契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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33魔女の庵

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 外壁に埋没するようにくすんだ扉を開き、ハンナはわたしたちをいざなう。
 足を踏み入れる中、わたしの脳裏にあったのは「魔女」という単語への不思議な高揚だった。

 扉の先、むわりと香るのは森の、あるいは草木のにおい。

 店内は外とは打って変わってきちんと手が入れられていて、目に優しいレンガ色の壁を背景に、たくさんの薬草が吊り下げられて乾燥されている。
 棚には、何やら不気味な動物の体の一部、目や腕などが瓶詰めにされて並んでいた。

 薬屋と呼んだ方がふさわしいほどに、安価な素材から高価かつ希少な素材に目を奪われた。

 フィナンは別の意味で圧倒されていたみたいで、少し顔が青い。まあ、魔物か何かの目玉がいくつも瓶詰めされていれば怯えるのは仕方がない。
 ……魔物の素材も、ものによっては優れた道具や薬の材料になるので、わたしとしては驚きは少ない。

「趣あるお店ですね」

 なんだか落ち浮く気がするのは、きっと、慣れ親しんだ薬草の香りに満ちているからだろう。
 妃になってからはあまり触れられずにいた薬草がこれだけたくさんあると気分が上がる。

 まあ、わたしの言葉をお世辞と思ったのか、フードを抜いたハンナは苦笑するばかりだったけれど。

 真っ白なボブカットがさらりと揺れ、淡い桜色の瞳は深い知性と理性を宿した色味を帯びている。
 その道の熟練者特有の自信を身にまといながら、けれど時折、風景に埋没してしまいそうになるほどに存在感が希薄になる、何とも不思議な人。
 ハンナはちらとフィナンを見てから肩をすくめて言う。

「取って食おうなんてしないから言葉を選ぶ必要はないよ。不気味だと思ったならそう言ってくれればいい」
「……ええと、不気味、ですね」

 フィナンが少しためらいながら告げれば、ハンナは実におかしそうに笑い声をあげる。
 その声に驚き、怯え、再びフィナンは引っ付き虫のようにわたしの背中に隠れる。

 どうでもいいけれど、普通はフィナンが前に立つところじゃない?
 フィナンはわたしの使用人なのだから。
 まあ、戦えもしないのに無理にわたしの前に立ってくれるよりはよほどいい。いざという時には、フィナンを守るために魔法を使っても惜しくはない。
 わたしはもう、それだけフィナンのことを信用しているのだ。

 魔法を使ったと知られることよりも、フィナンの命を守る方が大事。
 自分の考えに自分で驚き、同時に少し嬉しくなる。

 だってそれは、自分にとっての大切な存在が増えたということだから。

 なんて考えながら、改めて店内を見回す。

 標本のような精密な動物の模型に、見覚えのあるハーブ、かと思えば液体の中で浮かぶ何かの頭蓋骨の眼窩と目が合って、漏れかけた悲鳴を必死に飲み込む。
 フィナンじゃないけれど、まあ、驚く。怖くはないけれど。そう、怖くはない。
 魔物の方がずっと怖い……魔物素材をこれだけ収集して、わたしたちが驚き、あるいは怖がるのを見て面白がっていると思うと、ハンナのことが少し怖く思えてきた気もする。

 視線を感じてそちらを見れば、ハンナが実におかしそうにわたしを見ていた。
 多分、反応を面白がっているんだろう。

「……いい趣味ですね」
「だろう?」

 悪趣味だと、言葉の裏に込めた意味を意にも返さず、ハンナは心から笑って見せた。
 くしゃり、と顔の周りにしわが寄る。その笑みは、どこか小憎らしくて、なぜだか少し幼く見えた。
 それは、なんだか懐かしげな目を、ハンナがしていたからかもしれない。

