何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない

てんつぶ

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想像していたよりもずっと美しかった

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「ぐぁ……っ」
 あの村に住む竜人であれば、子供ですらこの程度の攻撃は簡単に受け止めていただろう。年齢、そして大神官長という年齢を考えても、平凡な身体能力しか持たない男ににとっては驚異的な攻撃だった。ましてや、常人よりも儚げで繊細な美しさを持つノアが、まさかこんなにも重い一撃を仕掛けてくるとは思ってもいなかっただろう。
 膝を突く大神官長は、ようやく自分の旗色の悪さに気がついた様子だった。
 ノアの足元には、床一面に円陣が描かれていた。これが恐らく彼らが企んでいた、神子の能力を奪うための禁術なのだ。ノアは足を擦り、その禁術を崩す。
「お、おのれ……っ! 神子風情が、神竜の使いである儂に向かって……!」
 大神官長は腹を押さえ呻きながらも、そう吐き捨てる。仲間であるはずのユネーブは、なぜかその様子を静観している。殺意すらないその表情を不気味に思いながらも、ノアは自由になる足をグッグッと動かしながら、改めて大神官に向き直る。
 ノアのその行動に、老いた身体がビクリと震える。そこにいるのはこの神殿のトップなどではなく、ただの私欲にまみれた醜い老人のように思えた。
「僕の母は神子だったんですよね? それを、どうして貴方がたの勝手で殺されなきゃいけなかったんですか」
「あ、あの女は我々の命令を聞かなくなったどころか、どこの馬の骨ともしらない男の子を孕んだ! その上、神殿を告発するなどとふざけた事をいいよった。神竜を祀るこの神殿への冒涜、死んで当然じゃ!」
 自分勝手な主張を叫ぶ大神官の横面に、ノアの足の甲がピタリと止まった。その風を切る音に、老人はヒュッと息をのむ。
 ノアを後ろ手に拘束していた縄を引きちぎり、ノアはへたりこむ老人を見下ろす。はらりと落ちる縄の残骸は、大神官長には近い未来の自分と重なったかもしれない。
「神子の力を奪うのは、その神竜とやらへの冒涜にはならないの?」
「ふ、ふん……どうぜお前もその力はいらんのじゃろ? 有効活用して何が悪い」
 複雑に重なる薄衣を揺らし、普段浮かべている柔らかな表情すら消し去ったノアの姿は、実に神秘的な美しさだった。
「所詮お前も母親同様、あの獣人男に媚びる生き方をしてきたのだろうっ。そんな人間が、たまたま癒やしの力を持っていただけのこと! 本来であればそのような汚れた人間、この神殿に立ち入ることすらおぞましいっ」
 既にこの場は、ノアが圧倒的勝者だ。だというのにたとえ強がりでも暴言を吐ける老人は、流石大神官と呼ばれた男だと言うべきか。
 だがその暴言は、ただの悪手だ。
「母を殺しただけじゃなく、僕のコネハをそんな風に言うの?」
 室温が一気に下がるような、そんな地を這う声音がノアから響いた。凍てつくような視線は、達者だったはずの大神官の口すら黙らせる。
「ひっ」
「悲しいけど、コネハが言ってたことが正しかったのかな。人間なんて、結局自分のことしか考えてない」
 そう零すものの、それも全ては自分に返ってくる言葉だ。ノアも自分のことばかりで神殿に来てしまい、結局コネハを危険に晒してしまった。尻餅をつく大神官を見下ろしながら、ノアは苦しみに顔を歪ませる。
 だがそこに突如、それまでノアの蛮行を静観していたユネーブが割って入る。
「まあ、人間誰しもそうなんじゃないでしょうかね? 誰だって自分が一番可愛いものですから」
「ユネーブ……貴方はどうして」
「おお、怖い。ノア、そんな風に睨みつけては美人が台無しですよ」
 男はこんな時まで茶化して話す。もはや戦意を喪失している大神官は長ノアのさじ加減一つでどうとでもなるというのに。
 状況を考えないのんびりとした様子のユネーブに、ノアは腹が立ってくる。だがそれはノアだけではなかったらしい。床で震える大神官が叫ぶ。
「お、おい! ユネーブ! さっさと儂を助けぬか! こ、こいつを殺せ!」
