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放浪剣士編

エピローグ 少女のその後

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 帝国と皇国。いがみ合い、狂気に飲まれた二つの国の戦争は、けれど誰もの予想を裏切る形で終わりを告げた。
 のちに魔王と語られるその存在の出現を機に、帝国と皇国は協力して「黒の死神」を名乗る怪物と戦った。戦争の記憶は、人々の中から少しずつ薄れていって。皇国と帝国の民は、戦友として手を取り合った。





 それから、十数年後。
 膨大な軍事費と生活の締め上げにあえいだ市民たちが蜂起して、帝国と皇国という大国は、ひどくあっさりと消滅した。その背後に黒髪をたなびかせる、漆黒の剣を引っ提げた女性の姿があったとされるが、それは定かではない。
 生まれた大国は帝国と皇国を飲み込み、民に平和をもたらした。

 長き戦いは終わり、帝国と皇国の民の心を隔てた国境は消え去った。

 人々は新たな日常に心躍らせ、美しい世界を生きていく。

 そんな世界で、一人の女性が、愛娘にとある話をせがまれていた。

 緑美しい、自然溢れる街。設計時点で区画を考えられた美しい街は全体的に余裕がある開放的な作りをしていて。軒先から道路まで広く取られたその前庭に置かれたウッドチェアに、身重の女性が腰を下ろしていた。

 話して話してと、少女が母親にせがむ。
 それは、いつも母が寝物語に語ってくれていたとある話。決して明るくない、それでいて希望のあるその短い話が、少女は大好きだった。

 その柔らかな両腕を使って、少女はずりずりと母親の膝へと這い上がる。母の太ももの上で膝立ちになった少女は、唇が触れ合いそうなほど顔を近づけて、母の目をじっと見つめる。

 仕方ないわね、とため息交じりに告げる母の言葉を聞いて、少女が「やったぁ!」と歓声を上げた。

 くるりと母に背中を向けた少女は、母の膝から滑り降りるように地面へと降り立ち、きらきらと輝く瞳を背後に向けた。
 そんな娘の元気な姿に昔の妹の姿を重ねながら、母親は無意識のうちに脇腹を撫でた。かつて負った、今となってはもうほとんど消えてわからない火傷の痛みを、思い出した。

 そうして、膝に抱きついた娘の頭を撫でながら、長くも短い、彼女の人生の転機となる物語を話し始めた。




 かつて、戦う二つの国の間に近い場所にある大きな街に、一人の少女が暮らしていました。

 お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんと少女の四人家族。幸せな家庭で、優しい人たちに囲まれて、少女はすくすくと育っていました。

 そんなある日、かつてその街を持っていた王様が、街へと火を放ちました。理由は、街にいる隣の国の兵士をたおすためでした。兵士たちは街を燃やして、逃げる人々を襲いました。

 その日、少女はお姉ちゃんと二人、家の中にいました。

 お父さんとお母さんの帰りを二人で待っていたお姉ちゃんは、炎が燃える臭いにおいに気づきました。
 そのすぐあとのことです。
 隣の家からものすごい熱がやってきて、窓を割って家の中に炎が飛び込んできました。

 窓のすぐ近くにいたお姉ちゃんは、とっさに少女を抱きかかえ、熱い風に吹き飛ばされて気を失ってしまいました。

 目を覚まさないお姉ちゃんに呼びかける少女は、助けを求める決意をしました。
 妹は、お姉ちゃんから離れてしまうことが怖くて涙を目に浮かべながら、家を飛び出しました。

 外の街は、少女の知る街ではありませんでした。
 どこかから大きな音がたくさん聞こえてきていて、人の叫び声がして、いやなにおいもしました。

 隣の家の優しいおじさんは、いませんでした。反対の家のみんなも、いなくて。困った少女は、一度行ったことのあるお父さんの働いている場所を目指して、歩き始めました。

 けれど、悪い兵士から逃げる人でいっぱいの街で、少女は道に迷い、とうとう誰かに蹴り飛ばされてしまいます。地面に倒れる少女を、別の人が蹴り飛ばしそうになった、その時。

