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ARKADIA──それが人であるということ──

Glutonny to Ghostlady──二人は危機に、一人は嵌り、一人は叫ぶ

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「先輩。僕から離れないでくださいね」

 そう声をかけながら、僕と先輩は廊下を歩く。廊下は異様なほどに長く、信じられないことに終わりが見えてこない。外から軽く眺めただけではあるが、明らかに屋敷の外見と内部が合っていない。

 と、僕の背中にくっ付くようにして後ろを歩く先輩が、少し不機嫌そうに返事する。

「おう。……って言っても、お前が俺から離れたけどな。さっき」

「うっ……すみません」

 瞬く間に《SS》冒険者ランカーの二人と分断されてしまい、僕クラハ=ウインドアは今、非常に焦っていた。

 いくら《SS》冒険者であるサクラさんとフィーリアさんが一緒だったとはいえ、僕は油断していた。油断し過ぎていた。まさか、こんな事態になってしまうとは。

 僕としたことが、冒険者の基本を怠っていた。そもそも物騒な噂が絶えないこの『幽霊屋敷』に対して、警戒というものを全く抱いていなかった。その時点で、僕は冒険者失格だ。

 ──……サクラさんは大丈夫だって言ったけど、それでも少しくらいは用心すべきだった。

 確かに、彼女基準からしてみればこの事態もさほど大したことはないのだろう。当然床が抜け落ちていった彼女の安否は気にかかるが、恐らく無事……だとは思う。サクラさんが死ぬなんてとてもじゃないが想像もできないし、仮にもし死んでしまっていたら──僕と先輩がこの屋敷から生きて脱出することなど、絶対にできはしないだろう。

 逆に心配なのは……フィーリアさんの方だ。彼女の凄まじい怯え様を思い出すと、堪らず不安を覚えてしまうが、しかし逸れてしまった今、どうすることもできない。その無事を祈り、捜すくらいのことしかできないのだ。

 そう思い、僕はチラリと視線を横に流す。……流して、内心ため息を吐いた。

 僕の記憶に間違いがなければ、時刻はまだ昼だったはずだ。太陽だって昇っていた。空も明るかった。

 だが、窓から覗ける景色は──真っ暗闇だった。空も黒一色に染められており、煌びやかな星々は一つもなく、ただポツンと寂し気に満月が浮かんでいる。

 ──本当に一体どうなってるんだ……なんだって、夜になってる?

 持っている知識と今まで培ってきた冒険者としての経験を総動員させ、考えてみたが──残念ながら、大した仮説は立てられなかった。まだ先輩が男だった頃──つまり正真正銘の三人目の《SS》冒険者、『炎鬼神』と呼ばれていた頃に、様々な危険地帯に散々連れ回されたが、今回みたいな状況に置かれたのは初めてだ。

 ──……それに。

 窓を見つめ、僕はおもむろに拳を振り上げ、そして今己が出せる全力を込め、透明な窓硝子ガラスに向けて思い切り振り下ろした。

 普通であれば、硝子など粉々に砕け散る威力──だが。

 ガッッ──驚くことに、僕の拳を受けても硝子は鈍い音を立てるだけで、全くの無傷であった。

「…………」

 無傷で済んでしまった窓硝子を眺めて、嘆息する。本当にこれは硝子なのだろうか。

「お、おいクラハ」

 少し訝し気に窓硝子を見つめていると、先輩が声をかけてくる。その声には、何故か若干の不安というか、心配の気持ちが込められていた。

「はい、どうしましたか?先輩」

「いや、さっきも硝子殴ってたけど……痛くねえのか?」

 言われて、僕は自分の拳を見やる。窓硝子と同じように至って無傷だったが、確かに先輩の言う通り、傍目から見れば僕の先ほどの行為は、あまり見過ごさずにはいられないものだろう。

「大丈夫ですよ、先輩。【強化ブースト】しているので平気です」

「……そうか。なら別にいいけど」

 まだ少し思うところはあったようだが、先輩は納得してくれたらしい。普段はがさつで大雑把な人なのに、こういったことには人一倍心配してしまう──僕はこの人ほど優しい人間を他には知らない。

 まあそれはともかくとして、やはり窓硝子を割って強引に脱出はできないとわかった今、あまり動きたくはないが、前に進むしかない。ここで立ち止まっていても、事態は進展しないのだから。

 それにサクラさんとフィーリアさんも捜さなければならない。特にフィーリアさんはできるだけ早急に見つけ出さないと……一体なにをするかわからない。

「先輩。先に進みましょう。くれぐれも、僕から離れないでくださいね」

「わぁってるっての。お前こそ、さっきみたいなことすんじゃねえぞ」

「は、はい。気をつけます」

 先ほど乱暴に振り払ったことに対して非難をぶつけられながら、僕と先輩は廊下を進む。途中、なんらかの部屋に続くのだろう扉を開けようとしたが、鍵がかかっているのか全く開かなかった。

 ──それにしても、本当に終わりが見えてこないぞこの廊下……。

 割と冗談抜きで無限に続いているのではないかと思ってしまうほどに、廊下は長かった。屋敷には照明の類は一切なく、唯一窓から月光が注がれるだけであったが、それでも薄暗に見える廊下には無数の扉があり、しかし試したところ、その大体が開くことはなかった。

