契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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*アヴァロン王子殿下視点です*




 感傷、あるいは、膨らむ思いを慰めるため。

 闇を切り払う丸い月を眺めながら、テラスに出て風にあたっていた。
 吹き抜ける夜風は冷たく、季節の変化を感じさせる。
 ここ最近は執務室にこもることが多かったからか、急激な気温の変化に感じられ、肌寒さに体が震えた。

 それでも感傷ゆえか、部屋に戻ることなく景色を見やる。

 視界の先には、黒々とした姿を見せる精霊に見放された土地がある。
 あまたの魔物が住まい、食らい合い、手が付けられない巣窟と化した世界。
 目と鼻の先にそのような恐怖の象徴があることに、昔はひどく恐怖したものだった。

 そんな私に、父はいつだって「次期国王たる者、恐怖を見せるな」と語って聞かせた。
 
 ただの、ありふれた過去の一幕だ。
 父は口癖のように次期国王たる者、と繰り返した。
 その言葉を、王、あるいは王族という立場に囚われた父の八つ当たりだと知ったのはずっと後のこと。
 父王は決して賢王ではなく、どちらかと言えば凡愚の類だった。

 ただ、曲りなりにも王になることを決め、そして立場によって作られた男の言葉は、確かな質量を持っていた。
 だからだろうか。数々の言葉はもはや呪いのように私の心にしみこみ、今の己を作り上げている。

 私が氷の王子などと呼ばれることに、父王の言が全く関与していないとは言い難い。
 それでも、父の言うように常に冷徹であろうとし、冷徹であると思わせるために被った仮面は、確かな役割を果たしている。

 仮面――ではないはずだった。

 恐怖を知らず、先陣を切って魔物を斬り払う騎士。
 王国のためならば自らの手で持って腐敗した貴族の排斥に務め、たとえ乳母やその生家でも断罪することにためらわに、温かな血を持たぬ王。

 心を介さず、ただ王としてあるべき存在へと成長していたはずの男は、一皮めくると内心に熱い血潮を抱えた人間だったと、この私自身さえ予想しなかった。

 今の私を――あるいは先日までの私を作り上げた言葉、あるいは感傷を覚えることもない記憶かこを思い出したのはきっと、今も私が彼女のことを考えていたから。

 スミレの乙女。
 麗しき淡紫色の瞳の君。
 老齢な魔法使いに匹敵する技を得た、努力の鬼才。
 精霊に愛された者。
 そして、魔物を前に引かず、凛とした声を張る精霊に見放された土地の英雄。

 ――君は今、どうしているのだろうか。

 問いかけても、満月は答えてくれない。
 慈悲深くも闇を切り払い、けれど無慈悲に世界を照らすばかりの月。
 月光は、私の心を晴らしてはくれない。

 そして、全てを等しく照らす月は、私の不安や孤独感さえも浮かび上がらせる。

「君は、今、どこにいるんだ?」

 今も、王城の中にいるのだろうか?
 父とともにいるのだろうか?
 やはり君は、父の愛人なのだろうか。

 嫌な思考ばかりがぐるぐると渦巻く。
 考えたくないと思いながらも、心は悪い想像ばかりを繰り返し、歯止めが利かない。

 頭の中、父に抱かれるスミレの乙女を見た瞬間、ぐらりと世界が回ったような、あるいは足元からすべてが壊れるような、そんな感覚が私を襲った。

 吐き気がこみ上げ、それを強く目を閉じて飲み込む。
 口の中が得も言われぬ酸味に蹂躙され、目尻に涙さえ浮かぶ。

 これは苦しみの涙か、あるいは恋情の涙か。

 ――落ち着け。
 次期王たる私が、この程度で動揺していてはいけない。
 恋に狂った王など、凡愚とは比較にならぬ愚王だ。
 恋に生き、恋のために動く行動力に秀でた王など悪夢だ。
 盲目に陥り、愛する女一人のために国家を乱す等あってはならない。

 そう思うのに、恋を諦めろと考えないあたり、私はすでに相当に狂っこいしているのではないだろうか。

 ああ、そもそも、悪いのはエインだ。
 何やら意味深なことを言いながらも、答えを告げようとしない。

 あいつはきっと、スミレの乙女の正体を知っている。知っていて、はぐらかす。
 まるで、私が自ら答えに行きつかなければ意味がないとでもいうように。
 ――意味が、ない。私が、自ら答えを手にできなければ。

 それは、つまり、エインが告げても、嘘だといいたくなるような現実があるということだろうか。
 目を疑いたくなるような、否定したくて仕方がないような、私にとって残酷な真実が隠されている?
 だから、スミレの乙女も何も言わない?
 そしてなぜ、私は王子としての強権を発動して、エインやスミレの乙女に、全てをつまびらかにすることを要求しない?

 問いかける心が告げる。

 後ろめたさのせいだ、と。

 私は、スミレの乙女を求めている。
 他の貴族令嬢とは違う、己のために生き、核として己を抱えて戦っている彼女の在り方に、姿に、背中に魅了された。
 その背に手を伸ばして、けれど、彼女を手に入れることにためらいを抱く自分がいた。

 己の足で生きる彼女に、自ら私を選んでほしい。
 だから、無理やりに彼女を己のものにしたくない。
 あるいは、自由の中で生きている彼女の歩みを阻む枷に、私自身が成ってしまうのを恐れているのだ。

 ――わたしにこの人生を強いたあなたが、それを言うのですか?

