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第一部・一章 コモレヴィの森
第十話
「死ね!! 人界の餓鬼!!」
殺意に満ちた罵りと同時に放たれた蛮刀が、無様に斬り殺す瞬間を、俺は待とうとした──のだが。
顔を上げ、今まさに振り下ろされつつある蛮刀を、横一閃に弾き返した。
「ぐるらっ……」
驚いたような声を上げ、わずかに体を泳がせた敵の腹に、立ち上がりざまのタックルを繰り出す。隊長は更によろけて、二、三歩後退する。
右手の剣をぴたりと相手の正中線に据え、大きく息を吸い、吐く動作を何度も繰り返す。呼吸を繰り返すたびに少しずつ肩の痛みは和らいでいき、肩の痛みを感じなくなったところで呼吸を平常時に戻す。
俺は肉体的な痛みに関してはまるで素人だ。恐怖に対する耐性も素人だ。だが、それを遥かに上回る絶対的苦痛を、今知った。
セレナを助けられなかった、大切な人を失う痛みに較べれば、こんな痛みなど屁でもない。彼女を失う痛みだけは、傷口が治っても記憶に残り続け、長い後悔と悔恨として、絶対に消えることはない。
もう我慢ならん、とばかりに、隊長は大音響の咆哮を轟かせた。周囲でキィキィ喚いていたゴブリンたちが一斉に押し黙る。
「クソ餓鬼がぁ……調子に乗るんじゃねぇッ!!」
猛然と突進してくる隊長の、蛮刀の切っ先だけに意識を集中した。
袈裟懸けに切り下ろされる蛮刀を、前に踏み込んで回避し、右下からの一刀で敵の右腕を付け根から斬り飛ばした。巨体な腕をつけたままの蛮刀は、ぶんぶん回転しながらゴブリンの輪に飛び込み、複数の悲鳴を生んだ。
両腕を失った隊長は、黄色い両眼に怒りと憎悪と、それを上回る驚きを浮かべ、よろよろと後ずさった。傷口から黒い液体が滝のように迸り、苔の上に血溜まりを作っていく。
「……こんな餓鬼に……人界の餓鬼如きに、俺様が負けるわけがっ……」
後ずさりながら逃げようとする姿を見ても、不思議と罪悪感や動揺なんてものはなかった。
あるのはただ一つ、勝利という実感だけだった。
剣についたどす黒い血を振り払い、一歩ずつ、ゆっくりと隊長に近づいて行く。隊長は先程の怒りが嘘のように消え、今度は恐怖に染まった顔で逃げるように後ずさって行く。
「く……来るな!! こっちに来るなー!!」
先程までの威勢が完全に無くなっており、醜い命乞いをしている。さっきと立場が逆転しており、俺がこいつの首を跳ねる立場になっている。
だが躊躇いなんてない。これは生命の奪い合い、剣を持った者同士の死闘なのだから。そして俺は、その戦いに勝ったんだ。
「お前を殺して、セレナと一緒に帰るんだ……みんなの元にな」
殺意に満ちた声でそう言い、両眼の瞼をゆっくりと下ろす。負傷した左腕を無理矢理動かし、両手で剣をしっかり握り直す。
次いで、小声で炎素魔術構文の詠唱を始める。一文字喋るごとに傷口から激しい痛みが絶え間なく全身を走るが、下唇を噛み意識を強引に保ち、詠唱を終えると、両手で持っていた剣に炎素が螺旋状に宿る。
草穂に光素を宿した要領で唱えたが見事に成功した。これならば、ゴブリン共を牽制出来るし、こいつを一撃で殺せる。
尻餅をつきながらも後方に必死に這い進む隊長は、恐怖で震えた唇から弱々しい声で言った。
「お前……創世神の力を……まさかお前、天界の騎士……」
「違う……」
無意識のうちにそんな言葉を迸らせ、俺は全力で突進した。炎素の宿る剣を左に大きく振りかぶり、剣の切っ先を一本の鞭のように鋭くしならせる。
「俺は……戦士だ!」
ぴうっ、と空気を裂く音が耳に届いたのは、隊長の巨大な首が高々と宙に舞った、その少し後だった。
ほぼ垂直に上昇し、次いでくるくる回転しながら落下してきた生首を、高く掲げた剣に突き刺す。そのまま炎素が燃え移り、隊長の頭は燃え盛っていき、鶏冠のように立てられていた飾り羽だけを残し燃え尽きた。
俺は炎素の宿る剣を掲げたまま、未だ状況を読み込めていないゴブリン共に叫んだ。
