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【16】執着

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 魔王との戦いを終え、目覚めたカインは聖女が死んだと聞かされた。

「シレイネが死んだ?」

 最強の魔術師として数多くの奇跡を起こしてきた身でも、その言葉を受け入れることはできなかった。
 瘴気は浄化した。魔王も倒した。それなのにどうして、シレイネだけが帰ってこない?

 大切な人を護ることができなかった人間の、何が最強の魔術師だ。

 公爵家に生まれたとはいえ、すでに家には優秀な兄たちがいた。現国王の縁者ではあるが、王位が転がり込むこともないだろう。幼い頃から聡明だったカインは、早々に身の振り方を考えていた。
 幸いなことに家族からは愛されていたと思う。だから魔術師になるという貴族らしからぬ要求も、あっさりと認められたのだ。
 魔術師を選んだきっかけは、金に困ることがないという夢も希望もないもので、幸い才能があった。
 順調に出世すれば、やがて神官長だという男が直々に訊ねてくる。
 魔王討伐の旅に同行してほしいと頼まれたが、世界のために戦うような善人ではない。ただ金払いがいいので引き受けることにしただけだ。
 勇者に選ばれたルビアスのことは幼い頃から好きにはなれなかったが、どうせ子どもの頃に消えた従兄弟のことなど覚えてはいないだろう。実際、顔合わせると想像通りの反応だった。
 シレイネとの出会いも、思い返せばつまらないものだ。

「お会いできて光栄です、魔術師カイン様。私はシレイネと申します。平和のため、この身を捧げる覚悟はできています」

 聖女は完璧を絵に描いたような人物だと聞いていたが、まったく噂通りの娘だ。汚れを知らない白がそう思わせるのか、美しさは作り物めいている。まるで人形と相対しているような感覚だ。

 けれど同じ時間を過ごすうちにシレイネへの印象は変わっていった。
 幼い頃から神殿に管理される生活を続けてきたシレイネにとって、外の世界は魅力的らしく、あらゆるものに興味を示していた。初めての自由を満喫し、年頃の娘らしい表情を見せることもあるのだと驚かされる。
 もっとたくさんのものを見せてあげたいと思うまでに時間はかからなかった。そのためにも必ず護り抜き役目を果たさなければと、大義もなく引き受けた仕事に意欲が芽生えた。

 叶うのなら、彼女と生きる未来がほしい。

 だがシレイネは聖女の地位に執着している。それは呪縛のようでもあり、役目を果たそうと必死だった。
 愛しているからこそ、邪魔するようなことがあってはならない。

 この旅が終わったら、その時は――

 全てが終わったのなら、この想いを告げよう。
 それまでは決して触れてはいけない人として、護り抜くことを誓った。

 だが今は、行き場を失った願いが虚しいだけだ。

「シレイネ……」

 彼女との思い出を振り返る。

「あんたとの時間は全部憶えているよ」

 大切な記憶を紐解いていくうちに雫が落ちる。泣くなんて、記憶にある限り初めてかもしれない。
 ずっと思い出の中にいられたら幸せだろう。だが彼女とともに過ごした時間はそこまで多くない。とうとう最後の戦いで約束を交わした場面へとたどり着いてしまう。

『怖い?』

『怖くないと言えば嘘になります。ですが私はカインを信じていますから』

『そう』

『はい。一緒に王都に帰りましょう』

 記憶の中のシレイネに励まされるように顔を上げる。
 動揺が冷静な思考を鈍らせていた。カインは嘆くばかりの己を力の限り罵る。

(シレイネは約束してくれた。俺が信じないでどうする!)

 彼女の活躍を記録するために用意した魔術の存在を忘れていたことも失態だ。
 記録を確認すれば、湧きあがるのは激しい怒りだ。
 シレイネを手にかけたルビアスを今すぐにでも消しに行きたい。どんな禁忌に手を染めても後悔させてやりたい。
 だがそんなことよりも大切なことがある。

「シレイネは生きてる」

 一刻も早く彼女を見つけたい。何の手掛かりもないけれど、絶対に見つけられるという自信があった。

「会いに行くよ。シレイネ」

 今度は世界を救う旅ではない。たった一人を見つけるための旅だ。
 とても利己的な、叶うかもわからない願いのために、いつ終わるかもわからない旅に出る。
 それなのに不思議と絶望はない。この世界のどこかにシレイネがいる。それだけでとてつもない希望なのだから。

 もちろんシレイネを探す道のりは簡単なものではなかった。人との関わりを絶ち、孤独な旅を続けているのだろう。痕跡はまったく掴めなかった。
 名前も地位も明かせずに辛い思いをしていることは容易に想像できる。もう一度会えたのなら強く抱きしめてやりたいと思うばかりだった。

 そうして再び巡り会えた最愛の人が、安心したように傍で眠っている。よほど疲れたのか眠りは深い。ようやく復讐を遂げて自由になったかと思えば、今度は悪い魔術師に捕まって抱き潰されたのだ。当然だろう。

「んっ」

 吐息にさえ心が乱され、たまらず抱きしめそうになる。しかし起こしては可哀想だと耐え忍んだ。本当は何度抱きしめても足りないけれど、こちらの身勝手で眠りを妨げたくはない。

「ゆっくりお休み」

 だがせめてこれくらいはと、シレイネの首筋に痕を残す。そして自分の行いを棚に上げ、無防備過ぎることが心配になった。

(でも、それでいいよ。あんたのことは、今度こそ俺が護るから)

 聖女としての偶像に縛られ、そうあることを強要された可哀想な女の子。聖女という呼び名が彼女を追いつめているようで、どうやって解放するかをずっと考えていた。
 だがシレイネは自ら聖女ではなくなったと宣言する。その地位から引きずり下ろしたくてたまらなかった人間の前で。なんて無防備な子だろう。

「やっと俺の所に落ちてきてくれたね」

 まずは明日、朝を迎えたシレイネの反応が楽しみでならない。
 明日を心待ちにするなんて久しぶりだ。幸せを噛みしめるカインは眠ってしまうのが惜しかった。
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