婚約破棄された元聖女、魔王の息子に攫われて溺愛されています

百合川八千花

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26「封印の牢」

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「せーじょさま! せーじょさまあ!!」

 ――頭が、痛い。

 ぐらりと視界が揺れて、石の天井が滲む。
 硬い石畳に寝かされていた身体を無理やり起こすと、体中の関節がきしむように痛んだ。
 冷たい空気。灰色の石壁。小さな明かりが灯された鉄格子。

 (牢……? どうして――)

「せーじょさまっ!! ごめんなさい、ごめんなさい、エル、しらなかったのっ……!」

 震える声で泣きじゃくるのは、小さな女の子――エルだった。
 私はようやく思い出す。
 あのとき、エルに頭を撫でられて……バチン、と黒い瘴気が走った。
 意識を失って――気づけば、ここ。

「エル……?」

 子供とは思えないほど深く項垂れて、エルは両手で顔を覆って泣いている。

「ごめんなさい……ごめんなさい……! おかあさまに、せーじょさまに、おまじないしろって、いわれて……っ」

 その言葉に、胸が締めつけられる。

(エルは……命令されて、知らずに……)

 子供を道具にするなんて、あまりにも卑劣すぎる。

「……いいのよ。エルは、悪くないわ」

 声が震える。だって、本当は怖かった。
 エルの手が触れた時、封印の魔法が私の全身に絡みついた。
 瘴気に満ちた枷が、私の力を封じ、魔法を奪い、身動きを封じる。
 私が瘴気を封じる魔法を持つのなら、王家はその逆。聖女を完全に支配する魔法を持つ一族。
 庶子とはいえ、エルにもその力があると警戒すべきだった。
 だけど……こんなにも純粋な子を、どうやって疑えというのだろう。

「目を覚ましたようね」

 カツン、とヒールの音が響いた。
 鉄格子の向こうに現れたのは、優雅な桃色の髪を揺らすカミーユだった。

「カミーユ……!」

 その目に、狂気の光が宿っている。
 かつての男爵令嬢の、あどけなく笑う姿はもうどこにもなかった。

「“元”聖女様。ここがお気に召さなかったかしら?」
「私をこんなところに閉じ込めて……何が目的なの?」

 エルが怯えて私の服の端を握る。守らなきゃ。
 自分を責めて泣いているこの子だけは、私が絶対に――

「瘴気対策よ」

 カミーユは笑って言った。

「魔王の血を引く男とくっついて、幸せな顔なんてしてるから……国の瘴気がまた濃くなってきたじゃない?」
「……それは関係ないわ。私の仕事は終わった。戦争は終わったの」
「いいえ。瘴気は消えない。なら、聖女に“結界”を張ってもらうしかないじゃない」
「……なにを言ってるの?」
「ここに永遠にいて、魔素の流れを制御しなさい。貴女には“聖女の人形”になってもらうの」

 ゾッとする言葉だった。
 生ける封印。生贄のように、この場所にただ存在し続けるだけの人生。
 それをこの女は、涼しい顔で――まるで理想を語るかのように口にする。

「ふざけないで! 私がそんなことを――!」
「じゃあ、逃げれば? 扉は開いてるわよ?」

 にこりと笑って、カミーユは牢の鍵を回した。
 ……まさか、と思った瞬間、カミーユはくるりとこちらを見て言った。

「ただし。封印の起点はエルよ」
「……っ!」
「封印を破りたければ、エルを壊すしかないわ。小さな命を、自分のために」

 カミーユの声音が甘く、優しい。けれどその中身は、猛毒そのものだった。

「できる? 聖女様」
「や、やだぁ……やだやだやだぁああ!!」

 エルが怯えてしがみつく。小さな体が震えて、涙がポロポロと落ちてくる。
 できるわけが、ない。
 こんな子を、壊してまで私は自由になりたいなんて思わない。

「聖女様が出ようとしたら、エルの中に仕込んだ封術が暴走するの。もし逃げたら、どうなるかしらねえ?」

 ああ、なんてひどい。
 この子に、自分が人殺しになるか、囚人になるかの選択肢しか与えないなんて。

「あなた、どうしてこんなことを……この子はあなたとオルフィー殿下の大切な子供でしょう!?」
「オルフィー? いいのよ別に。私はもうすぐ哀れな寡婦になるのだから」

 ――どういう、こと?

 カミーユの微笑みが、とうとう“本物の狂気”に変わった。

「オルフィーには戦争で死んでもらうわ。私は哀れな寡婦として、聖なるあなたが守る結界の中で静かに暮らさせてもらう……エルと一緒にね」
「戦争なんて起きるわけないでしょう……!」
「起きるわ。貴女を奪えば、ヴェルグは動く。ヴェルグは国を滅ぼすでしょう。戦争が始まるの。すてきでしょ?」

 ぞっとした、この女は、私の考えうる悪意のその先を行っている。
 世界をめちゃくちゃにして、その中で静かに暮らすなどと、ふざけたことを夢想している……!

「エル……エルを、巻き込まないで……」

 ようやく絞り出した言葉に、カミーユはまた笑う。

「じゃあ、じっとしてて。聖女様」

 そう言って、カミーユはくるりと踵を返す。
 扉がバタン、と閉まる音がする。
 そのあとに残ったのは、石の牢と、小さな女の子のすすり泣きだけだった。
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