「お前たちの親玉の首は取った! 命が惜しかったら、今すぐここから消え失せろ!」
両目に最大限の殺意を込めながらゴブリン共を睨みつける。
隊長が死んだんだ。だからこのまま、大人しく逃げてくれ! と心の中で懇願する。
さっきは威勢のいいことを言ったが、正直言うと平然と立つフリをするのだけでも辛い。右目の痛みはいつのまにか治っているが、左肩の痛みが今になって再発し、意識が朦朧とする。暗がりのお陰で呼吸の乱れと顔色が周囲にバレてはいないが、このままゴブリン共が逃けずに仇討ちを考えれば、確実に負ける。
ゴブリンが隊長に忠実なことに願いながら剣を下ろすと、ゴブリンの集団の中から、不穏な動きをする奴が出てきた。
隊長が死んだことで相当に浮き足立ったようで、互いに顔を見合わせながらぎっぎっと忙しなく声を上げている。
そして、最も恐れていた事態に発展する。
前列にいた一匹が、肩に担いだ棍棒をゆらゆらさせながら進み出てきた。
「お前馬鹿か? 俺たちが隊長一人の死で怖気付くと思ったのか?」
細長い舌で舌舐めずりし、担いでいた棍棒を下げた。すると背後に立っていた数匹のゴブリンも歩み出し、横一列に並び立った。蛮刀を構えもしないまま、しゅうしゅうと擦過音の混ざる嗄れ声で言った。
「こいつは俺の獲物だぁ……」
「違う……俺様のだぁ……」
あまりに生々しい欲望の響きに、思わずじりっと下がる。
こいつらは、仲間が死んでも、隊長が死んでもどうでもいいんだ。自分の欲望を満たすことが出来ればなんでもいいんだ。
再びこみ上げてくる恐怖をどうにか押し退け、炎素の宿った剣を構え直す。だがそれだけの動きで気絶するほどの激痛が全身を巡り、苦痛で表情が歪んだ。
しかもそれは、運悪く奴らにも見えていたらしく、一匹のゴブリンがはやし立てるような高笑いをしだした。
「まじかよこいつ! 負傷して疲れ切ってんぜ!」
それを聞いた他のゴブリンは、黄色い目を欲望に染めながら、粘っこい唾液がぼたぼたと垂れた。
「ギヘッ、ならこいつを倒せば、俺が次の頭ってことか」
こんな連中でも頭という地位は欲しいのか、後ろにいたゴブリン達もすくっと立ち上がり、暗闇に黄色く欲望に塗れた瞳をこちらに向けてきた。
「こいつの首を取った奴が次の頭だー! 誰が取るか競争と行こうぜー!」
先頭に立つゴブリンが叫ぶと、後から不愉快な歓声がドーム一杯に溢れた。歓声が静まると、ゴブリン共は野望と欲望に染まった目を向けながら一斉に走り出した。
ここまでか……全てを諦め両眼を閉じた、次の瞬間──。
ズドオッ!! という轟音がドーム全体に響いた。
そして次に、隊長の首を切断した後に鳴ったのと同じ音が、耳に届いた。
閉じてた両眼を開くと、そこには頭部を失ったゴブリンが、痙攣を起こしながら横に倒れている姿があった。
「……一体、何が」
力なく呟く。後ろにいたゴブリンも動揺したようにざわついている。
すると今度は、後方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。いや、悲鳴だけじゃない。後方からは血飛沫が舞い、やや遅れて切断された上半身が真横に滑ってきた。
「うわッ!?」
この瞬間だけ痛みを忘れ、滑ってきた上半身が触れた左手を乱暴に上げる。斬られたゴブリンの顔は、苦痛で歪んでいる。
子供の頃に見たゾンビ映画の比ではないほどのグロさに吐き気を催しながら、後方で何が起きているのか確認するために、喉元までこみ上げていた吐き気を押し返し、視線を後方へ戻す。
後方では血飛沫が舞うたびにゴブリンの四肢が飛び散っている。
そこでようやく、近くにいたゴブリンが、茫然と立ち尽くすゴブリンに命令を出した。
「お、お前ら! 行くぞー!」
突撃命令を出すも、周りのゴブリン共は従わず、足を震わせながら立っているだけだった。
「お、おいお前ら! 早く行け!」
「む、無理だ! だってあいつは……あいつは……」
「天界の騎士なんだから!」
天界の騎士だと!?
