契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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『スミレの乙女!』

 その、激しい熱をはらんだ声が聞こえた瞬間。
 わたしの頭は真っ白になった。

 場所は朝の庭園。今日はフィナンを連れずに来たのは、ひとえに心を落ち着けるため。
 朝の花々が出迎えてくれるそこは人のいない落ち着ける場所で。
 それでも今日はエインワーズ様がいて、しかもアマーリエへの嫉妬の気持ちに気づかされて。

 泣きっ面に蜂とでも言うようにアヴァロン王子殿下と遭遇したわたしは、完全に気が動転していた。

 逃げなきゃ――思考よりも早く、わたしはエインワーズ様の対面から辞して走り出していた。
 けれど、背後に聞こえる音が告げる。
 相手が現れる方が、わたしが逃げ切るよりも早いと。

 どうして逃げているのかもわからずに、わたしは千々に途切れる思考を必死に掻き合わせて打開策を探った。
 花々が、わたしが走り抜ける風によって揺れる。香りが立つ。
 その香りを、今だけは思考を乱す、ひどく鬱陶しいものに感じた。

 果たして、わたしはアヴァロン殿下に見つからなかった。

 それでも、庭園がもはや安息の地ではなくなったことは確かだった。
 わたしの無聊を慰めてくれた花々を、わたしが再び愛でるようになるのはいつのことか――

「ありがとう、もういいわ」

 薔薇棚をなす蔓薔薇、その中。
 魔法によって作り上げた空洞に身を潜めていたわたしは、ポケットに収めていた飴を取り出して精霊に捧げる。
 飴は一瞬にして虚空に消え、精霊の口に……精霊も、甘味を食べているのだろうか?

 とにかく、蔓薔薇はわたしが隠れたとき同様、音もなく動き出して出入り口を用意してくれる。

 そうしてわたしが脱出した後には、ひとりでに薔薇棚の穴が消えていく。
 振り向いた時にはもう先ほどの穴はなくなり、元のように隙間なく枝葉が茂る薔薇棚がそこにあるばかりになっていた。

 油断なく周囲を見回し、アヴァロン殿下が完全にここを離れたことを知ってため息を漏らす。エインワーズ様の姿も見えなかったのは、彼が殿下を連れて移動してくださったからだろうか。
 思いながら、軽く服についた枯れ葉を払う。

 座り込んでアヴァロン殿下が過ぎ去るのを待っていたため、スカートが土で汚れてしまった。手で払う程度では取れそうにない汚れ。

 仕方なく部屋に戻って着替えを考えながら、今日は何をしようかと考える。

 また狩りに行くのもいい。今日は心が千々に乱れているというほどではないから、きっと狩りをしているうちに心はすっかり落ち着いて、嫌な気持ちはどこかに吹き飛んでいくだろう。

 あるいはフィナンを揶揄って過ごすのも悪くない。例えばフィナンに妃として命令して、わたしの抱き枕になってもらうというのはどうだろう。
 体温高めのフィナンを抱きしめて、午前中からうたたねとしゃれこむ。顔を真っ赤にしてぷるぷると震えるフィナンの髪を撫で、そこに顔をうずめて、彼女の存在を確かめながら眠る。
 ああ、心安らぐ時間だ。

 そんなことを考えているうちに、アヴァロン殿下に関することなどすっかり頭から抜け落ちていた。

「リベンジと行きましょうか」

 もちろんそれは、アマーリエとのお茶会――ではない。
 結婚式準備で忙しい彼女の家に、アポ無しで、あるいは当日早朝に使いを出して押し掛けるなどという礼儀のないことができるはずもない。
 結婚式の具体的な日時はまだ決められていないというものの、なるべく早く結婚する予定ではあるという。どうしてそれほどまでに急ぐのかはよくわからないけれど、何となく、アマーリエ側が結婚を急いでいるのではないかと思った。
 例えば、美男子として有名なエインワーズ様が自分の元から去って行ってしまないか心配だ、とか。

 第三者的視点から見ていればエインワーズ様の浮気など考えられない。あれほどアマーリエに惚れこんでいるのだから、アマーリエのそれは杞憂を言わざるを得ない。
 まあ、アマーリエに嫉妬させて、彼女の愛を感じ取って喜んでいるエインワーズ様の策略のせいで彼女が勘違いしているというところもあるのかもしれないけれど。

