契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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37招待状

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 王城に戻り、いつものように自室に引きこもる。
 てきぱきとした動きでフィナンに着替えさせられながら、改めて部屋の中を見回す。

 わたしの趣味とは程遠い、一応は妃としての見栄を張った目に毒な部屋。
 ここは窮屈で、居心地が悪くて、けれどフィナンという味方ができたおかげで、少しはましだった。

 着替えを終え、ソファに座りこめば、もうお尻が座面と離れることを許してくれそうになかった。
 背もたれに体を預け、呆けたように天井を見上げる。
 深いため息が漏れ、「お疲れですね」とフィナンが苦笑交じりに告げる。

 フィナンが入れてくれた紅茶に、そっと口をつける。
 香りに害はない。
 舌の上で転がした感じに、しびれるような感覚はない。
 一口飲みこんで、しばらく待つ。
 そうしてようやく、それなりに無害な可能性が高いと判断できる。そんなことを流れるように行ってしまう自分が嫌だった。

 そうとは気づかれないように毒見をしていても、される側であるフィナンにはわかってしまう。
 少し悲しそうに、そして申し訳なさそうに目じりを下げる彼女に、わたしは視線を向けない。向けられない。

 この場には今、フィナン以外の使用人が居る。部屋の掃除をしていた彼女たちは、壁際にたたずみ、わたしの命令を待っている。

 そんな彼女たちに、あまりフィナンとの関係を示し過ぎてはいけない。
 フィナンはわたしの使用人の中で一番身分が低い。つまり、他の使用人にいいように扱われる立場。
 だから、わたしの紅茶に毒を入れた。それは殿下の登場によってひどくややこしいものになってしまったけれど、かろうじて彼女は無実になった。

 わたしが、何とかとりなしたから。

 それは逆に見れば、わたしがフィナンにほだされたように見える。
 隙に、見える。

 そうすれば、フィナンはもっと要求を増やされて、わたしを害するための命令を下される。
 断れば、フィナンの実家が、あるいはフィナン自身がタダでは済まされない。

 だから、波風立たせず、日々を過ごす。フィナンは、せいぜいわたしのお気に入り程度に留めておかないといけない。
 わたしが心を開いていると、そう思わせてはいけない。
 ただの主人と、使用人として。

 ああ、本当に窮屈だ。
 今日一日楽しんできたというのに、すでに心は鬱屈していた。
 苦しみの材料があれもこれもと投下され、心という鍋の中でぐつぐつと煮詰められ、まがまがしい苦しみの形に昇華する。
 こんなことなら、いっそのこと強権を振りかざしてフィナン以外の使用人を退席させてしまおうか。どうせ彼女たちに何かを命令することなどほとんどないのだし。
 いや、下手に退席させて、その命令が上に報告されると面倒だ。
 余計な妃教育――再教育など面倒でしかない。

 窮屈さからなんとなく体を小さく動かして。
 服の隙間に隠し持っていた紙きれがくしゃりと音を立てた。

 誰も近くにおらず、わたしを見ていないことを確認。
 フィナンも今は、わたしが来ていたローブの手入れをしていて、視線はこちらに向いていない。

 そっと、その紙きれを取り出し、眺める。

「……魔女の円卓?」

 それは、去り際にハンナから渡されたものだった。

 魔法使いにして、自らを魔女と称する老齢の女性、ハンナ。どこかの貴族家の元使用人。

 自分が魔法使いだと言えないわたしを気遣って、フィナンに気づかれないようにこの紙片を渡してきた彼女の意図はわからない。
 けれど、なんとなく想像はできる。

 これはきっと、魔法使いのコミュニティへの招待状。
 魔法使い、あるいは魔女たちが集まり、話をする場につながるもの。

 ハンナと同じように、息をするように魔法を使える人が集まっているのだろうか。
 戦闘ではなく、日々の生活の中に魔法を組み込んだ人たちの魔法を見ることができるのだろうか。

 紙面に刻まれているのは、「月の満ちた日の夜、精霊無き世界へ」という短い言葉。

 精霊無き世界――それを、精霊に見放された土地のことだと思うのは、わたしが運命というものを信じている、夢見がちな女だからだろうか。

 ただ、信じてみたくなった。
 願ってみたくなった。

 彼女たちならば、わたしのこの鬱憤を少しでも晴らしてくれるのではないかと。
 それから、現実を忘れて楽しい時間を過ごせるのではないかと。

「月の満ちた夜……まだ、先ね」

 ソファに座ったまま、右手方向を見やる。
 窓の外、そこには半月から少し膨らみ始めた、いびつな月が見えた。

 まだ、その月が膨らむには遠い。

 満月の日まで、私はまた、この牢獄のような場所で生きていかないといけない。

 不安と、苦しみと、怒りが、ぐちゃぐちゃになってわたしの心を責め立てる。
 それから、心の中で王子殿下への罵声を飛ばす。

 あなたが、わたしを見ていてくれたら――

 いいや、そんなの、期待するだけ無駄だ。
 あの氷の王子は、愛なんて知らない。そのはずだ。
 少なくとも、わたしを愛してくれる人じゃない。

 そっと、右手の甲を、布の上からなでる。
 精霊のいたずら。あるいは、世界樹の紋章などと呼ばれるもの。
 それが、私の人生のすべてを変えた。

 これは今、わたしの人生を縛り、わたしに窮屈さをもたらす呪いのようなものでしかない。
 殿下がわたしに近づかず、瑕疵のある令嬢というレッテルを貼られる原因とみなされているだろうもの。

 もし、わたしがこの烙印を押されると知っていたら。
 それでもわたしは、魔法を使わずにいられただろうか。

 思わず苦笑が漏れる。そんな仮定には、何の意味もない。

 ――きっとわたしは、同じ道をたどる。

 糧を得るために精霊に魔法を使ってもらって、魔法に失敗して、いたずらされる。
 そうしてきっと、わたしは必ず、この手に烙印を負うのだろう。

 この手は、わたしの罪の証。
 戒め。

 ただ、叶うことならば。

「人並の幸せくらい、願っても……」

 言葉は、近づいてくる使用人に気づいて止まる。

「夕食の時間です」

 告げるそこには、そこはかとない悪意が垣間見える。
 アヴァロン王子殿下の妃の座をかすめ取った女――そう、思っているのだと思う。
 まだ、諦めていないのだろうか。
 そこまで殿下を思える貴女たちが、うらやましい。
 なんて、妃教育を受けたわたしが、直接的な言葉を口にすることは無い。

 そんなに欲しいのなら、あげるのに。

 そうできない自分が、その一言さえ口にできない自分が、ひどく無力に思えた。
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