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海に帰ってきた――シュヴァリエは波風に銀髪の髪を揺らしながらぽつりとつぶやいた。
「海魔だ!」
織歌の透き通るような声があたりに響く。
黒瑪瑙のように輝く黒髪と、朝焼けの海のような桃色と水色が融けた瞳……彼女は何も変わらない。
数年前に見たあどけない少女、物語のヒロインのような姿のまま――
◇ ◇ ◇
かつて私は将来を期待された海軍大尉だった。
「深海教団は知っているね」
最悪のオファーが来たのは4年前の1919年――アメリカ海軍が大きく揺れていた時だ。
世界最強の海軍を目指す軍拡の流れが過渡期を迎え、アメリカ海軍は予算も人員も削るようになっていった。
世界中の海域にモンスターが出没しているというのに、新たな武器を作ることもままならない。
「ええ、海魔を崇める新興のカルト集団。世間の知名度は高くはないですが、危険性が高く政府にマークされている団体、と」
追い詰められた上層部は海の魔物を信仰するカルト教団と手を組んで、独自の対処法を編み出せるよう動き出した。
「よく勉強している。さすがだ、イス大尉」
マニラの暖かい気候の中で、ベインブリッジ少将の冷たい声が異質に響く。
夕陽の残滓が、真鍮の窓枠にわずかに赤を残す。
薄いレースのカーテンが、湿った夜風に静かに揺れていた。
ヒロシマでの日本海軍との共同演習が終わり、駐留しているフィリピン・マニラに戻ってきた私の元を訪れたベインブリッジ少将は、わかりやすく不機嫌だった。
原因はあれだろう――日本軍との演習で紹介された”女性”士官候補生。
ただでさえ目障りな日本軍が、時代の先に立つ列強国の風を吹かせて女性将校候補をお披露目してきたことに、ベインブリッジ少将は顔に泥を塗られた気分だったようだ。
女性士官候補生はまだ16歳。幼ささえ残る顔つきの少女だったが、自信満々でしっかりと人の目を見て話す堂々とした姿が余計に癇に障ったらしい。
女の癖に、子供のくせに、日本人の癖に……そう言いたい口を必死で抑えている様を、演習中に遠くで見ていた。
「深海教団は「海には死を司る神がおり、すべては海へ還る」という教えの元、人種を問わない博愛主義を掲げた組織。しかし、生贄と称して信者を海に沈める過激な私刑が横行していると聞いております」
ベインブリッジ少将の怒りに触れないよう、従順な軍人を演じることにする。
つらつらと知っている限りの深海教団について知っている情報を伝える。
――人種に優劣なし、この言葉は今のベインブリッジ少将を刺激してしまうだろうが、この情報を濁しても彼の機嫌は直るまい。
「だがそんなカルト組織がアメリカで最も「海魔」の秘密を知る存在だ。イス大尉、君には仲介役を任せたい」
私にカルト教団と軍の後ろ暗い繫がりの手綱を握れというのか。
最悪のオファーだが命令は絶対だ。
「わかりました」と言えばこの話は終わる。殺気立ったこの部屋も南国の穏やかな風に吹かれるだろう。
「 」
だがその時の私はどうかしていた。
「イエス、サー」それだけの言葉がなぜか出てこない。
「……日本軍は技術協定を申し込んできておりますが、カルトを頼るのですか?」
イエスの代わりに口答えをする私に、ベインブリッジ少将はイライラしながら叱りつけてくる。
「我々は人間だ。日本の猿に何を教わることがある? 国内の蛆虫の方がまだ役にたつ」
「……閣下、それは…………」
「なんだ、聖人ぶるのか?」
あまりにも酷いベインブリッジ少将の言葉に、ヒロシマ演習で見たあの少女の姿を思い出す。
屈強な男ばかりの軍の中でも恐れることなく背筋を伸ばしてまっすぐに前を見つめる……さながら東洋のジャンヌ・ダルクのような少女。
物語のヒロインのような彼女を見た後に、汚い言葉で発せられた命令を聞こうとする自分があまりにも虚しく思えた。
私の物語はどのように描かれるのだろう。
ミシェル・フランソワ・ローラン・イス――フランス系の裕福な貿易商の長男。
家に海の利権の恩恵が与えられるよう、父の命令で海軍の道へ進んだ。
成績は優秀、上からの評価も良く、順調に出世して現在はアジア太平洋艦隊所属の情報将校。
銀の差す金髪と青い瞳は象徴的な白人で、見目麗しいと称される顔は軍のお飾りには最適。
ひとたび微笑めば誰の懐にも忍び込め、あらゆる情報が手に入る、優秀なスパイにもなれる。
そしてこの先は、人種差別主義者の上官の命ずるままカルト教団の使い走りをすることになる。
「…………お断りいたします」
「自分だけ綺麗なつもりか? 美しいだけのフランス人形が」
私は断った。
それはベインブリッジ少将の差別発言に対する義憤などではない。
ただ、彼の言うことを聞き続ければヒロイックなあの少女と自分を比べてしまいそうで、それがあまりにも苦しかったからだ。
「侮辱されては、余計にあなたの言うことを聞けなくなる」
「その可愛い声で他の男は誑かせたのだろうが、私はそうはいかん。自分の立場をわきまえろ」
「今ここにいるのは実力です。そのようなことをした覚えはありません」
「もういい。すべて終わりだ。この話も、君も」
私は馬鹿だ。
つまらない意地を張った結果、ベインブリッジ少将の不興を買った。
その後に与えられる道は当然――失脚だ。
私を待ち受けていたのははぐれ者の部隊、Hell Subへの移動。
そして――
「特務E班へようこそ。民間協力をしているエンゼルと申します」