 ああ、お似合いな二人だ。どうぞお幸せに、としか思えない。

 そういうわけで、彼女は歓迎してくれるだろうが、突然の来訪は無し。その線引きはしっかりやっておく必要がある。

 だから代わりに、わたしはフィナンを連れて街を歩くことにした。

 フィナンはわたしの使用人で、抱き枕で、あとは王城の中で数少ない信用のおける相手だ。
 立場が低いのが少し難点。ただ、毒殺未遂を内々で処理したことによって、彼女の中のわたしの株は上がっている、はず。
 きっと、よほど理不尽な命令でもしない限り、フィナンはあらゆるわたしの言うことを聞くだろう。
 ――家族を守るために。

 何しろ、王子妃という一応は王族の末席にいるわたしを毒殺しようとしたのだ。
 本来は一族郎党皆殺しの可能性だってあった。
 しないけれど。
 絶対にしない。
 そんなことをしても意味がないし、下手なことをすれば、わたしにまでダメージが来る。
 ただでさえ瑕疵物件として女性としての経歴に傷がついている身としては、余計なことなどできるはずない。ここで水を得た魚のごとくやりたい放題しては、それこそ婚約破棄だとかいう騒動に発展しかねない。

 ふと、気づいてしまった。
 もしかして、婚約破棄を目指すというのは決して悪くはないのではないだろうか。
 何しろ、アヴァロン殿下は妃であるはずのわたしのところに顔も見せに来ない。初夜だって現れなかった。わたしの顔さえ覚えていない。
 結婚式だって次期国王であろう彼の正妃のものにしては形式的すぎる。

 ひょっとしたら、意中のお相手がいらっしゃるとか?
 
 世界樹の紋章とやらを身に受けたわたしを、何を思って妃にしようと受け入れたのかはわからないけれど、仕方なくそうしたというところなのだろう。
 わたしの右手に刻まれた紋章に価値があるというのはわかる。その紋章の持ち主を王家に取り込むべきであるというのも、まあ妥協して納得した。
 でも、そこでわたしがアヴァロン王子殿下の妃になる必要性があるのかと言えば、首をかしげざるを得ない。

 だって、別にアヴァロン王子以外の王家の男性に嫁ぐという選択肢だってあったはずなのだから。

 ならば、殿下は陛下に命令されてわたしを妻にした?
 はたまた、占いや魔法の類でわたしの夫に選ばれた?
 建国の伝説に語られるこの紋章を持ったわたしを、政敵の駒にさせないため?

 少なくとも、そこにアヴァロン王子殿下の意志がなかったのは確かだと思う。

 あるいは、アヴァロン王子殿下の政敵がわたしを殿下の婚約者にしたという考えはどうだろう。
 正直、わたしのこの紋章が、伝説のそれだというのはよくわからない。
 似ていなくもない、というかそっくりである気もするけれど、そんな御大層なものにわたしが選ばれたというのが理解できない。

 実際、社交界においてわたしは「瑕疵物件」だとか「傷物令嬢」などと噂されているのだ。
 傷物――精霊のいたずらという、精霊に嫌われた傷を負った令嬢。
 この手の模様が精霊のいたずらなのか、あるいは世界樹の紋章なのか、今でも議論が続いている。

 そんな不確かな存在を妻にすることで、アヴァロン王子殿下の足を引っ張らせる……足を引っ張るほどのことを、わたしはしていない。

 では、殿下にとってわたしが妻にするには及第点だった? 
 魔法を使ってはいけない王族に取り込むのに、精霊に嫌われた証を持つわたしは、都合がよかったのかもしれない。手のこれを精霊のいたずらだとみなすならば、だけれど。
 ああ、適当な扱いをしても物申すこともしない、立場の低い仮初の妃が必要だったという可能性も考えられる。

 ……考えれば考えるほどに自分がみじめに思えてきて、嫌になる。

 まあ、そんなことはどうでもいい。
 最近はアヴァロン殿下のことで無駄に頭を悩ませているし、少しはリフレッシュさせてほしいものだ。

 本当に、どうしてこんなに彼のことで悩まなければならないのか、理解に苦しむ。

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