契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

文字の大きさ
12 / 89

12亡霊

しおりを挟む
*アヴァロン王子視点です*



 森で魔物と単独で交戦する女性の姿を見かけるようになった――
 そんな報告が、もう数か月前から騎士たちから上がるようになっていた。

 騎士によって立ち入りが厳しく制限されているはずの、精霊に見放された土地。
 そこは凶悪な魔物が互いを食らいあって成長する場所。手が付けられなくなる前に魔物を討伐することが求められる混沌とした環境だった。

 騎士と、あるいは一部の高名な戦士のみが立ち入ることを許される魔物の土地。
 そんな場所を女性が一人でさまよい歩いているなどと聞いて、真っ先に私はその騎士の正気を疑った。次に、精霊によるいたずらの線を考えた。
 精霊が人に押す烙印としての「精霊のいたずら」とは別に、文字通りのいたずらがある。
 精霊はよく人をからかうようなことをする。その一つとして幽霊のような姿を見せて騎士を驚かせたのではないかと私は考えた。
 ……そういえば、私の妻となったあの女も、当初は己の体に浮かんだ契約の証を精霊のいたずらだと思い込んでいたのだったか。学がなくてもどうとでもなると思っている、頭に中身が詰まっていない女はただただ鬱陶しい。
 あの女はもうくたばっただろうか。魔窟と呼べる王城で、一人涙で枕を濡らしているのだろうか。
 ……どうでもいいことだ。私には関係のない話。
 古の契約に従ったに過ぎず、重要なのは私と彼女が歴史にのっとって結婚したこと。以降のことは何も指示されていない以上、たとえ父陛下であろうとも私の方針に指図させはしない。

 とにかく、精霊はいたずら好きだ。ただ、同時にひどく飽きっぽい。
 それは例えば、妃となったあの女の紋章が、おそらくはすでに何の意味もなかったことが示している。

 だから二度三度と同じような報告が上がった時点で、私は精霊に見放された土地をさまよい歩く女は実在すると認めた。これは、飽きっぽい精霊が行っているいたずらではないと判断せざるをえなかった。

 白いローブを身にまとった神出鬼没の女。
 魔物との戦闘の目撃情報からして、魔法使い。
 そして間違いなくこのルクセント王国で生まれ育った民だった。

 女は、魔物を殺す際にわざわざ剣やナイフを使ったという。
 危険でありながら、魔法ではなく武器での直接の殺害を選んだのだ。

 魔法で殺しをしてしまうと、精霊が求める対価が大きくなってしまう。だから、対価を減らしたいからという合理的な考えからの行動かもしれない。
 もしくは、己の手で肉を切り裂いて魔物を殺したい狂った戦士である可能性もあった。

 少なくとも最も可能性が高いのは、精霊を信仰し精霊に殺しをさせるのを忌避するルクセント王国で生まれ育った人物であるということ。王都の外にある土地での目撃情報なのだから、他国の人間という線は考えにくく、つまりは何もわかっていないと言っているようなもの。

 神出鬼没。
 ふらりとさまよい歩いては魔物を殺す亡霊のような女。
 彼女は気づけば騎士たちの間で白衣の女ファントムと呼ばれるようになっていた。
 白い衣を身に着け、顔を隠し、森をさまよい歩く女だから亡霊ファントム。普通の人間は決して生きられない魔物の世界を悠然と単独で歩き、多くの目撃情報が寄せられるその在り方は亡霊と呼ばれるにふさわしい。

 実際のところ、私はいざ出会うまで白衣の女の存在を完全には信じていなかった。
 何しろその女は、若くして簡略詠唱をしていたというのだから。

 人間とは存在の根本からして異なる精霊に正しい魔法のイメージを伝えるのは困難を極める。だから多くの魔法使いたちは発動の際に言葉を尽くす。
 どうとでも解釈できるような言葉は使わず、様々な発動条件を呪文に織り込むのだ。

 例えば「距離五十、目の前の魔物の頭蓋へ炎の矢を放つ。矢の大きさは長さ一メートル、着弾まで三秒、飴玉三個分の火力で頼む」といった感じだ。
 いや、魔法使いというのはどうにもロマンティストが多いから実際はもっと詩を歌うような詠唱が多いが、それはさておき。
 高名な魔法使いが人生をかけてようやく精霊にイメージを汲み取ってもらえるようになるというのに、その女は若くして精霊と完璧に意思疎通をしているような様子だったというのだ。

 だから、私は女が実在しない可能性を心のどこかで考えていて。
 けれど、そんな非現実的な女は、現実に存在した。



 崖の上から現れ、精霊に風の加護をもらって落下速度を殺しながら岩肌を蹴って降り立った女は、まさに亡霊のようだった。
 その声が若い女性のものであることに驚き、さらにはその女が連れてきた魔物の姿に驚愕した。
 無数の魔物を食べて進化を重ねたらしい「悪食犀」――女がそう呼んでいたアレは、精霊に見放された土地の中で生き続けた怪物だった。

 現在ここにいる騎士たちで討伐することは困難だと判断し、私は足止めのために剣を振るうことを決めた。
 私が先陣を切ることをよく思わない騎士の気配を感じたが、隊列を乱すことなく撤退することが優先だ。
 これが最善だった。

 いざ共闘して嫌というほどに分かった。
 彼女は、非常に優秀な魔法使いだった。
 年はおそらくは私とあまり変わらないか少し若いくらい。女性にしては背が高く、肉体もそれなりに鍛えているようだった。