海魔憎しで武器を持ち、人殺しすらいとわない狂気の聖職者――エンゼル神父との出会いだった。
「海魔だ!」
織歌の透き通るような声があたりに響く。
黒瑪瑙のように輝く黒髪と、朝焼けの海のような桃色と水色が融けた瞳……彼女は何も変わらない。
数年前に見たあどけない少女、物語のヒロインのような姿のまま――
◇ ◇ ◇
かつて私は将来を期待された海軍大尉だった。
「深海教団は知っているね」
最悪のオファーが来たのは4年前の1919年――アメリカ海軍が大きく揺れていた時だ。
世界最強の海軍を目指す軍拡の流れが過渡期を迎え、アメリカ海軍は予算も人員も削るようになっていった。
世界中の海域にモンスターが出没しているというのに、新たな武器を作ることもままならない。
「ええ、海魔を崇める新興のカルト集団。世間の知名度は高くはないですが、危険性が高く政府にマークされている団体、と」
追い詰められた上層部は海の魔物を信仰するカルト教団と手を組んで、独自の対処法を編み出せるよう動き出した。
「よく勉強している。さすがだ、イス大尉」
マニラの暖かい気候の中で、ベインブリッジ少将の冷たい声が異質に響く。
夕陽の残滓が、真鍮の窓枠にわずかに赤を残す。
薄いレースのカーテンが、湿った夜風に静かに揺れていた。
ヒロシマでの日本海軍との共同演習が終わり、駐留しているフィリピン・マニラに戻ってきた私の元を訪れたベインブリッジ少将は、わかりやすく不機嫌だった。
原因はあれだろう――日本軍との演習で紹介された”女性”士官候補生。
ただでさえ目障りな日本軍が、時代の先に立つ列強国の風を吹かせて女性将校候補をお披露目してきたことに、ベインブリッジ少将は顔に泥を塗られた気分だったようだ。
女性士官候補生はまだ16歳。幼ささえ残る顔つきの少女だったが、自信満々でしっかりと人の目を見て話す堂々とした姿が余計に癇に障ったらしい。
女の癖に、子供のくせに、日本人の癖に……そう言いたい口を必死で抑えている様を、演習中に遠くで見ていた。
「深海教団は「海には死を司る神がおり、すべては海へ還る」という教えの元、人種を問わない博愛主義を掲げた組織。しかし、生贄と称して信者を海に沈める過激な私刑が横行していると聞いております」
ベインブリッジ少将の怒りに触れないよう、従順な軍人を演じることにする。
つらつらと知っている限りの深海教団について知っている情報を伝える。
――人種に優劣なし、この言葉は今のベインブリッジ少将を刺激してしまうだろうが、この情報を濁しても彼の機嫌は直るまい。
「だがそんなカルト組織がアメリカで最も「海魔」の秘密を知る存在だ。イス大尉、君には仲介役を任せたい」
私にカルト教団と軍の後ろ暗い繫がりの手綱を握れというのか。
最悪のオファーだが命令は絶対だ。
「わかりました」と言えばこの話は終わる。殺気立ったこの部屋も南国の穏やかな風に吹かれるだろう。
「 」
だがその時の私はどうかしていた。
「イエス、サー」それだけの言葉がなぜか出てこない。
「……日本軍は技術協定を申し込んできておりますが、カルトを頼るのですか?」
イエスの代わりに口答えをする私に、ベインブリッジ少将はイライラしながら叱りつけてくる。
「我々は人間だ。日本の猿に何を教わることがある? 国内の蛆虫の方がまだ役にたつ」
「……閣下、それは…………」
「なんだ、聖人ぶるのか?」
あまりにも酷いベインブリッジ少将の言葉に、ヒロシマ演習で見たあの少女の姿を思い出す。
屈強な男ばかりの軍の中でも恐れることなく背筋を伸ばしてまっすぐに前を見つめる……さながら東洋のジャンヌ・ダルクのような少女。
物語のヒロインのような彼女を見た後に、汚い言葉で発せられた命令を聞こうとする自分があまりにも虚しく思えた。
私の物語はどのように描かれるのだろう。
ミシェル・フランソワ・ローラン・イス――フランス系の裕福な貿易商の長男。
家に海の利権の恩恵が与えられるよう、父の命令で海軍の道へ進んだ。
成績は優秀、上からの評価も良く、順調に出世して現在はアジア太平洋艦隊所属の情報将校。
銀の差す金髪と青い瞳は象徴的な白人で、見目麗しいと称される顔は軍のお飾りには最適。
ひとたび微笑めば誰の懐にも忍び込め、あらゆる情報が手に入る、優秀なスパイにもなれる。
そしてこの先は、人種差別主義者の上官の命ずるままカルト教団の使い走りをすることになる。
「…………お断りいたします」
「自分だけ綺麗なつもりか? 美しいだけのフランス人形が」
私は断った。
それはベインブリッジ少将の差別発言に対する義憤などではない。
ただ、彼の言うことを聞き続ければヒロイックなあの少女と自分を比べてしまいそうで、それがあまりにも苦しかったからだ。
「侮辱されては、余計にあなたの言うことを聞けなくなる」
「その可愛い声で他の男は誑かせたのだろうが、私はそうはいかん。自分の立場をわきまえろ」
「今ここにいるのは実力です。そのようなことをした覚えはありません」
「もういい。すべて終わりだ。この話も、君も」
私は馬鹿だ。
つまらない意地を張った結果、ベインブリッジ少将の不興を買った。
その後に与えられる道は当然――失脚だ。
私を待ち受けていたのははぐれ者の部隊、Hell Subへの移動。
そして――
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