狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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サフィーリアの願い

 翌朝、ラズワートは騎士一人と共にクレドゥール公爵邸に向かった。

「ようこそお越し下さいました」

 クレドゥール公爵は不在だった。ラズワートらを迎えた執事は下にも置かぬ丁寧な対応で奥へ招く。騎士は応接間で茶菓を頂戴することになった。本人はサフィーリアと会えぬことが不満だと目で訴えたが、無視する。
 二人きりで話すことがある。
 この邸宅は、王都中の貴族の邸宅の中で最も歴史がある。最初、ここに入った時は圧倒されたものだ。しかし、玄関、応接間、広間など、来客をもてなす空間以外は、過剰に華美たところはない。気品と過ごしやすさを両立した邸宅でもあった。主であるクレドゥール公爵以下、クレドゥール家の面々の人柄が現れていて好感を抱いたものだ。
 ラズワートにとって、王都で多少なりとも気を抜けれるのはアンジュール邸かクレドゥール邸だけだった。だが今は、初めて足を踏み入れた時以上の緊張を抱いている。

「サフィーリア様は温室でお待ちです」

 クレドゥール邸の温室は広く、中央に東屋がある。そこで住人が憩ったり、茶会を開く。今は茶会を開く機会も少なく、もっぱらサフィーリアが花を楽しみながら読書をするのに使われていた。ここに招かれるということは、信頼と親しみの表れでもある。
 東屋の中にはテーブルと椅子が設えられている。すでにサフィーリアは座っていた。去年より痩せているが、想像よりは元気そうな顔だった。

「ラズワート。良く来た。久しぶりだな。さあ、座ってくれ」

「ああ、失礼する」

 サフィーリアは朗らかに笑う。深い青色の目には、親しみが込められていた。ラズワートもいつも通り、そっけなくも親しみのこもった挨拶を返した。
 メイドが茶菓を給仕し、東屋の外で待機する。会話が聞こえるか聞こえないか、微妙な距離だ。サフィーリアは右手を差し出した。

「早速だが頼む」

 戸惑いつつも、あまりに華奢で繊細な手を両手で優しく包む。

「……ああ、わかった」

 ラズワートは身体強化魔法をかけた。淡い青色の光がサフィーリアを包み、その肉体を活性化させ回復していく。それでも、毒の後遺症も、傷ついた内臓も、完全には治らない。胸が張り裂けそうに痛い。
 ラズワートは他人に身体強化魔法をかけるようになってから、色々な事がわかるようになっていた。

(やはり……あと一、二年しか保たない)

 すでにサフィーリアも知っている事実であったが、あまりにもやるせ無かった。

「ラズワート、もういい。楽になった」

 右手が離れていく。先ほどよりも血色が良くなったサフィーリア。その顔が見れなくて俯く。

「気にするな。覚悟の上で私は毒を食らったのだ」

 手紙に書かれた一文のままの言葉だった。
 心臓が変な音を立てた。ラズワートの手がテーブルを掴む。純白のテーブルクロスに無惨な皺が寄り、茶器が揺れた。

「何故……」

 しわがれた声が出た。反して、サフィーリアの声は穏やかで、朗らかですらあった。

「何故、君が毒の出所を知った事に気づいたか?簡単さ。最近の手紙の文字は強張っていたし、王都に来る時は前もって知らせていたのにそれも無い。後はまあ、カマかけって奴だ」

 ラズワートは顔を上げ、サフィーリアと目を合わせた。穏やかな眼差しに気圧されながらも問う。

「それはいい。何故、わかっていて毒を?そのせいでお前は……」

「お祖父様の目を覚まさせるためだ」

 サフィーリアは語った。
 王城では、誰もが着飾り宝石を身に纏う。
 そしてサフィーリアは、宝石から持ち主の感情や記憶を読み取れる。
 だからサフィーリアは、早い段階でジャルル親子の企みに気づいた。アンジュール家が策略のためにそれを利用することも。
 ジャルル親子との会食の席、食事にはアンジュールの手の者が用意した毒が盛られ、毒見役も食べたふりをする。それをわかった上で、あえて毒入りの食事を食べた。
 理由は、忠誠を捧げるべき王家などすでに無いと、祖父であるクレドゥール公に悟らせるため。また、ルフランゼ王国滅亡後もクレドゥール家を存続させるためだった。

「お祖父様はずっと夢を見ておいでだった。それなりに有能だった先々王の夢を。変わらず献身し続ければ、いつか現王も目を覚まして善政を敷き、クレドゥール家に報いると……。叔父上と叔母上たちがいくら説得しても無駄だった。この国はもう滅ぶしかない。忠義より保身と転身の時だというのに……甘い夢に浸っておられた」