 階段なんてものもなく、窓から外を見ても、月が出ているというのに全くと言っていいほどに地面は見えず、果たして今僕たちは一階にいるのか、それとも知らない内に二階や三階に移動しているのか──あまりにも長過ぎる上に変化がない廊下を歩かされているせいで、それすらも曖昧になってきていた。

 幸い、まだ空腹や喉の渇きは覚えていないが──そう僕が考えていた時だった。

「ぅひあっ?」

 不意に、先輩がそんな素っ頓狂な悲鳴を上げた。思わず慌てて僕は先輩の方に振り返る。

「ど、どうしました先輩っ!?」

 見てみれば、先輩はだいぶ驚いた様子で、誰もいないはずの後ろを何度も確認しつつ、自らの臀部を手で押さえていた。

 それから僕の方に顔を向けて、言ってくる。

「さ、触られた!今なんかにケツ触られたぞ!」

「え……?」

 言われて、思わず先輩の臀部に視線を注いでしまう。もっとも、今は先輩の前にいるのでよくは見えないのだが。

 瞬間想起される光景────それはいつぞやのシャワーだったり、いつぞやの浴室乱入だったり、直近の無人島バカンスでの水着姿であったり。

 今思い返せば、様々な状況下で僕は先輩の無防備にも剥き出された臀部を目の当たりにしてきていた。胸と同様に大き過ぎず、かといって小さい訳でもなく、形も良く整った可愛いらしい丸い先輩の臀部を。

 確かに先輩の臀部は、こう見かけてしまうとつい手を出したくなるような、そんな見事な臀部だ。そのことは男であれば誰であろうと同意するだろうし、サクラさんであれば情熱を以てその首を何度も縦に振ることに違いない。実際、先輩が水着を着ていた際、彼女は先輩に気づかれないよう、熱い眼差しを秘密裏に送っていた。

 ……というか、そもそも先輩はこう、色々と反則だと思う。小柄な割に身体つきは結構、凶悪だし。しかも当の本人はそのことを全く自覚していないので、無防備過ぎる振る舞いを平然と行うし。それがあまりにも目に毒だし。

 ──やっぱりちゃんと言うべきじゃあないのか?ここはビシッと僕が言って、少しでも自覚を……って違う!!

 そこでハッと僕は正気を取り戻した。いや先輩に対して女子としての貞操観念を教え込むことも大切というか今後絶対にしなければならないことなのだが、生憎今はそれどころではない。

「き、気のせいじゃないですか?誰もいませんよ、先輩の後ろ」

「いやでも……そう、だな。たぶん俺の気のせいだったかも。悪りぃ、先行こうぜ」

 釈然としていない様子だったが、先輩は僕の言葉に頷いてくれた。念の為僕ももう一度先輩の背後を確認したが、やはりそこには薄闇が広がっているだけだった。

「はい。行きましょう」

 そう言って、再び歩き始める────直前だった。



 リーン──唐突に、鈴の音が廊下に響き渡った。



「…………え」

 気がつくと、僕はもう廊下にはいなかった。巨大な部屋の中──大広間ホール、とでも呼ぶべきなのだろう。様々な調度品や天井から吊り下げられた煌びやかなシャンデリア、そして剣を構えた無数の鎧が壁際に沿って、規則的に並べられている。

 ──ここは、一体……。

「な、なんだぁ?ここどこ?」

 突然の事態に頭が混乱し、上手く回せないでいると、隣から僕以上の混乱と困惑に満ちた声を先輩が上げた。

 人間、自分よりも余裕がない者を見ると、不思議なことに落ち着き冷静になれるものだ。とりあえず、今は先輩を落ち着かせよう。

「先輩、絶対に僕から──

 離れないでください──そう、僕が言いかけた瞬間だった。

 グンッ──突然、僕の身体を風圧にも似た、強烈な衝撃がかかった。

 ──うぐぁっ?」

 予想だにしていなかったそれに、僕は対応できず後方の壁にまで一気に押し込まれてしまう。そしてろくに受け身も取れず、凄まじい勢いで叩きつけられた。

「かはッ……!」

 背中越しに内臓全てを揺さぶられるような感覚と、肺に残っていた酸素を無理矢理に絞り出され、堪らず僕はそのまま膝から床に崩れ落ちてしまう。

 急いで立ち上がろうにも、まるで足に力が入らなかった。

「クラハ!?」

 僕の名前を叫び、先輩がこちらに駆け寄る──その直前、

「うわっ、わわっ?」

 信じられないことに、先輩の小さな身体が、独りでに少し宙に浮いた。かと思うと、まるで見えないなにかに引っ張られているかのように、先輩は大広間の中央にへと飛ばされてしまった。

「痛っ!」

 そしてそのまま宙から落下し、尻餅をつく。幸い大した高さではなかった為、怪我はないようだったが、それでも僕の不安を煽るのには充分過ぎる光景だった。

「先輩!」

 今度は僕から先輩の元に駆け寄ろうと、今度こそ足に力を込めて床から立ち上がる。そして勢いに任せて駆け出そうとした──時だった。

 ガシャン──金属同士が擦れ合う、不快で耳障りな音が周囲からいくつも響いた。

 ──今度はなんだ!?