「ところで、ここは薬屋なのですか?」
「そうさ。見ての通り、なんでも作っているよ」

 残念ながら、材料だけ見せられてどんな薬を扱っているかわかるほど、わたしは薬に詳しくない。
 野山に咲いている止血用の薬草程度であれば知識はあるけれど、あとは食べられる植物に知識が偏っている。

 ああ、一部の高価な素材については知識がある。
 何しろ、故郷での金策のために必死で覚えたから。

 狩りで肉が手に入っても、塩や胡椒が無いと美味しくないし、保存がきかない。それらの購入のためには現金収入が必要だったのだ。

 もっとも、そういった素材は高価なことこそ知っているものの、その効能についてまで覚えてはいない。
 何しろ、そうした知識を得る手段がなかった。本なんて高く買えないし、高度な知識を持った薬師がいたわけでもないのだから。

 現に、こうして見回してわかる植物は、食用の植物が一割、毒草が六割、高価な植物が一割といったところ。正体不明の植物が二割に上る。

 正体がわからない素材はめったに手に入らない希少なものか、あるいはわたしの琴線に引っかからない毒にも薬にもならない、食べられない植物なのだと思う。

 なんて、そんなわたしの評価を察してか、ハンナは裏から持ってきたティーセットを乗せたお盆を近くの台の上に置き、正体不明の植物のいくつかを先が曲がった棒でとって見せる。

「こいつは煎じて飲むと咳止めになるんだよ。こっちは爪の補強用さね」
「爪の……女性向けですか?」
「いいや、男女ともに商売相手さ。男連中は武器を扱うような者が多いからね。戦闘で爪が割れないように補強をするわけだよ。これが意外と定期的な収入になるのさ」

 詳細なレシピは秘密だと笑い、ハンナはお茶を注ぐ。紅茶ではなく、どこか毒々しくも見える濁った緑の飲み物。
 頬を引きつらせるフィナンをよそに、わたしは差し出されるままに口をつけて。

「あ、おいしいですね」
「そうだろうさ」

 思わずこぼれた言葉にフィナンから困惑の視線が突き刺さる。

「フィナンも飲んでみなさい。少し癖があるけれど、むしろその癖がいいわね」
「本当に、ですか?」

 先ほどのフレッシュ・ボールの一件が尾を引いているのか、フィナンは懐疑的な目を向けてくる。
 そこまで疑い深くならなくてもいいのに、と思うけれど、わたしが揶揄いすぎたせいで疑心暗鬼になっているみたいだから自業自得かもしれない。
 まあ、そうして疑いの目を向けてくるフィナンも可愛らしくて、嗜虐心がわたしに悪魔的なささやきをしてくるのだけれど。

「本当においしいわ。まあ、個人の好みに左右されるところはあるでしょうけれど」

 迷いに迷った末、フィナンはえいや、と覚悟とも勢いともつかぬ様子でお茶を口に含み、固まった。

 すん、と表情を消したフィナンは、涙目になりながらなんとかお茶を飲み干し、じろりとわたしをにらむ。

「美味しくなかった?」
「…………これは薬ですよ」
「そう?それなりにおいしいと思うけれど」

 苦味の中、ほのかな甘みが癖になる。
 それに、故郷で自分で作っていた薬草茶を思い出して懐かしくなる。
 ……なるほど、思い出の分だけバイアスがかかっているのかもしれない。単純な味だけ考えると……健康に良い食品だと思えばそれなりに飲める、といったくらいだろうか。

「奥様の味覚っておかしいんですね」

 何やら不愉快なことをしみじみと言っているけれど、それがハンナの味覚の否定につながっていることには気づいていないらしい。
 もっとも、当のハンナはといえば、再びお茶に口をつけるわたしと、わたしを化け物でも見るような目で見つめてくるフィナンを観察しながら声を押し殺して笑っていた。

 なんだか気恥ずかしくなって、熱を帯びた顔を隠すように、わたしは熱いお茶を勢いよくあおった。

 おかげで口の中がひりひりする。
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