67 / 89
67フレッシュ・ボール
しおりを挟む
「そろそろですか?」
「ええ。それじゃあ次に移りましょうか」
生地はここでしばらく寝かせておく。するとスライムゲルが程よい水気を帯びた状態になり、手にあまり引っ付くことなく丸めることができるようになる。
生地には濡れタオルをかぶせて乾燥を防いでおいて、今度は中に入れるものを用意。
王子殿下に指示を出しながらフィナンが用意していたいちごの砂糖煮はだいぶ照りが出てきていた。
「……で、これは何を作っているんだ?」
殿下の突然の質問に、目が点になった。
まさかこの人は何を作っているのかもわからずに言われるままに動いていたというか。それでいいのだろうか。
王子殿下ともあろう方が指示待ち人間だなんて……でも、実際に困っていなかったような。
「フレッシュ・ボールですね」
「……」
バカな、だろうか。
目をむいた王子殿下は、ひょっとしたら自分の聞き間違いだったのかもしれないと聞き返してくる。
「なんと言った?」
「ですから、フレッシュ・ボールです」
「…………」
聞き間違いではなかったのか、とつぶやく殿下は頭痛をこらえるように頭に手をあてる。粉がついていた手で触るものだから、髪と額のあたりが白くなっていた。
「匂い消しの丸薬、といえばいいでしょうか」
「いや、知ってはいる。フレッシュ・ボールだろう? 仕事で利用しているからな……だがそれは、料理なのか?」
「あくまで、匂い消しの丸薬に使われるカプセルを利用したお菓子ですよ。そうでなければカプセルに砂糖を加えはしませんから」
フレッシュ・ボールといえば狩りなどで使われる匂い消しの薬で、けれどハンナの見舞いの品にそんなものを持っていくつもりなんてない。だから外側のカプセルの方も、調合時とはレシピを変えてある。
まあ、王子殿下たるもの、フレッシュ・ボールのレシピなんて知らなかっただろうし、ましてや実際に作った経験が無ければこうも動揺するのは仕方ないかもしれない。
……明らかに、料理ではなく調薬だったのか、と困惑していた気がするけれど。
「砂糖を加えない場合も作ったことがあると言いたげだな」
「それは、まあそれなりに」
狩りの匂い消しのためにフレッシュ・ボールは有効に働く。
そもそも、フレッシュ・ボールの主な利用方法は二つあって、一つは薬草を煎じたものを入れたフレッシュ・ボールを食べて、息を人間臭いものから変えること。嗅覚に敏感な動物を相手にするための方法として知られている。
もう一つは、ひどく悪臭のするフレッシュ・ボールを相手に投げつけるか、相手の足元にたたきつけること。割れたフレッシュ・ボールから突如噴出した悪臭で敵を翻弄し、あるいはそのにおいだけでショック死させることができたりする。
まあ、今日生地で包むのは食べられる安全な、そして美味しいもの。
手元の鍋の中で煮詰まった果実から漂う甘い香りに自然と頬が緩む。
「……どんな劇物だ、それは」
ひどく嫌そうな声。おかげで悪臭というか汚臭というか、恐るべき劇物を生み出してしまったときのことを思い出した。
……確か当時の自分では太刀打ちできない魔物を追い払うために使ったら、あまりの臭さに魔物がショック死するほどだった。嗅覚の鋭い狼系の魔物だったからかもしれないけれど、余波でわたしも涙目になるほどには恐ろしいアイテムだった。
もっとも、あれほどの劇物を生み出すことができたのはその一度きり。何しろ基本的に、わたしのフレッシュ・ボール作りにレシピなんてあってないようなものだから。
「そこらの雑草を、揮発成分が抜けないように煮詰めて中に詰めるんですよ」
臭い消しなのだから、森の中の自然な臭いに近づけないといけない。つまりは、周囲に生えそろっている雑草の臭いにする、ということ。当然採取場所によって使う草は変化する。
せいぜい、毒草を用いないように選んでいるくらいだ……たまに混じってしまうこともあるのだけれど。おかげでフィナンの毒入り紅茶で多少痺れる程度だった。
「それだけか?」
「あとはミントの揮発成分を混ぜ込んだりもしますね」
「なぜミント」
「ひんやりするあの液体が苦手な魔物が一定数いるんですよ」
「それは知らなかったな。……ふむ、騎士の備品として導入するのもありか」
腐っても王子殿下というべきなのだろうか。その有用性を踏まえて即座に導入を検討するあたり、古い因習にとらわれずに、むしろ老害たる邪魔を切り捨てる氷の王子様らしい。
「……一度使うと匂いが服にしみついて、その後の狩りが難しくなるのが欠点ですが」
「……無しだな」
言いながら、完成した砂糖煮を生地で包み込んで丸く成型する。
殿下と並んで、二人でこねこね、こねこねと……わたしは、何をしているんだろう。
改めて現状を客観的に見つめて、心の中で首をひねる。
アヴァロン王子殿下と並んで料理なんて、どうして?
