混血の守護神

篠崎流

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曹操という人

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赤壁の戦いは「長期」と表した通り、初手の戦い以降大きな戦いは無かった。
その後3ヶ月過ぎても、曹操も動かず、呉が主導して仕掛けても防御迎撃程度で長い膠着が続く

曹操は先に述べた通り対岸の滞在陣を強化基地化を図り一つの集落の様に作り変えた。川側の船も揃いを待ち船その物も強化しまるで港の様に整備する

数自体も呉の3倍にも成り、第三者から見ても境涯な砦になりつつあった。曹操の戦略は真っ当だったと云える

「遠征軍はどう動いても、守り側より攻め側の方が不利が多い、ならば「遠征」で無ければ良い」である

故に自ら司令官として前線に出て来たとも云える、この構想が成功していれば、正にその後の軍事遠征作戦に一石を投じたモノだったろう。が、彼の不幸は地の利、時の運が味方しなかった事にある

ただ、これらの曹操の構想と準備は対面している呉では一部不安も出た、半年に迫る頃には曹操の対岸の陣営ももう「街」に近くあり沿岸の川には横に広く大型船が並べられ要塞の様であった

「じっくり腰を据えて」の周、諸葛の方針に懐疑的に成らざる得ない、もう一つが「内部策」の部分で進展が薄い点

実際斥候や工作員の展開を図ろうとも思い、周喩も策を練ったのだが曹操側に付け入る隙が薄かった事

単純な相手では無く、彼の人事基準が優れているかどうかに起因し、ただ裏の展開を図っても寧ろ逆用されなかねない

初手の一戦で、蔡瑁の評価は確かに落としたかもしれないが、曹操も彼を切る愚行は行わなかった為である。それ程使えないともあるが扱いを悪くする事もなく、そのまま主将に据えてある程度任せた

これは当然で、今面前で対している敵を利する行為だと自覚しての事である

彼を捨てて結果が良くなる訳でもないし、寧ろ彼の部下や軍に不安を増やす、故にこの全体戦略を取った

つまり「将に異存しない、能力に過大な期待を置かない、足りないなら兵装や戦力で補ってやれば良い」との考えである

ここで周喩は諸葛亮と会談し、今後の策を話し合った

「内部工作や敢えて腰を据えて、の判断も成功とは云い難いな」
「曹操は簡単に内部策を許す相手ではない、という事でしょうか」
「いくばか展開はしたが、陸戦とは違うし、簡単に人に心を許す相手でもない。更に云えば両方の陣営が遠く開戦の際に紛れ込ませるのも難しい」
「ですが何れにしろ続けたほうが宜しいでしょう」

「そうだが、これは我々には不向きとも云える。元々相手の数が多いと云っても初手で勝っている。将兵共に、まともに戦っても負けるという意識が薄い。そもそも裏の人材が多い訳ではない。こうなると寧ろ当初の方針がマイナスにすらなる」
「こういう場合は相手の崩れが出るの期待した方が良いでしょう、基本方針は変わらないものと思います」
「だが、座して変化を待つは余りよろしくも無い」
「かもしれませんが」
「そこで、この部分、内部策を諸葛殿か劉備軍から何か良い手は出ないものか」
「しかしこちらも裏の展開に向く専門家が居る訳では‥」
「分っている、が、こちらは主戦で敵と対峙している。劉備軍も共闘であるが、主戦に参加しないという事であれば、ある程度余裕はあると思うが?」

この周喩の言で空気も変わる

「分りました、期待に沿えるかは、分りませんが考えてみましょう、ただ急な事ですのであまり期待せずにお願いします」

として「考慮する」に留め、一旦分れ
残った孔明と円二人に成った所で先に円が声を掛けた

「読まれているわね」
「ええ、少々あざと過ぎましたかな」
「共闘、と表面上は取り繕っているけど、流石に戦略を学んだ相手には見抜かれているわね」
「借刀殺人の事例に当て嵌まりますからね」
「他国を動かし、敵に当てて自分の戦力を温存して敵を疲弊させる。敵の敵は味方の典型ではあるわね」

「分った上で周喩殿も受けて、我々だけ楽はさせない、そういうことでしょう。ですが、これは困りましたな、劉両家から軍を動かし、後背側面の圧迫等は出来ますが、内部策をどうにかしろと云われるとあまり手が無いですし。それが通じるには難しい相手ですしかも、当初の長期、部分も懐疑的であるとまで云われますとね」
「そこそこ結果らしきものは表面上は見せないと、と云われている訳ね…ただ私は「考慮する」のままでいいと思う」
「と言うと?」

