異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第三部・二章 血流大戦(前編)

第十話

 ──これは戦。
 だから、敵がどのような攻撃を行おうと、それによってどのような損害を被ろうと、それを恨むのは筋違いだ。事実、セレナ自身も今まで無慈悲としかいえないほどの魔界の民の命を奪っているのだから。
 なればこそ。
 この怒りを。哀しみを。更なる力に変えて、更なる殺戮をもたらしたとしても──。
「……命を捨てる覚悟ができてないと言うまいな!!」
 華焔剣を音高く抜き放ち、セレナは叫んだ。
「五月雨! 霧雨! 全速突撃!!」
 騎士が使役する飛竜は、本来、決められた主人以外の者の戦闘命令は絶対に受け付けない。
 しかし二頭の飛竜は、揃って獰猛な咆哮を轟かせると、翼を打ち鳴らして突進を開始した。峡谷の外側、炭色の大地がどこまでも連なる魔界がたちまち近づく。
 燃えさかる瞋恚に突き動かされながらも、セレナの瞳は、敵本陣の隊形を素早く視認した。
 谷の出口から五百メルほど先の左側に、揃いの金属鎧に身を包んだ暗黒騎士団が約五千。
 その右には、薄気味悪いローブで顔を隠したデーモン族が同じく五千。これらが敵軍の主力だ。
 後方には、予備戦力と思しきゴブリン歩兵とオーガ族、大規模な輜重部隊が展開している。その中に、敵の総大将、邪教神がいるはずだ。
 そして最も手前には、暗黒騎士とデーモンに挟まれるようにして密集する、肌を露わにした集団があった。
 あれだ。あれが、先刻の大規模呪詛禁忌魔術を発動させた女性騎士団たちだ。数は約二千。接近する飛竜に気付いた者から、我先に逃げ出そうとしている。
「一人たりとも逃がさん!!」
 低く叫ぶと、セレナは竜たちに命じた。
「奴らの後方を狙え……いまだ、撃て!!」
 飛竜は即座に首をたわめ、あぎとを大きく開く。口腔に満ちてくる炎が、白い牙を真紅に輝かせる。
 ずばっ、と空気を引き裂いて平行に迅った二条の熱線が、後退する女性騎士たちの行く手に突き刺さった。
 大地を揺るがす爆音。吹き上がる火炎。巻き込まれる人影が、木の葉のように舞う。
 炎に退路を塞がれた騎士らは、完全に統制を失い、一箇所に寄り集まった。
 セレナは華焔剣を高々と掲げた。刀身が、太陽よりも光り輝く。
「──リベラシオン!」
 歯切れのいい金属音とともに、剣が幾百もの花弁へと分離した。それら一つ一つから発せられる焔素は、セレナの内なる怒りを映して、かつてないほど強力に放出していた。

 馬鹿な。
 有り得ん!!
 女性騎士団長ラビリア・テン・ナーチスは、峡谷から矢の如く突進してくる竜騎士を見上げながら、頭の中で絶叫した。
 この地に残留する多くの怨念を贄とし、二千の術師が詠唱した禁忌魔術は、期待以上の威力を予感させつつ敵軍へと襲いかかった。天界の騎士どもはもちろん、地上の兵もことごとく食い荒らして余りある持続力だったはずだ。
 なのにどうしたことか、全ての敵を貪ろうとするはずの術式が、たった一人の騎士へと集中し、無駄遣い極まりない過剰殺戮を行っただけで消滅してしまったのだ。
 孤毒蟲は強靭な生物に吸い寄せられる。つまり意図的に誘導しようと思ったら、人間や飛竜さえも超える、それこそ古の大戦で活躍した守護竜の擬似生物を瞬時に作り出す必要があるが、そんなものを短い術式で生成できるはずがない。この結果は論理的ではない。まったく理屈に合わない。
 ──この私が、全世界を統べるこのラビリア・テン・ナーチスが知らない現象など、存在するものか!!
 ラビリアはぎりぎりと歯嚙みしながら、無音の絶叫を迸らせた。
 しかし事実として、敵軍はたった一人の犠牲を出しただけで突進を再開し、もう二千人しか残っていない女騎士たち目掛けて怒濤の勢いで襲いかかってくる。
「後退!! 総員後退!!」
 ラビリアは甲高い声を張り上げた。
 しかし直後、頭上を二筋の熱線が横切り、ほんの数十メル後方に突き刺さった。
 轟音とともに爆煙が膨れ上がり、数十人の部下が巻き込まれて悲鳴を上げた。ラビリアが立つ馬車の二階にまで熱波が押し寄せ、自慢の黒髪をちりちりと焦がした。
「ひっ……」
 悲鳴を上げ、ラビリアは馬車から転がるように降りた。こんなものに乗っていては、的にしてくれと言うようなものだ。
 部下に紛れて走ろうとしたラビリアの視界を、眩い赤色の光が照らした。
 吸い寄せられるように見上げた先で、一頭の飛竜の背に跨る天界の騎士の剣が、無数の光へと分離した。
 その光ひとつひとつが、恐ろしいほどの威力を秘めていることがありありと感じられた。周囲に漂う魔素から、どのような素因を生み出そうと防げるものではないことは明らかだった。
 ──糞ッ、畜生ッ、死んでたまるか!!
 ──こんな場所で!! 世界の王たるこの私が!!
 直後、地上に、真紅の光線が降り注ぎ、ラビリア含む女騎士の多くを焼き切った。
 
