シュレーディンガーの猫に宜しく

繁村錦

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第四章

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「執刀した先生の見立てじゃ、死因はやはり、シアン化ナトリウムによる中毒ってことでした。科捜研に回された検体の検査結果が出るには、数日掛かりそうです」

 藤岡は雛壇に陣取る小松原に報告すると、白木が任意同行で引っ張った小川の事情聴取の様子を覗き見することにした。
 取調室は、刑事課のフロアが入った階に設けられている。藤岡はドアを開け、取調室の隣に併設された隠し部屋に入る。
 取調室とマジックミラーで隔てた隠し部屋には、桐谷と他数名の捜査員がいた。

「どうだ」

 藤岡は桐谷に訊ねる。

「まだ始まったばかりなので何とも」

 桐谷はかぶりを振った。

「そうか」

 呟くと、藤岡はマジックミラー越しに、小川を見た。
 取調室には、警部補である新宿中央署刑事課強行犯係長の磯川が入り、任意同行を求めた小川から事情を聞いていた。事情聴取を行うには、警部補以上の階級の警察が行うという厳格な決まりがあったのだ。勿論、それは建前に過ぎず、実際小川から話を聞き出す役目は、本庁から派遣された白木が担当していた。

「小川さん。松田さんとは、どう言うご関係で」

 スチールデスクを挟んで対座する白木は、小川の目を見据えながら問い掛けた。

「あのその」

 小川は白木から視線を逸らし、憚るような口調でぼそぼそと答えた。

「どう言うご関係って、男との女の関係に決まってるじゃねえか、白木ちゃんよ」

「藤岡さん。声が大きいです。もう少し静かに出来ませんか」

 桐谷は小言を口にしながら首を上げ、上目遣いで藤岡を睨んだ。

「おうっ、怖ぁ」

 ぽつりと呟くと、藤岡はマジックミラーの向こう側の小川に目をやった。

「聞こえません。もう少し大きな声で答えて頂けませんか」

 白木に迫られ、小川は一回だけ小さく頷いた。

「松田さんとはその……お付き合い……」

「つまり男女の関係ということですね」

「はい」

 小川はあっさりと松田との交際を認めた。
 事情聴取が終わり、小川は解放された。この学生は、本事案とは無関係であるという結論が出たからだ。更に、これ以上事情聴取しても、松田に関する新たな情報は何も得られそうになかった。
 小川を、新宿中央署の玄関先まで見送った磯川たちが講堂に戻って来ると、彼らは藤岡を中心に島を形成した。

