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スキー講習旅行二日目 ~ささやかな贈り物~

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 スキー講習旅行参加者たちの目的地であるスキー場に到着したのは出発した翌日の明け方前であった。
 観光バス専用の停留所となっている広場でバスを降り、荷物を受け取った後、宿泊予定の民宿にぞろぞろと移動を開始する。
「大雪のせいで、到着予定時刻が半日以上遅れちゃったもんなぁ…」
 ペンションや民宿が立ち並ぶ道路であるが街灯の数は少なく、夜明け前ということもあって薄暗い。道沿いの宿泊施設の宿泊客に迷惑にならないように静かに移動するようにという注意がなされていたが、大人数という事もあり、足音やスキーバックを引く音を消すことが出来ず、遠慮気味の騒音があたりに響いていた。
「…あ、プラネタリウムみたい」
 民宿への移動中、まだ暗い空を誰かが見上げたのか、どこからかそんな小声が聞こえてくる。
「ほんと都会では見られない星空ね…」
 優子もあまりにも美しい満天の星空を見上げため息交じりの声を漏らす。
「この満天の星空って、スキー場に来る楽しみのひとつでもあるんですよ」
 渉も久しぶりに見る星空が嬉しいのか笑顔を浮かべていた。
「天体観測するに大阪は明るすぎるからなぁ…」と呟く古谷に優子が「能勢の方とか——南生駒の山の中まで行くなら結構星見えるわよ」と笑う。
「観測機材とか持っていくとしたら、どっちも車が無いと辛い場所やん」
 そんな事を古谷が言っていると、彼らの前から小さな女子の悲鳴が聞こえてきた。
「⁈」
 何事かと思いながら歩いて行くと、未知の横に設置された深さ1mはある融雪路に静香がはまっていた。
「そんなところで何やってんの?」
 通りがかった優子が静香を見下ろし声をかける。
「——見ての通りよ。星があんまり綺麗だから見とれながら歩いていたら、ここに落ちちゃったの!」
 自分のうかつさに腹が立つやら、恥ずかしいやらといった調子で静香が言う。
「意外に静香先輩ってどんくさいんですね」
 渉が笑いながらそう言って静香に手を差し伸べた。
「うっさいわね…」
 反抗的な言葉を口にする静香であったが、融雪路の雪は新雪で柔らかく、自力で抜け出すことが困難だった為、渉の手を掴まる事によってようやく融雪路から脱出する。
「地面だと思ったらスカスカの雪だったからびっくりしたわ」
 渉に小さく礼を言った後、照れ隠しなのかそんな事を言ってぼやいてみせた。
「柔らかい雪で良かったじゃないですか。雪国の融雪路って結構深いから、新雪でなかったら落ちて怪我をしてする事もあったんですから」と渉に諫められ、静香は肩を竦める。
「地面、滑る所があるんで気をつけてね――」
 そんな注意が前方から聞こえてきたのと、ほぼ同時にあおいが派手に転んだ。
「痛ったぁ~い!」
 思わず声をあげるあおいの叫び声を聞きながら優子は「うちの部員はうかつで粗忽者ばっかりですか…」と呟いて天を仰ぐ。
「けが人でなきゃいいですけど…」
 渉のそんな呟きに優子は深いため息を吐いた。

 宿の到着時間が大幅にずれ込み遅かったので、宿に着いた一行はすぐに割り振られた部屋で布団に潜り込む事となった。就寝時間が遅かったので起床時間もずれ込む事となり、食堂に集合したのは13時に集合で、テーブルの上に用意されていたのはバーベキューセットであった。
「寝起きにバーベキューって…」
 席に着いた者たちは皆、用意された山盛りの肉と野菜を見て「食べられるか?」といった表情を浮かべている。そんな彼らに教師から「この料理は昨夜、到着してからの夕食として用意していたもので、せっかく用意してもらったのだし、廃棄するのはもったいないので、今から頂く事となった」という説明がなされた。
「お肉や野菜は傷んでいる様子はないし、廃棄になったら勿体ないお化けが出るもんね…」
 そんな事を言う香奈子に古谷が「勿体ないお化けって…」と笑う。
