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第二部・四章 虚なる存在
第二十五話
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バルビエル城の最上階にある皇帝の居室は、邪教神が降り立った玉座の間よりとずっと広く、巨大な窓からは城下町の夜景が一望できる。
五人の将軍たちは各々の任務を遂行するために城を去り、倉庫から物資を運び出す輜重隊列のかがり火が大通りを途切れなく動いている。補給を担う商工ギルドの将には、城に備蓄された食糧や装備を好きに使えと命じたので、兵たちが飢えたり寒さに凍えることは当分ないはずだ。
無数の光から視線を外し、邪教神は部屋の片隅に歩み寄ると、そこに設置された紫色の水晶に手を触れた。
……守護竜は見事殲滅できたようだが、肝心の騎士は未だ一人も倒れていない……か。
楽観視していたわけではないが、上手くはいかないものだ。女騎士団を名乗る集団は戻らず、援軍として送り出した亜人混合部隊は将軍を失って戻ってきた。
奴等の報告では、二人の騎士によって壊滅的被害を受けたと聞いている。
「……役立たず供が」
毒づきながら、邪教神はふうっと息を吐き、机上に置かれた宝冠を深くかぶる。
仰々しいマントとガウンを身につけ、剣を腰の留め具に装着する。
再び紫色の水晶に触れ──。
「一度、顔を見てみるか。異なる世界線から呼ばれた、異端なる存在を」
ある対象を指定した場所に転送させる闇魔術の詠唱を、静かに始めた。
セレナとカズヤが中都に到着し、神の庭園目指して階段を登っていると、三十層《霊光の大回廊》にて、目を見張る光景を見た。
現在教会に残る天界の騎士が、三十層に集まっていた。
何事かと戸惑っていると、二人の肩を巨大な手が掴んだ。振り返ると、緊張感のない顔で、待ってたぞ、お二人さん、などと宣う師がいた。
二人揃って何事か尋ねると、何故か厳しい表情となったヒサカゲは、大きく包み込むような声でひと言発した。
今から、全てを話す、と。
セレナはその発言の意味が分からなかったが、カズヤは両眼を見開き、セレナに哀しみの視線を向けてきた。
二人が集団に加わると、ヒサカゲは伝えられる限りの真実を伝えたのだ。
東西南北に存在する守護竜が倒されたこと、魔界の群生が近年、人界への進軍を開始すること。
そして、最も忌むべき存在──邪教神の復活を。
長年人界を支配していた絶対の法《禁書目録》が、撤廃されること。
隠されたのは、天界の騎士の来歴のみだった。天界から召喚された、という真実を知る衝撃に耐えられたヒサカゲであったが、他の騎士たちには時間をかけて伝える必要があるという判断だ。
しかし、それでもなお他の騎士たちは激しい動揺を見せた。無理もない。絶対の忠誠を誓い、数百年にわたって絶対的支配の法を突然撤廃するという事実を受け入れるのは容易ではない。
混乱を極めた議論の果てに、騎士たちが当面は通常通り壁の護衛を続けるという選択をしたのは、ヒサカゲと創世神の人望と実力もさることながら、《偽りの人格》がまだ機能していたからかもしれない。状況がどう変わろうとも彼らは創世神に仕える騎士であり、騎士長ヒサカゲが教会の最高責任者であることは疑いようもない事実だったのだから。
そのヒサカゲは、指揮権を委任されたその瞬間から、本来の任務である《人界の守護》を全うするべく精力的に動き始めた。彼自身にも、迷いや葛藤はあったはずだ。
しかし彼はそれを顔に一切出さず、すぐに人界全土に向けて、禁書目録の撤廃を言い渡すよう他の騎士に呼びかけた。
形ばかりの軍隊だった教会近衛軍の再編、再訓練、義勇兵の手配という大仕事にとりかかろうとしたヒサカゲに、もちろんセレナも協力すると言おうとした。
だがそこで気付いた。
側にいたはずのカズヤが、姿を消していることに。
五十層までの階段を急いで上り切ると、カズヤは眼前の大扉を乱暴にこじ開け、叫んだ。
「ヒヅキさん! 邪教神が復活したって話は本当なんですか!」
俺が聞いた時点では、復活した恐れがあるだけだった。
しかし、ヒサカゲは全騎士の前で断言した。邪教神は、復活したと。
「カズヤくん……待ってたわ」
ヒヅキ──創世神は、焦るカズヤとは対照的に、至って冷静な物腰で椅子に座っていた。
俺は大股で歩み寄り、用意された椅子に乱暴に座り込むと、大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐いた。
たったそれだけの行為で、興奮していた感情があらかた落ち着きを取り戻し、頭も回るようになった。
「……それで、邪教神が復活したと、何故断言したんですか」
再度尋ねると、紅茶の入ったティーカップを眺めながら言った。
「君を転送させたあと、私は邪教神が封印されている、全てが始まった場所──聖邪の間へ向かった」
「聖邪の間……? どこですかそれ」
「……君、ちゃんと学園の講義聞いてた?」
ジロリと睨まれてしまい、思わず萎縮する。
学園の講義のうち、興味のない時間は自作魔術の研究、もしくは寝ていたため、よく委員長に叱られていた。
「聖邪の間は、邪教神を封印した場所であり、人界と魔界のちょうど真ん中に位置する、古の祭壇のことよ」
「そ、そうなんですか……」
自分のカップを持ち上げ、元の世界のコーヒーによく似た味のお茶を啜る。
創世神は体を椅子の背もたれに預け、落ち着いた声で再び語り始めた。
「邪教神は長い死闘の末、五本の鎖で封印することに成功しました。その身を古の祭壇に納め、二度と姿を現せないように、周囲に結界を張り巡らせていた。……しかし私が赴いた時には、祭壇は粉々に壊されており、五本の鎖も全て切れていました」
