異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第一部・四章 最悪なる刺客

第三十話

「……ズヤ、カズヤ」
 深く沈み込んだ意識の中で、自分を呼ぶ声が聞こえた……気がする。
「どうしよう……強く殴りすぎたかも」
「まずいですね……このまま目を覚まさないかも」
 徐々に浮上する意識の中、何やら話し合ってる声が、今度は鮮明で確実に聞こえた。
 だが声の主を判断するまでには至っておらず、もう少しだけ意識回復に専念しようとした寸前──。
 覚醒一歩手前の意識を、一気に目覚めさせる声が、右側から聞こえた。

「大丈夫ですよ。カズヤはきっと目を覚まします。だって、この街を守るために戦った戦士なんですから」

 聞いたことのある声だ……でも、誰だったけな……
 最近聞いた声だというのに、どうしても思い出すことができない。俺は声の主を確認するために、光をゆっくりと射し込ませるように、両まぶたを開けた。
 最初に目に入ったのは、オンボロ生地にぶら下がった、光素の宿されたガラス玉だった。
 寝起きに負担にならない程度の明るさを数秒間見詰め、少しずつ意識を目覚めさせる。
 三十秒という短いようで長い時間を要いて完璧に回復すると、身体機能が正常か確認するために、上体をゆっくりと起こす。
 微かに痛む腹部を左手で抑えながら上体を起こし、次に自分の現状確認のために、周囲を二、三度見回す。
 今、野営用天幕に躾けられた簡易ベッドの上で眠っているのだと判断する。そして、俺を取り囲むように、騎士とワタルが立っており、右側には折り畳み椅子に腰掛け、右手を握っているサヤがいた。
「おはよう、カズヤ君」
 騎士がにやけながら呟くと、サヤは張り詰めていた息を一気に解放したようなため息混じりに呟いた。
「良かった~。全然起きないから心配したわよ」
 彼女の発言を聞いた瞬間、腹部を痛めた原因が何故かつられて掘り返された。
「サヤ……何故俺を殴ったんだ」
 呆れ半分、理解半分で尋ねると、とても申し訳ないかのように謝罪してきた。
「ごめんなさい。力加減に失敗しちゃって……なんて言い訳して許しを求めるのは卑怯よね。だから、一回言い訳なしに謝るわ。本当に、ごめんなさい」
 深々と頭を下げながら謝罪されると、事情を理解してる立場からすると凄く申し訳ない気持ちになる。
 なんだか、無理矢理謝らせてる気分になる。
「別に怒ってないよ。俺のことを思っての行動なんだからさ」
 出来る限りの微笑みで言うと、驚いたような顔を上げ、両眼を丸めながら「マジ?」と尋ねた。
 彼女の問いに肯定の頷きで答えると、事情を知らない騎士とワタルが説明を求めるように、交互に目線を向けてきた。
 目線の意図に気付くと、わけもなく咳払いしてから話した。
「サヤは、疲れ果てた俺を救い出すために、敢えて気絶させたんです」
 大雑把すぎる説明にも関わらず、百戦錬磨の騎士とワタルは、今の説明で全てを悟り、納得したように頷いて見せた。
 身体的負傷が完璧に治っていないにも関わらず、身勝手な大人達の苦情を真正面から受け止めれば、精神にも悪影響を被る可能性がある。
 大事な入学試験前に余計な負担を掛けまいと判断したサヤは、怒号の嵐から俺を救援するために意識を絶った。
 その甲斐あって、目覚めた時に負った精神的負荷は最低限に留まっている。身体的負荷も大分和らいでおり、サヤに殴られた腹部以外からは、然程痛みを感じない。
「本当、お前は気が利いて助かるよ」
 立ち尽くすカスミにそう伝えると、頬を赤らめながら明後日の方を向き、「別に」とだけ告げてきた。
 照れているのか喜んでいるのかは定かではないが、不快じゃないのだけは分かる。後ろの尻尾が左右に激しく揺れ動いているのだから。
 相変わらず、感情の隠し方は下手くそだな……。ま、そこが可愛いくて好きなんだけどな。
 微笑みながら考えると、騎士が口を開いた。
「どうやら僕が不在の間は、サヤ君とワタル君が指示を出してたらしいんだ」
「え、そうなんですか?」
 騎士に尋ねると、今度はワタルが答えた。
「本当だよ。サヤさん、住人を鼓舞しながら、適切で効率的な指示を沢山出してたんだよ」
 そうだったのか。瓦礫の再利用や修復出来る建物から優先的にするよう指示を出していたのは、彼女だったのか。
