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第二部・一章 人界の真実
第四話
「本当に感謝するわ、カズヤくん」
致命傷を負ったザルザードを鎖で拘束していた時、不意にキクノが感謝の言葉を送ってきた。
「いえ……俺はただ、騎士さんが勝つために協力しただけです」
騎士に真正面から感謝される経験は過去に数回あったが、やはり女性から言われるとどうにも萎縮してしまう。
腹部の傷は、女性騎士が持参していた霊薬の作用によってある程度痛みが鎮静化しており、鎖で無理に止血する必要もなくなり、最初に比べかなり動けるようになった。
何故騎士が俺にそこまでの処置を施してくれるのか、到底理解出来ない。一時的な協力で情が湧いたのか、協力してくれた報酬として傷を治してくれたのか、この後殺し合う敵を万全の状態にするためか、憶測は次々と湧き出てくる。
数多くある憶測であるが、解ることは確実に存在する。この後、俺は協力関係を結んだ騎士と対峙するという現実だけは、どうしても避けようのない道だ。
元々そういう理由で協力したのだから仕方ないのだが、やはり俺は騎士とだけは戦いたくない。武器もないし、何より俺の方が騎士に情が湧いてしまっている。
そもそも、人界のために我が身を顧みずに戦う誇り高き騎士と戦うということ自体がおかしい選択なんだ。まず話し合いで説得を試みることから始めなかった自分を恨むほど、自分の取った選択を後悔している。
しかし、まだ希望が潰えたわけではない。もし今の共闘で騎士側にも僅かながら恩を感じているなら、話し合いに応じてもらえるよう交渉の余地があるかも知れない。
都合が良く自分勝手な願いではあるが、これが最善の選択であり互いのためでもある。なんとかして交渉のための材料を頭の中で整理しなければ……
。
色々な議論を脳内で繰り返していると、まさかの騎士から予想外な話を振られた。
「カズヤくん。一つ聞いていいかしら?」
「……なんでしょうか」
拘束する手を一度止め、顔を騎士の方へ向ける。月明かりに照らされた鎧が煌めき、凛々しくも可憐な顔は夜の闇の中でもはっきりとその美しさを主張している。
「あなたって、過去に私以外の騎士と会ってない?」
予想外な質問にしばらく沈黙してから、俺は慎重に答えを選んだ。
本来騎士と民の接触はあまり良く扱われていないと言われている。理由までは知らないが、騎士は常に血に汚れているために、民に恐怖を与えないためにも過度な接触を避けていると、勝手に決め付けていた。
というのに、俺は既に二人の騎士と出会っている。一人目は名前は知らないが、二度も会ったことのある騎士。もう一人は、コドールの村に暮らしていた、心優しいセレナ。そして三人目が、目の前にいるキクノ。
「……過去に二人。うち一人は二度会ってます」
「やっぱり……じゃああなたが、カムイさんの話していた……」
キクノの口から発せられた名称は知らないが、誰について話しているのかは察することができた。きっとカムイという騎士は、二回も俺を救ってくれた命の恩人に違いない。
これはもしやあり得るかもしれない。俺と騎士が戦わずに済む未来が。
「その反応……やっぱりあなたが、カムイさんが話してたカズヤくんで合ってそうね」
クスッと微笑みながら言われ、俺は無言で頷き肯定した。
「そう……あなたが、一年前に人界の民の中で唯一、亜人と戦ったっていう子ね」
「……ご存知なんですか」
「ええ。まだ若輩の身故に、カムイさんは私の師だからね。色々な話を聞かせてもらったわ」
「え……カムイさんが、あなたの師……?」
俺は呆然と繰り返した。
キクノは鷹揚と頷き、気障な台詞を続けた。
「召喚されたばかりの私に、我が師は人界のあらゆることを教授してくれたわ。特に、一年前に出会った不思議な少年について詳しくね」
