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番外編
紅芳と美花の縁談 ⑤
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歓迎の宴に出るため、紅芳は豪華に着飾った。
衣装は紫色の地に桃色牡丹の刺繍、宝石が散りばめられた髪飾りと簪、首飾りに耳飾り。化粧もしっかりしたものだ。
全てを整えた黒珠が、満足そうに頷く。
「華やかでよくお似合いです。お美しいです」
「そう……だね。ありがとう」
確かに綺麗になったが、不安でいっぱいだ。
(オプスキュリテ辺境伯令息は、私のあの姿を見た。日中から頭を飛ばして胴体まで動かして、火魔法で魔獣と戦う姿を……。
なのに、なんで私を婚約者に?命を助けたから、その恩返し?それとも戦闘力として期待されてる?)
ぐるぐる考えこむ紅芳。黒珠が優しく肩と背中に触れる。
「紅芳様は素敵なお嬢様です。覚えていらっしゃいますか?私を助けてくださった日を」
覚えている。黒珠が盗みの濡れ衣を着せられて、処罰されそうになった日だ。
親の身分が低いので、放置していたら間違いなく罪人として裁かれていた。
紅芳が、真犯人を言い当てて助けたのだ。
「紅芳様は、優しくて賢くて勇気がある素敵なお嬢様です。きっと、令息様もおわかりでしょう。
わからなければ、こちらからお断りすればいいだけです」
「ふふ!そうだね!」
安定の黒珠に、なんだかホッとする紅芳だ。
(もしも、心から婚約者に望んでくれてたら嬉しい。魔獣から助けようとしてくれた令息は、かっこよくて素敵だったもの)
期待を胸に抱いて宴会にのぞんだが、いざとなると緊張してしまう。
長机の向かい側にベルナールがいるのに、ろくに話せない。
そんな紅芳の心を知っているのか、母である玉蓮がこんなことを言い始めた。
「ベルナール殿。本当に美花が婚約者でなくてよろしいのですか?昨日は紅芳の恐ろしい姿を見たそうですが……」
「玉蓮!ベルナール殿は紅芳を望んだのだぞ!余計なことを言うな!」
「貴方、いま聞かなくてどうしますか。
紅芳の血のような赤い目は不吉ですし、他とは違う恐ろしい力を持っているのよ。嫁いでから疎まれるようなことがあれば、その方が不幸でしょう」
(母様の言葉は厳しいけれど、本当のことだ。オプスキュリテ辺境伯令息はどう思っているんだろう?
怖がってる?嫌ってる?)
不安で怖くて、今すぐ頭を飛ばして逃げたい。しかし、ベルナールは真っ直ぐな瞳で迷いなく言った。
「紅芳殿の瞳は血かルビーのように鮮やかな赤ですね。美しい色だと思います。
力に関しては頼もしいばかりです。紅芳殿は、中型魔獣に一歩も引かずに戦っていました。尊敬します。
それに、とても可愛らしくて美しい方です」
一瞬、思考が止まった。そして、じわじわと言葉が染み込んでいく。
(可愛らしくて美しい?私が?)
「あ、貴方には、娘がそう見えるのですか?」
「はい。私は生まれて初めて女性を可愛いと思いました。ぜひ、紅芳殿を妻に迎えたいのです」
「どうして?」
心からの疑問が出た。
「どうして貴方は、私が怖くないの?」
(あんな姿を見せたのに。出会ったばかりなのに。どうして?)
「理由はわかりません。ひたすら可愛い方だと思います」
「へ?ひ、ひたすら可愛い?」
カッと顔が熱くなった。ひたすら?可愛い!?
「逆に聞きますが、なぜ可愛らしい貴女を怖がる必要があるのですか?