 だが、そう言われれば納得がいく。
 よく考えば、長年森の中で一人暮らしをしていた獣人なんだ。建築に関する知識だって勝手に身につくし、技術もある。
 効率的に作業出来るのは、料理過程を見れば嫌と言うほど思い知らされる。男勝りな性格故に、誰よりも率先して行動出来るし、改めて考えると、彼女以外の適任者はいないかもしれない。
「配膳されてる料理の調理も手伝っていたり、一人で凄い頑張ってたんだよ」
 本気かよ……指示を出し自らも労働するに飽き足らず、全員のために料理を作っていたなんて。
 離れの地で報告書作成の情報提供と突発的なお茶会をしていた自分が情けなく惨めに思えてきた。
 自分達が紅茶とケーキを口に運んでる間、サヤは木材などを街のあちこちに運んでいて、他愛のない話をしてる最中、彼女は街に指示を出していた。
 計り知れない罪悪感がこみ上げてくると同時に、一つの懸念を抱いた。
「何言ってんのよワタル。負傷した衛士さんに施した治癒術は見事だったし、学園からの物資の手配や人材の派遣とかが優秀だったから、これだけ作業が進んだんでしょ」
 愛想良く笑いながら言うサヤを見ながら、カズヤはふと思った。
 ──いつ仲良くなったんだ? 二人は。
 知らぬ間に、サヤとワタルが仲良くなっているのが、唯一の気がかりだった。
 アースリアで知り合ったワタルと、一緒に中都を目指すサヤ。微笑ましくも仲睦まじい二人を眺めながら、ふと疑問に思った。
「さて、じゃあサヤ君。明日のことで少し話したいから、場所を移そうか」
「明日のこと? なんですかそれ」
 不意に尋ねると、騎士は微妙な笑みを刻み答えた。
「実は、僕は明日中都に戻るんだ」
 衝撃の事実を軽々しく口にされたが、あまり驚かなかった。事情は大体分かるから。
「だから、今日のことを踏まえて彼女には引き続き指揮を頼もうかと思ってね」
 騎士の判断は正しい。サヤは俺と騎士以上の働きを一日でやって退けたのだから。
「じゃあカズヤ。私行くけど、絶対安静だから。ベッドから出たら駄目だからね。絶対よ」
 注意深く念押ししながら天幕を出ると、屋内は静寂に包まれた。
「……それで、ワタルは何故ここに?」
 静寂を破る一言は屋内に響いた。返答は、響き終えてから数秒経ったあとだった。
「カズヤの介護を、サヤさんに頼まれたんだ」
「……そうですか。大体予想は出来ましたけど」
 素っ気なく言い捨てながらも、カズヤの胸中は穏やかではなかった。
 ──何か話した方がいいかな。でも何の話をすれば。
 必死に頭を捻りながらそんなことを考えていると、不意に
「二人になれたんだ。ちょうどいいかもな……」
 という声が、前から聞こえた。顔を上げると、ワタルがこちらに真剣な眼差しを向けながら、黙って見つめていた。
「カズヤ。君に、話さなければいけないことがあるんだ」
 唐突な発言に僅かながら反応できず、しばらく呆けてしまう。
「俺に話さなきゃいけないこと……それは一体」
「……まず最初に、僕の質問に答えてくれるか?」
 椅子に座り足を組んだワタルは、なおも表情を変えずに告げてくる。あまりの威圧感に首を縦に振る他なく、彼の言葉を待ち続ける。
「君は暗黒騎士と戦ったらしいけど、なんでだい?」
「お前、その話どこで……」
「騎士さんから聞いたんだ。いいから、質問に答えてくれ」
 食い気味な反応に押されながら、俺はゆっくりと答えた。
「……許せなかったから」
「許せない……?」
 俺の答えが不満だったのか、首を傾げながら言った。
「昨日まで平和だった街をこんなにしたあいつが、許せなかったんだ。だから、戦った」
「でも君が戦う必要はなかった。それなのになんで、そんな傷ついてまで戦ったの。誰にも感謝されるわけでもないのに」
 彼の言葉は正しい。事実、さっき街の人に散々な目に合わされている。暗黒騎士だって騎士のお陰で退けたようなもので、俺の頑張りなど無意味に等しいだろう。
 それでも俺は、自信を持って言える。
「あの場所に、俺しか戦える人がいなかったからだ」
「……じゃあ、君以外に戦える人がいたら、君は戦わなかったんだね」
「いや、戦ってると思う」
 即座の反応に、僅かながら眉を歪めたワタルは、自嘲気味に言った。
「おかしいじゃないか。君はさっき、自分以外戦える人がいないから戦ったと言っていたじゃないか。それなのに、他に戦える人がいても一緒に戦うなんて、矛盾している」