「一年前に出会った……不思議な少年……?」
「カムイさんは話してたわ。亜人部隊隊長を一人で仕留め、アースリアを襲ったマガツヒを退治、暗黒騎士の破壊工作を一人で食い止めた少年がいると。それがまさか、禁書目録を違反した坊やだったなんて……カムイさんが知ったら悲しむでしょうね」
嘆くように言い放たれ、俺はそのカムイという騎士に申し訳ない気持ちが込み上げてきた。カムイさんから授かった焔天剣は、他者を守護するために渡したのであって、他者を殺害するために渡したのではない。だが俺は、焔天剣でユーグを殺害した。
あの人の期待を裏切ってしまった罪悪感に押し潰されそうになるのを懸命に堪えると、騎士が突然こちらに言葉を投げかけた。
「何故あなたは、罪を犯したの」
不意の質問に、俺は息を呑んだ。
「カムイさんに信頼されていたあなたに、私は密かに会いたいという気持ちがあった。このお方が認めるほどの民を、一度お目にかかりたいと思っていた。しかし実際は、罪を犯した罪人のあなたを見て、心底失望したわ」
純粋なる正義の念を両の瞳に爛々と燃やし、キクノは叫ぶ。
「何故あなたは、一人の民を殺めたの! 何故あのお方に信頼されていながら、最も禁忌とされている殺人などと言う罪を犯したの!」
彼女の糺問に投げ返すべき言葉は、残念ながら俺の中にはない。
「……俺は……」
人界の守護者たるキクノには届かない言葉だとしても、俺にはもうそれを精一杯に語るくらいしかできることはない。
「俺がユーグを殺めたのは、禁書目録が間違っているからだ。法に触れないように勝手な理屈で自らの行いを正当化させ、ユリみたいな、何の関係も罪もない女の子が、外道のいいように弄ばれるなんてことを許す法が……本当に正しい法とは思えない。だから俺は法に背き、自分の中にある大切なものを守るために、ユーグを殺めたんだ」
四日前、学園地下で眼にした光景──手足を縛り自由を奪われたユリの姿がフラッシュバックし、俺の全身が大きく震えた。塞がった傷口が疼くが、それをほとんど気にせずに、俺は叫んだ。
「あんたは……こんな法を本当に正しいと思ってるのか! 一人の女の子が死よりも恐ろしい恐怖を見逃すことが本当に正しい正義だって、胸を張って言えるのかよ!」
激した感情が、俺の目尻から一滴の雫となって落下し、石畳の上で散った。漆黒の鎧を纏った騎士は鋭く息を呑み、両眼を見開いた。
やがて、かすかにわななく唇から漏れた声は、先刻の苛烈さが多少なりとも抜け落ちているように思えた。
「……罪は罪。……法は、法よ。それを民が恣意によって判断するのを許せば、人界の秩序が守られるわけないじゃない……」
「その法を作ったあんたら騎士と創世神が本当に正しいか否かを、一体誰が決めるんだ。創世神自らが正しいと思ってるなら、どうして今すぐ神罰の雷が落ちてこないんだ!?」
「創世神様の御意思は、使いたる我らの行いによって、自ずと明らかになるからよ!」
「それを俺自身が証明するために、俺は罪を犯した! こんなふざけた法が間違ってると、創世神に言うために、俺は罪人にまで成り下がったんだよ!」
全てを言い切ると、大きく息を吸い、落ち着きながら続けた。
「……あなたからすれば、尊敬する人の想いを踏みにじった最低な人間かもしれません。多くの人からしても、俺は最早人ではなく殺人鬼と思われるかもしれない。それでも俺は、自分の取った行動に後悔なんてありません」
確固たる意志をキクノに言い放つ。長広舌を最後まで聞き終えたキクノは一瞬の沈黙ののち、弱々しい口調で言った。
「……あなたの主張は解った。あなたも、自分の中にある、曲げられない信念を貫き通したってことは、理解出来たわ……」
キクノは悔しそうに唇を噛んでから、歯切れ悪く言った。
「それでも……私は創世神様を……あのお方を信じる……カムイさんがあなたを信頼していても……そこだけは譲れない」