身体や力が他と違うというなら、そもそも貴女がたは飛頭蛮で、私たちは人間だ。
貴女がたからすれば、私たちは別の生き物だ。化け物といってもいいでしょう。
でも、貴女は私を恐れていない。そうでしょう?」
「え?は、はい。怖くない、です」
「よかった。私も年齢の割には強いので、よく怯えられるのです」
「確かにすごい風魔法を使っていらっしゃいましたね」
「あ、ありがとうございます。
それに、私は人の心の機微がよくわからないのです。
特に女性の気持ちはさっぱりで、何故か良く泣かれます。正直言って母以外の女性は苦手です。興味もない。
でも、貴女は苦手ではありません。むしろ好きです。そして私は、貴女の気持ちを分かりたいと思う」
ベルナールは席を立ち、紅芳の側で跪いた。
真摯な青い瞳に見上げられ、紅芳の胸がときめく。
「飛紅芳殿。どうか私と婚約、いえ、結婚して下さい。貴女を危険にさらした挙げ句、助けられた情け無い男ではありますが……」
「あれは貴方のせいではありません!それに令息様は私を助けて下さりました!情けなくないです!」
紅芳は立ち上がって叫んだ。
ベルナールの不安そうな顔が華やかに綻ぶ。
(なんて優しい笑顔)
見惚れていると、手が差し出された。年齢の割に大きくしっかりした手だ。
「では、私と結婚して下さい。お願いします。私は勇敢で強く美しい貴女が良いのです」
(嬉しい。この人は、私のありのままを見て私を選ぶと言ってくれた。嬉しい。嬉しい。……好き)
「は……はい」
紅芳は、自分が恋に落ちたことを自覚した。
全ての疑問も不安も恐れも忘れて、頬を染めて手を取った。
(この手をずっと離したくない)
紅芳は心からそう思った。そんな紅芳を、ベルナールは甘やかに見つめる。
「どうか、ベルナールとお呼びください。紅芳殿、愛しい私の婚約者」
「は、はい。ベルナール様」
「様もいりません。敬語も必要ないです」
「ベルナール……貴方も、呼び捨てにして敬語をやめて」
「ああ、紅芳……」
二人は見つめ合い、繋ぐ手に力を込めた。もう言葉はいらない。ただ目と目で語り合い……。
「いつまでやっている。食事中だぞ!」
バシン!と、オプスキュリテ辺境伯夫人へレーネがベルナールを叩くまで、ずっとそのままだった。
◆◆◆◆◆◆
その後。
紅芳とベルナールの婚約は正式に結ばれた。紅芳は、見合いの半年後にオプスキュリテ辺境伯領に移住することが決まった。
あの見合いからしばらく経ち、本格的な夏が到来した。
ある日の昼過ぎ。紅芳は、離れで一番見晴らしのいい部屋にいた。
外を眺めると、陽射しを受けて輝く池が眩しい。柳の緑と水蓮の赤がよく映える。
紅芳はいつも通り美花とお茶会をしている。
黒珠が淹れてくれたお茶の香り、色とりどりの菓子の味をゆったり楽しみ、取り留めのない話をする。
ふと、美花がこぼした。
「まだ先の話だけど、滅多に会えなくなるわね。寂しいわ」
「……うん。私も。まさか、私だけでなく美花姉様も遠くにお嫁に行くなんて……」
そう。美花の輿入れが決まった。紅芳と同じ時期に嫁ぎ先に移住する。
と言ってもまだ婚約者なので、正式な婚姻は15歳の成人になってからだ。
場所は、ここから北東にある妖怪の都だ。相手はそこの領主の嫡男で、前から文通していたという。
見合いの少し前、そろそろ飛家に求婚の申し入れをすると手紙に書いてくれた。美花にも否やはない。
なのにベルナールとの見合いを受ける事になったので、美花も困っていたのだ。
「黒狼のおかげよ。あの人と御当主様からの使者を、直接お父様に取り次いでくれたから話が早かったわ」
「恐れ入ります」
壁際に控えていた黒狼が、丁寧に頭を下げた。
そう。美花は、見合い前に遠ざけられた黒狼に、婚約者に接触するよう頼んだのだ。
美花に執着する泰竜が、邸の警備を任されたのをいいことに手紙や使者の検閲をはじめるかもしれないからと。
その読みはあたっていたのだから、笑えない。
「泰竜兄様は何がしたかったのかしらね。……嘘。何がしたかったか知ってるけど、理解できない。したくない」
「私もだよ」
泰竜は罪を認めた。現在は後継者から外されて、事件に関与した家臣たちと共に国境の砦に預けられている。
魔獣の繁殖地に囲まれている、この辺りでは最も危険な場所だ。監視付きで、最低でも五年は魔獣討伐に務める。
