実兄の婚約者に恋した貴方を、私はもう愛さない。その椅子、行方不明のお兄様のものですよね?

恋せよ恋

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それぞれの行き先

  嵐のような断罪劇から一ヶ月。パルマン侯爵邸を包んでいた重苦しい空気は、初夏の風と共に少しずつ形を変えていた。

 シモンに対する処遇は、父侯爵によって冷徹に下された。本来ならば廃嫡も免れない不祥事であったが、パスカルの「愚かな弟には、自分が何に守られていたかを知る機会を与えるべきだ」という進言により、最低限の身分のみを残し、辺境の領地での代官職を命じられた。
 
 学園での輝かしい生活も、華やかな夜会も、もう彼の手には届かない。かつて「自分は強いから一人でも平気だろう」とセシリアを突き放した彼は、今、頼るべき者も、自分を「英雄」と仰いでくれる鏡もない荒野で、事務仕事の山と向き合う日々を送ることになった。

 彼が軽視していた「事務能力」こそが、領民の生活を守るための唯一の武器であることに、彼は今更ながら気づき、己の無知を呪いながら泥に塗れた道を歩んでいる。


 一方、ヘンリエッタは、モンクトン侯爵家がパルマン家への負債を清算する代償として、北方の峻烈な地にある修道院へ送られた。

 そこには贅を尽くしたドレスも、人を操るための社交の場もない。彼女に与えられたのは、粗末な修道服と、己の罪を数えるための祈りの時間だけだった。彼女が最期まで執着した「侯爵夫人」という地位は、もはや二度と叶わぬ、遠い海の向こうの蜃気楼となった。

 そして、パルマン侯爵邸の庭園では、穏やかな陽光の下、新たな時が刻まれようとしていた。
 
 セシリアは、アシュトン商会との最終的な清算を終え、屋敷を去る準備を整えていた。彼女にとって、この復讐劇はパスカルとの「契約」であり、それが終わった今、この場所に留まる理由はもうないはずだった。
 
 だが、庭園の中央で彼女を待っていたのは、杖を傍らに置き、凛とした立ち姿のパスカルだった。

「パスカル様、すべての手続きは完了いたしました。私は、これで失礼いたしますわ」

 セシリアが別れの言葉を告げ、通り過ぎようとしたその時。

「待ってくれ、セシリア」

 パスカルの声が、彼女の足を止めた。
 彼はゆっくりと、まだ不自由な脚を動かし、彼女の正面へと回り込んだ。集まった侍女や執事たち、そして窓越しに様子を見守る侯爵が見守る中、彼は信じられない行動に出た。

 パルマン侯爵家の正嫡であり、新たな当主となるべき男が、一介の伯爵令嬢であるセシリアの前で、その片膝を地面についたのだ。

「……っ、パスカル様!? 何をなさるのですか」

 セシリアが驚きに目を見開く中、パスカルは彼女の右手を、壊れ物に触れるような仕草で優しく取った。

「セシリア。かつて私は、君を弟の婚約者として扱い、自らの情を押し殺して接してきた。だが、地獄から戻り、君と共に歩んだこの一ヶ月で、確信したことがある」

 パスカルは、顔に刻まれた傷跡さえも誇り高く見えるほど、真摯な眼差しで彼女を見上げた。

「私の隣に立つべきは、涙で人を操るような弱者ではない。私と共に嵐を駆け抜け、この家の未来を分かち合える、強く、聡明な君だけだ。……これは契約ではない。一人の男としての、一生に一度の願いだ」

 パスカルは彼女の手の甲に、静かな、けれど熱い誓いの接吻を落とした。

「セシリア・ダルク。君を、私の真実の妻として迎えたい。私と共に、この新しいパルマン家を築いてはくれないだろうか」

 周囲から、ため息のような感嘆が漏れた。
 セシリアは、目の前で跪くこの男を見つめた。かつてのシモンのような、自分に都合のいい幻想を押し付ける愛ではない。自分の強さも、冷徹さも、すべてを認めた上での、対等な愛の形。

 彼女のオリーブ色の瞳に、長い間忘れていた、温かな光が宿った。
 
「……パスカル様。私は、貴方が仰る通り、可愛げのない『強い女』ですわよ?」

「ああ、知っている。だからこそ、愛しているのだ」

 セシリアは、ふっと微笑んだ。
 それは、復讐のために浮かべていた冷たい笑みではなく、初夏の風のように清々しい、真実の微笑みだった。
 
「……仕方がありませんわね。地獄の底まで付き合うと決めたのは、私の方ですもの」

 セシリアがその手を握り返した瞬間、パルマン侯爵邸には、かつての偽りの歓喜とは違う、本物の祝福の拍手が鳴り響いた。
 
 潮は引き、荒れ狂った海は静まった。
 残されたのは、共に傷を背負い、共に歩むことを決めた、二人の確かな足跡だけだった。
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