 サフィーリアの細い指がティーカップを摘む。音もなく紅茶を飲み、受け皿の上に戻す。洗練された仕草に動揺や怒りはない。優美な笑みを浮かべながら、恐ろしい過去を語る。

「だがお祖父様を殺したり、叔父上に簒奪させる訳にはいかなかった。当時のクレドゥール家にとってお祖父様は絶対であり、叔父上の立場はあまりに弱かったからな。だから、あの時の私はこれしかないと思った。もともと早死にするのは産まれた時から決まっていた。巡り合わせに感謝すらしたよ」

 結果、サフィーリアは服毒して寿命を縮めた上、理不尽な言いがかりで王城を追われた。のみならず、クレドゥール公爵も言いがかりをつけられて、家門ごと失脚した。そしてようやく、クレドゥール公爵はルフランゼ王家を見限り翻意を決意したのだった。

「全て私の手のひらの上という訳さ。毒の種類と盛られる量も知っていたから、死なずに済んだしな」

「アンジュールは……俺たちは……そこまでお前を追い詰めたのか……」

 結局は自分たちアンジュール家の策略によってサフィーリアは死ぬのだ。罪悪感と自己嫌悪に押し潰されそうになった。
 そんなラズワートに厳しい声が叩きつけられた。

「自惚れるな。ラズワート・ド・アンジュール」

 サフィーリアをまとう空気が変わる。青い目が怒りに輝いた。

「お前たちの策略が絡んでいたとはいえ、毒を盛ると決めたのは第二王子たちだ。そして私は毒を盛られたのではない。自分の意志で毒を食らったのだ。勝手に人をか弱い姫にするな!」

 ラズワートは自分の思い違いに気づいた。サフィーリアは自分が守らなければならない存在だと思っていたが、それは誤りだった。
 強い意志の力の持ち主だった。覚悟を持って生きる気高き人だった。
 ラズワートは、ほとんど無意識の内に胸に片手を当てる最敬礼の姿勢となり、無言で頭を下げた。
 サフィーリアは溜飲を下げたのか、少しだけ声が穏やかになる。

「大体、王侯貴族がここまで堕落したのは自らの怠慢と傲慢が原因だ。お前たちに翻意を抱かせたのも……現状の責は、我々王族にある」

「それでも他に手はなかったのか?こんなにも長く時間をかけ、多くの者の人生を曲げる以外になにか……」

「そんな事は知らんよ。時は戻らないし、もしもは無い。あるのは現実だけだ」

 サフィーリアはばっさりと切り捨てた。

「むしろ長期計画だったのは、当時のアンジュール辺境伯の慈悲……いや、期待だったかもしれない。自分たちの策略を見抜く。あるいは、自分たちの働きを正当に評価する優れた王族に、止められることを期待していたように感じる。私たちは期待外れだっただけだ」

 ラズワートは顔を上げ、拳でテーブルを叩いた。

「そんなことはない!少なくともお前は優れた王族だ!お前が王なら、俺たちは喜んで忠誠を誓っただろう!きっと父でさえ!」

 金混じりの青い目に涙が滲む。視界が歪む。

「だから俺は悔しい。お前が助からない事も、お前に忠誠を誓えない事も、俺たちが決められた道筋しか進めない事も悔しい」

 涙がぼたぼたと茶器やテーブルクロスに落ちる。テーブルに叩きつけたままの拳を、小さく繊細な手が包んだ。

「私も悔しい。毒で倒れてからやっと、好きに生きれた。好きなだけ石のことを調べたり、お前たち友人と手紙を交わしたり、お祖父様たちと心を開いて話せた……幸せだった。もっと生きたかった。けれど、選んだ道に後悔はない。その代償に得た自由と幸福なのだから」

 サフィーリアは優しい声と眼差しでラズワートを慰撫した。

「だからラズワート、お前も好きに生きろ。私に忠誠を誓いたかったというなら命令するから。優しいお前には難しい事だろうが、どうか好きに生きて幸せになって欲しい」

 言葉と儚い手の感触が、ラズワートの心にしみていく。ラズワートはひたすら泣いた。

◆◆◆◆◆

 翌年の春。サフィーリアはラズワートに輿入れし、その知識と人脈を大いに生かした。特に有名なのは、宝石『アンジュールの奇跡』の発見と産業化である。成功を見届けて安心したかのように、ラズワートが二十四歳の時に儚くなった。最後の半月は苦痛に苦しんだが、繰り返しラズワートに感謝を述べ、自分は幸福だったと告げた。
 ラズワートは私財を叩いて立派な葬儀を行い、丁重に埋葬した。
 そして、ある決心をした。

(全てを終わらせ、好きに生きる)

 脳裏に浮かぶのは、かつて見た夢と、焦がれた男の姿だった。
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