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王都を離れて

レオンの焦り

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 どうしてもっと早く気づかなかったのか。
 護衛としての俺は、ヴォルフに言われるまでもなく失格だった。個人としての俺は、アリィの姿がどこにもないことに驚き焦り、いらついていた。
 
 宿に着き自分の部屋に入った俺は、荷物を紐解き武具の手入れをしていた。護衛対象のアリィが、そんなに早く一人で出かけるはずはないと、思っていたからだ。
 一段落したところで、様子を見るため隣の部屋をノックした。
 返事がないので、首を傾げて考える。

『さすがのアリィも連日の道程で疲れが出たんだろう。寝ているかもしれないから、起こさないよう確認だけしておこう』

 そう予想してドアを開けたところ、彼女の姿は既になかった。慌てた俺は階段を駆け下り、宿の主人を掴まえる。

「すみません。さっき一緒に来た女……男の子を見ませんでしたか?」

 どこに行ったのか、宿の人が聞いているかもしれない。宿のどこかにいるのなら、その方がありがたい。

「ああ、だいぶ前に買い物に行くと出て行った子がいるな。農場までの道を教えといたから、もうすぐ帰って来るんじゃないか?」

 平民の格好をしているから、宿の主人はかしこまらずに話してくれる。これが普段の騎士の格好だったら、変に恐縮されてしまう。

「ありがとうございます。それで、その農場まではどう行けばいいんですか?」

 念のため、馬に鞍をつけて行くことにする。
 さすがに簡単な道で迷うとは思わないけれど、アリィならやり兼ねない。旅に出たばかりの頃、自然豊かな土地に興奮した彼女は、待機場所までの目印を覚えておくのを忘れていた。洗濯後に自信を持って反対方向に帰ろうとするから、慌てて迎えに行ったのだ。

「まったく、間違えて反対側に歩いてなきゃいいけど」

 アリィは一人で馬に乗れない。
 以前、馬の目の前で「生のまま食べたい」というような主旨の発言をしたせいで、うちの馬に嫌われているからだ。乗せてもらえないため、乗馬はすっかり諦めたらしい。だから今も一人の時は歩いて移動する。そう遠くには行っていないはずだ。



 すぐに農場に着いた俺は、老夫婦に聞いてみた。すると、だいぶ前に可愛らしい男の子が卵とハチミツを買いに来たと言われた。きっとアリィだ! 

「肩までの金髪で大きな目の子だろ? あまりに可愛いから鶏の燻製を分けてあげると言ったのに、まだ来てないんだよ。卵とハチミツも置いたままだし、急な用事でもできて帰ったのかねぇ」

 悪い予感がする。
 アリィが食べ物を置いたまま、いなくなるなんておかしい。

「いえ、宿にはまだ戻っていません。どこか行き先を言っていませんでしたか?」

 俺が聞くと、農場のおじいさんはすぐに教えてくれた。

「ほれ、見えるだろ? あっちの山のふもとにブルリの実がなっているんだよ。そのことを教えてあげたら、摘みに行くと嬉しそうに言っておった。かごを貸してあげたから、今頃はいっぱいになっていることだろう」
「あの山って……まさか、国境ですか?」

 ある程度の地理は、騎士の見習い時代に習う。そうでなくても旅には危険が伴う。行程と通る道の地図くらいは、事前に頭に叩き込んである。

「よく知っていたね。でも、奥には行かないようにきちんと言っておいたから、大丈夫じゃろ」
「まだ戻っていないんですよね? 食べ物を置きっぱなしでカゴもお借りしたまま?」
「ああ、気にせんでいいよ。そのうち返してくれれ……」
「ありがとうございましたっ」

 俺はおじいさんが言い終わる前に農場を飛び出した。アリィは山に行き、道に迷って帰れなくなってしまった可能性がある。それでなくとも日が傾いている。夜の山は危険だ。夜行性の獣だけでなく、国境破りや山賊が出没するかもしれない。

 山までは、馬を飛ばしてすぐだった。
 なるほど、ふもとの藪のような所に小さなブルリの実がなっている。奥に進めば進むほど誰にも摘まれていない分、粒は大きくなるようだ。

「アリィ、まさかこのために……?」

 大きな実を見て嬉しくなってしまったんだろうか? 旅も初めてだし、彼女は好奇心旺盛で何でもすぐに感動する。そのため、危険に気がつかず奥に進んでしまったのか。現に摘み取られたばかりか、まだ新しい切り口の枝が、そこかしこにある。

 森に入るため、迷わないよう目ぼしい木の幹に剣で傷をつけた。一から順に傷の数を増やして目印にする。帰る時は傷の数が多い順に逆に辿ればいい。



 そうやって森の中を探し回っていた時、遠くの方から男の声が聞こえてきた。怒っているようだが、何があったのだろうか? 俺は慌てて近づいた。
 すると、向こうから走ってきたものにぶつかられる……アリィだ!

 彼女を追ってきたのは、大きくて粗野な男だった。見たところ、髪も髭も伸び放題でまともななりはしていない。国境越えの犯罪者だと思われた。
 そう判断した俺は、男に向かって声を上げた。

「そこまでだ! 止まれ」

 その後は、男を黙らせ縛り上げるだけで良かった。伊達に騎士の訓練は受けていない。兵士やプロの刺客なら、一人では太刀打ちできないかもしれない。だがこの程度の腕ならば、何てことはない。

 やかましいので気絶させる。
 アリィを怖がらせたことを後悔させるため、もっと殴っても良かったが止めておいた。男のことはどうでもいいが、アリィに嫌われるのは嫌だから。酷くしないよう極力気をつけた。頭にきていた割には、かなり手加減した方だと思う。

 仲間にアリィを見つけたと、持っていた笛を三回鳴らす。同じように探す誰かが応えてくれるはずだ。予想通り笛の音が返ってきた。みんなも今頃安心しているのだろう。
 後は宿に戻るだけだ。
 
「みんなには伝えたから大丈……アリィ! その格好っ」

   ふとアリィを見ると、服の前が破れている。胸に巻いた布が直接見えて、白い肌が眩しい。
 動揺した俺は、思わず声が上ずった。子供の頃なら裸に近い格好を何度も目にしたことがある。けれど、大きくなってなかなか会えない今、こんな姿は目の毒だ。俺は着ていた上着を脱ぐと、彼女に急いで渡す。

 男に破かれたのだろうが、その割にアリィは冷静だった。ショックのあまり手が震えているけれど、乱暴されたわけではなさそうだ。手遅れにならず良かった。

 本音を言えば、アリィを傷つけた奴は許せない。男を縛り上げたまま山に置き去りにして、狼やクマの餌食にしてしまいたいくらいだ。だが、騎士としての職務上そうはいかない。『高潔であれ』と教えられるからだ。

 三人は乗れないので、男とアリィを乗せて馬を進めた。怖がるアリィが心配だったが、やんわり声をかけただけ。ゆっくり戻ったために、宿に到着したのは日が沈んだ後だった。外に漏れる灯りを見ると、帰って来たのだと実感できる。

 ちょうど出てきたヴォルフにアリィを託し、俺は町の警備にそのまま男を引き渡しに行くことにした。アリィを馬から下ろす時、ほんの少し安心させるように抱き締めた。彼女は果たして気づいたかどうか。

 明かりの灯る宿に入るアリィ。
 その後姿を眺めた後で、馬に飛び乗り馬首を巡らせる。ヴォルフに厳しい目を向けられた。この分だと後で説教されそうだ。
 それでも構わない。
 アリィが無事に戻ってくれた。

 ただそれだけで、俺は嬉しかった。
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