「……それで良いと思います。俺の価値観を、あなたに押し付けるつもりはありませんから」
絶対の忠誠を誓った創世神が制定した法を信仰する騎士にとって、やはり禁書目録は聖書に近いほど神々しい存在なのだろう。間違っていようと、法を根本から否定出来ないのは仕方のないことだ。
「それにしても……カムイさんの言う通りだわ」
突然の物言いに一瞬動揺しながら、無言で言葉を待った。
「騎士である私達以上に……強い意志を持っているって話…………対峙してみて解った……あなたが、私以上に強い…………意志を持った……戦士だった……」
キクノの口調が段々弱々しくなっていくことに、カズヤは遅かれ気付いた。目を凝らすと、暗闇で気付かなかったが、騎士の顔色が蒼白になっていた。
そして気付く。自分の足を浸すほどにまで溜まった、赤黒い液体に。
「えっ……?」
愕然とした声を漏らし、赤黒い液体が流れ出ている元を目線で辿る。辿り着いた先にいるのは、キクノただ一人。暗闇に慣れてきた眼を凝らし見ると、騎士の右脇腹から、今なお液体が流れ出ていた。
「キクノさん!?」
すぐに立ち上がり、死亡したザルザードを放置して駆け寄る。
間近で見ると、騎士の負傷は眼を背けたくなるほど酷いものだった。鎧を貫いた孔が脇腹に四箇所、遠くからでは見えなかったが、両脚に五箇所ずつ孔が空いており、鮮血を絶え間なく溢れさせている。瞼を閉じたままの顔は、生気の欠片すら見当たらないほど薄い青紫色に変じている。
騎士の傍らで膝を突くと、右脇腹の傷口に手を当てる。治癒術を唱えると、傷からの出血がいくらか減少したような気がしたが、完全な止血には全然遠い。
「なんで……なんでだよ!」
唇をきつく噛み締めながら、意識を失っている騎士に抗議した。
「そんな傷を負っていたのに、なんで俺に霊薬を渡したんだよ! 騎士のあんたがなんで、罪人である俺を助けたんだよ!」
先程の戦闘で負傷した箇所を治癒した霊薬は、騎士が持ち合わせていた、非常用の一本だと言っていた。それを何故、罪人である俺に使用したのか。俺よりも重症である自分に施さなかったのか、カズヤには理解することが出来なかった。
奥歯を強く噛み締めながら、俺は右手に宿った治癒術の光へ意識を集中させる。だがカズヤは解っている。
このまま治療を継続しても、やがて周囲の空間魔素が枯渇してしまい魔術が中断してしまう。例え豊潤な空間魔素があったとしても、彼女の死を先延ばしにするだけなことぐらい、本人が一番理解している。現状で彼女の命を救うのは、強力な治癒術を使える魔術者の助力か、伝説の霊薬でもなければ不可能だ。
──解ってる……だけど、諦めずに考えるんだ。何か方法があるはずだ……絶対にあるはずだ。
自らの無力感に絶望しながら、往生際悪く必死に現実から眼を背け考え続けた。
しかし、やはりどれほど考えようと、目の前で今まさに消え去ろうとしている命を呼び戻す手段がないことは明白だった。おそらく治癒術が停止すれば、その数秒後にはキクノの命は永遠に喪われるだろう。そして、魔術を続けても──同じ結果が数分後にやってくる。
いつしか俺は、両眼から涙を止め度もなく流していた。
──駄目だ……この人が死んで良い理由なんて……だってこの人は、ただ人界のために必死に戦ってただけなのに……それなのに、罪人である俺が生き残るなんて、そんなの駄目に決まってる……。
嗚咽を押し殺し、真上に振り仰ぎ叫んだ。
「誰か……誰でも良い! キクノさんを助けてくれ!!」
絶叫は、夜空にこだまし、空しく消えた。だが、カズヤは諦めることなく叫び続けた。
「カムイさんでも、セレナでも構わない! 頼むから、誰か助けに来てくれ! 必要なら俺の命も差し出すから、早く助けに来てくれ!」
心の叫びは、破壊された女神像がただ沈黙を返してよこした。何者かが現れる気配はおろか、微風のひとそよぎすら訪れることはなかった。
視線を戻すと、キクノの肌から徐々に色彩が抜け落ちつつあるのが確認できた。
俺はもう一度顔を上げ、なおも叫ぶのをやめなかった。
「なんでだよ! なんで誰も来てくれないんだよ! 仲間だろ! 同じ守護者なら、仲間も助けろよ! それが出来ないなら、騎士なんて名乗るなよ!」
八つ当たりに似た暴言を天に放ち、視線を噴水に佇む女神像に向ける。その瞬間。
カズヤの顔に愕然とした表情がまず浮かび、決意へと変わり、女神像に向けて叫んだ。
「創世神! あんたが愛した民を守るために戦い傷付いた騎士を助けろよ! 天界から召喚したあんたには、騎士の命を救う義務があるだろ! その義務を放置するぐらいなら、俺はお前を絶対に許さない!」
空いた左手で、近くに転がった瓶を摑み、女神像の顔面目掛けて乱暴に投擲する。瓶は大きな音を立て破裂したが、女神像からは何の返事もなかった。
突き付けられた現実に絶望しながらも、俺は女神像に頭を下げ、掠れた声で必死に懇願した。
「……お願いします、創世神様……キクノさんを、助けて下さい…………お願いします…………」
両眼から大粒の涙を漆黒の鎧の上に散らせながら願う。
途端、前方の女神像が眩く発光した。
瞬間、顔を上げる。視界に入ったのは、女神像ではなく、簡素な扉だった。
何が起きているのか一切把握出来ない中、簡素な扉の中から、澄んだ声が流れた。
『その扉を開けなさい』
簡潔な一言であったが、カズヤは直感で全てを理解し、尋ねた。
「創世神……ですか」
恐る恐る尋ねるも、扉から返事は返ってこなかった。変わりに、ノブが回され、大きく開け放たれた。扉の向こうは白一色の世界になっているが、ただならぬ気配を漂わせているのが感じ取れる。
俺は扉の導きに従い、キクノの体を無理矢理抱き上げながら、扉の中に飛び込んだ。
致命傷を負ったザルザードを鎖で拘束していた時、不意にキクノが感謝の言葉を送ってきた。
「いえ……俺はただ、騎士さんが勝つために協力しただけです」
騎士に真正面から感謝される経験は過去に数回あったが、やはり女性から言われるとどうにも萎縮してしまう。
腹部の傷は、女性騎士が持参していた霊薬の作用によってある程度痛みが鎮静化しており、鎖で無理に止血する必要もなくなり、最初に比べかなり動けるようになった。
何故騎士が俺にそこまでの処置を施してくれるのか、到底理解出来ない。一時的な協力で情が湧いたのか、協力してくれた報酬として傷を治してくれたのか、この後殺し合う敵を万全の状態にするためか、憶測は次々と湧き出てくる。
数多くある憶測であるが、解ることは確実に存在する。この後、俺は協力関係を結んだ騎士と対峙するという現実だけは、どうしても避けようのない道だ。
元々そういう理由で協力したのだから仕方ないのだが、やはり俺は騎士とだけは戦いたくない。武器もないし、何より俺の方が騎士に情が湧いてしまっている。
そもそも、人界のために我が身を顧みずに戦う誇り高き騎士と戦うということ自体がおかしい選択なんだ。まず話し合いで説得を試みることから始めなかった自分を恨むほど、自分の取った選択を後悔している。
しかし、まだ希望が潰えたわけではない。もし今の共闘で騎士側にも僅かながら恩を感じているなら、話し合いに応じてもらえるよう交渉の余地があるかも知れない。
都合が良く自分勝手な願いではあるが、これが最善の選択であり互いのためでもある。なんとかして交渉のための材料を頭の中で整理しなければ……
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色々な議論を脳内で繰り返していると、まさかの騎士から予想外な話を振られた。
「カズヤくん。一つ聞いていいかしら?」
「……なんでしょうか」
拘束する手を一度止め、顔を騎士の方へ向ける。月明かりに照らされた鎧が煌めき、凛々しくも可憐な顔は夜の闇の中でもはっきりとその美しさを主張している。
「あなたって、過去に私以外の騎士と会ってない?」
予想外な質問にしばらく沈黙してから、俺は慎重に答えを選んだ。
本来騎士と民の接触はあまり良く扱われていないと言われている。理由までは知らないが、騎士は常に血に汚れているために、民に恐怖を与えないためにも過度な接触を避けていると、勝手に決め付けていた。
というのに、俺は既に二人の騎士と出会っている。一人目は名前は知らないが、二度も会ったことのある騎士。もう一人は、コドールの村に暮らしていた、心優しいセレナ。そして三人目が、目の前にいるキクノ。
「……過去に二人。うち一人は二度会ってます」
「やっぱり……じゃああなたが、カムイさんの話していた……」
キクノの口から発せられた名称は知らないが、誰について話しているのかは察することができた。きっとカムイという騎士は、二回も俺を救ってくれた命の恩人に違いない。
これはもしやあり得るかもしれない。俺と騎士が戦わずに済む未来が。
「その反応……やっぱりあなたが、カムイさんが話してたカズヤくんで合ってそうね」
クスッと微笑みながら言われ、俺は無言で頷き肯定した。
「そう……あなたが、一年前に人界の民の中で唯一、亜人と戦ったっていう子ね」
「……ご存知なんですか」
「ええ。まだ若輩の身故に、カムイさんは私の師だからね。色々な話を聞かせてもらったわ」
「え……カムイさんが、あなたの師……?」
俺は呆然と繰り返した。
キクノは鷹揚と頷き、気障な台詞を続けた。
「召喚されたばかりの私に、我が師は人界のあらゆることを教授してくれたわ。特に、一年前に出会った不思議な少年について詳しくね」
「一年前に出会った……不思議な少年……?」
「カムイさんは話してたわ。亜人部隊隊長を一人で仕留め、アースリアを襲ったマガツヒを退治、暗黒騎士の破壊工作を一人で食い止めた少年がいると。それがまさか、禁書目録を違反した坊やだったなんて……カムイさんが知ったら悲しむでしょうね」
嘆くように言い放たれ、俺はそのカムイという騎士に申し訳ない気持ちが込み上げてきた。カムイさんから授かった焔天剣は、他者を守護するために渡したのであって、他者を殺害するために渡したのではない。だが俺は、焔天剣でユーグを殺害した。
あの人の期待を裏切ってしまった罪悪感に押し潰されそうになるのを懸命に堪えると、騎士が突然こちらに言葉を投げかけた。
「何故あなたは、罪を犯したの」
不意の質問に、俺は息を呑んだ。
「カムイさんに信頼されていたあなたに、私は密かに会いたいという気持ちがあった。このお方が認めるほどの民を、一度お目にかかりたいと思っていた。しかし実際は、罪を犯した罪人のあなたを見て、心底失望したわ」
純粋なる正義の念を両の瞳に爛々と燃やし、キクノは叫ぶ。
「何故あなたは、一人の民を殺めたの! 何故あのお方に信頼されていながら、最も禁忌とされている殺人などと言う罪を犯したの!」
彼女の糺問に投げ返すべき言葉は、残念ながら俺の中にはない。
「……俺は……」
人界の守護者たるキクノには届かない言葉だとしても、俺にはもうそれを精一杯に語るくらいしかできることはない。
「俺がユーグを殺めたのは、禁書目録が間違っているからだ。法に触れないように勝手な理屈で自らの行いを正当化させ、ユリみたいな、何の関係も罪もない女の子が、外道のいいように弄ばれるなんてことを許す法が……本当に正しい法とは思えない。だから俺は法に背き、自分の中にある大切なものを守るために、ユーグを殺めたんだ」
四日前、学園地下で眼にした光景──手足を縛り自由を奪われたユリの姿がフラッシュバックし、俺の全身が大きく震えた。塞がった傷口が疼くが、それをほとんど気にせずに、俺は叫んだ。