「そんなもんなんだよ。戦う理由なんて」
「は?」
「誰も好んで戦いたいわけがない。だけど、絶対に戦わなきゃいけない時はある。そんな時、自分にあれこれ理由でもつけなきゃ、本気で戦えないだろ?」
 屁理屈に似た理由を公言すると、呆れて何も言い返せないのか黙ってしまった。
「俺はあいつが許せなかった。だから戦った。それだけだ」
「でも、誰にも感謝されてないじゃないか。そんなに傷ついているのに、みんなは君じゃなく騎士さんの方を……!」
 早口で物申すワタルを左手で制し、俺はかぶりを振った。
「誰かに感謝されたいからとか、認めてほしいから戦うんじゃない。誰かの力になりたい、助けたいから戦ったんだ。もしあの戦いで救えた命があるなら、俺はそれだけで充分なんだよ」
 笑みをこぼしながら諭すと、信じられないと言わんばかりに驚愕した表情を浮かべている。
 感謝されたいとは少なからず思ってる。褒めてほしいし、認めてもらいたいとも。
 でもそれ以上に俺は、困ってる人を助けたい、守りたい思いの方が強いだけなんだ。セレナを助けたい思い、サランの街に住む人を助けたい、暗黒騎士からみんなを守りたい。俺にとっては、それらの思いの方が最も優先されているんだ。
 きっとこの思いこそが、俺の意志なんだろう。だからあの時、暗黒騎士に放った高位魔術の質が良かったんだろう。
「……君は本当に、変わってるね」
「よく言われるよ。自分では普通だと思うんだけどな」
「変わってるよ。いい意味でね」
 気遣うような訂正に微笑みかけると、ワタルは突然哀愁漂う表情を浮かばせ、哀しげに呟いた。
「僕と違って……ちゃんとした意思があって」
 その意味深な呟きを、俺は聞き逃さなかった。
「お前と違うって、どうゆうわけだ」
「……君と違って、僕には明確な意志がないんだよ」
 彼の発言は、これまで聞いたどの言葉よりも遥かに重く、哀しみに満ちていたものだった。
「自分でも分からないんだ。僕は本当は何をしたいのか、何を目標に頑張ればいいのかが……」
「ワタル……」
「僕には君のように、譲れない意思がないんだ。だから僕はあの日、君に決闘を挑んだ。強い意思を持つ人と戦えば、何かが見つかると思って」
 あの決闘には、そんな理由があったのか。そうとも知れず俺は、自分のことしか考えずに戦っていたなんて。
「それで、それから何か見つかったのか……?」
 恐る恐る尋ねると、彼はゆっくりと顔を横に振った。
「みんなが羨ましいよ。夢や目標があって。でも僕にはそれがない」
「…………」
「下らないだろ。こんな、人が絶対に持ってるようなことで悩んでるような僕のこと、笑ってくれても構わないよ。笑われて当然なんだか──」
「笑わないよ」
 彼の自虐めいた台詞を遮るように、食い気味に放った言葉は、天幕内に響いた。
 予想外の反応に動揺したのか、いつしか俯いていたワタルが顔を上げ、少しだけ両眼を見開いている。
「目標や夢が最初からある奴の方が少ないんだ。むしろ、今のお前は普通だよ」
「今が……普通だって?」
「第一、夢なんて無理に見つけるものじゃない。色んなことを経験していく内に、気付いたら自分の中に曲げられない、一本の芯が出来上がってるものなんだよ。その芯ってのが、夢であり目標だ」
 身を前に乗り出し、ワタルの肩を掴む。
「焦らなくても大丈夫。人生は長いんだ。学園で過ごしていく内に、夢なんて沢山出てくるから安心しろ」
「……カズヤ」
「だけど、自分が責めるようなことは二度と言うな。お前はお前であり、でもそれがお前なんだ。まずは自分を信じることが、自分が自分であることなんだと、俺は思うぞ」
 諭すような説得を言い終えると、ワタルの両眼から涙が流れていた。彼はそれを抑えようとせず、ゆっくりと言った。
「嬉しいな……今まで、そんなこと言われたことなかったよ……」
 その一言で、彼が今までどういった生活を送っていたのか察することが出来る。
 だが──それを言うのは野暮だ。彼は長い間一人で悩み続け、その苦しみからようやく解放されたんだ。
 友達として、今は何もしない。一人で気が済むまで泣き続ければいい。我慢し続けてきたものを、一気に吐き出しても構わない。
 俺はただ静かに、見守るだけだ。友達が苦しみから解放した、その瞬間を……。

