。
やがて夜が明ける頃、ローゼリアは腫らした目で、力なく微笑んだ。
「……ほらね。一度裏切った男は、必ずまた同じ過ちを犯すのよ。我が身を持って、それを証明したわ」
それはかつての冷たい宣言ではない。自嘲と、そして奇妙なほどの清々しさが混じった声だった。
「私は、一生あなたを許さない。一生、あなたを疑い続けて、一生、この苦しみを抱えて生きていくわ。……それが、浮気をされてもなお、あなたを愛することをやめられない、愚かな私への罰。そして、私を裏切ったあなたへの、最大の復讐よ」
「ああ……それでいい、ローゼリア。僕を一生疑い、僕を一生縛り付けてくれ。君に許されないまま、君の隣で地獄に落ちることこそが、僕の望みだ」
ローゼリアは、もう二度と「上っ面の正論」を口にすることはなかった。
彼女は、自分が最も軽蔑していた「愚かで、愛に溺れ、自分を大事にできない女」になる道を選んだのだ。
けれど、その顔は、無理をして完璧を演じていた頃よりもずっと、人間らしい輝きに満ちていた。
誰に何と言われようと構わない。
エメラルダに「普通の女」と笑われても、キャサリンに「惨め」だと思われても。
この地獄のような愛こそが、ローゼリア・エインズワースが選んだ、唯一無二の愛なのだから。
窓から差し込む朝日は、抱き合う二人の「不完全な愛」を、静かに、そして等しく照らし出していた。
ハッピーエンド
_____________
二人の幸せに、エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
オリビエは相変わらず、影のようにローゼリアの後に従い、彼女の視線一つで動く忠実な下僕のようだった。だが、悲劇はほんの些細な、無邪気すぎる「憧れ」から始まった。
騎士団の事務方である伯爵家の令嬢が、酔った勢いでオリビエに近寄り、手渡した一通の手紙。
「オリビエ様、ずっと憧れていました。これ、私からの……」
オリビエは顔を強張らせ、即座にその手紙を突き返した。
「無礼だぞ。僕には最愛の妻がいる。二度と近づかないでくれ」
その対応は完璧だった。かつてのような甘さは微塵もなく、ローゼリアへの忠誠を示したものだ。
しかし、その様子を遠くから眺めていたローゼリアの脳裏には、ある「光景」が浮かんでいた。
(……ああ。あの令嬢の、熱に浮かされたような瞳。かつての私と同じ、救いようのない盲信。そして、それを拒絶するオリビエの瞳の奥に、ほんの一瞬だけよぎった『自分を誇る悦び』)
彼は、拒絶しながらも楽しんでいる。自分に向けられる女たちの熱視線を、自分の価値を確認するための「餌」にしている。
それは、彼がどれほど謝罪を重ねても、どれほど監視を強化しても変えることのできない、彼の性そのものだった。
その光景を眺めていたローゼリアの心で、何かが音を立てて崩れ去った。
どれほど彼が忠誠を誓おうと、どれほど完璧に振る舞おうと、彼が女を惹きつける魅力あふれる男である事実は変わらない。そして、彼を欲しがる女が現れるたびに、ローゼリアはあの屈辱を、あの鼻を突く女の香水を、自分を「お人形」と笑った女の声を思い出し続けるのだ。
夜会が終わり、客人が去った静寂の中で、オリビエは誇らしげにローゼリアへ歩み寄った。
「見たかい、ローゼリア。僕はもう、あんな誘惑には……」
「……あああああああ!!」
突如として、ローゼリアが喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。
オリビエの言葉を遮り、彼女は自らの金髪をかき乱し、床に崩れ落ちる。
「ローゼリア!? どうしたんだ、しっかりしてくれ!」
「どうして……どうして他の女性なんかと浮気したの!? どうしてよ! こんなに愛しているのに! オリビエを、心から好きなのに!」
それは、かつて恋に悩む少女たちを導いた「正論のローゼリア」の姿ではなかった。
プライドも、知性も、公爵令嬢としての品位もすべて泥の中に投げ捨て、ただ一人の男を愛して傷ついた、剥き出しの女の叫びだった。
「小さな頃から、あなただけを、ずっと好きでいたのに! 他の男の人なんて一度も見たことなかった! あなたが私の世界だったのに……なぜ? どうしてよ! わあああああ!!」
子供のように泣きじゃくり、床を叩いて慟哭する妻を見て、オリビエは胸が潰れる思いだった。
彼女の「正論」という鎧の下には、これほどまでに、ぐちゃぐちゃに壊れた純粋な愛が隠されていたのだ。
「すまない……すまなかった、ローゼリア! ごめん、本当に、僕は……っ」
オリビエは彼女を抱きしめようとするが、ローゼリアはその胸を拳で叩き、泣き叫び続ける。
「許したい、忘れたい、それでも……頭を離れないの! あなたが私じゃない誰かを抱きしめた想像が、私を殺しに来るの! 苦しい、苦しいのよ!!」
ローゼリアは、彼を突き放しながらも、その温もりを離そうとはしなかった。
憎くてたまらない。けれど、この男なしでは一秒も生きていけない。長い、長い夜。二人は床に座り込んだまま、重なり合って泣き続けた。
ローゼリアの涙でオリビエの正装が濡れ、オリビエの謝罪がローゼリアの耳元で繰り返される。
やがて夜が明ける頃、ローゼリアは腫らした目で、力なく微笑んだ。
「……ほらね。一度裏切った男は、必ずまた同じ過ちを犯すのよ。我が身を持って、それを証明したわ」
それはかつての冷たい宣言ではない。自嘲と、そして奇妙なほどの清々しさが混じった声だった。
「私は、一生あなたを許さない。一生、あなたを疑い続けて、一生、この苦しみを抱えて生きていくわ。……それが、浮気をされてもなお、あなたを愛することをやめられない、愚かな私への罰。そして、私を裏切ったあなたへの、最大の復讐よ」
「ああ……それでいい、ローゼリア。僕を一生疑い、僕を一生縛り付けてくれ。君に許されないまま、君の隣で地獄に落ちることこそが、僕の望みだ」
ローゼリアは、もう二度と「上っ面の正論」を口にすることはなかった。
彼女は、自分が最も軽蔑していた「愚かで、愛に溺れ、自分を大事にできない女」になる道を選んだのだ。
けれど、その顔は、無理をして完璧を演じていた頃よりもずっと、人間らしい輝きに満ちていた。
誰に何と言われようと構わない。
エメラルダに「普通の女」と笑われても、キャサリンに「惨め」だと思われても。
この地獄のような愛こそが、ローゼリア・エインズワースが選んだ、唯一無二の愛なのだから。
窓から差し込む朝日は、抱き合う二人の「不完全な愛」を、静かに、そして等しく照らし出していた。
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