同時並行で再教育を施すが、矯正が不可能の場合は死ぬまでそのままだそうだ。
泰竜が砦に送られる日。
紅芳と美花も見送った。その際、美花はたっぷりと積年の恨み言と不満と嫌悪をぶちまけ、遠くに嫁ぐことを告げた。
泰竜は発狂したように叫んで暴れ、美花に許しを乞うたが無意味だった。
あの絶望した顔を、紅芳は生涯忘れないだろう。
泰竜は、やはりベルナールたちを魔獣に襲わせて、美花との縁談を潰すつもりだったという。
オプスキュリテ辺境伯家との見合いは、他の見合いと重要度が違う。
これまでのように反対して邪魔しようとすれば、父から殴られるだけでは済まない。罰せられる。
しかし、見合いなどしたら美花が選ばれるに決まっている。美花より素晴らしい令嬢などいないのだから。
そんなことになれば、美花が家を出てしまう。だから、ベルナールたちを魔獣に襲われたと偽装して殺そうと計画したのだ。
「思い込みが激しいというか、執着が怖いというか」
「近親相姦願望こじらせてるだけというか」
「美花姉様!?」
「だって、事実でしょう?……言わなかったけど、夜這いまがいのことをされたことがあるのよね」
「は!?」
「なんですって?!」
紅芳だけでなく、黒珠と黒狼も反応した。とんでもない話だ。
「寝てる時に音がするな?と、思って起きたら、泰竜兄様の生首が窓から部屋に入ろうとしてたのよ。怖くて失神しかけたわ。
すぐに侍女と護衛に追い払ってもらったから、何もなかったけど」
「いやいやいやいやいや。何もなくないでしょう!怖い!」
「その場で叩き斬るべきでは?」
「せめて捕獲しなければ」
「うふふ。本当にね。……でも、この話を父様と母様に伝えたけど『若い頃の過ちは誰にもあるから』とか『一時の気の迷いよ』とか言って取り合ってくれなかった。
一応、泰竜兄様を叱ったようだけど、『大事にはするな』『これからも泰竜には態度を変えずに接しなさい』と言ったわ。
あの人たちは、娘の身の安全より待望の嫡男の方が大切だったのよ。
だから、私は遠くに行くの。例え子を成せず離婚しても、夫が死んで追い出されても、二度とこの家には戻らない」
美花は薄く笑いながら、甘い八宝茶を飲んだ。苦いものを飲み下して流すように。
秋の終わり。紅芳と美花は、それぞれの嫁ぎ先に旅立った。
必ず手紙を出すと約束して。
◆◆◆◆◆◆
秋の終わり。紅芳は、持参金と結納品を満載した馬車に乗って、巨大な山脈を越える旅をした。
初めて見る景色に目を輝かせるうちに、オプスキュリテ辺境伯領に入った。
そこから更に移動しなければならない。何日か街道を進み、途中で休憩した時のことだ。
「紅芳様、この燻製肉と小麦饅頭美味しいですね」
「ベーコンとパンだね。この汁物も美味しいよ。シチューって言うんだって」
敷物の上で軽食を取り、黒珠とたわいもない話をしていると、こちらに駆けてくる馬影が見えた。
馬上には、キラキラ輝く銀髪の美少年がいる。
「紅芳!待ちきれなくて迎えに来た!」
朗らかな笑顔と大声に、居合わせた女性はうっとりし、男性は微笑ましいと笑った。
紅芳は笑顔で手を振りながら思った。
(本当に明るくて、朗らかで、裏のない人。
色々と見抜いて父様に交渉したへレーネ様と違って)
へレーネにも言われた。
『ベルナールは人の心の機微がわからない。人の悪意や執着を軽んじている。その分、貴女には苦労をかけるだろうが、どうか支えてやって欲しい』
(私は、それなりに人の心の闇も光も見てきた。
人と接するのは怖いけれど……この眩しい人を支えて守るためなら、強くなれる)
ベルナールが馬から降りて走ってくる。紅芳も敷物から立ち上がり、走った。
「紅芳!俺の愛しい婚約者!会いたかった!」
「ベルナール!私も!私も貴方に会いたかった!」
紅芳は心から笑って、ベルナールの抱擁を受け入れたのだった。
おしまい
衣装は紫色の地に桃色牡丹の刺繍、宝石が散りばめられた髪飾りと簪、首飾りに耳飾り。化粧もしっかりしたものだ。
全てを整えた黒珠が、満足そうに頷く。
「華やかでよくお似合いです。お美しいです」
「そう……だね。ありがとう」
確かに綺麗になったが、不安でいっぱいだ。
(オプスキュリテ辺境伯令息は、私のあの姿を見た。日中から頭を飛ばして胴体まで動かして、火魔法で魔獣と戦う姿を……。
なのに、なんで私を婚約者に?命を助けたから、その恩返し?それとも戦闘力として期待されてる?)