 来た!――娘のあいの手に、母親はこくりとうなずいた。ぱあ、と花が咲いたような笑みを浮かべて、話を止めた娘が続きをせがむ。
 そんな娘に慈しむように目を向けて、母親は高らかに、歌うように話を続ける。

 少女を救い出したのは黒髪の女性兵士でした。少女を抱き上げ、手慣れた動きで素早く火傷を治療した兵士さんは、さっそうと家に戻り、少女を待たせて炎に包まれた家の中へと飛び込みました――あ、危ないから真似しちゃだめですよ。

 何度も繰り返される母の忠告に、わかってる、と娘が呆れたように頷く。

 火の中に飛び込んだ兵士さんは、体を炎に包まれながらもお姉ちゃんを救出します。お姫様抱っこで抱えたお姉ちゃんと共に、二階から飛び降りて――これも、え、駄目だってわかってる?そうね、もう何度も話しているものね。
 こほん、と咳ばらいを一つ。

 兵士さんが地面に降り立つ少し前。
 家の外で待っていた少女は不安でいっぱいでした。

 お姉ちゃんは大丈夫だろうかと、落ち着きなくおろおろと視線をさ迷わせている少女。
 そんな彼女に、悪い男の人がおそいかかりました。

 けれど、ぎりぎりのところで少女を抱きかかえる真っ黒な男の人が――あ、こんにちは、ホーンさん。え?続きをどうぞ、ですか?ええまあ、構いませんが、それにしてもいつもこのタイミングでいらっしゃるような……

 こほん、と一つ咳払い。娘と、近所の魔道具屋の壮年の男性を聴衆として母親は語る。

 真っ黒な男の人が、少女を助けてくれました。少女は胸に銀の薔薇をいただいた男の人に抱かれて、悪い男の兵士と真っ黒な服を着た人との戦いをじっと見守りました。

 そんな中、炎に包まれた家から現れた女性の兵士さんが、悪い兵士の上に飛び乗って、やっつけてしまいます。

 兵士さんは、消えてしまった少女の姿を探し、そして目の前の真っ黒な人を怪しみます。
 二人が戦いを始めてしまいそうになる、その時。
 真っ黒な男の人のマントの中から、少女は飛び出しました。兵士さんの腕の中にいるお姉ちゃんのもとへと駆け寄ります。

 何度もお姉ちゃんを呼ぶうちに、助けてくれた兵士さんはどこかへ姿を消してしまいました。

「兵士さんがかわいそう!お礼を言ってもらえなかったんだよ!」

「そうかな?案外ボクは、お礼を言ってもらえないことでそのことが心に残って、その男の人がいい方向に進む、なんてことがあるかもしれないと思うよ?」

「んー、よくわからないや。ホーンさんの言ってることはいつもむずかしいの」

 相変わらずいつもと同じところで意見を交わす娘と男を見て、母親は不思議な既視感に囚われた。目の前にいる魔道具屋店主の立ち姿に、黒いマントが重なる。それもまた、いつものことだった。
 どうしたのかな、と告げる男になんでもないと首を振って、母親はクライマックスへと話を進める。

 少女の呼びかけに答えるように、女性兵士さんの腕の中でぐったりしていたお姉ちゃんは目を覚ましました。二人は固く抱き合い、お互いの無事を喜びました。

 それから、二人は兵士さんと一緒に避難場所に向かい、そこでお父さんとお母さんと再会しました。四人の親子はみんなに治療をしてくれた女性兵士さんに何度もお礼を言いました。

 それから、少女は決意します。
 自分もあの人みたいに、傷ついた人を癒せる存在になろうと。必死で勉強した少女は、その後薬屋を開き、結婚して、幸せに暮らしましたとさ。