再び痛みを忘れ急ぎ立ち上がると、既に後方のゴブリン達は無様に殺されており、皆肉塊になっていた。残っているのは、俺の前にいる五匹と、真っ赤に染まる大地に立つ、人影のみ。
「ひ、ひぃー!」
先程命令を出したゴブリンは怯えた声を上げると、他の四匹の後ろに身を隠した。
そんな情けない姿になど脇目をふらず、ゴブリンを一瞬で殲滅させた、天界の騎士に視線を向ける。
やや細めの体軀を保護するように、鏡のように磨き上げられた白銀の鎧は、村の衛士が装備している鎧と比べ物にならないほど美しい。一部の隙もなく全身に着込み、関節部分すら細かく編んだ銀鎖で覆っている。竜の頭部を模したかのような兜は、額の部分から前に一本、両脇から後ろへ二本の長い飾り角が伸び、がっちりと下された巨大な面頬が騎士の顔を隠す。
右手には、殺戮に使用したと思われる銀色の柄を持つ長剣が握られており、刀身はゴブリンの血で真っ赤に染まっている。背中には、最初のゴブリンを射殺したと思われる弓が架けられている。
これが、この人が、創世神の使いにして、人界最強の天界の騎士──。
「魔界の亜人よ。創世神様が愛する人界の民を下賤な魔界に拐い、尚且つ殺傷しようとした罪、貴様らの薄汚れた魂を持ってして償ってもらおう」
人間の喉から出たものとはにわかにしんじられない、異質な響きを持つ声だった。鋼の質量感を伴った余韻がドームの隅々にまで広がり、その場にいる者全員を沈黙させる。
そんな中、意外にも最初に動いたのはゴブリンだった。
「む、無理だ……天界の騎士じゃ勝ち目がねー」
「に、逃げろー!」
甲高い悲鳴が一斉に上がり、笑先にとドームの隅目掛けて走り出す。騎士がいるのとは真逆の別の出口に吸い込まれ、たちまちのうちに見えなくなった。反響する足音と喚き声が徐々に遠ざかり、消えると、ドーム内は先刻の熱気が嘘のような冷たい静寂に包まれた。
危機が去ったことに安堵すると、同時に戻ってきた左肩の痛みに耐えきれずその場に膝をつくと、ゴブリンを言葉だけで退けた騎士が、かすかに鎧を鳴らしながら歩み寄ってきた。
側まで近寄られると、その存在感に再度驚愕した。
同じ人間とは思えない気迫と覇気を感じる。それに、隊長とは言え一体倒すのにも傷だらけになり虫の息な俺に対し、二十体近く倒したにも関わらず、一切呼吸が乱れていない。重そうな装備をしているのに。
そんなことを考えながら、騎士の顔を見上げていると、騎士は不意に左手を伸ばし、負傷した傷口にかざすと、何か術式的な構文を小声で唱え出した。唱え終わると、左手に光素と酷似した光が宿り、傷口を包み込んだ。
その時俺は、自分の左肩に起きている違和感に気付いた。
傷口が全く痛くない。さっきまで激痛が絶え間なく全身を苛んでいたのに、全然痛くない。
寧ろ、暖かい。負傷した当初は血の気が引き冷たくなっていたのに、今は生命に満ち溢れてるかのように暖かい。
光が収まると、醜い傷口は跡を残さず綺麗に塞がっており、痛みなど嘘のように消えていた。
「傷は完全に治したから、もう大丈夫だ」
先程聞いた異質な響きではなく、爽やかな響きでそう言うと、騎士は兜の金具を外し、素顔を明らかにした。
草穂の灯りだけだというのに、ハッとさせられるほどの美貌だ。高く通った鼻筋と、少し野性味のある形の眉が絶妙なバランスを作り出し、切れ長の双眸が冴え冴えした光を放っている。
騎士の美貌に見惚れてしまい唖然とすると、にこりと微笑んでから言った。
