狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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ラズワートの回想・十三年前【1】

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 ラズワートが十六歳。春の初めのことだった。ルフランゼ王家の命で、辺境軍はゴルハバル帝国と戦うことが決まった。
 辺境軍は速やかに国境まで進出し、陣を張った。間もなく、スィルバネ砦への侵略が始まる。始まれば、ゴルハバル帝国ダルリズ守護軍が動くだろう。久々の大戦になる。
 早朝。ラズワートは緊張しながら愛馬の世話をしていた。

(恐らく俺は父上の指揮下のもと、第一騎士隊の一員として戦うだろう)

 アジュリートの采配は確かだ。しかし、今回の戦は規模が大きい上に無茶な要求をされている。
 国王は六年前の戦で奪われた領土を奪い返すだけでなく、さらに奪えと要求したのだ。

(簡単に言ってくれる)

 ラズワートは憤り歯噛みしたが、その後アジュリートから下された命令の方が酷かった。

「閣下、ラズワート・ド・アンジュール御前に参りました」

「うむ」

 呼び出されて入った天幕の中、アジュリートは副官も従者も下がらせ、二人きりになってから言った。

「ラズワート。第一、第二騎士隊を率い、スィルバネ砦を落とせ。出来るな?」

「お待ち下さい閣下!私がですか?」

 確かに、すでにいくつもの戦場を経験している。敵将の首を獲ったことも、複数の騎士や兵を率いて戦ったこともある。とはいえ、凄まじい戦闘力を誇る獣人と戦うのは初めてだ。ラズワートが怖気付くのは無理からぬことであった。
 しかしアジュリートは、顔を顰めて手を掲げた。

「情けない」

 途端、灼熱の炎がラズワートを包む。

「うわあぁっ!閣下!なにをなさいますか!」

 アジュリートは笑った。手を下げて炎を消す。

「大龍殺しの炎でさえ防ぐか。ラズワートよ。お前を殺し切れる者はそういない。お前に恐れることなどない」

 確かに、ラズワートは無事だった。服すら無傷だ。瞬時に身体強化と物質強化魔法をかけたからだった。

「ラズワート、お前は獣人を恐れている。そして領民、いやルフランゼ王国そのものに対し罪悪感を抱いている」

 言い返せずうつむく。

「お前がただの辺境軍の騎士なら、その恐れは慎重さとなってお前を守っただろう。罪悪感も節度と美徳を与えただろう。だが、お前はアンジュール家次期当主だ。兵を率いて領民を導く者であり、ルフランゼ王家を滅ぼす者だ。そのように産まれついた者に、恐怖も罪悪感も必要ない。それらは判断を誤らせ、誤りは家を滅ぼし領民を殺す」

 言葉が突き刺さり、責任が双肩にのし掛かる。その肩を、アジュリートの魔法使いらしい薄く繊細な手が包む。アジュリートは非力だ。息子のラズワートの方が、身体は大きく力もはるかに強い。魔法をかけられたとしても、先程のように防げる。なのに恐ろしくて震える。

「ラズワート、恐怖を乗り越えろ。罪悪感を殺せ。恐ろしいだろう。苦しく心細いだろう。だが強くなれ。お前を守るのは、お前の強さだけなのだ」

 アジュリートの金茶色の目が揺れた。
 その時やっと、ラズワートは父もまた苦悩を抱えている事を悟った。優しさも冷徹も真実で、自分と同じように苦悩しながら生きて、精一杯自分を愛してくれている。

「わかったよ父上。心配しないで」

 ラズワートはそう答えるしかなかった。

◆◆◆◆◆

 その日の夜。ラズワートは覚悟を決めて挑んだ。作戦はただ一つ。魔法で砦の一部を攻撃させている間に内部に侵入し、皆殺しにする。
 スィルバネ砦は六年前までアンジュールのものだった。魔法ではなく仕掛けによって隠された地下道のうち、一つだけがまだ生きている。この作戦は図に当たった。

「敵襲ー!辺境軍……ぎゃああ!」

「ルフランゼの人間どもが!殺してやる!」

 初めて戦った獣人たちは強く、恐ろしく、苦戦した。身体強化魔法があっても無傷とはいかない。しかしラズワートは、誰よりも多くの敵を倒した。
 夢中で戦う内に、恐怖は薄れた。朝日が登る頃には、ラズワートらは敵の司令官ふくむ半数近くを倒していた。損耗も激しかったので、別働隊に後を託して引く。
 アジュリートは天幕から出て出迎えた。

「よくやった」

 スィルバネ砦は落ちた。息子を誉めるアジュリートの金茶色の目は、喜びに輝いている。ラズワートは心から安堵した。
 この日以降、辺境軍は破竹の勢いで進軍を続け、戦闘と掠奪の日々を過ごした。
 オルミエ城塞を落とした時には、ラズワートの恐怖は完全になくなった。むしろ戦いに救いと快感すら感じていた。

(戦っている間は、俺とアンジュール家の罪を考えなくていいのだから)

 戦を楽しむ余裕が出来たことは、ラズワートをより堂々と見せた。都合がよかった。ラズワートは共に戦う騎士たちの、辺境軍の、領民のために、まるで恐怖も罪悪感もないかのように振る舞い、戦わなければならないのだから。
 だから、ダルリズ守護軍の騎竜兵部隊が騎兵たちを蹂躙せんとした時、迷わず飛び出して戦う事が出来た。
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