 落ち着きを取り戻すと、泣いていたのが嘘のようにいつも通りの顔立ちに戻り、少々唖然とする。
「ごめん。情けないところを見せてしまったね」
 わざとらしい咳払いを一度し、明後日の方向を見ながら照れ隠そうに言った。自分の弱い所を必死に誤魔化そうとしてるのが微笑ましく思えてしまい、つい微笑んでしまった。
「それでワタル。もう一つの用事はなんなんだ?」
 先程の発言──本題を急かすと、本人も忘れていたのか一瞬きょとんとしてから、慌てて口を開いた。
「そうだった。君に伝えなきゃいけないことがあるのをすっかり忘れてたよ」
 お前何しにきたんだよ。本気でそう言おうかと思ったが、先ほどまでの涙を見てしまった以上とても言いにくい。
「カズヤは、うちの学園が行ってる交換制度を知ってる?」
「交換制度? 何だそれ」
「やっぱり……講師の話を聞いてなかった」
 呆れたため息と同時に吐かれた台詞に少しだけムッとなる。とはいえ、講師の話は二割──今日の予定ぐらいしか聞いてない。故に彼に怒る理由はないのが事実だ。
「うちの学園が、中都の魔術剣修道学園との姉妹学園だって知ってるよね?」
 姉妹学園? ああ、姉妹校の言い換えか。そっか、この世界ではそう言うのか。
「それぐらいは知ってるよ」
「うちの学園は年に一度、本学園の生徒と中都の学園の生徒を入れ換えるんだ。うちからは成績優秀者が、向こうは成績が低い者が交換されるんだ」
 なんて酷い制度だ。ようは優秀な生徒と不出来な生徒を問答無用で交換するってことじゃないか。こちら側からすれば嬉しいだろうけど、向こうさんの生徒はお払い箱として選ばれたんだから、決して嬉しくはないだろう。
 そしてこの話を聞いていれば、彼が次に何を言うのか大体見当はつく。
「それで今年は、その制度に僕が選ばれたんだ」
「良かったじゃん」
 予想通りのせいか、あまり驚かずに普通の反応をしてしまった。
「それで僕も、次の中都行きの便に乗って中都に向かうんだ。で その前に、カズヤとサヤさんにお別れをいいたくてね」
 お別れだと。何を言っているんだ。
 俺たちも中都に向かうのに、何故お別れを言う必要がある。もしかしてこいつ、俺たちが中都に行くことを知らないのか。よくよく思い返せば、ワタルに何も教えてなかった。
「ワタル。悪いけど、お別れを言う必要はない」
「……? どうして」
「だって、俺たちも入学するからだよ。魔術剣修道学園に」
「──は?」
「この通り、推薦状もあるぞ」 
 そう言うと俺は、ポケットから推薦状を出し、彼の目の前で広げた。ワタルは俺から奪い取ると、何度も凝視した後に、恥ずかしさから顔を真っ赤に染めていった。
 そのまま彼は何と言わず天幕から出て行き、テント内は久方ぶりに静寂になった。