「うちのママの口癖で、モノを大事にしなかったり、食べ物を粗末にするとそう言ってよく怒るのよ――」と香奈子が説明していると、静香や優子も「うちの親も同じ事を言う」と笑った。それを聞いた古谷が「日本って昔からモノを大事にする文化やから、付喪神とかの話もあるぐらいやもんな」と納得した表情を浮かべた。
 民宿の従業員が各テーブルのコンロに点火して回り、二日目最初の食事が始まる。
 最初、寝起きでバーベキューなんて食べられないと言っていた生徒たちも、若いからか肉などが焼ける匂いが漂い始めると食欲が出てきたらしく、用意された食材は廃棄される事なく全て彼らの胃袋に収まった。
 食事の後、スキー板などをレンタルしている者はサイズ合わせとなり、民宿裏のゲレンデに15時と集合いう事となった。
「あれ? 静香先輩どこ行くんですか?」
 スキー講習の準備をしていた香奈子とあおい達を横目に、部屋を出ようとしていた静香にあおいが声をかける。
「先輩たちと近所の神社参りに行ってくるの」
「…先輩?」
 受験や就職活動があるので三年生は参加していないのに、静香が『先輩』という言葉を口にしたのを聞いて首を傾げる。
「ああ、木下先生の奥さんの事——先生の奥さんは私の二年先輩で、卒業してからすぐに先生と結婚したのよ」
「へ?」
 静香の話を聞いて香奈子とあおいの目が点になる。
「木下先生って現国の先生で、うちの学校の先生になったのって教員免許を取って二年ぐらいの頃だったらしいわ」
 そこで教え子だった今の奥さんと出会って恋に落ちたのだという。
「映画やドラマみたいな出会いってあるのねぇ…」
 静香の話を聞いて香奈子が感心したような感想を漏らす。
「そんな訳だから、木下先生の奥さんの事を結婚してから先生の奥さんって呼ぶか、先輩って呼ぶかで最初悩んだのよ」と静香は笑った。
「先生と生徒が結婚って、問題にならなかったんですか?」
 あおいが素朴な疑問を口にする。
「結婚するまでは健全なお付き合いをしていたみたいだし、先輩の親にちゃんとお付き合いの挨拶に行って親公認の仲だったって聞いたわよ」
「…へぇ」
 運命的な出会いって本当にあるのだと呟くあおいに、静香は香奈子とあおいに片手を挙げ、「スキー頑張ってね」と言い残すと部屋を出て行った。

 スキー講習のクラスは初心者と、それ以上は自主申告によって中級、上級クラスに分かれ、講習初日は時間がない事もあって、初心者はスキーの基本的な講習を受けるのみとなり、中級者と上級者はすぐにコースを滑る事ができたが、こちらも時間的に一本滑るのが精いっぱいという状態で、本格的にスキーを楽しむのは翌朝からという事だった。
「ナイター用の照明があるんだから夜も滑らせてくれたらいいのに…」
 中級者クラスだった優子は自室に戻って来ると不満そうに口を尖らせた。
「こっちはスキー靴を板にセットするだけで大騒ぎだったわ」
 そう言って講習を終え、先に部屋に戻って来ていた香奈子が笑う。
「香奈子さん、どうして中級者クラスに来なかったの?」
 去年もスキー講習旅行に香奈子は参加していて、滑れるはずなのに初心者クラスを希望して一から講習を受けなおしているのを不思議に思った優子が訊ねた。
「私、まだボーゲンでもまともに曲がれないから、中級者コースなんて無理無理」と言って香奈子は笑う。
「そっかぁ…」
 優子は残念そうな顔になり、今回初めてスキーを体験する事となったあおいに感想を聞く。
「まだよくわかんないですけど、スキー板って長いから自分の板を踏んじゃうし、歩きにくかったですぅ」
「すぐに慣れるし、滑れるようになれば、コースの上までリフトを使って上がるから、滑る度に坂をカニ歩きで登る事もしょっちゅうじゃなくなるから大丈夫」
「そんなものですか?」
 優子の言葉にあおいが訊くと、優子と香奈子は頷く。
「明日から本格的な講習になるけど、かなり筋肉使うから覚悟しておいた方がいいわよ」と忠告する優子に、あおいは「私、体力には自信があります」と胸を張った。
「体力があっても、スキーは普段使わない場所の筋肉を使うから、変な所が筋肉痛になるのよ」と香奈子があおいに説明する。
「じゃあ、お肉いっぱい食べてたんぱく質を補給しておかなきゃ!」
「…結局、食べ物の話になっちゃうのね」