「私の見解だけ言わせて貰うと周殿の要請は真に困っての事ではないわ」
「うーむ‥成る程、つまり私への嫌がらせの類ですか。あるいはこちらに何かさせて、行動を見る」
「内部策方針の時点でその用意をして今更こちらでは無理だ、というのも妙な話だし、既に5ヶ月過ぎたわ仮に拒否しても策自体は既にあると考えている」
「一理ありますね」
「それとこれに関連した事だけど、折角だから私が曹操側に行ってみる」

「しかし、長坂で曹操軍と一手合わせて居るとお聞きしました、それを信用するとは思いません」
「工作員をやるとは云ってない。それから曹操に興味があるのは事実ね、それに孫呉、劉の連合に力を貸すという明確なモノではないわ、今までも力を貸したという事でもないし」

そう言われて孔明も考え込まざる得ない

「成る程、円殿が「個人的興味」と云われるなら止める理由もありません、あくまで中立に近くある訳ですし」
「そ、私がそうしたいからするだけよ第一呉の連合側に優位な行動を取るとも限らない」
「分りました」
「それから、私は別の役割があって動いているに過ぎないわ、呉にも劉備殿にも曹操にも仕えている訳ではないし戦の結果を動かすつもりも無いわ」

「考えてみれば確かにそうですね人を超えた者、仙術の師が俗世で世を動かすというのもあまり聞いた事がありませんし」
「そういう事だから気にしなくていいわ、ついでにあまり期待はしないで欲しい」
「分りました」
「ただ、孔明先生も気をつけて」
「それは?」
「私が言うまでも無くわかっている、とは思うけど周喩殿は貴方を良く思ってないわ、今回の一件も難題を投げて、貴方の失敗を契機に責任を問うてくるくらいの事はしかねないわ」
「‥そうですね、やはり周喩殿も私がやっている事もわかった上で使っている訳ですし、信用はしていないでしょう」

「ええ、この戦いの決着付近までは貴方の力は必要だし処罰はしないでしょうけど、其の後あるいは戦局が決まったら、後々の事を考えて何かしてくる可能性もあるわ」
「わかります、私も注意しましょう」

そうして孔明も認め、と言うより黙認する形で双方は一時離れるが、円がそうした理由も複雑な訳ではない、自身も云った様に、基本的に曹操の様な人物が好きではない、これは自身が権力側に痛い目に会わされているし、ある意味トラウマの様な物もある

だが一方で曹操が、自分がこれまで見てきたような単なる圧制者でも覇者でもないともあった。圧制者は大抵、ただの人気取りが上手い、民衆弾圧者の権力者が多く単なる詐欺師も少なくない、人物的には優れていない事も多くある、近代史が正にそうだ

が、彼が打った戦略も人事の基準、優劣も円から見れば極めて優れたモノだった、曹操が凡庸な一般的な暴の君主で無いのは彼が残したモノでも明確だ。

兵法書、詩、芸術、後の世でも通じる政治システム、当人も武芸に秀でているし、君主で無かったとしてもどこの国の主将を務めても不思議でない程剣も馬も出来る

ありとあらゆる分野で余人の及ばぬ実力と才能を持っている。人事選抜眼を見ただけでも、それは換え難い才能だ何しろ、これを出来る人間は万人に一人の才だ

つまり個人的な興味、も本当にそう思ったから見ておきたいとも思い動いたのである

「人の性能をただ能力だけでみる事が出来る」
「蔡瑁を外さなかった事もそうだけど、心理を読む面にも優れている」

これは組織の長としても知者としても換え難い資質である、組織、集団同士の争いである場合、まず人事で優秀な者を集め、適切に使う

それを武器と見た場合、人の才=強い武器である、人事を軽視するとは組織での最大の武器を同時軽視するのと同じだ。国の楚が民であるように、組織の楚は人材である、これはどこの時代もたいして変わらない

そして扱いが不当であればその武器は力を発揮しないし逃げる事もある、これは手に入れた武器を粗末に扱い、倉庫で錆びさせるのと同じだ、となれば戦う前に不利で、負ける要素を増やす