ぐるぐる考えこむ紅芳。黒珠が優しく肩と背中に触れる。
「紅芳様は素敵なお嬢様です。覚えていらっしゃいますか?私を助けてくださった日を」
覚えている。黒珠が盗みの濡れ衣を着せられて、処罰されそうになった日だ。
親の身分が低いので、放置していたら間違いなく罪人として裁かれていた。
紅芳が、真犯人を言い当てて助けたのだ。
「紅芳様は、優しくて賢くて勇気がある素敵なお嬢様です。きっと、令息様もおわかりでしょう。
わからなければ、こちらからお断りすればいいだけです」
「ふふ!そうだね!」
安定の黒珠に、なんだかホッとする紅芳だ。
(もしも、心から婚約者に望んでくれてたら嬉しい。魔獣から助けようとしてくれた令息は、かっこよくて素敵だったもの)
期待を胸に抱いて宴会にのぞんだが、いざとなると緊張してしまう。
長机の向かい側にベルナールがいるのに、ろくに話せない。
そんな紅芳の心を知っているのか、母である玉蓮がこんなことを言い始めた。
「ベルナール殿。本当に美花が婚約者でなくてよろしいのですか?昨日は紅芳の恐ろしい姿を見たそうですが……」
「玉蓮!ベルナール殿は紅芳を望んだのだぞ!余計なことを言うな!」
「貴方、いま聞かなくてどうしますか。
紅芳の血のような赤い目は不吉ですし、他とは違う恐ろしい力を持っているのよ。嫁いでから疎まれるようなことがあれば、その方が不幸でしょう」
(母様の言葉は厳しいけれど、本当のことだ。オプスキュリテ辺境伯令息はどう思っているんだろう?
怖がってる?嫌ってる?)
不安で怖くて、今すぐ頭を飛ばして逃げたい。しかし、ベルナールは真っ直ぐな瞳で迷いなく言った。
「紅芳殿の瞳は血かルビーのように鮮やかな赤ですね。美しい色だと思います。
力に関しては頼もしいばかりです。紅芳殿は、中型魔獣に一歩も引かずに戦っていました。尊敬します。
それに、とても可愛らしくて美しい方です」
一瞬、思考が止まった。そして、じわじわと言葉が染み込んでいく。
(可愛らしくて美しい?私が?)
「あ、貴方には、娘がそう見えるのですか?」
「はい。私は生まれて初めて女性を可愛いと思いました。ぜひ、紅芳殿を妻に迎えたいのです」
「どうして?」
心からの疑問が出た。
「どうして貴方は、私が怖くないの?」
(あんな姿を見せたのに。出会ったばかりなのに。どうして?)
「理由はわかりません。ひたすら可愛い方だと思います」
「へ?ひ、ひたすら可愛い?」
カッと顔が熱くなった。ひたすら?可愛い!?
「逆に聞きますが、なぜ可愛らしい貴女を怖がる必要があるのですか?