あ、フィナンのせいか。許すまじ、フィナン。
嫌いな相手と一緒に居るということもそうだし、王子妃という立場がばれたらどうするのかという不安と懸念もある。
……この目が節穴な王子殿下がわたしの正体に気づく未来なんて、少しも想像できないのだけれど。
「ええ。それじゃあ次に移りましょうか」
生地はここでしばらく寝かせておく。するとスライムゲルが程よい水気を帯びた状態になり、手にあまり引っ付くことなく丸めることができるようになる。
生地には濡れタオルをかぶせて乾燥を防いでおいて、今度は中に入れるものを用意。
王子殿下に指示を出しながらフィナンが用意していたいちごの砂糖煮はだいぶ照りが出てきていた。
「……で、これは何を作っているんだ?」
殿下の突然の質問に、目が点になった。
まさかこの人は何を作っているのかもわからずに言われるままに動いていたというか。それでいいのだろうか。
王子殿下ともあろう方が指示待ち人間だなんて……でも、実際に困っていなかったような。
「フレッシュ・ボールですね」
「……」
バカな、だろうか。
目をむいた王子殿下は、ひょっとしたら自分の聞き間違いだったのかもしれないと聞き返してくる。
「なんと言った?」
「ですから、フレッシュ・ボールです」
「…………」
聞き間違いではなかったのか、とつぶやく殿下は頭痛をこらえるように頭に手をあてる。粉がついていた手で触るものだから、髪と額のあたりが白くなっていた。
「匂い消しの丸薬、といえばいいでしょうか」
「いや、知ってはいる。フレッシュ・ボールだろう? 仕事で利用しているからな……だがそれは、料理なのか?」
「あくまで、匂い消しの丸薬に使われるカプセルを利用したお菓子ですよ。そうでなければカプセルに砂糖を加えはしませんから」
フレッシュ・ボールといえば狩りなどで使われる匂い消しの薬で、けれどハンナの見舞いの品にそんなものを持っていくつもりなんてない。だから外側のカプセルの方も、調合時とはレシピを変えてある。
まあ、王子殿下たるもの、フレッシュ・ボールのレシピなんて知らなかっただろうし、ましてや実際に作った経験が無ければこうも動揺するのは仕方ないかもしれない。
……明らかに、料理ではなく調薬だったのか、と困惑していた気がするけれど。
「砂糖を加えない場合も作ったことがあると言いたげだな」
「それは、まあそれなりに」
狩りの匂い消しのためにフレッシュ・ボールは有効に働く。
そもそも、フレッシュ・ボールの主な利用方法は二つあって、一つは薬草を煎じたものを入れたフレッシュ・ボールを食べて、息を人間臭いものから変えること。嗅覚に敏感な動物を相手にするための方法として知られている。
もう一つは、ひどく悪臭のするフレッシュ・ボールを相手に投げつけるか、相手の足元にたたきつけること。割れたフレッシュ・ボールから突如噴出した悪臭で敵を翻弄し、あるいはそのにおいだけでショック死させることができたりする。
まあ、今日生地で包むのは食べられる安全な、そして美味しいもの。
手元の鍋の中で煮詰まった果実から漂う甘い香りに自然と頬が緩む。
「……どんな劇物だ、それは」
ひどく嫌そうな声。おかげで悪臭というか汚臭というか、恐るべき劇物を生み出してしまったときのことを思い出した。
……確か当時の自分では太刀打ちできない魔物を追い払うために使ったら、あまりの臭さに魔物がショック死するほどだった。嗅覚の鋭い狼系の魔物だったからかもしれないけれど、余波でわたしも涙目になるほどには恐ろしいアイテムだった。
もっとも、あれほどの劇物を生み出すことができたのはその一度きり。何しろ基本的に、わたしのフレッシュ・ボール作りにレシピなんてあってないようなものだから。
「そこらの雑草を、揮発成分が抜けないように煮詰めて中に詰めるんですよ」
臭い消しなのだから、森の中の自然な臭いに近づけないといけない。つまりは、周囲に生えそろっている雑草の臭いにする、ということ。当然採取場所によって使う草は変化する。
せいぜい、毒草を用いないように選んでいるくらいだ……たまに混じってしまうこともあるのだけれど。おかげでフィナンの毒入り紅茶で多少痺れる程度だった。
「それだけか?」
「あとはミントの揮発成分を混ぜ込んだりもしますね」
「なぜミント」
「ひんやりするあの液体が苦手な魔物が一定数いるんですよ」
「それは知らなかったな。……ふむ、騎士の備品として導入するのもありか」
腐っても王子殿下というべきなのだろうか。その有用性を踏まえて即座に導入を検討するあたり、古い因習にとらわれずに、むしろ老害たる邪魔を切り捨てる氷の王子様らしい。
「……一度使うと匂いが服にしみついて、その後の狩りが難しくなるのが欠点ですが」
「……無しだな」
言いながら、完成した砂糖煮を生地で包み込んで丸く成型する。
殿下と並んで、二人でこねこね、こねこねと……わたしは、何をしているんだろう。
改めて現状を客観的に見つめて、心の中で首をひねる。
アヴァロン王子殿下と並んで料理なんて、どうして?
あ、フィナンのせいか。許すまじ、フィナン。
嫌いな相手と一緒に居るということもそうだし、王子妃という立場がばれたらどうするのかという不安と懸念もある。
……この目が節穴な王子殿下がわたしの正体に気づく未来なんて、少しも想像できないのだけれど。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
幼馴染の許嫁
山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる