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悲報は、あまりに劇的に
窓の外では、初夏を告げる柔らかな陽光がパルマン侯爵家の美しい庭園を照らしていた。しかし、室内を支配しているのは、氷点下まで凍りついたような静寂と、それを切り裂く絶望の叫びだった。
「……パルマン侯爵家嫡男、パスカル・パルマン卿の乗船した船が嵐に遭遇。ローゼンタール王国近海にて難破……。乗員乗客、全員の行方が掴めておりません」
使いの騎士が震える声で告げたその言葉は、爆弾となってサロンにいた者たちの頭上に降り注いだ。
一拍おいて、甲高い悲鳴が響き渡る。
「ああ、そんな……パスカル様! 嘘よ、信じられないわ!」
金髪の糸を振り乱し、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちたのは、パスカル様の婚約者、モンクトン侯爵令嬢ヘンリエッタ様だった。私の隣に座っていたはずの婚約者、シモン様が、弾かれたように椅子を蹴って彼女へ駆け寄る。
「ヘンリエッタ様! しっかりしてください、ヘンリエッタ様!」
「シモン様……。わたくし、わたくし、どうすればいいの……っ。パスカル様がいらっしゃらなければ、わたくし……」
シモン様の腕の中に収まった彼女は、透き通るような緑の瞳に大粒の涙を溜め、今にも消えてしまいそうな声で泣き濡れている。白磁のような肌は血の気を失い、その弱々しさは、見る者すべての庇護欲を掻き立てるには十分すぎた。
しかし。
私は、その光景をどこか遠くの出来事のように、冷めた目で見つめている自分に気づいていた。
「セシリア! 君はなぜ、そんなに冷淡なんだ! 兄上が、僕のたった一人の兄上が遭難したんだぞ! ヘンリエッタ様のこのお姿が見えないのか!」
シモン様の怒声が、私の鼻先に突きつけられる。
私は、手元で細かく震えるティーカップを、音を立てないよう机に置くのが精一杯だった。ダージリンの芳醇な香りが、今はひどく埃っぽく感じられ、喉の奥が引き攣る。
本当は、叫び出したかった。義兄となるはずのパスカル様の安否が恐ろしくて、足の先から冷気が這い上がってくる。けれど、ダルク伯爵家の娘として「家を守る盾であれ」と育てられた教育が、かろうじて私の形を保たせていた。
「シモン様。……今は、悲しみに暮れるよりも先に、なすべきことが……あるのでは、ないでしょうか」
絞り出した声は、自分でも驚くほど硬く、事務的な響きになってしまった。動揺を悟られまいと、必死に理性をかき集めて紡いだ言葉。領地のこと、隣国への照会、捜索隊――。
けれど、視界が滲んで、ブルネットの髪を揺らすことさえ今の私にはひどく重い。震える膝を隠し、オリーブの瞳で真っ直ぐに婚約者を見つめること。それが十七歳の私が精一杯振り絞った、貴族令嬢としての、そして彼を信じたい一心での「誠実さ」だった。
なのに。
「これだから、君という女は……っ! こんな時にまで、そんな事務的な話をするなんて。人の心がないのか! ヘンリエッタ様を見ろ、彼女は心を痛めて立ち上がることもできないというのに!」
突きつけられたのは、シモン様の激しい拒絶だった。
あまりの言い草に、心臓を直接素手で掴まれたような衝撃が走る。
(……え? 人の心がない……?)
目の前で、私の婚約者が、別の女性を熱烈な眼差しで抱き寄せている。
パスカル様を心配しているのは、私も同じだ。震えを止めるのに必死で、言葉がうまく出てこないだけなのに。
シモン様。あなたはどっちの婚約者なの?