 精霊に魔法を頼むその立ち居振る舞いにはどこか気品のようなものが感じられた。貴族……ではないだろう。
 この森に何度も足を踏み入れるような貴族がいるとすれば私の耳に入らないわけがない。

 多くの人材が集まる王都にあっても、この女は特異な存在だった。

 裕福な商人の娘か、元貴族の高名な戦士を親に持つ者か。
 考えれば考えるほどに、女に興味がわいた。

 逃げるために抱き上げた女の体は、私が予想した以上に軽く、そして柔らかかった。
 これが本当に魔物と渡り合う女なのかと、私は腕の中にいる化粧の匂い一つしない女が不思議で仕方がなかった。
 わずかに香るのは薬草の匂いばかり。腕の中にあるその熱が幻のように思えてならなかった。捕まえようと手を伸ばすほどに腕の中からすり抜ける、実体のない存在。

 そう思ってしまったのは、彼女がファントムなどと呼ばれていたからか。
 あるいは、彼女という存在のすべてがそのように演じられ、その姿が私の目に映ったからか。

 すぐそばにある女の、フードの下にある顔を見たいと何度思ったことか。
 けれどそれをすれば女はもう二度を私の前には姿を現してくれないように思い、ためらった。

 そう。躊躇ったのだ。

 ああ、笑わずにはいられない。
 この国で最も高貴な血を引くこの私が、女性の顔を見るというただそれだけのことを躊躇っているというのだから。

 こんな気持ちは生まれて初めてだった。
 だから、逃げるように身をよじった女が私の腕の中から逃げ出した時には愕然とした。

 私は、嫌われているのだろうか?
 確認するように問えば、女は嫌悪感をにじませながら吐き捨てるように告げた。

『……何者でもいいでしょ?』

 女の言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。
 高揚していた気分は乱高下し、無性に苛立った。

 どうして私に顔を見せようとしない?
 その正体を語ろうとしない?
 私は王子だぞ?
 この国の次期王なのだぞ?

 ――ああ、そうか。彼女は、私が王子であることを知らない。
 私こそがアヴァロン・ルクセントであることを知らないのだ。

 もし、ここで自分の正体をばらしたらこの女はどんな反応をするだろうか。
 ひょっとしたら、ほかの女のように目の色を変えて私にすり寄ってくるかもしれない――などと思って。

 けれど、なぜだか確信があった。
 彼女は、ほかの女とは違うと。
 王子という肩書にすり寄ってなど来ないと。

 あるいは、王子という立場を知って離れていくと、根拠もなくそう思った。

 果たして、彼女は逃げるようにその姿を消した。
 魔法を発動して砂嵐の中に身をくらませ、騎士たちは気色ばんで彼女に剣を向ける。

 逃がすものかと、一歩を踏みこもうとしたその時。
 彼女のフードが、一瞬大きく捲れた。

 フードの、奥。大きく見張られたスミレ色の瞳が、私の目に焼き付いた。

 ――少しだけ、既視感があった気がした。
 けれどたぶん、気のせいだ。

 精霊の、文字通り「いたずら」に遭ったらしい。
 女は「しまった」とばかりに目を見開き、すぐにフードを手で下げて顔を隠した。

 そうして彼女は、砂塵の向こうに消えた。

 伸ばした私の手は、当然ながら女に届くことはなかった。

 砂嵐が収まった後、そこにはもう女の姿はなかった。
 けれどこの目に、脳に、女の姿が焼き付いて離れなかった。

 精霊とともに生きているような女。
 白いローブの裾をたなびかせ、強力な魔法を放つ姿。
 零れ落ちんばかりに見開かれた、私だけを映した淡い紫の目。

 彼女は、再会を約束してはくれなかった。
 けれど私は、私の心は、彼女との再会を望んでいた。

 だとすれば、探すしかない。彼女を見つけ出すんだ。

 情報収集といえばエインだが、あいつには頼めない、というよりは頼みにくい。
 ニヤニヤとした人の悪い笑みを浮かべる彼の顔が見えた気がして、エインに頼るという考えはすぐに消え去った。優秀だが、こういう頼みごとには全く向いていないのがエインワーズ・ナイトライトという男だから。
 優秀、だが。

「騎士団長!」
「はっ」

 恭しく首を垂れる男を見ながら、私は己の中の感情をもとに言葉を紡ぐ。望みを、口にしようとしてふと考える。
 これまで私は、こうして本心を言おうとしたことがあっただろうか。
 幼少期にはあったかもしれない。けれど物心ついた時にはすでに私は期待を一身に背負う王子だった。常に王子であらねばならなかった。

 こんな自分勝手な望みを、口にしてもいいのか?

 けれど、冷静な思考とは裏腹に、悲鳴を上げるように叫ぶ心が私の口を動かした。

「先ほどの女を探せ。淡い紫の目をした、若い女だ。髪は……金髪だったか?」

 すぐに行動を始めた騎士団長の背中を見送って、私はもう一度森の奥へと視線を向けた。
 おそらくは、あの女が去っていった方向だが、そちらに彼女はいない。

 彼女はきっと、王都のどこかにいる。
 その、はずなのだ。

 もう一度。
 もう一度、会いたい。

 ――会って、私はどうしようというのだろうか?

 答えは出ず、答えを出せない己が、なぜだかひどく怖く思えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...