「それじゃ本当に……邪教神は封印を破って、完璧に復活したってことですか?」
恐る恐る訊ねた俺に、創世神は平然と頷いた。
「疑いようがない事実よ。もう既に邪教神は魔界に君臨してるわ。守護竜を狙ったのも、天界の騎士を狙った理由も、ようやく合点がいった。全て、邪教神が指示していると」
「……覚悟はしてましたが、いよいよもってヤバイですね」
邪教神の復活。
確実となった事実は、中々に呑み込むことが出来なかった。
魔界の活発な動きの原因が判明したのはいいのだが、対処の仕様がなければ意味がない。
強化された魔界の戦力と邪教神の復活。禁書目録を撤廃し、今から戦力強化を望む我々に勝機など存在するのだろうか。
「ですが、悪い知らせだけではありません」
苦慮するカズヤを落ち着かせるように、創世神は平然と語り始めた。
「禁書目録の撤廃で人界は混乱していますが、天界の騎士が現状も同時に伝達したため、騒ぎは予想より早く沈静化したわ。今、中都を中心に多くの義勇兵が集まっています」
「そうですか……良かった。師匠も近衛軍の再編や再訓練とかにとりかかっています」
「教会に残る騎士も、今は動揺している者が多いですが、すぐに果たすべき使命に気付き、自分から動くでしょう」
それについては同感だ。彼らは人界の守護を目的に造られた偽りの存在であり、今でこそ動揺してはいるが、時間が経てば自分の使命を思い出し、遂行するだろう。
しかし、意外と早く事態が動いている。法の撤廃で長い混乱が起きると思っていたが、あっという間に鎮まるなんて。
これも、人界のために奮闘した騎士と創世神が為せる業なんだろう。やはり、禁書目録など存在せずとも、人界のために剣を取る者はいたんだ。
……あいつらも、一緒に戦ってくれるかな。
学園に通うサヤとワタルを思い返し、そっと瞼を下ろす。
獣人族であるサヤと、魔術師の才能を持つワタルが加われば、かなりの戦力アップが望める。サヤの場合、解放術を伝授すれば天界の騎士にも劣らない戦力になるはずだ。
そこで俺は、創世神に聞くべきことがあったのを忘れていたことを思い出し、思考を強引に切り替えた。
「ヒヅキさん。貴方に聞きたいことがあるんですが」
「どうしたの、急に改まって……」
「騎士セレナのことについて、いい加減教えてください」
強気な口調で詰め寄ると、創世神は一瞬だけ強張り、顔を逸らした。
「もう隠さないでください。何故セレナが騎士になってるのか、俺は知りたいんです」
「……世の中には、知らなくてもいいことがたくさんある。真実は、時に貴方を深く傷つけるものよ」
急に不謹慎な物言いをされるも、カズヤは一切臆せずに続けた。
「真実から目を背けることも、正しいとは思えません。傷つくかどうかは、俺が決めます」
その台詞を聞いた創世神は、両眼を見開き、次いで哀愁感を宿らした。すぐにいつも通りの瞳に戻ると、頷いてから言った。
「分かりました。なら、セレナちゃんについて、話しましょう」
「……言っておきますが、嘘はやめて下さいよ」
余計な心配だと分かっていながらも、口にするしかなかった。創世神のことは信用できる人物という認識をしているが、完全には信用しきっていない。俺自身についても、未だ詳しく教えてくれないし。
創世神はいつにもなく真剣な表情を浮かべ、組んでいた足を下ろし語り始めた。
「天界の騎士は、本来ある人格とは異なる人格を植え付けることで誕生する、禁忌の存在です。許されない行為ではありますが、そのお陰で騎士は人界を守護するために戦う存在へと変わりました」
「だとしても、許されませんけどね」
「分かっています。然るべき償いは、全てが終わった後に取るつもりです。……話を戻しますが、偽りの人格を宿らすことで、騎士は正しいと信じた正義のためならば、躊躇いなく剣を振るうようになりました。言い換えれば、命を断つ行為に抵抗がなくなりました。もし人界の民の場合、命を断つ行為自体が禁書目録に反する行いのため、自動的にブレーキがかかります」
「……中には、法に触れなければ何をしてもいいと解釈する奴もいましたけどね」
ユーグのことを思い返しながらも、創世神の話に納得はできる。奴も凌辱しようとはしたが、直接命を奪う真似はしなかった。禁忌魔術も、既に法を破った大罪人に一矢報いるために詠唱したと強引に解釈すれば、奴が躊躇いなく詠唱した理由も納得できる。
「そもそも、騎士として任命される人材には、全員に共通するモノがあります」
「共通するモノ……? それは一体」
「貴方もご存知の通り、天界の騎士は元々は人界の民。その中から、善なる心を持つ者が選抜されています」
その真実を知っている者は、俺と創世神、騎士長ヒサカゲ以外に、人界には存在しない。
禁書目録の有無関係なく、既に善なる心を表に出す人間が騎士に選ばれることは、人界に存在するあらゆる書物にも記されていない。
「ですが、善と悪を持ち合わせる人間に於いて、善のみを持つ存在は限りなく少なかった。だから私は、騎士となるべく条件を変更しました」
「……ッ! まさか」
創世神が言わんとしていることに、カズヤは一早く察知した。
それも当然だった。その考えは既に一度、たどり着いていたのだから。
「禁書目録を意図的に違反した者……それが、騎士となるべく条件」
カズヤの問いに、創世神はゆっくりと頷いた。
「絶対の法を破る者、それはつまり、法以上に守るべき物を貫く意思を持った存在。強靭な意思を持つ存在もまた、騎士には必要な物です」
「……もしかしたら、俺も騎士になってたかもしれないんですね」
今まで過ごしてきた大切な記憶や思い出、ユリとセレナに関する記憶と引き換えに、一切の疑いを持たない存在に成り果てていたら……。