 翌日──。

 騎士が中都に戻るのを見届けたあと、俺たちは復旧作業に取り掛かった。とはいえ、満身創痍の俺には単純作業しか手伝うことしか出来なかった。それでも、何もしないよりかはマシだから構わないが。
 サヤは相変わらず的確な指示を飛ばしており、ワタルも昨日のことなどなかったように黙々と作業に取り掛かっていた。学園の生徒も総動員で動いており、意外にもジュウオンジが一番働いていた。
 みんな、いつまでも過去に囚われずに今を見て動いていた。

 ただ一人……俺を除いて。

 俺だけはどうしても、過去を引きずり続けている。
 マガツヒを倒せたのも、単に運が良かっただけ。暗黒騎士との戦闘だってそうだ。最初の一撃を防げたのも、生き残れたのも偶然。実力なんかじゃなく、運が良かっただけ。
 騎士さんは気にするなと言っていたにも関わらず俺は、未だ奴の存在を忘れることが出来ない。あの、人の奥底に眠る恐怖を無理矢理引きずり出すような殺意が、どうしても消えずにいる。
 昨晩だって、恐怖が消えなかったがために一睡も出来なかった。
 殺される恐怖。その感情は簡単に消えることもなく、今なお俺を苦しめている。みんなの前では平静装っていたが、本心は恐怖で震えていた。騎士がここを去ってから、その震えは更に強くなっていた。
 行かないで欲しいとまで考えていた。ずっと側で、守り続けてほしいとまで。
 最低だな……騎士さんは俺と違って忙しいのに、自分だけを守ってほしいと願うなんて。図々しいにも限度がある。
 しかし──ならばどうすればいいんだ。内なる恐怖に立ち向かう覚悟も決意もない俺に、何が出来るというんだ。自分の問題すら解決できない俺に、誰かを守ることなんて……

「……ズヤ? カズヤ!」
 突如、葛藤を遮るような呼び声が耳に届き、作業の手が止まった。声の方へ顔を向けると、訝しげな表情で立ったサヤが、こちらを見下ろしている。
「サ、サヤ。どうした」
 慌てながら答えると、更に表情を濃くしながら指摘した。
「そこ、もう終わってるけど」
「え? あっ!?」
 そう言われ手元に視線を落とすと、既に釘は打ち終わっており、ただ金槌が木材を叩いているだけだった。
「大丈夫? 疲れてるなら休んでていいけど……」
「…………いや、大丈夫だから」
 素っ気なく返すと、ため息を吐いたサヤが俺の手元から金槌をヒョイっと取り上げた。
「もういいから、今日の支度でもしてなさい」
「だから、俺は平気だって」
「……悪いけど、今のあなたは信じられない」
「ッ!?」
 思わず、言葉が喉に詰まった。そのまま何も言い返せず、俺は黙って天幕へと戻るしかなかった。