 セレナは、耳に届く無数の悲鳴を、心を鬼にして遮断した。
 もう二度とあの術を使わせない。術者も、式句もこの地上から抹消する。
 右手に残った、光り輝く柄を振り払うたび、その動きに従って鋭利な花弁から放たれる焔が眼下の敵を薙ぎ払っていく。金属鎧を身につけていようが、抗うすべもなく体を焼かれ、倒れていく。 
 二千はいたと思われる女騎士団の九割以上を殲滅したと確信するまで、セレナは解放術を維持し続けた。
 二百人ほどの術師たちが、折り重なる仲間の骸には眼もくれずに逃げ去っていったが、それまでは追わずにセレナは華焔剣を元の姿に戻した。
 視界の左奥、暗黒騎士団本陣の後方から、十機ほどの飛竜が飛び立つのが見えたのだ。
 そのまま接近してくるかと思ったが、敵の竜騎士は隊列を組んで滞空しているだけで、距離を詰めてこない。理由はすぐに解った。後方から、ヒサカゲたちが追いついてきたのだ。
「セレナ、一人で無理するな!」
 テレーゼの死を気遣ってか、追いつくや否やそう声を掛けてくるカズヤに、セレナはどうにか言葉を返した。
「ええ……大丈夫よ、カズヤ。地上部隊の護衛は任せて。あなたは……囮の役目を果たしなさい」
「ああ……だが、なるべく前には出るなよ」
 カズヤは叫び、敵竜騎士に眼を向けた。セレナは、傍らの霧雨と共に微速で降下、後退させた。

 暗黒騎士の、デーモンの、亜人の──そして姿は見えないが、巨大な気配を持つ何者かの意識が注がれるのをありありと感じる。後方では、ようやく峡谷から出た衛士隊と補給隊が、南へと転進し、全速で離脱していく音が低く轟いている。
 その足音を掻き消すほどの大声で、カズヤが叫んだ。
 魔術によって増幅された声は、四方に朗々と響き渡った。
「──俺の名はカズヤ!! 人界を守護する創世神の代行者、《特異点》だ!!」
 まったくなんの裏付けもない、はったりにも等しい宣言だった。
 しかし直後、敵の全軍が重くどよめいた。カズヤを捕らえんとする渇望が、地上から触手のように伸び上がってくる。やはり、敵は人界の蹂躙と同じく、特異点たる俺を欲しているのだ。
 彼らは知っているのだろうか。特異点が聖邪の間に到達すると起こる悲劇を……。
 そんなことは、カズヤにはどうでもよかった。ただ、敵の半数が自分を追ってきさえすれば。敵をこの地から引き離し、時間を稼ぐことで、テレーゼが、イユが、散っていった多くの衛士たちが望んだ人界防衛の望みが繋がるのなら、それでよかったのだ。
「俺の前に立つ者は、懺悔の用意をしておくんだな!!」
 
「あやつは……」
 暗黒騎士団団長ラギルスは、玉座から立ち上がると低い声を漏らした。
 あの声……あの顔……あの闘気。
 間違いない。あの少年だ。
 アースリア襲撃時、実力も及ばぬのに勇猛果敢に挑み、守護竜駆除の任では我々を圧倒した剣士。名は確か……カズヤ。
 まさか、あの少年が皇帝の望む特異点だったとは……これは運命と呼ぶべきものなのだろうか。
「団長……。指示を……」
 を取り付けた腕を組みながら、隣に立つが囁く。
 個人的な感慨を一度捨て、思考を指揮官へと切り替える。
 特異点と自ら名乗り出たということは、あれは囮。恐らく我々の戦力を二つに分け、防衛線が整うまでの時間を稼ぐつもりだな。
 我らの目的は人界の支配。そして特異点の奪取。
 邪教神様は、私に言った。
 ──特異点さえ手に入れば他はどうでもよい。……自由に動け。
 魔界に住む者は、創造主たる邪教神の命令に背くことはできない。だが、
 人界への侵攻中は、人界への攻撃しか許されない。だが特異点を追いかけるのであれば、我等騎士団も自由に動ける。そして特異点を奪取した後は、人界の守備軍最高指揮官に和平を申し立てることも出来るかもしれない。
 一瞬の思慮を巡り、ラギルスは決断を下した。
 竜の手綱を引き、南の夜空へと飛び去っていく騎士に青い炎にも似た視線を凝らしながら、ラギルスは伝令髑髏に低く、熱く囁きかけた。
「全軍、移動準備。オーガ部隊を先頭に、暗黒騎士団、デーモン部隊、補給隊の順に隊列を組み、南へ向かえ。あの剣士を、特異点を捕らえるのだ」