突然の悪寒に襲われ身震いする俺に、丸テーブルの反対側に座る創世神が苦笑混じりの視線を向けてきた。
「そうして私は、天界の騎士を造り上げていった……。でも、セレナちゃんだけは違った」
「は? セレナは違うって、どうゆうことですか」
先程まで冷静に聞けていたというのに、セレナの名前が出ただけで冷静さが欠けてしまう。
焦るカズヤとは対照的に、創世神は平然と続けた。
「私はセレナちゃんの記憶と人格に、一切手を加えていないわ」
呑み込めない衝撃が、全身を雷撃のように走った。
記憶と人格に手を加えていないだと? なら、今のセレナは、初めて会った時のまま、何一つ変わっていないというのか。
そんなバカな話、信じられるわけがない。今の彼女が偽りじゃないとしたら……。
「やはり、今の貴方では受け止めきれない事実……だったみたいね」
「嘘だ、貴方はまた、俺に嘘を」
「いいえ。紛れもない真実です」
冷酷なる現実を突きつけられてしまい、思考は完璧に停止してしまった。
今の騎士は本物のセレナなんて、認められるわけがない。でも、創世神の瞳には後ろめたさも何もない。
信じられない現実に打ちのめされていると、創世神は僅かながら希望めいた発言をしてきた。
「正確に言うなら、彼女には二つの人格がある」
「二つ……二重人格ってことですか」
またもや一度は考えた結論が出てきたことによって、思考は少しだけ正常に戻った。
「詳しく話すと、セレナちゃんはあの日──亜人と遭遇した日から、少しずつ変わってしまったのよ」
「亜人と遭遇した日……それって、カムイさんと初めて会った日。でも、特にセレナに異常はありませんでしたよ。少なくとも、俺が旅立つ日までは」
「カズヤくん。あなただって体験したはずでしょ。亜人と初めて遭遇した時に感じた、恐怖を」
たしかに、あの日感じた恐怖は、今でも忘れられない。
「恐怖──負の感情は、人の心を大きく狂わせる。セレナちゃんはずっと、亜人の恐怖に怯えてたのよ」
「ですが、俺と一緒にいる時はいつもと変わりませんでしたよ」
「彼女は優しいでしょ。優しいが故に、あなたの前では気丈に振る舞っていたのよ。重要な時期に、心配をかけないために」
その発言を聞いた時、過去の記憶──セレナとの昼食での情景が鮮明に蘇った。
あの日見せた涙の意味を、俺はようやく理解した。
「彼女は、あなたとずっと一緒にいたかったのよ。絶望の淵から救い出してくれた貴方を、心の支えにしていた。不安に、押しつぶされないように」
「そんな……セレナは、一人でずっと苦しんでいたのか」
それなのに俺は、自分のことばかり考えて……。
「唯一の支えを失った彼女は、毎晩怯えていました。自分の周りの人が傷つくのが、怖くて仕方なかったのでしょう。いつしか彼女は、自分自身を追い込んでいきました」
「な、なんでですか。別に、セレナが苦しむ必要はないのに」
「さっきも言ったけど、優しいからよ。素性も分からない貴方を助けるだけ優しいあの子が、周りの人が傷つくのを放っておけるわけがない。だから彼女は自分を追い込み、修練を重ねた。誰も傷つかないほどの強さを求めてね」
「だから……セレナはあれだけの実力を持ってたのか」
元々魔術の才能はあったのだし、剣技も達人の域を優に越えていたのは、類稀なる努力があったからなのか。
「でも、それと二重人格になんの関係が」
「……優しい彼女が、魔界の民とはいえ命を奪うような真似ができると思える?」
「無理ですね」
創世神の問いかけに、有無を言わさずに即答した。
「どんなに強くなっても、優しさがある彼女に命を奪うような真似はできない。でも、そうしなければ周りの人が死んでしまう。相反する感情に囚われた彼女の身に、ある者が目覚めた」
「それが、今のセレナ」
「そうよ。あなたと一緒にいた時を仮に表の顔とするなら、今の彼女は裏の顔。冷徹無情にして、命を奪う行為に躊躇いを持たない、騎士のような存在よ」
「裏の顔……表裏一体というものですか」
「人は常に複数の人格を持っている。でもほとんどは表に出ることなく、内側に秘めてあるもの。セレナちゃんの場合、長い時間自分を追い込み、不安や恐怖と言った負の感情で心の均衡が乱れてしまい、隠れていた裏の顔で出てきたんでしょう。先程も言った通り、冷徹無情と成り果てた彼女は力を得るために、禁書目録を意図的に破った」
「ちょっと待ってください。人界の民が法を破ろうとしたら、自動的にブレーキが掛かるんでしょ? 意図的に破るなんて、出来るんですか?」
「いい質問ね。でも彼女の場合は、裏の顔は本来の人格ではなく、複数ある擬似体のような物。いわば彼女の中にある、全く別の意思。表ではない分、法に対する認識が足りていないのよ」
よく分からない話になっているが、要するに裏の顔は、法を破る行為に躊躇いがないという解釈でいいのだろうか。
考え込む俺の耳に、創世神の落ち着いた声が届いた。
「話はもう少しで終わりだけど、先を続けていい?」
「……あ、ああ、頼む」
「うん。──法を破ったセレナちゃんは、あなた同様に中都へ連行され、私の元に連れてこさせました。心底驚いたわ。まだ手を加えていないのに、騎士と同じ眼と意思を宿していることに」
「ま、まぁ。セレナはああ見えて、結構な頑固者だからな」
「結果私は、彼女の人格に手を加えずに、騎士としての権限を与えた。それが、騎士セレナが誕生した来歴であり、貴方が知りたがっていた真実よ」
衝撃の事実は、簡単に受け入れることが出来なかった。
それでも口は、自然と動いた。
「納得いきません。今のセレナが、裏の顔だとしたら、表の顔……本当のセレナはどうなったんですか」
「……二重人格とは本来、本人の意思で切り替えることができます。しかし彼女にはそれが出来ない、いや、正確にいうならば、本当の自分を見失ってしまったんです」
