『見えざる相棒(バディ)』

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暴かれる闇

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 雨の夜道を疾走する車の中。日高光彦(ひだか みつひこ)は助手席のアタッシュケースを抱えるように押さえ、荒い呼吸を整えようとしていた。あの倉庫街での混乱から数分しか経っていないのに、まるで長い悪夢を潜り抜けたかのような疲労感が全身を包む。

「追っ手は……いない、ですね?」
 後部座席に身を沈めたフリージャーナリスト・古川(ふるかわ)が、窓の外をちらりと見やる。ヘッドライトの映る範囲に追走車両らしき影はない。
「今のところ大丈夫そうだ。あと数キロも走れば主要幹線に出る」
 運転席の宮下が短く答え、懸命にワイパーの動きを追う。雨足が一層強まり、視界が悪い。ひとつ間違えば単独事故を起こしかねない状況だが、ここで立ち止まったらまた襲われるかもしれない。

 日高はふと後部座席を振り返る。そこにはもう、半透明の幽霊・平沢真梨子(ひらさわ まりこ)の姿はない。あの倉庫での大混乱の最中、彼女はまるで“使命を終えた”かのように消えてしまった。
(真梨子……本当にもう行ってしまったのか?)
 考えまいとしても頭を離れない。事件解決がようやく現実味を帯び始めたこのタイミングで、彼女がいなくなるなんて――。だが、彼女は何度も日高を救ってくれた。その事実が胸に残る。

 見ると、後部座席のシートにわずかに水滴のような跡が光っている。雨の侵入では説明しにくい位置だ。まるで誰かが座っていたかのように……。
(最後の“痕跡”かもしれない。ありがとう、真梨子。ここまで力を貸してくれて……)

 しばらく走って大通りへ合流すると、街灯やビルの灯りが増え、いつもの都心の夜景が視界に広がる。宮下はちらりと日高に問いかける。
「日高さん、このまま警視庁に行くんですか? 上層部の連中がどう出るか分かりませんよ」
 日高はアタッシュケースを握りしめ、苦い表情を浮かべる。
「わかってる。でもこれだけの証拠を握れば、“揉み消し”もそう簡単じゃないはずだ。組織全体を敵に回しても、もう引き下がれない」

 助手席で古川がメモ帳を開き、取材メモの断片を走り書きしている。彼の目は興奮と警戒でぎらついている。
「警視庁に駆け込むか、それともいきなりメディアにぶちまけるか……二択だな。下手に警察内のルートを通したら、上層部が抱き込まれて終わりだ。記者会見をぶっつけ本番で開く手もある」
 日高は唇を噛む。確かにメディアを通じた“即時の暴露”は有効だろう。しかし警察官である以上、まずは自分たちの組織を信じたい気持ちも捨てきれない。事件として正式に立件し、正当な手続きを踏んでこそ多くの関係者を裁ける。

「主任や俺たちの仲間が、必ず動いてくれるはずだ。……最初から捨てるには惜しいカードだと思う。だから、ひとまず捜査一課へ持ち込む。すぐに裏切られたら、そのときはメディアにリークする」
 それが日高の結論だった。

 深夜もとっくに回った頃、彼らは警視庁の建物へたどり着いた。通常なら入口で職員証を提示しなければならないが、宮下が横にいるおかげでスムーズに中へ入れた。
 まずは主任に連絡を取り、裏口に近い応接室へ呼び出す。数分で駆けつけた主任は、息を切らしながら顔を見せた。
「お前、本当に“完全版”を持ってきたのか……?」
 主任の視線はアタッシュケースに釘づけで、その表情は戸惑いと期待が入り混じっている。日高がケースを開け、中のノートやUSBを見せると、主任の顔色が一気に変わった。
「こ……これは……! まさか、こんなに大量に……!」

 数ページをめくっただけでも、政治家や企業、さらには警察高官の名前がイニシャル化され、金銭の授受や便宜供与らしき記述がびっしりだ。主任は震える声で日高に詰め寄る。
「お前……この情報をどこで……いや、詳しくは聞くまい。ともかく、これを“正式な証拠”として扱うには、上層への報告が必要だ。だが、それをやれば連中が握り潰しに動くのは時間の問題だぞ」
 日高は固い眼差しで応じる。
「わかっています。だから主任、俺たちと一緒に行動してください。いざとなったらメディアに同時公開します。あなたの判断に迷いがあるなら、今ここで“見なかったこと”にしてもらって構いません」