相手がそれを行えば最初から不利で弱いとも云えるし、個人的な好みで選抜を行う事は態々劣る武器で戦場に出るに等しい

何しろ、鉄砲があるのに態々好きだからと言う理由で竹槍を使う様なもの、負けて当然なのだ

だから円の興味を惹いた、ある意味「道理を判った君主」なのである

実際曹操は「求賢令」という政策を挙げている。その政策の頭には「唯才是挙」と書かれる

唯ただ才のみ是これを挙げよ。つまり、家柄や出自、経歴にこだわらずに、ただ才能のある者だけを推挙するように役人に命令した

才能がある人物を見逃してしまった役人には、国家に機会ロスを与えたとして罰を下すとすら明記されている

「魏武(曹操)は書の達人から、盗みの達人まで一芸に秀でた者の顔と名を2000人以上記憶していたが才のない者は自分の子でさえも名前を覚えていなかった」

と魏書に記されているくらいであるから「人」にたいする拘りは相当なモノだろう 

当時の大陸は儒教中心で聊か徳の部分が強く、役人もそうした者が中心であったがこれを押さえて、能力主義に傾け最初に具体的に行った政治家だったとも云える

円はここに来て、難題を投げつけられた劉備や孔明を出来る範囲では、手を貸してあげたい、とも思うと同時俗世からも一歩引いて物を見ていた

中立に近い場所に居ながらも、関わった人間を捨てる事も出来ない、それで居て敵でも単純な敵とも見ていなかった、これが人の面白さでもある

そしてもう一つに「既に何らかの策は用意してあるはず」という部分、これも正解である 周喩は進展なしとは云ったが実際は既に幾つかの内部策を用意していた

ただ、使う切っ掛けがまだ無く時期が来ていないというだけの話しで使わなかっただけで、別段、孔明や円が無理する必要も無い

二つに、円が注意喚起したのと同じで周喩は諸葛を甘く見ておらず何れこの戦いの後、強敵に成ると分っていた

戦況で云えば先の荊州での劉備、曹操の戦いの方が、現在の呉より遥かに状況が悪い。にも関わらずあの結果を出した、劉備軍は軽視するべき相手では無いと分ってのこの対応である

円はそのまま滞在テントを出てヤオに後を任せ
曹操側に行くという方針も示した

とは云っても対峙している両軍の距離はそう遠くなく、仮にお役目がハッキリしたとしても直ぐに戻ってこれるし現状ヤオも「明確でない」とした為まだ自由に動ける時間もあると考えた

円が積極的に動くのは本来あまり宜しくないのだが、この時のヤオは円の行動を止めなかった。自身も述べた通り、どこかに肩入れし過ぎる、中立に近く、役目がある「あくまで他所からの干渉の防衛」であり、使徒でもある、当人がそれを破るとあらば本末転倒だ

ヤオが止めなかった理由は単純だ、ヤオはこの後の結果もある程度は予想予知で知っていたからだ

つまり本来「大きく関わって歴史を変えてしまうのは困る」という部分、今回の円の行動でそれが大きく動かない事を分っていたのである

円は川向こうに単身渡り、曹操軍の陣に潜入した。「潜入」という気の利いた工夫を凝らしたものでもない、空を駆けて堂々と相手基地の上から降りて、まるで「元々こちら側の人間ですよ」というくらい普通に歩いてみて回る程だ

これに曹操側の兵、将も暫く気が付かなかった程である、あまりにも堂々とし過ぎて

一時間も見て回った後、彼女が気づかれ兵に囲まれたのは先の長坂で彼女と接触し、見て覚えて居た精兵が狼狽して槍を構えて、周囲の兵を収集しての事である

「き、貴様!あの時の!」と云われて円も可笑しかった(今頃かよ)と心で呟いた。相手が真剣だったので一層可笑しいとも言うが

勿論、彼女を先の戦闘で見て知っている兵は彼女を捕らえようとしたが、軽くあしらわれて10人、その場に這い蹲ったのは言うまでもない。しかもしっかり手加減されて。

あまりにも武芸、武力で異次元の差がある。既に周りを見回すと数百は集まっていたが誰も円に飛び掛らなかった

ここで騒ぎを聞きつけ高官や将も集まるが、円を捕らえろ、とは成らなかった。前後の事情を耳打ちして聞いた将は大笑いして彼女を囲っていた兵に下がるように命令してどかしたのである

そう「曹操孟徳」その人であった。
曹操は周囲の兵を払って解散させ円をそのまま自分の専用陣幕に招いた、勿論、内容を知った周囲高官、将らは諌めたが曹操は事も無げにこう返して黙らせた