「本当の自分を見失う、だって?」
「騎士でいる間、彼女は常に裏の顔で過ごしていた。いつしか彼女は、今が本当の自分だと思い込んでしまい、本来の自分という存在そのものを忘れてしまっているんです。だからあの日、貴方と再会した日も、躊躇なく殴打したんですよ」
簡単に認めることができない真実ばかりが、明かされていく。
自分を見失っているなんて。要は、もうセレナはこの世界のどこにもいないって意味じゃないか。
創世神の手で偽りの人格を植え付けられたわけでもないなら、手のつけようがない。例え人界を取り巻く全ての問題を解決した所で、彼女は二度と元に戻らないことになる。
なら俺は、これから何のために戦えばいいんだ。唯一の希望であったセレナと二度と会えないなんて……。
そんな思考に陥っていると、ふとカズヤは、ある事象を思い出した。
「ヒヅキさん……セレナはまだ、自分を見失ってなんていません」
震える声で、呟く。
「セレナは、俺のことを『カズヤくん』と呼びました。それだけじゃない。冷徹無情の裏の顔からでは、絶対に言わないであろう、力以外での解決も公言しました」
フロリダにトドメを刺す時、騎士は必死に俺を呼び止めていた。あの時俺は、かつてのセレナの面影を感じた。
流石に予想外だったのか、創世神は考え込みながら、淡々と言った。
「貴方と……心の支えだったカズヤくんと再会したから、本来の自分──表の顔が目覚めかけたというの?」
「可能性はあります。事実、今の彼女は騎士にしては異質な存在に思えます」
「……人の心は、時に解明不可能な現象が起きるから、ありえなくはない。もしかしたら、貴方と接触していくうちに、セレナちゃんは本当の自分を取り戻せるかもしれない」
創世神の発言は、暗闇の中に一際強く輝く希望のように思えた。
本当の彼女を、呼び戻せるかもしれない。今の彼にとって、その事実だけが唯一の支えになるものであった。
「無論、容易にはいかないでしょう。今すぐに彼女が戻るとも限らないし、最悪、二度と戻らないで終わるかもしれません」
「そんなこと、絶対にさせません」
否定的な意見を述べる創世神に、俺は真っ向から反対した。
「セレナが変わってしまった原因が俺にあるのなら、俺が責任を持って彼女を守り続けます。セレナにはもう二度と、一つも悲しい思いなんてさせません」
迷いを振り切るように、芯のある声で応える。
騎士セレナの人格が戻る可能性が微かにでもあるのなら、俺はそれに賭ける。それが、彼女を一人残し旅に出た、彼女の苦しみを理解してあげなかった俺にできる、唯一の償いだ。
取り敢えず、一通りの疑問が解決し、多少なりとも余裕が出来上がると、新たな疑問が込み上げてきた。
「創世神。貴方は何故、俺とセレナについて熟知しているんですか?」
「あ、そういえば言ってなかったわね。私は常に秩序を保つために、人界全土に《使い魔》を配置してるのよ。禁書目録違反や善なる人を見つけるためにも、村や街の周囲に生息する生物に《感覚共有》その他の術を施して全世界に放った……」
「ははあ……。それがあなたの眼であり耳だったわけか。ひょっとして、俺も監視してたりします?」
「ええ」
創世神はにやりと笑うと、右手を伸ばした。掌を上向け、誰かを呼ぶように指先をちょいちょいと動かす。すると──。
「うわっ!?」
いきなり、離れの本棚から何か小さいモノがぴょーんと飛び出し、丸テーブルの上に姿を現した。見ればそれは、何気にずっと一緒だったムーンラビットだ。素早く振り向くと、両眼で俺を見上げ、右の前脚を持ち上げて俺に挨拶した……ように見えた。
「名前はスコッド。君がこちらの世界に来た時から、ずーっと君の言動を見聞きしていた。……たまには見る以外のこともしていたけど」
創世神にそう言われ、ムーンラビットは四本の足を縮めると低く唸った。
「……じゃあ、こいつは俺に懐いてたわけじゃなくて、ただ監視のために側にいただけなのか」
動物に好かれて浮かれていたのが馬鹿らしく思えてしまい、つい頭を垂れる。
スコッドは何を答えるでもなく爛々と光る両眼を向け続けていたが、不意にテーブルから降りると素早く走り、近くの本棚に身を隠してしまった。
小さな使い魔を見送った創世神は、穏やかな声音で囁いた。
「スコッドは、私が術式を施し人界各地に放った最古の監視生物で、長い任務もようやく終わったの。何百年も働かせちゃったわ……」
「……監視生物……」
呟き、俺はもう一度スコッドが隠れた本棚を見やった。彼の任務は、あくまで俺の観察だったはずだ。しかしさっき、任務外の行動に出たと言っていた。もしかしたら、気づかないうちに何度も俺を助けてくれていたのかもしれない。考えようによっては、彼は焔天剣以上に身近で俺を支えていたんだ。
──ありがとう。
心の裡で礼を言い、俺は本棚に向かって頭を下げた。
すぐに視線を創世神に戻し、椅子から立ち上がり言った。
「俺も、騎士たちと一緒に動きます。今の人界は、一秒たりとも無駄には出来ませんから」
「……違う世界から来たあなたに頼むことじゃないかもしれませんが」
今度は創世神も立ち上がり、頭を下げてきた。
「お願いします」
「……任せてください」
それだけ言い残し、身を翻す。
これから更に忙しくなる。集った義勇兵の修練や分断の壁護衛任務など、仕事が山のようにある。
でも、今の俺たちならやれるはずだ。今度は禁書目録など関係なく、人界のために一致団結した、俺たちなら。
そんなことを考えながら、部屋から出ようとした矢先──。
「カズヤくん!! 開けては駄目ッ!!」
「──え?」
背後から、呼び止める声が届いた。だがその頃にはもう既に、扉を開けてしまっていた。
