契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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67フレッシュ・ボール

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「そろそろですか?」
「ええ。それじゃあ次に移りましょうか」

 生地はここでしばらく寝かせておく。するとスライムゲルが程よい水気を帯びた状態になり、手にあまり引っ付くことなく丸めることができるようになる。

 生地には濡れタオルをかぶせて乾燥を防いでおいて、今度は中に入れるものを用意。

 王子殿下に指示を出しながらフィナンが用意していたいちごの砂糖煮はだいぶ照りが出てきていた。

「……で、これは何を作っているんだ?」

 殿下の突然の質問に、目が点になった。

 まさかこの人は何を作っているのかもわからずに言われるままに動いていたというか。それでいいのだろうか。
 王子殿下ともあろう方が指示待ち人間だなんて……でも、実際に困っていなかったような。

「フレッシュ・ボールですね」
「……」

 バカな、だろうか。
 目をむいた王子殿下は、ひょっとしたら自分の聞き間違いだったのかもしれないと聞き返してくる。

「なんと言った?」
「ですから、フレッシュ・ボールです」
「…………」

 聞き間違いではなかったのか、とつぶやく殿下は頭痛をこらえるように頭に手をあてる。粉がついていた手で触るものだから、髪と額のあたりが白くなっていた。

「匂い消しの丸薬、といえばいいでしょうか」
「いや、知ってはいる。フレッシュ・ボールだろう? 仕事で利用しているからな……だがそれは、料理なのか?」
「あくまで、匂い消しの丸薬に使われるカプセルを利用したお菓子ですよ。そうでなければカプセルに砂糖を加えはしませんから」

 フレッシュ・ボールといえば狩りなどで使われる匂い消しの薬で、けれどハンナの見舞いの品にそんなものを持っていくつもりなんてない。だから外側のカプセルの方も、調合時とはレシピを変えてある。
 まあ、王子殿下たるもの、フレッシュ・ボールのレシピなんて知らなかっただろうし、ましてや実際に作った経験が無ければこうも動揺するのは仕方ないかもしれない。
 ……明らかに、料理ではなく調薬だったのか、と困惑していた気がするけれど。

「砂糖を加えない場合も作ったことがあると言いたげだな」
「それは、まあそれなりに」

 狩りの匂い消しのためにフレッシュ・ボールは有効に働く。
 そもそも、フレッシュ・ボールの主な利用方法は二つあって、一つは薬草を煎じたものを入れたフレッシュ・ボールを食べて、息を人間臭いものから変えること。嗅覚に敏感な動物を相手にするための方法として知られている。

 もう一つは、ひどく悪臭のするフレッシュ・ボールを相手に投げつけるか、相手の足元にたたきつけること。割れたフレッシュ・ボールから突如噴出した悪臭で敵を翻弄し、あるいはそのにおいだけでショック死させることができたりする。

 まあ、今日生地で包むのは食べられる安全な、そして美味しいもの。
 手元の鍋の中で煮詰まった果実から漂う甘い香りに自然と頬が緩む。

「……どんな劇物だ、それは」

 ひどく嫌そうな声。おかげで悪臭というか汚臭というか、恐るべき劇物を生み出してしまったときのことを思い出した。
 ……確か当時の自分では太刀打ちできない魔物を追い払うために使ったら、あまりの臭さに魔物がショック死するほどだった。嗅覚の鋭い狼系の魔物だったからかもしれないけれど、余波でわたしも涙目になるほどには恐ろしいアイテムだった。
 もっとも、あれほどの劇物を生み出すことができたのはその一度きり。何しろ基本的に、わたしのフレッシュ・ボール作りにレシピなんてあってないようなものだから。

「そこらの雑草を、揮発成分が抜けないように煮詰めて中に詰めるんですよ」

 臭い消しなのだから、森の中の自然な臭いに近づけないといけない。つまりは、周囲に生えそろっている雑草の臭いにする、ということ。当然採取場所によって使う草は変化する。
 せいぜい、毒草を用いないように選んでいるくらいだ……たまに混じってしまうこともあるのだけれど。おかげでフィナンの毒入り紅茶で多少痺れる程度だった。

「それだけか?」
「あとはミントの揮発成分を混ぜ込んだりもしますね」
「なぜミント」
「ひんやりするあの液体が苦手な魔物が一定数いるんですよ」
「それは知らなかったな。……ふむ、騎士の備品として導入するのもありか」

 腐っても王子殿下というべきなのだろうか。その有用性を踏まえて即座に導入を検討するあたり、古い因習にとらわれずに、むしろ老害たる邪魔を切り捨てる氷の王子様らしい。

「……一度使うと匂いが服にしみついて、その後の狩りが難しくなるのが欠点ですが」
「……無しだな」

 言いながら、完成した砂糖煮を生地で包み込んで丸く成型する。
 殿下と並んで、二人でこねこね、こねこねと……わたしは、何をしているんだろう。

 改めて現状を客観的に見つめて、心の中で首をひねる。

 アヴァロン王子殿下と並んで料理なんて、どうして?

 あ、フィナンのせいか。許すまじ、フィナン。
 嫌いな相手と一緒に居るということもそうだし、王子妃という立場がばれたらどうするのかという不安と懸念もある。
 ……この目が節穴な王子殿下がわたしの正体に気づく未来なんて、少しも想像できないのだけれど。

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