身体や力が他と違うというなら、そもそも貴女がたは飛頭蛮で、私たちは人間だ。
貴女がたからすれば、私たちは別の生き物だ。化け物といってもいいでしょう。
でも、貴女は私を恐れていない。そうでしょう?」
「え?は、はい。怖くない、です」
「よかった。私も年齢の割には強いので、よく怯えられるのです」
「確かにすごい風魔法を使っていらっしゃいましたね」
「あ、ありがとうございます。
それに、私は人の心の機微がよくわからないのです。
特に女性の気持ちはさっぱりで、何故か良く泣かれます。正直言って母以外の女性は苦手です。興味もない。
でも、貴女は苦手ではありません。むしろ好きです。そして私は、貴女の気持ちを分かりたいと思う」
ベルナールは席を立ち、紅芳の側で跪いた。
真摯な青い瞳に見上げられ、紅芳の胸がときめく。
「飛紅芳殿。どうか私と婚約、いえ、結婚して下さい。貴女を危険にさらした挙げ句、助けられた情け無い男ではありますが……」
「あれは貴方のせいではありません!それに令息様は私を助けて下さりました!情けなくないです!」
紅芳は立ち上がって叫んだ。
ベルナールの不安そうな顔が華やかに綻ぶ。
(なんて優しい笑顔)
見惚れていると、手が差し出された。年齢の割に大きくしっかりした手だ。
「では、私と結婚して下さい。お願いします。私は勇敢で強く美しい貴女が良いのです」
(嬉しい。この人は、私のありのままを見て私を選ぶと言ってくれた。嬉しい。嬉しい。……好き)
「は……はい」
紅芳は、自分が恋に落ちたことを自覚した。
全ての疑問も不安も恐れも忘れて、頬を染めて手を取った。
(この手をずっと離したくない)
紅芳は心からそう思った。そんな紅芳を、ベルナールは甘やかに見つめる。
「どうか、ベルナールとお呼びください。紅芳殿、愛しい私の婚約者」
「は、はい。ベルナール様」
「様もいりません。敬語も必要ないです」
「ベルナール……貴方も、呼び捨てにして敬語をやめて」
「ああ、紅芳……」
二人は見つめ合い、繋ぐ手に力を込めた。もう言葉はいらない。ただ目と目で語り合い……。
「いつまでやっている。食事中だぞ!」
バシン!と、オプスキュリテ辺境伯夫人へレーネがベルナールを叩くまで、ずっとそのままだった。
◆◆◆◆◆◆
その後。
紅芳とベルナールの婚約は正式に結ばれた。紅芳は、見合いの半年後にオプスキュリテ辺境伯領に移住することが決まった。
あの見合いからしばらく経ち、本格的な夏が到来した。
ある日の昼過ぎ。紅芳は、離れで一番見晴らしのいい部屋にいた。
外を眺めると、陽射しを受けて輝く池が眩しい。柳の緑と水蓮の赤がよく映える。
紅芳はいつも通り美花とお茶会をしている。
黒珠が淹れてくれたお茶の香り、色とりどりの菓子の味をゆったり楽しみ、取り留めのない話をする。
ふと、美花がこぼした。
「まだ先の話だけど、滅多に会えなくなるわね。寂しいわ」
「……うん。私も。まさか、私だけでなく美花姉様も遠くにお嫁に行くなんて……」
そう。美花の輿入れが決まった。紅芳と同じ時期に嫁ぎ先に移住する。
と言ってもまだ婚約者なので、正式な婚姻は15歳の成人になってからだ。
場所は、ここから北東にある妖怪の都だ。相手はそこの領主の嫡男で、前から文通していたという。
見合いの少し前、そろそろ飛家に求婚の申し入れをすると手紙に書いてくれた。美花にも否やはない。
なのにベルナールとの見合いを受ける事になったので、美花も困っていたのだ。
「黒狼のおかげよ。あの人と御当主様からの使者を、直接お父様に取り次いでくれたから話が早かったわ」
「恐れ入ります」
壁際に控えていた黒狼が、丁寧に頭を下げた。
そう。美花は、見合い前に遠ざけられた黒狼に、婚約者に接触するよう頼んだのだ。
美花に執着する泰竜が、邸の警備を任されたのをいいことに手紙や使者の検閲をはじめるかもしれないからと。
その読みはあたっていたのだから、笑えない。
「泰竜兄様は何がしたかったのかしらね。……嘘。何がしたかったか知ってるけど、理解できない。したくない」
「私もだよ」
泰竜は罪を認めた。現在は後継者から外されて、事件に関与した家臣たちと共に国境の砦に預けられている。