扉から足を出した瞬間、足元に妖しく光るサークルが出現。一瞬でカズヤの全身を紫色の帯が包み込み、強く発光した。
光が収まると、そこにカズヤの姿はなかった。
五人の将軍たちは各々の任務を遂行するために城を去り、倉庫から物資を運び出す輜重隊列のかがり火が大通りを途切れなく動いている。補給を担う商工ギルドの将には、城に備蓄された食糧や装備を好きに使えと命じたので、兵たちが飢えたり寒さに凍えることは当分ないはずだ。
無数の光から視線を外し、邪教神は部屋の片隅に歩み寄ると、そこに設置された紫色の水晶に手を触れた。
……守護竜は見事殲滅できたようだが、肝心の騎士は未だ一人も倒れていない……か。
楽観視していたわけではないが、上手くはいかないものだ。女騎士団を名乗る集団は戻らず、援軍として送り出した亜人混合部隊は将軍を失って戻ってきた。
奴等の報告では、二人の騎士によって壊滅的被害を受けたと聞いている。
「……役立たず供が」
毒づきながら、邪教神はふうっと息を吐き、机上に置かれた宝冠を深くかぶる。
仰々しいマントとガウンを身につけ、剣を腰の留め具に装着する。
再び紫色の水晶に触れ──。
「一度、顔を見てみるか。異なる世界線から呼ばれた、異端なる存在を」
ある対象を指定した場所に転送させる闇魔術の詠唱を、静かに始めた。
セレナとカズヤが中都に到着し、神の庭園目指して階段を登っていると、三十層《霊光の大回廊》にて、目を見張る光景を見た。
現在教会に残る天界の騎士が、三十層に集まっていた。
何事かと戸惑っていると、二人の肩を巨大な手が掴んだ。振り返ると、緊張感のない顔で、待ってたぞ、お二人さん、などと宣う師がいた。
二人揃って何事か尋ねると、何故か厳しい表情となったヒサカゲは、大きく包み込むような声でひと言発した。
今から、全てを話す、と。
セレナはその発言の意味が分からなかったが、カズヤは両眼を見開き、セレナに哀しみの視線を向けてきた。
二人が集団に加わると、ヒサカゲは伝えられる限りの真実を伝えたのだ。
東西南北に存在する守護竜が倒されたこと、魔界の群生が近年、人界への進軍を開始すること。
そして、最も忌むべき存在──邪教神の復活を。
長年人界を支配していた絶対の法《禁書目録》が、撤廃されること。
隠されたのは、天界の騎士の来歴のみだった。天界から召喚された、という真実を知る衝撃に耐えられたヒサカゲであったが、他の騎士たちには時間をかけて伝える必要があるという判断だ。
しかし、それでもなお他の騎士たちは激しい動揺を見せた。無理もない。絶対の忠誠を誓い、数百年にわたって絶対的支配の法を突然撤廃するという事実を受け入れるのは容易ではない。
混乱を極めた議論の果てに、騎士たちが当面は通常通り壁の護衛を続けるという選択をしたのは、ヒサカゲと創世神の人望と実力もさることながら、《偽りの人格》がまだ機能していたからかもしれない。状況がどう変わろうとも彼らは創世神に仕える騎士であり、騎士長ヒサカゲが教会の最高責任者であることは疑いようもない事実だったのだから。
そのヒサカゲは、指揮権を委任されたその瞬間から、本来の任務である《人界の守護》を全うするべく精力的に動き始めた。彼自身にも、迷いや葛藤はあったはずだ。
しかし彼はそれを顔に一切出さず、すぐに人界全土に向けて、禁書目録の撤廃を言い渡すよう他の騎士に呼びかけた。
形ばかりの軍隊だった教会近衛軍の再編、再訓練、義勇兵の手配という大仕事にとりかかろうとしたヒサカゲに、もちろんセレナも協力すると言おうとした。
だがそこで気付いた。
側にいたはずのカズヤが、姿を消していることに。
五十層までの階段を急いで上り切ると、カズヤは眼前の大扉を乱暴にこじ開け、叫んだ。
「ヒヅキさん! 邪教神が復活したって話は本当なんですか!」
俺が聞いた時点では、復活した恐れがあるだけだった。
しかし、ヒサカゲは全騎士の前で断言した。邪教神は、復活したと。
「カズヤくん……待ってたわ」
ヒヅキ──創世神は、焦るカズヤとは対照的に、至って冷静な物腰で椅子に座っていた。
俺は大股で歩み寄り、用意された椅子に乱暴に座り込むと、大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐いた。
たったそれだけの行為で、興奮していた感情があらかた落ち着きを取り戻し、頭も回るようになった。
「……それで、邪教神が復活したと、何故断言したんですか」
再度尋ねると、紅茶の入ったティーカップを眺めながら言った。
「君を転送させたあと、私は邪教神が封印されている、全てが始まった場所──聖邪の間へ向かった」
「聖邪の間……? どこですかそれ」
「……君、ちゃんと学園の講義聞いてた?」
ジロリと睨まれてしまい、思わず萎縮する。
学園の講義のうち、興味のない時間は自作魔術の研究、もしくは寝ていたため、よく委員長に叱られていた。
「聖邪の間は、邪教神を封印した場所であり、人界と魔界のちょうど真ん中に位置する、古の祭壇のことよ」
「そ、そうなんですか……」
自分のカップを持ち上げ、元の世界のコーヒーによく似た味のお茶を啜る。
創世神は体を椅子の背もたれに預け、落ち着いた声で再び語り始めた。
「邪教神は長い死闘の末、五本の鎖で封印することに成功しました。その身を古の祭壇に納め、二度と姿を現せないように、周囲に結界を張り巡らせていた。……しかし私が赴いた時には、祭壇は粉々に壊されており、五本の鎖も全て切れていました」
「それじゃ本当に……邪教神は封印を破って、完璧に復活したってことですか?」
恐る恐る訊ねた俺に、創世神は平然と頷いた。
「疑いようがない事実よ。もう既に邪教神は魔界に君臨してるわ。守護竜を狙ったのも、天界の騎士を狙った理由も、ようやく合点がいった。全て、邪教神が指示していると」