 パチパチパチ、と少女が小さな手のひらを懸命に叩いて拍手する。途中から聴衆に加わっていた男もまた、少女と顔を見合わせながら手を叩く。

 そんなありふれた平穏な光景を見ながら、母親は語らなかった物語の一部を、思い出す。
 それは、幼い黒髪の女性兵士と、真っ黒な男の人と、少女が暮らしていた街を襲う、その後の悲劇について。

 数日後、夜中に再び少女のもとを訪れた男は、枕元に立ってこう告げた。
 なるべく早くこの街から避難するといい。両親を説得できなかったら、あの黒髪の兵士がそう話していたと言えばいいと思うよ、と。

 夢のような邂逅の後、少女は両親にその全てをつまびらかに話した。
 少しだけ真剣な顔をして考えていた少女の両親は、やがて家族そろって街を出ることに決めた。

 街の役場で働いていた少女の父がそう決断すれば、あれよあれよと周囲の者が移住を決断し、キャラバンのように集まって人々は街を飛び出した。

 それから、わずか一週間後。
 少女が暮らした街は、消滅した。

 思い出は、戦争という悲劇に塗りつぶされてしまって。けれど今、その地は溢れんばかりの幸せと、平穏な日常に満ちていて。その日常をもたらしてくれたのは――
 チリン、と鈴の音が鳴った。店の中から顔を出した共同店主にして夫が、母親を目に留めて目尻を下げて笑った。

「おとうしゃん、くしゃーい」

 鼻をつまんだ娘の眉間によるしわを見て、父親はくんくんと衣服の匂いを嗅いだ。

「え、そうか?薬草のいい香りはするが……」

「くしゃいの!もっとお花みたいなにおいになるべき!」

 お花かぁ、と小さく肩を落とした父親は、これなんかどうだ、と前庭の花壇で咲いていた真っ白な香り高い花を一輪積んで、少女に恭しく差し出した。

「ゆるす!」

「一体どこでそんな言葉づかいを覚えてくるんだよ」

 ぺちぺちと父親を叩く娘と夫のじゃれ合いを眺めながら、母親の視線は娘の手の中にある一輪の花に釘付けになっていた。真っ白な、娘の親指の幅ほどの小さな花。その名前を、脳裏に思い浮かべて。

「フランの花ですね。知ってましたか?あの花、夜のうちに採取して暗闇の中で干すと、とてもいい香りの美味しいお茶になるんですよ」

「知ってますよ。薬屋の……私にとっては、常識ですから」

 それに、と言葉を続ける母親の長い髪を、一陣の風が弄んで吹き抜けていく。舞い上がった数枚の真っ白な花弁が、ひらひらと宙を漂う。
 甘い香りが、鼻腔をくすぐった。

「それに、その花は新しい名前がつきましたからね」

 ああそうだったね――眩しそうに目を細める男が、花壇に咲き誇る白い花畑をじっと見つめる。

「あ、動いた」

「うごいた?……赤ちゃん!」

 お腹を押さえて微笑む母親のもとへと、娘が駆け出す。その足をよじ登ろうともがいていた娘の脇に手を入れて、男性が少女の体を持ち上げる。
 ありがと!と元気よく告げた少女は、すぐにその視線を母親の膨らんだお腹に向ける。触っていいよ、わぁうごいた、どれどれ俺も触っていいかな、良いけれど手はきれいですよね――

 愛おしい家族の営みを一歩見ながら、男は少女の手の中から零れ落ちて地面へとふわりと着地した一輪の花を拾い上げた。
 今日はこれをお茶で飲もうとそう思いながら、抱きしめるように、愛おしむように、過ぎ去ったすべてに思いを込めて、その名を告げる。

「……夜明けを待つ花――」

 ――アウローラ。

 男のつぶやきは、夏の到来を予感させる熱気をはらんだ風の中に消えていった。
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