「あんたは……こんな法を本当に正しいと思ってるのか! 一人の女の子が死よりも恐ろしい恐怖を見逃すことが本当に正しい正義だって、胸を張って言えるのかよ!」
激した感情が、俺の目尻から一滴の雫となって落下し、石畳の上で散った。漆黒の鎧を纏った騎士は鋭く息を呑み、両眼を見開いた。
やがて、かすかにわななく唇から漏れた声は、先刻の苛烈さが多少なりとも抜け落ちているように思えた。
「……罪は罪。……法は、法よ。それを民が恣意によって判断するのを許せば、人界の秩序が守られるわけないじゃない……」
「その法を作ったあんたら騎士と創世神が本当に正しいか否かを、一体誰が決めるんだ。創世神自らが正しいと思ってるなら、どうして今すぐ神罰の雷が落ちてこないんだ!?」
「創世神様の御意思は、使いたる我らの行いによって、自ずと明らかになるからよ!」
「それを俺自身が証明するために、俺は罪を犯した! こんなふざけた法が間違ってると、創世神に言うために、俺は罪人にまで成り下がったんだよ!」
全てを言い切ると、大きく息を吸い、落ち着きながら続けた。
「……あなたからすれば、尊敬する人の想いを踏みにじった最低な人間かもしれません。多くの人からしても、俺は最早人ではなく殺人鬼と思われるかもしれない。それでも俺は、自分の取った行動に後悔なんてありません」
確固たる意志をキクノに言い放つ。長広舌を最後まで聞き終えたキクノは一瞬の沈黙ののち、弱々しい口調で言った。
「……あなたの主張は解った。あなたも、自分の中にある、曲げられない信念を貫き通したってことは、理解出来たわ……」
キクノは悔しそうに唇を噛んでから、歯切れ悪く言った。
「それでも……私は創世神様を……あのお方を信じる……カムイさんがあなたを信頼していても……そこだけは譲れない」
「……それで良いと思います。俺の価値観を、あなたに押し付けるつもりはありませんから」
絶対の忠誠を誓った創世神が制定した法を信仰する騎士にとって、やはり禁書目録は聖書に近いほど神々しい存在なのだろう。間違っていようと、法を根本から否定出来ないのは仕方のないことだ。
「それにしても……カムイさんの言う通りだわ」
突然の物言いに一瞬動揺しながら、無言で言葉を待った。
「騎士である私達以上に……強い意志を持っているって話…………対峙してみて解った……あなたが、私以上に強い…………意志を持った……戦士だった……」
キクノの口調が段々弱々しくなっていくことに、カズヤは遅かれ気付いた。目を凝らすと、暗闇で気付かなかったが、騎士の顔色が蒼白になっていた。
そして気付く。自分の足を浸すほどにまで溜まった、赤黒い液体に。
「えっ……?」
愕然とした声を漏らし、赤黒い液体が流れ出ている元を目線で辿る。辿り着いた先にいるのは、キクノただ一人。暗闇に慣れてきた眼を凝らし見ると、騎士の右脇腹から、今なお液体が流れ出ていた。
「キクノさん!?」
すぐに立ち上がり、死亡したザルザードを放置して駆け寄る。
間近で見ると、騎士の負傷は眼を背けたくなるほど酷いものだった。鎧を貫いた孔が脇腹に四箇所、遠くからでは見えなかったが、両脚に五箇所ずつ孔が空いており、鮮血を絶え間なく溢れさせている。瞼を閉じたままの顔は、生気の欠片すら見当たらないほど薄い青紫色に変じている。
騎士の傍らで膝を突くと、右脇腹の傷口に手を当てる。治癒術を唱えると、傷からの出血がいくらか減少したような気がしたが、完全な止血には全然遠い。
「なんで……なんでだよ!」
唇をきつく噛み締めながら、意識を失っている騎士に抗議した。
「そんな傷を負っていたのに、なんで俺に霊薬を渡したんだよ! 騎士のあんたがなんで、罪人である俺を助けたんだよ!」
先程の戦闘で負傷した箇所を治癒した霊薬は、騎士が持ち合わせていた、非常用の一本だと言っていた。それを何故、罪人である俺に使用したのか。俺よりも重症である自分に施さなかったのか、カズヤには理解することが出来なかった。
