婚約破棄された元聖女、魔王の息子に攫われて溺愛されています

百合川八千花

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25「聖女誘拐」★ヴェルグ視点

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 ヴェルグがすべてを知ったのは、アルティアを失った後だった。
 暖かな笑い声が満ちていたはずの屋敷は、まるで廃墟のように静まり返っている。

 彼女の姿はどこにもなく、壁に飾られた肖像画だけが、虚しく微笑んでいた。

「……これは、どういうことだ」

 部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
 いつもの心地よい魔力の流れが、ざわりと逆巻く。

「申し訳ございません……っ! ヴェルグ様……っ!!」

 絨毯の上に額をこすりつけて泣き崩れているのは、リズ。
 普段は毅然としていた彼女が、肩を震わせて泣いている。

「やめて。そういう顔が、今はいちばん見たくないんだ」

 低く落とした声に、自分でもわずかに驚いた。
 怒りの温度が、皮膚の下で煮えたぎっている。

「……なにが、あったの」

 問いかけに対して、リズの唇は震えるばかりで言葉を紡がない。
 それどころか、彼女の首に黒い瘴気が――無意識に巻きついていた。

「……っ……ごめんなさい……侵入者が……聖女様を……」
「侵入者?」
「子供が……それに、百合の紋章が……きっと、ベルモンド王国の……」

 ばちっ――

 黒い瘴気が大気を焼き裂くように爆ぜた。
 焦げるような空気の中で、リズが小さくうめき声を上げる。

「ヴェルグ様っ!」

 もう一人、男が駆け込んでくる。
 琥珀の髪、青い瞳――見覚えがあった。あの、教師の……

「俺が……俺が悪いんです! 全部、俺のせいで!!」
「君は……」
「カイルと申します! ティア、いえ、アルティアと学校を運営していた者です!」

 カイルと名乗る男は、リズより先に立って胸に手を当て、深く頭を下げた。
 だが、その動作とは裏腹に、彼の顔は恐怖と後悔に引きつっている。

「……何があった」

 瘴気が広がる。
 抑えようとしても、感情の奔流が止まらない。

「……俺が引き入れてしまったんです。あの子を……エルという少女を」
「エル……」

 その名前に、リズが小さく嗚咽をこぼす。

「……あの子は、ベルモンド王太子・オルフィーと、カミーユ夫人の……」
「娘、だと?」
「はい……そして、その子が……アルティア様に、聖女封じを……」

 ――聖女封じ。

 ベルモンド王家にのみ伝わる、聖なる力を“閉じ込める”異端の呪術。

(……それを、子供に使わせたのか)

「子供に、聖女を襲わせたんだな」

 静かに、ヴェルグが口を開いた。

 その声は、もはや先ほどまでの彼のものではない。
 まるで、底なしの闇が言葉を喋っているかのような――冷たさだった。

「お……オルフィーとカミーユが、エルという子を刺客に……」
「ふざけてる」

 ヴェルグが、拳を握りしめる。
 その瞬間、床がミシリと軋んだ。

「僕の……僕の大切な人を、子供を使って攫っただと」

 壁にかかる、アルティアの肖像画。
 その穏やかな笑みが、今は――ひどく、遠く感じた。

「ヴェルグ様、お心をお鎮めください……! まだ、アルティア様がご無事である可能性も――!」
「なら、すぐに探しに行く」

 立ち上がる。その目は、燃えるような怒りに染まっていた。

「ベルモンド王国を――破壊する」

 宣告は、呪いのように静かに吐き出された。
 その声が、部屋の空気を凍らせる。

「僕の大切なものを、壊したんだ。だから、僕は――壊す」

 心が黒く染まる。
 鏡に映る自分は、かつて魔王だった父と同じ顔をしている。
 手を伸ばすと、瘴気が渦を巻いて魔物の形を作る。
 一匹、二匹……少し息をしている間に屋敷の中は魔物で埋め尽くされた。

「……これが、僕の力か」

 ヴェルグは自分の手のひらをじっと見つめた。
 そこにあるのは、血でも、祈りでもなく――ただ“破壊”の力。

「これだけいれば十分かな」
 
 声が、笑いに変わる。抑えられない。止まらない。

 「はは……あはははっ、あははははははは!!!!」
 
 瘴気を、操ることができる。
 これは紛れもなく父と同じ力。魔王の息子が、次は魔王になる。

「ベルモンド王国に攻め入る! これは、戦争だ!!!」

 ヴェルグの声が、寂しい屋敷に響いた。
 止めてくれるアルティアはもういない。
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