「なあ、桐谷。白木が小川を引っ張った時、あの女傍にいたのか」

「さあ分かりません。どうなんですか課長」

 答えつつ、桐谷は視線を藤岡から井口に移した。

「W大の構内で、彼が一人になったところを見計らい、うちの捜査員と白木さんが任同を求めたそうです」

「ふん、てことはあの女。今頃大慌てで、証拠を隠滅してるかもな」

「確か、マル被には今」

 言いながら井口は磯川を見やった。

「うちの人間が二人張り付いています、課長」

「で、あの女、まだ大学の方ですか」

 藤岡が訊ねると、磯川は頷いてから、

「殺人事件があった物理学研究センターには、我々警察関係者の許可なく立ち入ることが出来ませんので、マル被はセンターではなく本館の方に」

 と説明した。

「本館?」

 藤岡が首を傾げる。

「ええ、それがどうかしましたか、藤岡さん」

  磯川は怪訝そうに問い返した。

「センター内は、鑑識が徹底的に調べた。二十三台あったPCも全部押収した。あの女が証拠となる物を隠し持ってるとすりゃ、自宅か大学の研究室。て考えるのが普通だな」

「つまり、藤岡警部補」

 磯川は彼に伺を立てるような視線を送った。

「なあ、桐谷持ち運びが出来る小型のノートPCでもWi-Fiに繋げば」

「それなら別にノートPCに拘らなくても、ipadのようなモバイル端末があれば……そうか、そう言うことか」

「ああ、そう言うことだ。桐谷」

「あの一体?」

 井口と磯川は、ほぼ同時に訊ねた。
 この二人は、藤岡と桐谷が何事かに気づいたことだけは分かったのだが、それが何か理解出来なかったのだ。

「俺たちは最初、センターのPCに細工されていると考えていたんだが、どうやら違っていたみたいだ」

「と言うと?」

 井口が目を細めながら桐谷を見た。

「分かりませんか、課長」

 桐谷は、呆気にとられる井口の顔を見詰める。井口と同様に、磯川も訝し気に首を捻っている。

「センター内のPCで映像データーを加工し、それを自分のPCに移し、ネット回線に繋ぎ神岡の施設と遣り取りする。そうすりゃ、たとえ大学PCを全て押収されても一切証拠は残らねえ」

「いや、藤岡さん。映像データーを加工した場合、センター内のPCに何らかの記録が残る筈。つまり映像データーも全て持ち運び出来る自分のPCを使って加工したんじゃないかな」

「それでもデーターを受け取った神岡側のPCには、何らかの記録が残っている筈」

「確かに」

 漸く全てを理解して井口と磯川は、何度も頷いてみせた。

 ここで藤岡がまた何かに気づき、浮かない顔をした。

「どうしたの藤岡さん。そんな冴えない顔してさ」

「なあ、桐谷」

「何」

「本当は最初からデーター何て存在していなかった。亡くなった冬月可南子さんが、あの夜ネット回線を利用して神岡の加藤と通信していたというのは、あの女と加藤の二人だけが……そうか大谷先生も証言していたよな」

 推理した持論の欠点を自分で発見して、藤岡は憮然と首を振った。

「……否定するのはまだ早いですよ。大谷教授も共犯者の一人だった。あるいは、昨日の私たちのように、加藤が殺害された桜井さんに扮していたと仮定し、それを見間違えたように、大谷教授も冬月さんを松田と見間違えたと考えれば」

「前者の場合だと、三人が示し合わせりゃ映像データー何て要らない。後者の場合だと少なくとも神岡のPCに記録は残ってるな」

「はい」

「安生の野郎に連絡入れて、岐阜県警に今直ぐPCを押収させなくっちゃいけねえな」

「急がせましょう、藤岡さん」

 桐谷が頷くと同時に、それを伝えるために、磯川が慌ててパーテーションで仕切られた本庁捜査一課強行犯二係(捜査本部の運営担当)の捜査員が固まる島へ向かった。

 暫くすると、磯川が血相を変え藤岡たちの前に戻って来た。

「…………」

 無言のまま、皆が磯川一人に視線を注ぐ。

「どうしたんですか、係長?」

 桐谷が訊ねる。

「神岡の方で、動きがあった。大谷教授が自殺したそうだ」

「えっ!? 自殺って……」

「岐阜県警本部から先ほど連絡が入った。飛騨中央署の方で任意の取り調べを行ったあと、解放された直後に、宿泊
先のホテル部屋で、シアン化ナトリウムを飲んで服毒自殺したらしい」

「また、例の毒か……でも今回は、あの訳の分からない装置じゃなく、自分でその毒薬を飲んで死んだんだろう」

 藤岡が首を傾げながら言うと、桐谷は彼から視線を磯川に移し、口を開いた。

「本当に自殺なんですか?」

「遺書が残されていた。〝全ての責任は私にある。死んでお詫びする〟と書かれていたそうだ」

 磯川は、手許の手帳を開き、その文字を読み上げた。

「直筆で?」

 顎をしゃくりながら藤岡が訊ねた。

「いや」

 磯川は首を振ってから、

「大谷教授の私物のノートパソコンに」

 と少々沈んだ声で答えた。

「つまり、第三者が大谷教授を青酸化合物で自殺に見せ掛けて殺してから、PCに遺書を残したってことをあり得るな」

「そう言うことになりますな、藤岡警部補」

 井口が同調した。
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