「間に合って良かったよ。もう少し遅れてたら、大事な民を一人失うところだった」
思いもよらない言葉で完全に我に帰り、なんとか舌を動かして言った。
「助けて頂き、ありがとうございました」
深々と頭を下げながらお礼を言うと、騎士の鉄製の手甲が後頭部に当たり、そのまま左右に揺れ動いた。
「お礼なんていいさ。それより、目的を忘れてないかい?」
「目的……?」
顔を上げ騎士の顔を無言で眺めると、騎士は顔を横に逸らした。釣られて横に視線を向けると、ドームの隅に放置されたままの荷車が置いてあった。
「……セレナ!!」
ここに来た目的である彼女を思い出し、荷車に向かって全力で走り寄る。
荷台には、中身の不明な樽や木箱、雑多な武器類と一緒に、縛られ転がされたセレナの姿があった。手近な箱から粗悪なナイフを掴み出し、手早くロープを切る。
少し重い体を抱き上げ、広い床に横たえて素早く検分したが、目立つ外傷はない。呼吸もちゃんとしてるし、修道服も破れてる箇所はないから、酷いことはされてないようだ。
俺は許されるぎりぎりの力を込めて、名を呼びながら揺する。
「セレナ……セレナ。目を醒ましてくれ」
懇願するように呼びかけると、長い睫毛が震え、少しずつ、ゆっくりと瞼を上げていき、明るい茶色の瞳が見開かれた。離れた箇所に置かれた草穂の光素だけでは咄嗟に俺を認識できなかったようで、喉の奥から細い悲鳴が漏れた。
「やっ……いやぁぁっ……こっちにこないで……」
両手を振り回し、俺を押し退けようとするセレナの肩を掴み、敵意のないいつも通りの声で言う。
「落ち着いてセレナ。俺だ、カズヤだ」
俺の名を聞いた途端、セレナはぴたりと暴れるのを止めた。恐る恐る伸ばしてきた右手の指先で、そっと俺の頬に触れる。
「……カズヤ、君……カズヤ君なの……?」
「ああ。助けに来たんだ。ゴブリンは全部追い払ったから、もう大丈夫。怪我とかしてないよね?」
「う……うん、平気……」
セレナの顔がくしゃっと歪み、直後ものすごい勢いで俺の首に飛びついてきた。
「……怖かった……怖かったよ……」
すううっと耳元で息を吸う音がして、幼子のような号泣が迸る。いきなり胸にこみ上げてくるものがあったが、俺はそれを苦労して呑み下し、眼前で泣く女の子の背中を優しく叩き、囁いた。
「もう大丈夫だ。落ち着くまで、好きなだけ泣いていいんだよ」
その言葉がトリガーとなったのか、セレナはより一層嗚咽を漏らし、透明な雫が二つ、三つと肩の上に零れた。
彼女が泣き止むまでの間、俺は何も言わず、ただ静かに、彼女の背中を優しく撫で続けた。
殺意に満ちた罵りと同時に放たれた蛮刀が、無様に斬り殺す瞬間を、俺は待とうとした──のだが。
顔を上げ、今まさに振り下ろされつつある蛮刀を、横一閃に弾き返した。
「ぐるらっ……」
驚いたような声を上げ、わずかに体を泳がせた敵の腹に、立ち上がりざまのタックルを繰り出す。隊長は更によろけて、二、三歩後退する。
右手の剣をぴたりと相手の正中線に据え、大きく息を吸い、吐く動作を何度も繰り返す。呼吸を繰り返すたびに少しずつ肩の痛みは和らいでいき、肩の痛みを感じなくなったところで呼吸を平常時に戻す。
俺は肉体的な痛みに関してはまるで素人だ。恐怖に対する耐性も素人だ。だが、それを遥かに上回る絶対的苦痛を、今知った。
セレナを助けられなかった、大切な人を失う痛みに較べれば、こんな痛みなど屁でもない。彼女を失う痛みだけは、傷口が治っても記憶に残り続け、長い後悔と悔恨として、絶対に消えることはない。
もう我慢ならん、とばかりに、隊長は大音響の咆哮を轟かせた。周囲でキィキィ喚いていたゴブリンたちが一斉に押し黙る。
「クソ餓鬼がぁ……調子に乗るんじゃねぇッ!!」
猛然と突進してくる隊長の、蛮刀の切っ先だけに意識を集中した。
袈裟懸けに切り下ろされる蛮刀を、前に踏み込んで回避し、右下からの一刀で敵の右腕を付け根から斬り飛ばした。巨体な腕をつけたままの蛮刀は、ぶんぶん回転しながらゴブリンの輪に飛び込み、複数の悲鳴を生んだ。
両腕を失った隊長は、黄色い両眼に怒りと憎悪と、それを上回る驚きを浮かべ、よろよろと後ずさった。傷口から黒い液体が滝のように迸り、苔の上に血溜まりを作っていく。
「……こんな餓鬼に……人界の餓鬼如きに、俺様が負けるわけがっ……」
後ずさりながら逃げようとする姿を見ても、不思議と罪悪感や動揺なんてものはなかった。
あるのはただ一つ、勝利という実感だけだった。
剣についたどす黒い血を振り払い、一歩ずつ、ゆっくりと隊長に近づいて行く。隊長は先程の怒りが嘘のように消え、今度は恐怖に染まった顔で逃げるように後ずさって行く。
「く……来るな!! こっちに来るなー!!」
先程までの威勢が完全に無くなっており、醜い命乞いをしている。さっきと立場が逆転しており、俺がこいつの首を跳ねる立場になっている。
だが躊躇いなんてない。これは生命の奪い合い、剣を持った者同士の死闘なのだから。そして俺は、その戦いに勝ったんだ。
「お前を殺して、セレナと一緒に帰るんだ……みんなの元にな」
殺意に満ちた声でそう言い、両眼の瞼をゆっくりと下ろす。負傷した左腕を無理矢理動かし、両手で剣をしっかり握り直す。
次いで、小声で炎素魔術構文の詠唱を始める。一文字喋るごとに傷口から激しい痛みが絶え間なく全身を走るが、下唇を噛み意識を強引に保ち、詠唱を終えると、両手で持っていた剣に炎素が螺旋状に宿る。
草穂に光素を宿した要領で唱えたが見事に成功した。これならば、ゴブリン共を牽制出来るし、こいつを一撃で殺せる。
尻餅をつきながらも後方に必死に這い進む隊長は、恐怖で震えた唇から弱々しい声で言った。
「お前……創世神の力を……まさかお前、天界の騎士……」
「違う……」
無意識のうちにそんな言葉を迸らせ、俺は全力で突進した。炎素の宿る剣を左に大きく振りかぶり、剣の切っ先を一本の鞭のように鋭くしならせる。
「俺は……戦士だ!」
ぴうっ、と空気を裂く音が耳に届いたのは、隊長の巨大な首が高々と宙に舞った、その少し後だった。
ほぼ垂直に上昇し、次いでくるくる回転しながら落下してきた生首を、高く掲げた剣に突き刺す。そのまま炎素が燃え移り、隊長の頭は燃え盛っていき、鶏冠のように立てられていた飾り羽だけを残し燃え尽きた。
俺は炎素の宿る剣を掲げたまま、未だ状況を読み込めていないゴブリン共に叫んだ。
「お前たちの親玉の首は取った! 命が惜しかったら、今すぐここから消え失せろ!」
両目に最大限の殺意を込めながらゴブリン共を睨みつける。
隊長が死んだんだ。だからこのまま、大人しく逃げてくれ! と心の中で懇願する。
さっきは威勢のいいことを言ったが、正直言うと平然と立つフリをするのだけでも辛い。右目の痛みはいつのまにか治っているが、左肩の痛みが今になって再発し、意識が朦朧とする。暗がりのお陰で呼吸の乱れと顔色が周囲にバレてはいないが、このままゴブリン共が逃けずに仇討ちを考えれば、確実に負ける。
ゴブリンが隊長に忠実なことに願いながら剣を下ろすと、ゴブリンの集団の中から、不穏な動きをする奴が出てきた。
隊長が死んだことで相当に浮き足立ったようで、互いに顔を見合わせながらぎっぎっと忙しなく声を上げている。
そして、最も恐れていた事態に発展する。
前列にいた一匹が、肩に担いだ棍棒をゆらゆらさせながら進み出てきた。
「お前馬鹿か? 俺たちが隊長一人の死で怖気付くと思ったのか?」
細長い舌で舌舐めずりし、担いでいた棍棒を下げた。すると背後に立っていた数匹のゴブリンも歩み出し、横一列に並び立った。蛮刀を構えもしないまま、しゅうしゅうと擦過音の混ざる嗄れ声で言った。
「こいつは俺の獲物だぁ……」
「違う……俺様のだぁ……」
あまりに生々しい欲望の響きに、思わずじりっと下がる。
こいつらは、仲間が死んでも、隊長が死んでもどうでもいいんだ。自分の欲望を満たすことが出来ればなんでもいいんだ。
再びこみ上げてくる恐怖をどうにか押し退け、炎素の宿った剣を構え直す。だがそれだけの動きで気絶するほどの激痛が全身を巡り、苦痛で表情が歪んだ。
しかもそれは、運悪く奴らにも見えていたらしく、一匹のゴブリンがはやし立てるような高笑いをしだした。
「まじかよこいつ! 負傷して疲れ切ってんぜ!」
それを聞いた他のゴブリンは、黄色い目を欲望に染めながら、粘っこい唾液がぼたぼたと垂れた。
「ギヘッ、ならこいつを倒せば、俺が次の頭ってことか」
こんな連中でも頭という地位は欲しいのか、後ろにいたゴブリン達もすくっと立ち上がり、暗闇に黄色く欲望に塗れた瞳をこちらに向けてきた。
「こいつの首を取った奴が次の頭だー! 誰が取るか競争と行こうぜー!」
先頭に立つゴブリンが叫ぶと、後から不愉快な歓声がドーム一杯に溢れた。歓声が静まると、ゴブリン共は野望と欲望に染まった目を向けながら一斉に走り出した。
ここまでか……全てを諦め両眼を閉じた、次の瞬間──。
ズドオッ!! という轟音がドーム全体に響いた。
そして次に、隊長の首を切断した後に鳴ったのと同じ音が、耳に届いた。
閉じてた両眼を開くと、そこには頭部を失ったゴブリンが、痙攣を起こしながら横に倒れている姿があった。
「……一体、何が」
力なく呟く。後ろにいたゴブリンも動揺したようにざわついている。
すると今度は、後方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。いや、悲鳴だけじゃない。後方からは血飛沫が舞い、やや遅れて切断された上半身が真横に滑ってきた。
「うわッ!?」
この瞬間だけ痛みを忘れ、滑ってきた上半身が触れた左手を乱暴に上げる。斬られたゴブリンの顔は、苦痛で歪んでいる。
子供の頃に見たゾンビ映画の比ではないほどのグロさに吐き気を催しながら、後方で何が起きているのか確認するために、喉元までこみ上げていた吐き気を押し返し、視線を後方へ戻す。
後方では血飛沫が舞うたびにゴブリンの四肢が飛び散っている。
そこでようやく、近くにいたゴブリンが、茫然と立ち尽くすゴブリンに命令を出した。
「お、お前ら! 行くぞー!」
突撃命令を出すも、周りのゴブリン共は従わず、足を震わせながら立っているだけだった。
「お、おいお前ら! 早く行け!」
「む、無理だ! だってあいつは……あいつは……」
「天界の騎士なんだから!」
天界の騎士だと!?
再び痛みを忘れ急ぎ立ち上がると、既に後方のゴブリン達は無様に殺されており、皆肉塊になっていた。残っているのは、俺の前にいる五匹と、真っ赤に染まる大地に立つ、人影のみ。
「ひ、ひぃー!」
先程命令を出したゴブリンは怯えた声を上げると、他の四匹の後ろに身を隠した。
そんな情けない姿になど脇目をふらず、ゴブリンを一瞬で殲滅させた、天界の騎士に視線を向ける。
やや細めの体軀を保護するように、鏡のように磨き上げられた白銀の鎧は、村の衛士が装備している鎧と比べ物にならないほど美しい。一部の隙もなく全身に着込み、関節部分すら細かく編んだ銀鎖で覆っている。竜の頭部を模したかのような兜は、額の部分から前に一本、両脇から後ろへ二本の長い飾り角が伸び、がっちりと下された巨大な面頬が騎士の顔を隠す。
右手には、殺戮に使用したと思われる銀色の柄を持つ長剣が握られており、刀身はゴブリンの血で真っ赤に染まっている。背中には、最初のゴブリンを射殺したと思われる弓が架けられている。
これが、この人が、創世神の使いにして、人界最強の天界の騎士──。
「魔界の亜人よ。創世神様が愛する人界の民を下賤な魔界に拐い、尚且つ殺傷しようとした罪、貴様らの薄汚れた魂を持ってして償ってもらおう」
人間の喉から出たものとはにわかにしんじられない、異質な響きを持つ声だった。鋼の質量感を伴った余韻がドームの隅々にまで広がり、その場にいる者全員を沈黙させる。
そんな中、意外にも最初に動いたのはゴブリンだった。
「む、無理だ……天界の騎士じゃ勝ち目がねー」
「に、逃げろー!」
甲高い悲鳴が一斉に上がり、笑先にとドームの隅目掛けて走り出す。騎士がいるのとは真逆の別の出口に吸い込まれ、たちまちのうちに見えなくなった。反響する足音と喚き声が徐々に遠ざかり、消えると、ドーム内は先刻の熱気が嘘のような冷たい静寂に包まれた。
危機が去ったことに安堵すると、同時に戻ってきた左肩の痛みに耐えきれずその場に膝をつくと、ゴブリンを言葉だけで退けた騎士が、かすかに鎧を鳴らしながら歩み寄ってきた。
側まで近寄られると、その存在感に再度驚愕した。
同じ人間とは思えない気迫と覇気を感じる。それに、隊長とは言え一体倒すのにも傷だらけになり虫の息な俺に対し、二十体近く倒したにも関わらず、一切呼吸が乱れていない。重そうな装備をしているのに。
そんなことを考えながら、騎士の顔を見上げていると、騎士は不意に左手を伸ばし、負傷した傷口にかざすと、何か術式的な構文を小声で唱え出した。唱え終わると、左手に光素と酷似した光が宿り、傷口を包み込んだ。
その時俺は、自分の左肩に起きている違和感に気付いた。
傷口が全く痛くない。さっきまで激痛が絶え間なく全身を苛んでいたのに、全然痛くない。
寧ろ、暖かい。負傷した当初は血の気が引き冷たくなっていたのに、今は生命に満ち溢れてるかのように暖かい。
光が収まると、醜い傷口は跡を残さず綺麗に塞がっており、痛みなど嘘のように消えていた。
「傷は完全に治したから、もう大丈夫だ」
先程聞いた異質な響きではなく、爽やかな響きでそう言うと、騎士は兜の金具を外し、素顔を明らかにした。
草穂の灯りだけだというのに、ハッとさせられるほどの美貌だ。高く通った鼻筋と、少し野性味のある形の眉が絶妙なバランスを作り出し、切れ長の双眸が冴え冴えした光を放っている。
騎士の美貌に見惚れてしまい唖然とすると、にこりと微笑んでから言った。
「間に合って良かったよ。もう少し遅れてたら、大事な民を一人失うところだった」
思いもよらない言葉で完全に我に帰り、なんとか舌を動かして言った。
「助けて頂き、ありがとうございました」
深々と頭を下げながらお礼を言うと、騎士の鉄製の手甲が後頭部に当たり、そのまま左右に揺れ動いた。
「お礼なんていいさ。それより、目的を忘れてないかい?」
「目的……?」
顔を上げ騎士の顔を無言で眺めると、騎士は顔を横に逸らした。釣られて横に視線を向けると、ドームの隅に放置されたままの荷車が置いてあった。
「……セレナ!!」
ここに来た目的である彼女を思い出し、荷車に向かって全力で走り寄る。
荷台には、中身の不明な樽や木箱、雑多な武器類と一緒に、縛られ転がされたセレナの姿があった。手近な箱から粗悪なナイフを掴み出し、手早くロープを切る。
少し重い体を抱き上げ、広い床に横たえて素早く検分したが、目立つ外傷はない。呼吸もちゃんとしてるし、修道服も破れてる箇所はないから、酷いことはされてないようだ。
俺は許されるぎりぎりの力を込めて、名を呼びながら揺する。
「セレナ……セレナ。目を醒ましてくれ」
懇願するように呼びかけると、長い睫毛が震え、少しずつ、ゆっくりと瞼を上げていき、明るい茶色の瞳が見開かれた。離れた箇所に置かれた草穂の光素だけでは咄嗟に俺を認識できなかったようで、喉の奥から細い悲鳴が漏れた。
「やっ……いやぁぁっ……こっちにこないで……」
両手を振り回し、俺を押し退けようとするセレナの肩を掴み、敵意のないいつも通りの声で言う。
「落ち着いてセレナ。俺だ、カズヤだ」
俺の名を聞いた途端、セレナはぴたりと暴れるのを止めた。恐る恐る伸ばしてきた右手の指先で、そっと俺の頬に触れる。
「……カズヤ、君……カズヤ君なの……?」
「ああ。助けに来たんだ。ゴブリンは全部追い払ったから、もう大丈夫。怪我とかしてないよね?」
「う……うん、平気……」
セレナの顔がくしゃっと歪み、直後ものすごい勢いで俺の首に飛びついてきた。
「……怖かった……怖かったよ……」
すううっと耳元で息を吸う音がして、幼子のような号泣が迸る。いきなり胸にこみ上げてくるものがあったが、俺はそれを苦労して呑み下し、眼前で泣く女の子の背中を優しく叩き、囁いた。
「もう大丈夫だ。落ち着くまで、好きなだけ泣いていいんだよ」
その言葉がトリガーとなったのか、セレナはより一層嗚咽を漏らし、透明な雫が二つ、三つと肩の上に零れた。
彼女が泣き止むまでの間、俺は何も言わず、ただ静かに、彼女の背中を優しく撫で続けた。
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そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
異世界転移したら、神の力と無敵の天使軍団を授かったんだが。
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白羽明星は気付けば異世界転移しており、背に純白の六翼を生やした熾天使となっていた。
もともと現世に未練などなかった明星は、大喜びで異世界の大空を飛び回る。
すると遥か空の彼方、誰も到達できないほどの高度に存在する、巨大な空獣に守られた天空城にたどり着く。
主人不在らしきその城に入ると頭の中にダイレクトに声が流れてきた。
――霊子力パターン、熾天使《セラフ》と認識。天界の座マスター登録します。……ああ、お帰りなさいルシフェル様。お戻りをお待ち申し上げておりました――
風景が目まぐるしく移り変わる。
天空城に封じられていた七つの天国が解放されていく。
移り変わる景色こそは、
第一天 ヴィロン。
第二天 ラキア。
第三天 シャハクィム。
第四天 ゼブル。
第五天 マオン。
第六天 マコン。
それらはかつて天界を構成していた七つの天国を再現したものだ。
気付けば明星は、玉座に座っていた。
そこは天の最高位。
第七天 アラボト。
そして玉座の前には、明星に絶対の忠誠を誓う超常なる存在《七元徳の守護天使たち》が膝をついていたのだった。
――これは異世界で神なる権能と無敵の天使軍団を手にした明星が、調子に乗ったエセ強者を相手に無双したり、のんびりスローライフを満喫したりする物語。
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
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と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
荷物持ちの代名詞『カード収納スキル』を極めたら異世界最強の運び屋になりました
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※カクヨムで先行配信をしています。
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そして、チートに気付いて無事にこの世界を気ままに旅することとなる。楽しい旅にしなくちゃな