 腰が抜けて動けないのか、老人は声ばかりが大きく、ノアは眉をひそめる。
 ユネーブの実力は分からないが、大神官長よりも腕が立つのは間違いない。こちらに身体を向ける男は、立っているだけなのに隙がない。
 ノアは腰を屈めて、嫌というほど父にたたき込まれた戦闘態勢をとる。
「おっと、まずは交渉させてください。ノア」
「交渉? 何を? 僕を騙して眠らせて、殺す算段をしたあなたと何の交渉を?」
「手厳しいですねえ。こちらも縦社会で、色々あるんですよ。色々」
 ノアは足を踏み込み、握った拳を素早くユネーブの身体へ繰り出した。
「おっと……本当に。気の短い神子様だ」
 まさかあっさり避けられるとは思わずに、ノアは一瞬呆気にとられる。だがそれもまぐれかもしれないと、二発目、三発目、それから足技を繰り出すも、のらりくらりとユネーブは避けた。最後の一発など、手のひらで簡単に受け止められてしまう。
 ノアはすぐにユネーブから距離を取った。
「……っ」
 この手応えのなさは、村で歯牙にもかけられなかったことを思い出す。
 ユネーブは息も乱さず「だから言ったでしょう」と薄く笑った。
「おお、ユネーブ! お前ならできると思ったぞ! この男をさっさと殺せ! この儂に刃向かう危険な神子など、すぐにでも処分しろ!」
 ぎゃんぎゃんと叫ぶ大神官の言葉は、ノアの耳にはもう入らない。
 少なくとも目の前に立ちはだかるユネーブをどうにかしなければ、自分はここから逃げることもかなわないのだから。
 上がった息を整えながら、ノアはぎりっとユネーブを睨みつけた。
 ここで死ぬわけにはいかない。
「僕は、コネハと共に生きるんだから」
 浮かんだ気持ちをただまっすぐに言葉にする。不思議とそれはストンと胸の中に落ちた。そうだ。人間だから竜人だから弟だから、そんなものはこの感情の前には全て無意味だ。
 ノアはただ、コネハの側で生きたい。
 コネハと共にありたい。
 それが唯一の願いだったはずなのに、様々な情報がノアの目を曇らせてしまった。
「そう……そうなんだよ。僕は、コネハが好きなだけ」
 考えてみたらシンプルなこと。それに至るまで、自分はどれほど遠回りしていたのかと自嘲した。人間であることを理由に嫌われてしまったら、今度は自分がコネハを追いかけよう。コネハがそうしてくれたように、彼に尽くして側にいようと思えた。
 だがきっとノアがそうであるように、コネハはきっとノアが人間であろうと受け入れてくれるだろう。どこかでそう祈りながらも自信がなかったが、今ならそうだと信じられた。
「なにをブツブツ言っておる! ユネーブ、さっさと殺せ!」
 ノアの言葉を、大神官の叫びがかき消した。だがそれがノアの決意を消せる訳ではない。
「ですがまずは交渉を」
 あくまでそう持ちかけるユネーブを、ノアは警戒を保ったままじっと見つめた。
 勝ち戦だと確信したような顔で、大神官がぎゃあぎゃあと叫んでいるがもはやそれは雑音でしかない。今のこの場は、ノアとユネーブの一騎打ちだ。
 この場を制し、コネハの元へ行かなければならない。
 張り詰める室内に、ユネーブののんびりとした声が響いた。
「捕縛か自害。どちらがよろしいでしょうかね、大神官様」
 ノアは一瞬、その言葉を理解できなかった。床に座り込む男はなおさらに、間の抜けた顔をしている様子だ。
 だが大神官長は思い出したように怒りに顔を染め、唾を飛ばしながら叫びだす。
「ゆ、ユネーブ! 貴様何を言っておる! この儂に――」
 だがその声は、外から響く轟音によって遮られた。一瞬で室内が暗くなり、まるで夜に包まれたのかと錯覚する。思わず顔を向けた窓の外には、巨大ななにかがあった。
 窓一杯に見えるそれは艶々と輝く宝石に彩られた、丸く銀色の巨大な瞳だ。瞳の周囲は固い銀の鱗に覆われ、瞳孔は縦に長い。ノアはそれが何なのか、すぐにわかった。
 たとえ大きさが変わろうとも、ずっとノアのそばにあった美しいもの。今もまっすぐに、ノアだけを見つめるそれは。
「……っ、コネハ!」
 輝く鱗に覆われた、その銀の瞳に思わず叫んだ。
 初めて見るコネハの竜体は、想像していたよりもずっと美しかった。
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