奥歯を強く噛み締めながら、俺は右手に宿った治癒術の光へ意識を集中させる。だがカズヤは解っている。
このまま治療を継続しても、やがて周囲の空間魔素が枯渇してしまい魔術が中断してしまう。例え豊潤な空間魔素があったとしても、彼女の死を先延ばしにするだけなことぐらい、本人が一番理解している。現状で彼女の命を救うのは、強力な治癒術を使える魔術者の助力か、伝説の霊薬でもなければ不可能だ。
──解ってる……だけど、諦めずに考えるんだ。何か方法があるはずだ……絶対にあるはずだ。
自らの無力感に絶望しながら、往生際悪く必死に現実から眼を背け考え続けた。
しかし、やはりどれほど考えようと、目の前で今まさに消え去ろうとしている命を呼び戻す手段がないことは明白だった。おそらく治癒術が停止すれば、その数秒後にはキクノの命は永遠に喪われるだろう。そして、魔術を続けても──同じ結果が数分後にやってくる。
いつしか俺は、両眼から涙を止め度もなく流していた。
──駄目だ……この人が死んで良い理由なんて……だってこの人は、ただ人界のために必死に戦ってただけなのに……それなのに、罪人である俺が生き残るなんて、そんなの駄目に決まってる……。
嗚咽を押し殺し、真上に振り仰ぎ叫んだ。
「誰か……誰でも良い! キクノさんを助けてくれ!!」
絶叫は、夜空にこだまし、空しく消えた。だが、カズヤは諦めることなく叫び続けた。
「カムイさんでも、セレナでも構わない! 頼むから、誰か助けに来てくれ! 必要なら俺の命も差し出すから、早く助けに来てくれ!」
心の叫びは、破壊された女神像がただ沈黙を返してよこした。何者かが現れる気配はおろか、微風のひとそよぎすら訪れることはなかった。
視線を戻すと、キクノの肌から徐々に色彩が抜け落ちつつあるのが確認できた。
俺はもう一度顔を上げ、なおも叫ぶのをやめなかった。
「なんでだよ! なんで誰も来てくれないんだよ! 仲間だろ! 同じ守護者なら、仲間も助けろよ! それが出来ないなら、騎士なんて名乗るなよ!」
八つ当たりに似た暴言を天に放ち、視線を噴水に佇む女神像に向ける。その瞬間。
カズヤの顔に愕然とした表情がまず浮かび、決意へと変わり、女神像に向けて叫んだ。
「創世神! あんたが愛した民を守るために戦い傷付いた騎士を助けろよ! 天界から召喚したあんたには、騎士の命を救う義務があるだろ! その義務を放置するぐらいなら、俺はお前を絶対に許さない!」
空いた左手で、近くに転がった瓶を摑み、女神像の顔面目掛けて乱暴に投擲する。瓶は大きな音を立て破裂したが、女神像からは何の返事もなかった。
突き付けられた現実に絶望しながらも、俺は女神像に頭を下げ、掠れた声で必死に懇願した。
「……お願いします、創世神様……キクノさんを、助けて下さい…………お願いします…………」
両眼から大粒の涙を漆黒の鎧の上に散らせながら願う。
途端、前方の女神像が眩く発光した。
瞬間、顔を上げる。視界に入ったのは、女神像ではなく、簡素な扉だった。
何が起きているのか一切把握出来ない中、簡素な扉の中から、澄んだ声が流れた。
『その扉を開けなさい』
簡潔な一言であったが、カズヤは直感で全てを理解し、尋ねた。
「創世神……ですか」
恐る恐る尋ねるも、扉から返事は返ってこなかった。変わりに、ノブが回され、大きく開け放たれた。扉の向こうは白一色の世界になっているが、ただならぬ気配を漂わせているのが感じ取れる。
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驚きあり感動ありニヤニヤありの物語、是非一読ください。
※カクヨムで先行配信をしています。
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