「……覚悟はしてましたが、いよいよもってヤバイですね」
邪教神の復活。
確実となった事実は、中々に呑み込むことが出来なかった。
魔界の活発な動きの原因が判明したのはいいのだが、対処の仕様がなければ意味がない。
強化された魔界の戦力と邪教神の復活。禁書目録を撤廃し、今から戦力強化を望む我々に勝機など存在するのだろうか。
「ですが、悪い知らせだけではありません」
苦慮するカズヤを落ち着かせるように、創世神は平然と語り始めた。
「禁書目録の撤廃で人界は混乱していますが、天界の騎士が現状も同時に伝達したため、騒ぎは予想より早く沈静化したわ。今、中都を中心に多くの義勇兵が集まっています」
「そうですか……良かった。師匠も近衛軍の再編や再訓練とかにとりかかっています」
「教会に残る騎士も、今は動揺している者が多いですが、すぐに果たすべき使命に気付き、自分から動くでしょう」
それについては同感だ。彼らは人界の守護を目的に造られた偽りの存在であり、今でこそ動揺してはいるが、時間が経てば自分の使命を思い出し、遂行するだろう。
しかし、意外と早く事態が動いている。法の撤廃で長い混乱が起きると思っていたが、あっという間に鎮まるなんて。
これも、人界のために奮闘した騎士と創世神が為せる業なんだろう。やはり、禁書目録など存在せずとも、人界のために剣を取る者はいたんだ。
……あいつらも、一緒に戦ってくれるかな。
学園に通うサヤとワタルを思い返し、そっと瞼を下ろす。
獣人族であるサヤと、魔術師の才能を持つワタルが加われば、かなりの戦力アップが望める。サヤの場合、解放術を伝授すれば天界の騎士にも劣らない戦力になるはずだ。
そこで俺は、創世神に聞くべきことがあったのを忘れていたことを思い出し、思考を強引に切り替えた。
「ヒヅキさん。貴方に聞きたいことがあるんですが」
「どうしたの、急に改まって……」
「騎士セレナのことについて、いい加減教えてください」
強気な口調で詰め寄ると、創世神は一瞬だけ強張り、顔を逸らした。
「もう隠さないでください。何故セレナが騎士になってるのか、俺は知りたいんです」
「……世の中には、知らなくてもいいことがたくさんある。真実は、時に貴方を深く傷つけるものよ」
急に不謹慎な物言いをされるも、カズヤは一切臆せずに続けた。
「真実から目を背けることも、正しいとは思えません。傷つくかどうかは、俺が決めます」
その台詞を聞いた創世神は、両眼を見開き、次いで哀愁感を宿らした。すぐにいつも通りの瞳に戻ると、頷いてから言った。
「分かりました。なら、セレナちゃんについて、話しましょう」
「……言っておきますが、嘘はやめて下さいよ」
余計な心配だと分かっていながらも、口にするしかなかった。創世神のことは信用できる人物という認識をしているが、完全には信用しきっていない。俺自身についても、未だ詳しく教えてくれないし。
創世神はいつにもなく真剣な表情を浮かべ、組んでいた足を下ろし語り始めた。
「天界の騎士は、本来ある人格とは異なる人格を植え付けることで誕生する、禁忌の存在です。許されない行為ではありますが、そのお陰で騎士は人界を守護するために戦う存在へと変わりました」
「だとしても、許されませんけどね」
「分かっています。然るべき償いは、全てが終わった後に取るつもりです。……話を戻しますが、偽りの人格を宿らすことで、騎士は正しいと信じた正義のためならば、躊躇いなく剣を振るうようになりました。言い換えれば、命を断つ行為に抵抗がなくなりました。もし人界の民の場合、命を断つ行為自体が禁書目録に反する行いのため、自動的にブレーキがかかります」
「……中には、法に触れなければ何をしてもいいと解釈する奴もいましたけどね」
ユーグのことを思い返しながらも、創世神の話に納得はできる。奴も凌辱しようとはしたが、直接命を奪う真似はしなかった。禁忌魔術も、既に法を破った大罪人に一矢報いるために詠唱したと強引に解釈すれば、奴が躊躇いなく詠唱した理由も納得できる。
「そもそも、騎士として任命される人材には、全員に共通するモノがあります」
「共通するモノ……? それは一体」
「貴方もご存知の通り、天界の騎士は元々は人界の民。その中から、善なる心を持つ者が選抜されています」
その真実を知っている者は、俺と創世神、騎士長ヒサカゲ以外に、人界には存在しない。
禁書目録の有無関係なく、既に善なる心を表に出す人間が騎士に選ばれることは、人界に存在するあらゆる書物にも記されていない。
「ですが、善と悪を持ち合わせる人間に於いて、善のみを持つ存在は限りなく少なかった。だから私は、騎士となるべく条件を変更しました」
「……ッ! まさか」
創世神が言わんとしていることに、カズヤは一早く察知した。
それも当然だった。その考えは既に一度、たどり着いていたのだから。
「禁書目録を意図的に違反した者……それが、騎士となるべく条件」
カズヤの問いに、創世神はゆっくりと頷いた。
「絶対の法を破る者、それはつまり、法以上に守るべき物を貫く意思を持った存在。強靭な意思を持つ存在もまた、騎士には必要な物です」
「……もしかしたら、俺も騎士になってたかもしれないんですね」
今まで過ごしてきた大切な記憶や思い出、ユリとセレナに関する記憶と引き換えに、一切の疑いを持たない存在に成り果てていたら……。
突然の悪寒に襲われ身震いする俺に、丸テーブルの反対側に座る創世神が苦笑混じりの視線を向けてきた。
「そうして私は、天界の騎士を造り上げていった……。でも、セレナちゃんだけは違った」
「は? セレナは違うって、どうゆうことですか」