魔獣の繁殖地に囲まれている、この辺りでは最も危険な場所だ。監視付きで、最低でも五年は魔獣討伐に務める。
同時並行で再教育を施すが、矯正が不可能の場合は死ぬまでそのままだそうだ。
泰竜が砦に送られる日。
紅芳と美花も見送った。その際、美花はたっぷりと積年の恨み言と不満と嫌悪をぶちまけ、遠くに嫁ぐことを告げた。
泰竜は発狂したように叫んで暴れ、美花に許しを乞うたが無意味だった。
あの絶望した顔を、紅芳は生涯忘れないだろう。
泰竜は、やはりベルナールたちを魔獣に襲わせて、美花との縁談を潰すつもりだったという。
オプスキュリテ辺境伯家との見合いは、他の見合いと重要度が違う。
これまでのように反対して邪魔しようとすれば、父から殴られるだけでは済まない。罰せられる。
しかし、見合いなどしたら美花が選ばれるに決まっている。美花より素晴らしい令嬢などいないのだから。
そんなことになれば、美花が家を出てしまう。だから、ベルナールたちを魔獣に襲われたと偽装して殺そうと計画したのだ。
「思い込みが激しいというか、執着が怖いというか」
「近親相姦願望こじらせてるだけというか」
「美花姉様!?」
「だって、事実でしょう?……言わなかったけど、夜這いまがいのことをされたことがあるのよね」
「は!?」
「なんですって?!」
紅芳だけでなく、黒珠と黒狼も反応した。とんでもない話だ。
「寝てる時に音がするな?と、思って起きたら、泰竜兄様の生首が窓から部屋に入ろうとしてたのよ。怖くて失神しかけたわ。
すぐに侍女と護衛に追い払ってもらったから、何もなかったけど」
「いやいやいやいやいや。何もなくないでしょう!怖い!」
「その場で叩き斬るべきでは?」
「せめて捕獲しなければ」
「うふふ。本当にね。……でも、この話を父様と母様に伝えたけど『若い頃の過ちは誰にもあるから』とか『一時の気の迷いよ』とか言って取り合ってくれなかった。
一応、泰竜兄様を叱ったようだけど、『大事にはするな』『これからも泰竜には態度を変えずに接しなさい』と言ったわ。
あの人たちは、娘の身の安全より待望の嫡男の方が大切だったのよ。
だから、私は遠くに行くの。例え子を成せず離婚しても、夫が死んで追い出されても、二度とこの家には戻らない」
美花は薄く笑いながら、甘い八宝茶を飲んだ。苦いものを飲み下して流すように。
秋の終わり。紅芳と美花は、それぞれの嫁ぎ先に旅立った。
必ず手紙を出すと約束して。
◆◆◆◆◆◆
秋の終わり。紅芳は、持参金と結納品を満載した馬車に乗って、巨大な山脈を越える旅をした。
初めて見る景色に目を輝かせるうちに、オプスキュリテ辺境伯領に入った。
そこから更に移動しなければならない。何日か街道を進み、途中で休憩した時のことだ。
「紅芳様、この燻製肉と小麦饅頭美味しいですね」
「ベーコンとパンだね。この汁物も美味しいよ。シチューって言うんだって」
敷物の上で軽食を取り、黒珠とたわいもない話をしていると、こちらに駆けてくる馬影が見えた。
馬上には、キラキラ輝く銀髪の美少年がいる。
「紅芳!待ちきれなくて迎えに来た!」
朗らかな笑顔と大声に、居合わせた女性はうっとりし、男性は微笑ましいと笑った。
紅芳は笑顔で手を振りながら思った。
(本当に明るくて、朗らかで、裏のない人。
色々と見抜いて父様に交渉したへレーネ様と違って)
へレーネにも言われた。
『ベルナールは人の心の機微がわからない。人の悪意や執着を軽んじている。その分、貴女には苦労をかけるだろうが、どうか支えてやって欲しい』
(私は、それなりに人の心の闇も光も見てきた。
人と接するのは怖いけれど……この眩しい人を支えて守るためなら、強くなれる)
ベルナールが馬から降りて走ってくる。紅芳も敷物から立ち上がり、走った。
「紅芳!俺の愛しい婚約者!会いたかった!」
「ベルナール!私も!私も貴方に会いたかった!」
紅芳は心から笑って、ベルナールの抱擁を受け入れたのだった。
おしまい
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