 僕は慌てて視界を巡らす。音の発生源は、すぐさまわかった。わかって、思わず声を漏らしてしまった。

「……嘘だろ」

 薄闇の向こうから、こちらを取り囲むように。無数の金属音を喧しく響かせながら────鎧がゆっくりと迫っていた。




















「…………参った、な」

 薄闇が広がる廊下にて、ほとほと困り果てたような声が静かに響く。しかし、その声に対して別の声が返事をすることも、なにか別の音がすることもない。

「…………はあ」

 その事実を再三確認し、再三この辺りに人はいないのだとわからされ、堪らず声の主は重ったるいため息を吐いてしまう。

 声の主は、《SS》冒険者ランカー──サクラ=アザミヤである。屋敷に突入して早々、なんとも間抜けな形でクラハらと分断されてしまった彼女は今、どうしようもない状況に陥ってしまっていた。

「私ともあろう存在モノが……情けないな」

 そう、床から抜け落ちてしまった彼女は──あろうことか、落下の勢いそのままに、着地点であった床も突き破ってしまい、その結果下半身全てが床下に、そして上半身のみが出ているという実に珍妙な状態となっていたのだ。

 抜け出そうにも、誰に対して見せる訳でもないのにやたら大きく育ってしまった尻が突っかかってしまい、ちょっとやそっとでは抜け出せない。かと言って無理矢理抜け出そうとすれば、十中八九床がさらに割れる。

「……フィーリアにああ言った手前、これ以上破壊する訳には……」

 さてどうしたものかと、『極剣聖』は頭を捻る。彼女としてはいち早く脱出し逸れてしまったクラハとラグナ(それとついでにフィーリアとも)と合流したい。

 しかし──いかに床をこれ以上破壊せずに抜け出せるのか、もどかしいことに良い案は浮かばなかった。










 一方で、もう一人《SS》冒険者──フィーリア=レリウ=クロミアは薄暗い廊下を、今にも泣き出しそうな表情でゆっくりと、それこそ蝸牛かたつむりの如く慎重に歩いていた。

「ああ~……もうやですぅ、帰りたいですぅ……どこ行っちゃったんですかウインドアさん、ブレイズさーん……」

 霧に包み込まれ、それが晴れたかと思えば目の前にいたはずのクラハとラグナの姿は消え失せており、フィーリアは独り、廊下に取り残されていた。

 そんなあまりにもあんまりな現実に打ちのめされ、堪らずフィーリアは自ら心を閉ざしかけたが、『天魔王』としての面子がなんとか彼女を奮い立たせた。

 ……とはいえ、その場から動き始めるのに、一時間ほどかかったが。

「【転移】も阻害されてできないし、もうどうすればいいんですか……」

 嘆きながらも、フィーリアは先に進む────と、その時だった。

 ギギ──後ろから、床が踏まれ軋む音が静かに響いた。

「…………」

 思わずその場で立ち止まるフィーリア。泣き出しそうだった表情が、瞬く間に青ざめ恐怖に塗り潰されていく。

 数秒経って、固唾を飲みながらもフィーリアは一歩踏み出す。また、背後から床が軋む音が響く。

 そこで、彼女は完全に止まってしまった。目を瞑り、荒く呼吸を繰り返して──そして、意を決した。

「もういい加減にしてくださいよッ!?」

 バッと、フィーリアは屋敷中に響かせるつもりで叫びながら、己の背後を振り返った。一体なにがいるのか、一体どんな存在モノが自分に付いてきているのか──それを確かめずに、それを無視しながら移動するなど絶対にできなかったから。

 振り返ったフィーリアの視線の先には────



「…………なにも、いない?」



 ────そう、なにもいなかった。そこにはただ、薄闇が広がる廊下が続いているだけだった。

「…………はあぁぁ~」

 心の底から安堵の息を吐き出し、フィーリアは胸を撫で下ろす。

 ──そうですよね。大体お化けとか、そんな非現実的な存在なんていませんよね。私ったら考え過ぎですねえ。

 フッと先ほどまで抱いていた恐怖もいくらか和らぎ、彼女は前に向き直った。

「キャハ」

 すぐ目の前に、片目の取れた、ボロボロの人形の顔があった。これでもかと歪ませた口元から、ゾッとするほどに無邪気な笑い声が漏れ出てくる。

「キャハハ」「キャハハハ」「キャハハハハ」

 そして奥の方、薄闇が広がる廊下の先にも、人形の顔が浮かび上がっていた。無数の、人形の顔が。

 それら全てから笑い声がする。子供そのものの、無邪気な笑い声がいくつにも重なって、大合唱を奏でる。



「「「「キャハハハハハハハハハッ」」」」



 世にも悍しい大合唱。それに数秒遅れて────

「いぃぃやああああああああっっっ?!!?!?」

 ────という、屋敷全体を震わせるような悲鳴も上がった。
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