 動き出した闇の大軍勢が巻き起こす土埃が、赤い星ばかりが瞬く魔界の夜空を灰色に染め始めた。
 簡易望遠鏡を覗いていた騎士長ヒサカゲが、顔を上げて低く唸った。
「こりゃあ何と……。魔界は本気でお前さんを狙っているようだな。全軍で追っかけてくる気らしいぞ」
「喜んでいい……ですね。少なくとも、これで時間は稼げるはずです」
 緊張を生ぬるいレモン水で飲み下しながら、カズヤは呟いた。
 人跡未踏の──あくまで人界の民は、という意味だが──魔界の荒野を、峡谷の出口から真南に五キロほども直進したあたりの小さな丘陵で、守備軍囮部隊は最初の小休止を取っている。
 衛士たちの士気は高い。
 一時は全員を絶望の淵に叩き落とした敵の大規模術式を、一人の天界の騎士が身を挺して防いだことで、その意気に報いるべし! と全員が決意を新たにしたのだ。
 しかしセレナは、いまだにテレーゼの死を受け入れられないでいた。
 テレーゼはセレナの指導役であり、姉のような存在だったと聞いている。彼女はお薦めのお菓子やら飲料やらを見つけてはセレナに味見させたり、気障きざな冗談を披露したり、とにかく一日として大人しくしていることはなかった。
 時折鬱陶しくは思っていたが、亡くなってから気付く。テレーゼの存在が、いかに大切だったのかを。
 ……彼女は、騎士セレナにとって唯一の家族と呼べる間柄だったんだな。
 北西の夜空に鋭く連なる山脈を見上げながら、激凍剣にそっと触れる。
 テレーゼが禁忌魔術に突撃する直前、戴天の負担を減らすために補給部隊に預けていた激凍剣が強く発光したのを見た。
 一瞬瞑目したカズヤが、再び瞼を開くのを待っていたかのように、騎士長が言った。
「今後の方針だが……基本的には、囮部隊の騎士団三人の最後の一人が倒れるまで、ひたすら敵軍を引っ張り、数を削いでいく、ということでいいんだな?」
 丘陵の北端に並んで立つ騎士長に、カズヤは深く頷きかけた。
「俺も同じ考えです。すでに、侵略軍の半数を殲滅し、またセレナのお陰で女性騎士団もほぼ掃討できました。あとは敵主力たる暗黒騎士とデーモンをある程度消耗させ……そして邪教神さえ倒せば、残る敵が休戦交渉に乗ってくる可能性は高いと思いますが、どうでしょう」
「うむ……。問題は、その邪教神がどこにいるかだな」
「先刻、一瞥した限りではあの場にはいませんでした」
「となると、これも少年の予想通りってわけか……。もしラギルスが健在なら、休戦交渉は現実のものになるかもしれんぞ」
 太いため息。ヒサカゲが、現在想定し得る理想的な結末が、如何に過酷なのかを物語っている。
 そっと首を振り、最古の騎士は低く呟いた。
「いまは、やるべきことを優先的に果たしていくのみだ。さっさと邪教神を倒して、平和な世界を作るとするか」
「そうですね」
「ああ。……少年も知ってると思うが、魔界には、人界のような法なんて一切ない。あるのはただ、強者に従うという不文律のみだ。そして……邪教神への絶対服従……。奴を倒さん限り、この戦は終わらないということだ」
「そうですね……神に逆らおう、などと言う者がいないのも納得です」
 人界でも、創世神に逆らおうとした人族など一人もいない。魔界もそれは同様で、圧倒的な実力を持つ邪教神に逆らおうとする民などいないのか……。
 すると、騎士長はふっと短く笑みを漏らし、カズヤの背中をぽんと叩いた。
「とは言え、我らが人界には、カズヤという反逆者が現れたわけだしな。この地にも、気骨のある奴がいることを願おう」
 その時、力強い羽ばたき音が聞こえて、二人は顔を上げた。
 降下してくるのは、騎士セレナの飛竜、五月雨だ。竜の爪が地面を捉えるより早く、軽快な身のこなしで飛び降りた女性騎士は、ヒサカゲに駆け寄ると急き込むように言葉を発した。
「報告します、騎士長閣下。この先一キロルほど南下したところに、待ち伏せに利用可能と思われる灌木地帯が広がっています。現在、キクノ殿を筆頭に獣人部隊が向かっております」
「よし、偵察ご苦労。残った部隊にも移動再開の準備をさせてくれ。……嬢ちゃんの飛竜もそろそろ疲れてきたはずだ、たっぷり餌と水をやっておけよ」
「はっ!」
 素早く騎士礼を行い、走り去っていく影を見送ってから、カズヤはふと騎士長の口許にかすかな笑みが浮かんでいるのに気付いた。
「……師匠?」
 問いかけると、ヒサカゲは一瞬照れたように顎をかき、肩をすくめた。
「いやなに……創世神殿のやり方はとても許されることじゃないが、しかし、もうああいう新人が騎士団に入団してこないのは残念だな、と思ってね」
 カズヤは少し考え、同じく微笑みながら言った。
「騎士になるのは、難しいことじゃないですよ」
 右手でもう一度、激凍剣をそっと撫でる。
「民を守りたい意思……それがあるだけで、誰でも騎士になれます」

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