 主任は一瞬目を伏せ、苦悶の表情を浮かべる。警察官としてのキャリアを捨てる覚悟がなければ踏み込めない領域だ。しかし数秒後、彼は意を決したように顔を上げた。
「……俺もここまで来たら腹をくくる。お前だけに押しつけてられるか。捜査一課の刑事として、できる限り動いてみるさ」

 主任を中心に、数名の信頼できる刑事が緊急で招集された。深夜の捜査一課フロアにて、ごく限られた者だけが“平沢真梨子の取材メモ”を閲覧する。
 皆が食い入るように資料へ目を通し、USBのデータを確認するうちに、フロアの空気が変わっていく。政治家や企業だけでなく、警察内部の幹部の疑わしい動きが克明に記録されているからだ。
「これはもう、個人レベルの不正を超えてる……組織的な闇だ」
「再開発の背景にはこんなカラクリが……」
 口々に刑事たちが呟く。彼らもまた現場の人間だ。腐った権力を見ると、怒りと虚しさが入り混じる表情になる。

 そこへ、一課の課長補佐が駆け込んでくる。顔面蒼白のまま日高たちを見回し、声を荒らげる。
「なんだ、こんな夜中に何をしている!? 誰が許可を……」
 すぐに主任が割り込み、「これは“極秘捜査”だ。後々本部長室にも伝えるが、まずは現場で検証中だ」と制止する。
 課長補佐は明らかに動揺している。上層部が指示していた“日高を排除”する計画が、ここで大きく狂ったのだろう。

 その緊迫した空気の中、別の刑事が「無線がおかしいです!」と声を上げた。どうやら通信チャンネルにノイズが入り、何者かが警視庁内部のやり取りを傍受しようとしている形跡がある。
「……まさか“G&C”や政治家サイドが動いているのか? このフロアの通信をジャックしようとしてる?」
 一課の刑事たちがざわつく。さらに、一部の端末に謎のメッセージが表示されるなど、サイバー攻撃のようなものまで起きている様子だ。

 「証拠を持っているのがバレたか……。これ以上、捜査本部が機能しないかもしれない」
 主任が焦りの色を浮かべる。日高も歯ぎしりしながら思う――やはり内部に“内通者”がいる。先日接触してきたグレーのスーツの男や、その背後で動く警察幹部たちが、何としてでも証拠を奪おうと動き出したのだ。

「ならば、今すぐ報道の力を借りるしかない!」
 古川が声を上げる。USBメモリやスキャンしたデータをテレビ局や新聞各社へ一斉に送れば、事態は収拾不可能なほど表沙汰になる。上層部や政治家がいくら圧力をかけても、今回ばかりは隠しきれないはずだ。
 「課長補佐、どのみち俺たちは捜査として動くしかない。あなたが止めてももう遅い……!」
 日高の鋭い言葉に、課長補佐は蒼白な顔を歪めて何かを言いかけるが、主任がそれを制する。

「よし、全力でリークしよう。朝までに主要メディアへ一斉拡散だ。もし何者かが妨害してきたら、そのこと自体を記事にしてもらう!」
 一課の若手刑事たちも次々に端末を立ち上げ、動き始める。怒号と興奮の入り混じった熱気が、夜の捜査一課フロアを満たしていった。

 その混乱の只中、日高はふと背後を感じて振り向いた。誰もいないはずなのに、一瞬だけ人の気配がしたのだ。先ほど車で感じたのと同じ、“空席がわずかに動く”ような違和感――。
 (真梨子……?)
 呼びかけようと唇を動かした瞬間、どこかで聞き慣れた声がした気がする。――「ありがとう、もう大丈夫」。鼓膜を震わすほどはっきりしたものではなく、意識の底に届くかすかな囁き。そのひとことに、日高の目が潤む。

 見回してももちろん誰もいない。だが、彼女の存在は確かにここに残っている。少なくとも、彼女が託した“真実”は、ようやく多くの人々の前に明かされるのだ。
 「ありがとう、真梨子。あとは……任せろ」
 日高は小さく呟き、USBメモリを握り締めた。
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