 自分の荷物をまとめ終えると、黒い剣──焔天剣を無言で眺める。あれだけの激闘の後とは思えないほどの輝きを放つ刀身は、天幕内の光素を乱射していた。
 暗黒騎士との戦いに於いて、焔天剣に二度も救われた。初撃を防げたのも、最後の一撃で鎧を砕けたのも、この剣じゃなければ不可能だった。
 死してなお、誇り高い意思が残り続ける焔天剣。それに比べ俺は、本当に駄目な人間だ。頭では解っていても、心が絶望に屈してしまっている。
 負の感情に押し潰されたせいか、何も考えられない。これが、全部諦めることなんだろうか。
 食欲・睡眠のどちらも取りたいとも思えない。考えられるのは、楽になりたい。生きてても苦しいだけなら、今ここで死んだ方が楽になれるんじゃないのか。見えない恐怖や心を支配する絶望に怯える毎日を送るぐらいなら、いっそここで全てを終わりにすれば…………

「イテッ……」
 全てを諦め、楽になることばかり考えていたせいだろうか。剣を持つ手に力が入らず、思わず手元の剣が滑り落ちていた。
 更に運悪く、落ちた剣の刃が右足を掠めていた。いや、この場合は運が良いのか。もし焔天剣が命中していたら、難なく右足は切り落ちていた。
 掠った箇所は薄皮が切れているだけではあるが、結構痛い。先程の考えを、一瞬忘れてしまうほど。
 落ちた剣を拾い、血を拭い取ってから鞘に納める。
「まさか……な」
 鞘に納まりつつ、圧倒的存在感を放出する愛剣を見詰めながら、力なく呟く。
 悩み続ける俺を心配して、あえて傷つけたのかと考えたが、こいつがそんなことするわけない。せいぜい、似たようなことで苦悩してる俺にヤキを入れたんだろう。
 そういえば、昨日騎士さんが言ってたな。

 ──剣にも意志はあるさ。だから、毎日敬意を払うのが大切なんだ。いつも、側にいてくれてありがとうってね。
 剣だけじゃない。どんな些細なものでも、毎回敬意を払うんだ。そうすれば、君の思いに応えてくれるはずだ。

 飛竜で帰る際に言われたのを思い返し、無意識に笑みが零れる。
 焔天剣には、炎熱竜戴天の誇りと魂が込められている。それだけ心強い存在が、常に傍にいるのに、俺は何に怯えていたんだ。
 こいつがいてくれたお陰で、今を生きてるんだ。俺を助けてくれた愛剣を前にして、いつまでも過去を引きずるのは侮辱に値するだろう。
「そうだよな……もう、決めた」
 小声で自分に言い聞かせ、顔を上げる。
 騎士さんのような高貴な意志も、暗黒騎士のような実力も持ってない。俺はあの人たちのように強くない。
 でもそれでいいんだ。

