狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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ラズワートの回想・十五年前【2】

 アンジュール家は、もともと交易で栄えた家だ。人心を掌握し、気づかれずに操る手管を持っていた。

『高貴の者は血生臭い戦場仕事を行うべきではない』

 という考えをルフランゼ王国の王侯貴族たちに浸透させ、辺境軍だけが積極的に戦に出るようにした。
 王城に人質同然に召し上げられたアンジュール領の者たちは、わざと虐げられるようにしむけて欲望をつついた。突出した能力がある貴族家は、あらゆる手管を使って堕落させた。また、それを利用して情報を収集した。

「最初はなかなか堕落しない一族もあったが、真っ先に王族たちが堕落したので時間の問題だった。もともと、忠臣を疑い虐げるために戦を起こすような国王がいたのだ。一皮剥けば疑心、嫉妬、肉欲、憎悪が噴き出た」

 王城は収賄と汚職が横行し、誰もが互いの足を引っ張り蹴落とすことに夢中になり、ペンと羊皮紙は埃に塗れ、磨かれていた武具は錆び、魔法は脅しと娯楽の手段に成り下がった。どんなに堕落しても、外敵や魔獣は辺境軍が倒すので王都の生活は脅かされない。この事実が堕落を加速させた。
 中には、アンジュール家に好意的で信頼できる家もあった。そういった家は密かに引き込み、協力させた。

「この私、アジュリート・ド・アンジュールも物心ついた頃から暗躍したものだ」

 アジュリートはここまで説明して口を閉じ、息子の目を覗き込んだ。様々な情報を注ぎ込まれたラズワートは呆けていたが、父親の目の鋭さに肝を冷やした。今まで自分が知っていた、厳しくも愛情深い父親はどこにもいなかった。

「ラズワート。お前の役目は何かわかるか?」

「策略を引き継ぎ、王侯貴族を堕落させ……いえ、それでは今まで俺が何も知らなかったのはおかしいですね」

「そうだ。その役目は私の代で終わる。お前の役目は、この策略を最後まで完遂させることだ。ルフランゼ王家および王国を打倒し、我ら誇り高きアンジュール家を次代に残す。どんな手を使ってでも、お前の中に流れるアンジュールの血を残すのだ」

 親戚は多いが、アンジュールの直系の血を明確に引く者の数は意外に少ない。今代では、ラズワート親子の他は叔父のリュビク・ド・ヴァンルージュ子爵と従兄弟たちぐらいしかいなかった。
 こればかりは、獣人の血を引いていることが仇となった。人間と子を成すことが難しいのだ。さらに、これは番に執着する獣人の血が関係しているかは不明だが、アンジュール家の者は不特定多数と交わることを嫌悪する傾向があった。
 事実、ラズワートは精通と同時に娼婦によって手解きされたが、快楽の強さよりも虚しさと嫌悪の方が強かった。娼婦を突き飛ばしたり傷つけないようにするので精一杯だった。

「わかり……ました」

 アジュリートの言うことは、家門を守ることを第一とする貴族として正しい。圧倒されつつもラズワートは頷く。アジュリートはさらに厳しい顔になった。

「あらゆる場合に備えてよく学び、牙を砥げ。今も密かに支援は続いているが、ゴルハバル帝国が誓約を守るとは限らぬことも忘れるな」

 かくして、この日からラズワートは策略と共に生きることとなった。これは大きな苦悩となり、ラズワートの精神を蝕んだ。特に、領民のほとんどがなにも知らないことが気にかかった。

(ゴルハバル帝国との戦で領民たちが傷つくのは、この策略のせいだ。数年ごとの戦は帝国との繋がりを悟らせないためと、王家を油断させるための茶番でしかない。しかもそれは帝国の民たちも同じだ)

 ゴルハバル帝国で策略を知るのは、皇帝、皇太子、宰相、外務大臣、彼らの腹心などごくわずかだという。それ以外は何も知らずに戦っているのだ。

(だからと言って、手心を加えればこちらが殺される)

 ラズワートには確信があった。十歳の時、ゴルハバル帝国との戦を経験したのだ。
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