先程まで冷静に聞けていたというのに、セレナの名前が出ただけで冷静さが欠けてしまう。
焦るカズヤとは対照的に、創世神は平然と続けた。
「私はセレナちゃんの記憶と人格に、一切手を加えていないわ」
呑み込めない衝撃が、全身を雷撃のように走った。
記憶と人格に手を加えていないだと? なら、今のセレナは、初めて会った時のまま、何一つ変わっていないというのか。
そんなバカな話、信じられるわけがない。今の彼女が偽りじゃないとしたら……。
「やはり、今の貴方では受け止めきれない事実……だったみたいね」
「嘘だ、貴方はまた、俺に嘘を」
「いいえ。紛れもない真実です」
冷酷なる現実を突きつけられてしまい、思考は完璧に停止してしまった。
今の騎士は本物のセレナなんて、認められるわけがない。でも、創世神の瞳には後ろめたさも何もない。
信じられない現実に打ちのめされていると、創世神は僅かながら希望めいた発言をしてきた。
「正確に言うなら、彼女には二つの人格がある」
「二つ……二重人格ってことですか」
またもや一度は考えた結論が出てきたことによって、思考は少しだけ正常に戻った。
「詳しく話すと、セレナちゃんはあの日──亜人と遭遇した日から、少しずつ変わってしまったのよ」
「亜人と遭遇した日……それって、カムイさんと初めて会った日。でも、特にセレナに異常はありませんでしたよ。少なくとも、俺が旅立つ日までは」
「カズヤくん。あなただって体験したはずでしょ。亜人と初めて遭遇した時に感じた、恐怖を」
たしかに、あの日感じた恐怖は、今でも忘れられない。
「恐怖──負の感情は、人の心を大きく狂わせる。セレナちゃんはずっと、亜人の恐怖に怯えてたのよ」
「ですが、俺と一緒にいる時はいつもと変わりませんでしたよ」
「彼女は優しいでしょ。優しいが故に、あなたの前では気丈に振る舞っていたのよ。重要な時期に、心配をかけないために」
その発言を聞いた時、過去の記憶──セレナとの昼食での情景が鮮明に蘇った。
あの日見せた涙の意味を、俺はようやく理解した。
「彼女は、あなたとずっと一緒にいたかったのよ。絶望の淵から救い出してくれた貴方を、心の支えにしていた。不安に、押しつぶされないように」
「そんな……セレナは、一人でずっと苦しんでいたのか」
それなのに俺は、自分のことばかり考えて……。
「唯一の支えを失った彼女は、毎晩怯えていました。自分の周りの人が傷つくのが、怖くて仕方なかったのでしょう。いつしか彼女は、自分自身を追い込んでいきました」
「な、なんでですか。別に、セレナが苦しむ必要はないのに」
「さっきも言ったけど、優しいからよ。素性も分からない貴方を助けるだけ優しいあの子が、周りの人が傷つくのを放っておけるわけがない。だから彼女は自分を追い込み、修練を重ねた。誰も傷つかないほどの強さを求めてね」
「だから……セレナはあれだけの実力を持ってたのか」
元々魔術の才能はあったのだし、剣技も達人の域を優に越えていたのは、類稀なる努力があったからなのか。
「でも、それと二重人格になんの関係が」
「……優しい彼女が、魔界の民とはいえ命を奪うような真似ができると思える?」
「無理ですね」
創世神の問いかけに、有無を言わさずに即答した。
「どんなに強くなっても、優しさがある彼女に命を奪うような真似はできない。でも、そうしなければ周りの人が死んでしまう。相反する感情に囚われた彼女の身に、ある者が目覚めた」
「それが、今のセレナ」
「そうよ。あなたと一緒にいた時を仮に表の顔とするなら、今の彼女は裏の顔。冷徹無情にして、命を奪う行為に躊躇いを持たない、騎士のような存在よ」
「裏の顔……表裏一体というものですか」
「人は常に複数の人格を持っている。でもほとんどは表に出ることなく、内側に秘めてあるもの。セレナちゃんの場合、長い時間自分を追い込み、不安や恐怖と言った負の感情で心の均衡が乱れてしまい、隠れていた裏の顔で出てきたんでしょう。先程も言った通り、冷徹無情と成り果てた彼女は力を得るために、禁書目録を意図的に破った」
「ちょっと待ってください。人界の民が法を破ろうとしたら、自動的にブレーキが掛かるんでしょ? 意図的に破るなんて、出来るんですか?」
「いい質問ね。でも彼女の場合は、裏の顔は本来の人格ではなく、複数ある擬似体のような物。いわば彼女の中にある、全く別の意思。表ではない分、法に対する認識が足りていないのよ」
よく分からない話になっているが、要するに裏の顔は、法を破る行為に躊躇いがないという解釈でいいのだろうか。
考え込む俺の耳に、創世神の落ち着いた声が届いた。
「話はもう少しで終わりだけど、先を続けていい?」
「……あ、ああ、頼む」
「うん。──法を破ったセレナちゃんは、あなた同様に中都へ連行され、私の元に連れてこさせました。心底驚いたわ。まだ手を加えていないのに、騎士と同じ眼と意思を宿していることに」
「ま、まぁ。セレナはああ見えて、結構な頑固者だからな」
「結果私は、彼女の人格に手を加えずに、騎士としての権限を与えた。それが、騎士セレナが誕生した来歴であり、貴方が知りたがっていた真実よ」
衝撃の事実は、簡単に受け入れることが出来なかった。
それでも口は、自然と動いた。
「納得いきません。今のセレナが、裏の顔だとしたら、表の顔……本当のセレナはどうなったんですか」
「……二重人格とは本来、本人の意思で切り替えることができます。しかし彼女にはそれが出来ない、いや、正確にいうならば、本当の自分を見失ってしまったんです」
「本当の自分を見失う、だって?」
「騎士でいる間、彼女は常に裏の顔で過ごしていた。いつしか彼女は、今が本当の自分だと思い込んでしまい、本来の自分という存在そのものを忘れてしまっているんです。だからあの日、貴方と再会した日も、躊躇なく殴打したんですよ」