 耳の奥、彼女の声が残響する。

 わからない。
 私にはもう、エインも、スミレの乙女も、わからない。

 わかるのは、私が、自分が思っていたよりもずっと感傷的で、女々しい人間だったということ。
 こうして月夜を見上げながら会えぬことで想いを膨らませる自分がいるなど、想像したこともなかった。

 ああ、会いたい。
 君に、会いたい。

 君のその、涼しげな菫色の瞳に、私を映してほしい。
 あの、町で抱き合っていた男だけではなく、私一人を映してほしい。

 わがままだ。強欲だ。
 自分の思いことばかり。

 けれど、この想いはもう、止まりそうにない。

 もし、君が、私のもとに来てくれるというのなら。
 君が、私と一緒に歩んでくれるというのなら。

 その時は、きっと、すべてを放り出してでも――

 それは、言ってはならない言葉だった。
 だから、飲み込む。

 テラスの柵にもたれかかり、体の奥底へと封印する。
 血がにじむほどに、握ったこぶしの内側で手のひらに爪を立てる。
 どくん、どくんと、強く耳の奥で鼓動が鳴る。狂おしいほどの感情が渦巻き、こみ上げ、やがて、ゆっくりと沈静化する。
 そうして、劣情はようやく臓腑の奥に鎮まり、固く瞑っていた目を開く。

 力を籠めすぎた目のぼやけは、まるで恋に盲目となった己を示しているよう。

 燃え尽きたか、あるいは、自分の醜さに嫌気がさしたか。
 私の心の暗澹とした様子を示すように、月が陰り、世界が闇に覆われる。

 押し寄せる不安から逃げるように、強く、強く言い聞かせる。

「落ち着け、落ち着け。私は――ん?」

 それは、ほんの偶然の発見だった。

 遠く、外壁の外に影を見た。
 それは王城から遠ざかるほうに進んでいた。
 王城の最上階からは、豆粒のようにしか見えない小さな影。
 王城からまっすぐ、精霊に見放された土地へと進む――人影。

 なるべく影に顔が近くなるように、柵の隙間から、目を凝らして相手を見る。
 迷いのない足取り。わずかに揺れる、外套らしい影。

 強い風が吹き付け、体が震える。
 それは寒さのせいか、あるいは全身に満ちる直感がもたらした、歓喜のせいか。

 流されていく雲が月を開放し、世界を満月の明かりが照らす。

 遠くの人影が闇の中に浮かび上がった。
 清純さを思わせる、真っ白なローブ。
 フードはかぶっておらず、頭頂部には金の髪が揺れていた。
 月光に照らし出される艶めいた髪はさらりと揺れる。

 記憶の中にある、それのように。

「…………まさか」

 と初めて会った日のことを思い出した。

 彼女は一人、森にいた。
 凶悪な魔物に追われ、森を走っていた。
 白いローブをはためかせ、飛び降りてくる彼女。
 そのフードの下から覗いた、スミレの瞳。
 そして、目の上でさらりと揺れる、陽光をいっぱいに浴びた秋の麦穂を思わせる、美しい金髪。

「まさか、君なのか?」

 こんな時間に、一人、森に行くのか?
 今そこにいるのは、本当に君なのか?

 ドクン、ドクンと強く心臓が鼓動を刻む。
 疑問を、衝動が塗りつぶす。
 心が確信を告げる。
 彼女に相違ないと叫ぶ。

 事情は分からない。
 けれど彼女は、一人で森に入る力量がある。
 若くも優れた魔法の腕がある。
 死を過度に恐れることなく魔物に対峙できる心の強さがある。

 けれど。

「……君を、一人にしておけるものか」

 この心が、君を一人で精霊に見放された土地に向かうのを許さない。
 この身の地位など、今は関係ない。
 ただ一人の男としてやらねばならぬことがある。
 常識を叫ぶ心を、それを上回る衝動をもってかき消す。

 部屋に飛び込み、防具に身を包む。
 腰に剣を提げ、黒い外套をひっつかんだ。

「……仕方ない、か」

 複数人で向かう選択肢はない。
 それでは、彼女を見失ってしまう。
 そもそも、外出が許されるかどうかも定かではない。

 私は王子だ。次期国王だ。
 危険に、不十分な護衛とともに身を投じるなど許されない。
 ましてやここで下手に動けば、話が回り、私が患う病のことを知られてしまう。
 父王に、政敵である第二王妃とその子どもである第二王子に。

 盲目に陥らせる、わたしを侵す恋という不治の病のことを。

 それは、不都合だった。
 だから私は、隠し通路を使って部屋を脱走する。

 壁際のブロックの一つを強く押し込む。
 ガコン、という小さな音に肝が冷えた。
 外で護衛をしている騎士たちに聞こえやしないだろうかとひやひやするも、ノックの音はしない。

 胸をなでおろしながら、無音で開いた扉をにらむ。
 その先に広がる闇を見て、明かりを手に一歩を踏み出す。

 恐怖はなかった――いや、今この時、彼女を失ってしまうかもしれないという恐怖があった。

 魔物への恐怖はなかった。
 ただ、スミレの乙女を見失いたくないという思いが、彼女の後を追わなければならないという信念が、私を突き動かしていた。

 一人、城を抜け出し、向かうのは王城の背後に広がる広大な自然。

 精霊に見放された土地。
 彼女が向かった先を目指して、私は足早に歩き出した。

「待っていろ。今、向かうから」

 誰へともなく呼びかけて、私は満月の照らす夜の荒野を進んでいく。
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