 俺は、俺なんだから。

 他の誰かのように強くなろうなんて、もう考えない。俺は俺のやり方で、自分だけの強さを手に入れればいい。焔天剣と──仲間と一緒に。
 
 六時の鐘が鳴ると同時に、今日の復旧作業は終了した。屈強な男たちは疲れ切った顔で配膳の列に並んでいる。
「ふぅ……疲れた」
 額の汗を拭いながら、不意に呟く。
 決心がついてから、俺はサヤに頼み込んで作業に加えてもらった。本人も「今のカズヤなら安心して任せられる」と言い、最初に比べてハードな作業を任してきた。
 負傷してる俺には厳しかったが、自分から進んでやるといった作業なのだから責任を持ってやり遂げねばならない。時々学園のみんなが手伝ってくれたりしたが、基本は黙々と作業していた。
「お疲れ、カズヤ」
 不意の声に反射的に反応すると、いつのまにかワタルが隣に立っていた。その手には、簡易の革袋が二つと麻袋が握られている。
「はい。カズヤの荷物」
 そう言うと、持ってる革袋の片方をこちらに放り投げてきた。
「わざわざ届けに来てくれたのか?」
「怪我人に無理はさせられないさ」
 革袋を肩に担ぎながら返されると、ワタルの後ろから出てきたサヤが顔を出した。
「そろそろ行きましょう。ワタルの話だと、もう少しで馬車が来るみたいだから」
「マジか……ワタルは、みんなにお別れとか言わなくていいの?」
 俺たちとは違い、中等部から一緒のクラスメイトと別れるんだ。距離を置いていたとはいえ、せめてお別れぐらいは言ったほうがいいんじゃないか。
 そんな考えを読み取ったのか、彼は答えた。
「別れの挨拶は朝のうちに済ませてあるよ。といっても、みんなには大分前から言ってあるから必要なかったんだけどね」
 優しい微笑みを浮かべながら言うと、彼はアースリア第二学園に顔を向けた。学園は先刻の襲撃時にも少なからず被害を受けており、建物は半壊していた。
 むしろ、半壊だけで──建造物の形が残ってるだけでも奇跡に近い。他の建物は崩壊しているし、中には跡形もなく消え去ったものまである。
 形が残ってるだけでも奇跡なのだが、やはり辛いだろう。多くのことを学んだ箱庭の元を、こんな形で去るのは……
 何か慰めの言葉を送ろうか考えるも、彼のことも学園のことも詳しく知らない俺では十分な言葉が見出せない。サヤも同じことを考えているのか、俺と同じように頭を捻らせているが、向こうも良い言葉が見つからずに苦悩している。
「……二人ともありがとう。でも、大丈夫だよ」
 共通の悩みに苦しむ俺たちを気遣ったのか、ワタルはにこやかに笑いながら言った。
「自分の学び舎とこんな形で別れるのは辛いけど、いつかまた帰ってきた時にはちゃんと直ってるはずだから、その時までに僕も成長しなくちゃ。この学び舎……アースリア第二学園に負けないぐらいにね」
 決意を固めたのか、覚悟を決めたのかは判らないが、彼の瞳が密かに燃えているのは分かる。
 ──なんだよ。早速、目標が見つかってるじゃないか。
 学園にも負けないぐらい成長する。彼は意識せずに言っているが、それはもう立派な目標になっている。
 そこでようやく判明した。彼は無意識のうちに学園が大切な存在となっており、今回の襲撃で大切なものが傷ついた。大切なものは無くなってから気付くのと同じように、自分にとって大事なものが壊れたことによって、ワタルは今度こそその大切なものを守るために強くなると決意したんだ。
 いわば、大切なものが壊れたことで、彼は長年の呪縛から解放されたことになる。
 皮肉な話だ。大事なものを失ったことで真実に辿り着くなんて。まぁ、人の心理や芸術とかも到底凡人には理解出来るものじゃないし仕方ないのかもしれない。
 ましてや、意志の強さが反映されるような世界なんだ。今更何がこようが驚きはしない。
 そういえば、暗黒騎士への最後の一撃の時に、俺の剣に奇妙な現象が起こっていた。
 黒い刀身を呑み込む、真紅の輝き。炎素を詠唱したわけでもなく、剣自身が輝くような現象。
 元々が強力な斬れ味だったが、鎧を砕くまではいかなかった。
 だが真紅に輝いた途端、奴の鎧を一撃で粉々に粉砕してみせた。
 剣の硬度が上がったのか、単なる偶然なのかは定かではないが、あれも理解不能な現象ではあった。もしや焔天剣には、まだ隠された力が眠っているのか?
 そう思った瞬間、何故だか胸の中で好奇心が湧いて出てきた。
 焔天剣はまだ力の一部しか見せていないなんて。
 いつか俺も、秘められた力を全力で使えるようになりたい。そのためにも、中都の魔術剣修道学園で自らを修練しなければ──。

 もう二度と、絶望に屈しないためにも。

「二人とも、早く行くわよ」
 物思いに黄昏ていた二人にサヤが呼びかけると、俺とワタルはお互いの顔を見てから笑い合い、先を行く彼女の後を追いかけた。

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