簡単に認めることができない真実ばかりが、明かされていく。
自分を見失っているなんて。要は、もうセレナはこの世界のどこにもいないって意味じゃないか。
創世神の手で偽りの人格を植え付けられたわけでもないなら、手のつけようがない。例え人界を取り巻く全ての問題を解決した所で、彼女は二度と元に戻らないことになる。
なら俺は、これから何のために戦えばいいんだ。唯一の希望であったセレナと二度と会えないなんて……。
そんな思考に陥っていると、ふとカズヤは、ある事象を思い出した。
「ヒヅキさん……セレナはまだ、自分を見失ってなんていません」
震える声で、呟く。
「セレナは、俺のことを『カズヤくん』と呼びました。それだけじゃない。冷徹無情の裏の顔からでは、絶対に言わないであろう、力以外での解決も公言しました」
フロリダにトドメを刺す時、騎士は必死に俺を呼び止めていた。あの時俺は、かつてのセレナの面影を感じた。
流石に予想外だったのか、創世神は考え込みながら、淡々と言った。
「貴方と……心の支えだったカズヤくんと再会したから、本来の自分──表の顔が目覚めかけたというの?」
「可能性はあります。事実、今の彼女は騎士にしては異質な存在に思えます」
「……人の心は、時に解明不可能な現象が起きるから、ありえなくはない。もしかしたら、貴方と接触していくうちに、セレナちゃんは本当の自分を取り戻せるかもしれない」
創世神の発言は、暗闇の中に一際強く輝く希望のように思えた。
本当の彼女を、呼び戻せるかもしれない。今の彼にとって、その事実だけが唯一の支えになるものであった。
「無論、容易にはいかないでしょう。今すぐに彼女が戻るとも限らないし、最悪、二度と戻らないで終わるかもしれません」
「そんなこと、絶対にさせません」
否定的な意見を述べる創世神に、俺は真っ向から反対した。
「セレナが変わってしまった原因が俺にあるのなら、俺が責任を持って彼女を守り続けます。セレナにはもう二度と、一つも悲しい思いなんてさせません」
迷いを振り切るように、芯のある声で応える。
騎士セレナの人格が戻る可能性が微かにでもあるのなら、俺はそれに賭ける。それが、彼女を一人残し旅に出た、彼女の苦しみを理解してあげなかった俺にできる、唯一の償いだ。
取り敢えず、一通りの疑問が解決し、多少なりとも余裕が出来上がると、新たな疑問が込み上げてきた。
「創世神。貴方は何故、俺とセレナについて熟知しているんですか?」
「あ、そういえば言ってなかったわね。私は常に秩序を保つために、人界全土に《使い魔》を配置してるのよ。禁書目録違反や善なる人を見つけるためにも、村や街の周囲に生息する生物に《感覚共有》その他の術を施して全世界に放った……」
「ははあ……。それがあなたの眼であり耳だったわけか。ひょっとして、俺も監視してたりします?」
「ええ」
創世神はにやりと笑うと、右手を伸ばした。掌を上向け、誰かを呼ぶように指先をちょいちょいと動かす。すると──。
「うわっ!?」
いきなり、離れの本棚から何か小さいモノがぴょーんと飛び出し、丸テーブルの上に姿を現した。見ればそれは、何気にずっと一緒だったムーンラビットだ。素早く振り向くと、両眼で俺を見上げ、右の前脚を持ち上げて俺に挨拶した……ように見えた。
「名前はスコッド。君がこちらの世界に来た時から、ずーっと君の言動を見聞きしていた。……たまには見る以外のこともしていたけど」
創世神にそう言われ、ムーンラビットは四本の足を縮めると低く唸った。
「……じゃあ、こいつは俺に懐いてたわけじゃなくて、ただ監視のために側にいただけなのか」
動物に好かれて浮かれていたのが馬鹿らしく思えてしまい、つい頭を垂れる。
スコッドは何を答えるでもなく爛々と光る両眼を向け続けていたが、不意にテーブルから降りると素早く走り、近くの本棚に身を隠してしまった。
小さな使い魔を見送った創世神は、穏やかな声音で囁いた。
「スコッドは、私が術式を施し人界各地に放った最古の監視生物で、長い任務もようやく終わったの。何百年も働かせちゃったわ……」
「……監視生物……」
呟き、俺はもう一度スコッドが隠れた本棚を見やった。彼の任務は、あくまで俺の観察だったはずだ。しかしさっき、任務外の行動に出たと言っていた。もしかしたら、気づかないうちに何度も俺を助けてくれていたのかもしれない。考えようによっては、彼は焔天剣以上に身近で俺を支えていたんだ。
──ありがとう。
心の裡で礼を言い、俺は本棚に向かって頭を下げた。
すぐに視線を創世神に戻し、椅子から立ち上がり言った。
「俺も、騎士たちと一緒に動きます。今の人界は、一秒たりとも無駄には出来ませんから」
「……違う世界から来たあなたに頼むことじゃないかもしれませんが」
今度は創世神も立ち上がり、頭を下げてきた。
「お願いします」
「……任せてください」
それだけ言い残し、身を翻す。
これから更に忙しくなる。集った義勇兵の修練や分断の壁護衛任務など、仕事が山のようにある。
でも、今の俺たちならやれるはずだ。今度は禁書目録など関係なく、人界のために一致団結した、俺たちなら。
そんなことを考えながら、部屋から出ようとした矢先──。
「カズヤくん!! 開けては駄目ッ!!」
「──え?」
背後から、呼び止める声が届いた。だがその頃にはもう既に、扉を開けてしまっていた。
扉から足を出した瞬間、足元に妖しく光るサークルが出現。一瞬でカズヤの全身を紫色の帯が包み込み、強く発光した。
光が収まると、そこにカズヤの姿はなかった。
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