私だって、今すぐ泣き喚いて、誰かに大丈夫だと抱きしめて欲しい。その「誰か」は、他の誰でもない、あなたであってほしかったのに。
私の必死の強がりを、彼は「冷酷」だと断じた。
泣き崩れるヘンリエッタ様を慈しむその瞳に、私の居場所は、一欠片も残されていなかった。
一度も、一度もこちらを振り返ることなく、シモン様はヘンリエッタ様を抱えて部屋を出ていった。
静まり返ったサロンに、カツカツと遠ざかる足音だけが虚しく響く。
その時だった。
シモン様の肩越し、垂れ下がったヘンリエッタ様の顔が、一瞬だけ私の方を向いた。泣き腫らしたはずの瞳。絶望に染まっていたはずの顔。
彼女は、シモン様から見えない位置で、私に向けて、口角を僅かに吊り上げた。それは、勝利を確信した、おぞましいほどに醜い「笑み」だった。
「……やはり、そういうことなのですね」
誰もいなくなった部屋で、私はポツリと独り言を漏らす。
震える指先を隠すように、テーブルの下で強く拳を握りしめた。
シモン様。あなたは気づいていないのですね。
あなたが今抱き上げたその女性が、悲しんでいるのは「愛する婚約者を失ったこと」ではなく、「侯爵夫人という輝かしい地位を失うかもしれないこと」への恐怖だということに。
そして、その恐怖を埋めるための代わりの「椅子」として、あなたを選んだということに。
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「……パルマン侯爵家嫡男、パスカル・パルマン卿の乗船した船が嵐に遭遇。ローゼンタール王国近海にて難破……。乗員乗客、全員の行方が掴めておりません」
使いの騎士が震える声で告げたその言葉は、爆弾となってサロンにいた者たちの頭上に降り注いだ。
一拍おいて、甲高い悲鳴が響き渡る。
「ああ、そんな……パスカル様! 嘘よ、信じられないわ!」
金髪の糸を振り乱し、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちたのは、パスカル様の婚約者、モンクトン侯爵令嬢ヘンリエッタ様だった。私の隣に座っていたはずの婚約者、シモン様が、弾かれたように椅子を蹴って彼女へ駆け寄る。
「ヘンリエッタ様! しっかりしてください、ヘンリエッタ様!」
「シモン様……。わたくし、わたくし、どうすればいいの……っ。パスカル様がいらっしゃらなければ、わたくし……」
シモン様の腕の中に収まった彼女は、透き通るような緑の瞳に大粒の涙を溜め、今にも消えてしまいそうな声で泣き濡れている。白磁のような肌は血の気を失い、その弱々しさは、見る者すべての庇護欲を掻き立てるには十分すぎた。
しかし。
私は、その光景をどこか遠くの出来事のように、冷めた目で見つめている自分に気づいていた。
「セシリア! 君はなぜ、そんなに冷淡なんだ! 兄上が、僕のたった一人の兄上が遭難したんだぞ! ヘンリエッタ様のこのお姿が見えないのか!」
シモン様の怒声が、私の鼻先に突きつけられる。
私は、手元で細かく震えるティーカップを、音を立てないよう机に置くのが精一杯だった。ダージリンの芳醇な香りが、今はひどく埃っぽく感じられ、喉の奥が引き攣る。
本当は、叫び出したかった。義兄となるはずのパスカル様の安否が恐ろしくて、足の先から冷気が這い上がってくる。けれど、ダルク伯爵家の娘として「家を守る盾であれ」と育てられた教育が、かろうじて私の形を保たせていた。
「シモン様。……今は、悲しみに暮れるよりも先に、なすべきことが……あるのでは、ないでしょうか」
絞り出した声は、自分でも驚くほど硬く、事務的な響きになってしまった。動揺を悟られまいと、必死に理性をかき集めて紡いだ言葉。領地のこと、隣国への照会、捜索隊――。
けれど、視界が滲んで、ブルネットの髪を揺らすことさえ今の私にはひどく重い。震える膝を隠し、オリーブの瞳で真っ直ぐに婚約者を見つめること。それが十七歳の私が精一杯振り絞った、貴族令嬢としての、そして彼を信じたい一心での「誠実さ」だった。
なのに。
「これだから、君という女は……っ! こんな時にまで、そんな事務的な話をするなんて。人の心がないのか! ヘンリエッタ様を見ろ、彼女は心を痛めて立ち上がることもできないというのに!」
突きつけられたのは、シモン様の激しい拒絶だった。
あまりの言い草に、心臓を直接素手で掴まれたような衝撃が走る。
(……え? 人の心がない……?)
目の前で、私の婚約者が、別の女性を熱烈な眼差しで抱き寄せている。
パスカル様を心配しているのは、私も同じだ。震えを止めるのに必死で、言葉がうまく出てこないだけなのに。
シモン様。あなたはどっちの婚約者なの?
私だって、今すぐ泣き喚いて、誰かに大丈夫だと抱きしめて欲しい。その「誰か」は、他の誰でもない、あなたであってほしかったのに。
私の必死の強がりを、彼は「冷酷」だと断じた。
泣き崩れるヘンリエッタ様を慈しむその瞳に、私の居場所は、一欠片も残されていなかった。
一度も、一度もこちらを振り返ることなく、シモン様はヘンリエッタ様を抱えて部屋を出ていった。
静まり返ったサロンに、カツカツと遠ざかる足音だけが虚しく響く。
その時だった。
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彼女は、シモン様から見えない位置で、私に向けて、口角を僅かに吊り上げた。それは、勝利を確信した、おぞましいほどに醜い「笑み」だった。
「……やはり、そういうことなのですね」
誰もいなくなった部屋で、私はポツリと独り言を漏らす。
震える指先を隠すように、テーブルの下で強く拳を握りしめた。
シモン様。あなたは気づいていないのですね。
あなたが今抱き上げたその女性が、悲しんでいるのは「愛する婚約者を失ったこと」ではなく、「侯爵夫人という輝かしい地位を失うかもしれないこと」への恐怖だということに。
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