「捕らえる事も触れる事すら誰も出来ないのに何が危険なのだ?彼女がそのつもりなら、ワシは既にこの世に居まい?」と

単身、素手、誰も気が付かず、曹操軍の本陣に現れ数百の包囲の中でも誰も相手に成らず、触れずである、曹操を狙っての事なら、とっくに事は果たされている

だから危険もクソも無ければ、それが目的なのではないと直ぐ判った、それだけの事だ

同時に「なんと豪胆で面白い人物だ」という興味のが先に来るのだ、曹操という人物は。そうして曹操と円は彼の陣幕で周囲将らの監視の下堂々と対座して面会した

「都でも何度か耳にした事がある「盲目の仙女」だったな」
「左様です」
「仙人に会うのは二度目だ、しかも女性とは、物の怪の類ではあるまいな?」
「珍しくはありましょうね、そもそも仙術の修行自体とても厳しいモノですし、現実主義な女子には確かに合わないかもしれません、習おうという最初の切っ掛けにも足を踏み入れないでしょう」
「現実主義か、確かにそうかも知れない。男子の様に夢物語が叶えられると信じ、突っ走りはしないだろう」
「天下取り、それ自体そういう傾向ですから」

「フ‥これは確かに痛い所を突く、だが、既に成された事もあるし今面前にそれがある」
「出来た者が居るのだから自分も出来る、そう思うのは仕方無いでしょう、実際、曹操様なら為せるだけの能力はある」
「では、今日の訪問の理由は?ワシの天下取りが近い故に、その陣営に加わると判断かな?」
「いいえ、残念ながら私らは俗世の事にさして興味がありません、ですが好奇心はあります」
「それはまた珍しい御仁だ、それで劉備の側にも居たという訳か」

「それも半分あります、今日の訪問も単純に見に来ただけです、兵に囲まれなければそのまま見て帰るつもりでしたが」
「では、貴女を捕らえようとした兵に褒美を出さねばならんな、貴女をこうしてワシの面前に連れて来たとも云える」
「そうなさるが宜しいでしょう、彼らは自身の職責を全うしようとしただけの事です」

曹操も自然と口の端に笑みが毀れる、が、それは円もだった、お互い初対面でここまで気が合う事も珍しい

「しかし、このままこちらの状況や配置を知られたまま帰す訳にもいかぬな、と、云っても止める手段もないが」
「ご心配なく、私は誰かに味方している訳でも無く召抱えられている訳ではありません、曹操殿が「困る」と仰るなら人に教えるつもりもありません、ですが、今日私が見て回った陣容は大して意味も無いし価値も無いでしょう」
「そうだな、現在進行形で改築途中ではあるし何か特別な兵器を用意している訳ではない別に不都合は無いな」

「そもそも小競り合いのまま、既に半年に迫ります、連合側が何もせず睨みあっている訳でもありません」
「ふ、同感だ、何らかの準備はもう整っているとも云えるな、裏工作の類もいくらか叩き潰したし、継続はしているのだろう」
「残念ながら、私はコレを知りません、深く関わっている訳でもなく信用もされないでしょうし、作戦を私の様な者に教える程呉の軍師も愚かではない」
「成る程、つまり貴女個人の範囲で本当にワシを見に来ただけだ、そういう事か」
「ええ」
「分った、では好きな様にするが良い」
「有難う御座います」

こうして円は曹操に認められ今度はこちら側に暫く居る事となった、しかも「客」として招かれて。これも勿論、周囲の者は諌めたが曹操はこれを聞かなかった

「なら、どうしろと言うのだ?捕らえて殺すのか?誰も触れる事も出来ぬ相手を」

そう返されると確かに対策が無い

「しかし、あまりこちらの事を知られても困ります情報を持って、呉に伝えるかもしれません」
「それは既に両軍共にやっている、こちらも相手もある程度の情報は掴んでいるし、陣容も知っている、今更真正面から、しかも仙女を使って送り込むというのも、あまりにも馬鹿馬鹿しい」
「それはそうですが‥」
「第一、ワシが目指した形はその様な姑息な手段ではない如何なる小技も通じぬという絶対的な形だ」
「確かに‥」

そう述べた通り、曹操が目指して行ったこの形は裏がどうこうというセコイ物ではない

戦場その物に強力な陣地を作り上げ基地化し、相手の領土を相手の領土である、という意味を消してしまい。遠征軍の本来の不利その物を無くしてしまうという大胆且つ、圧倒的な戦略の方針である

後の世で云えば豊臣秀吉の「一夜城」の策に近い物だ、細かい策とか、小手先とかがそもそも通じる様な物ではない、戦略的優位は戦術で如何に勝利を重ねても、これは覆らない、という軍事の基本で王道である

材料を揃えて万全で闘う、だから曹操は強いのだ
そして、だからと言って必ず勝つという訳でもないのが歴史でもあった

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