 苦笑いを浮かべる優子に「腹が減っては戦は出来ぬって言うじゃないですか――お腹へったぁ」とあおいは自分のお腹を押さえた。
「そろそろ晩御飯だから、食堂に降りる?」
 時間を確認して香奈子がそう言うと、あおいは嬉しそうな表情になり頷く。
「…静香がまだ帰ってないみたいなんだけど」
「食堂で待ってたらいいんじゃないですか?」
 夕食が待ちきれないのかあおいはそう言うと立ち上がる。
「…ま、いっか」
 スキー班と別行動とはいえ、静香が単独で行動している訳でないのは判っているので、優子も強く心配している訳ではなく、あおいや香奈子たちと食堂に降りて行った。
 食堂に用意されていたのは鍋料理で、食べ盛りの生徒たちの為にと今夜も肉や野菜が山盛り用意されていた。
 事前に伝えられていた食事の時間となり、席がほぼ埋まった頃、静香が戻って来た。
「みんな早いわね…」
 そう言いながら自分の席に座った静香に優子が「神社にお参りに行っていたわりに遅かったわね?」と声をかける。
「神社に行った後、今夜のパーティーの準備の手伝いしてたのよ」
「パーティー?」
 今回初参加のあおいが首を傾げる。
「問題です。今日は何日でしょう?」
「「昨日は終業式で12月24日だったから、今日は25日」
「12月25日と言えば?」
「あ、クリスマス!」
 静香の質問に答えたあおいの表情がぱっと明るくなる。
「ご名答——食事の後、裏のゲレンデ側の建物でクリスマスパーティーをするから、その準備のお手伝いをしてたのよ」と静香が説明する。
「クリスマスの事なんてすっかり忘れてました!」
 そう言うあおいに優子たちが笑う。
「クリスマスパーティーもスキー講習旅行の恒例行事」
 今年はどんな趣向なのか楽しみだと優子が呟いた。
「それは後のお楽しみ♪」
 裏方として準備の手伝いをした静香はある程度どういう事をするのかという事を知っていたが、あえてネタバレする事無く意味有りげな微笑みを浮かべるのだった。

 夕食の後、移動するように指示されたのは民宿裏のロッジ風の建物であった。元々、スキー客の休憩で使われていた建物だったらしく、建物の中には煙突が天井まで伸びている大きなストーブが設置されていたり、軽食を提供する食堂のカウンターやテーブルがあった。
「好きな席に座っていいぞ!」
 集まって来た生徒たちに、カウンタ前でマイクを握った教師が声をかける。
 生物部のメンバーはストーブ近くのテーブル席に陣取った。
 テーブルの上にはお菓子類が盛られた紙皿が置いてあり、その横に紙コップも用意されている。
「なんか小学校のクリスマス会みたいですね」
 建物の中は折り紙で作った飾りで装飾されているのを見て渉がそんな感想を口にする。
「みんながスキーをしている間に、先生や先生の家族の人たちとみんなで作って飾りつけをしたのよ」
 旅行先という事もあって、簡単な飾りつけの手作り感満載のアットホームな雰囲気の会場となっていた。
「こういうの、私好きです」
 周囲を見回していたあおいがニコニコ顔を浮かべる。
「先生のお子様たちも頑張ってくれたの」
 そう言って静香は会場の隅のテーブル席にちょこんと座っている子供たちを指示した。
「結構小さい子がいるわね…」
 彼らは二号車に乗っていた為、今初めて参加者の中に小さい子供がいる事に優子は気が付いたようだった。
「一番おチビさんは二歳なんですって…先輩のお子さん」
 木下先生夫妻のハネムーンベイビーらしい。
「一番お兄ちゃんで幼稚園の年長さんらしいわ」
「昨日、トラブル続きやったし大変やったんちゃうん?」
 違うバスだった古谷が静香たちに訊く。
「ぐずったり、泣いたりするする声は聞かなかったけど…」
 香奈子が少し考えてそう答えた。
「小さいのに偉いですぅ」
 あおいがそう言っていると、全員集まったのか建物内の正面が落とされた。それと同時にクリスマスツリーの電球が瞬き始める。
「メリークリスマス!」
 クリスマスソングのBGMが流れる中、サンタクロースがロッジの中に入って来くると、陽気な声を上げた。
「…奥野さんかな?」
 サンタクロースのつけ髭の間から見える浅黒い肌と体型、声から判断して体育教師の奥野ではないかと推測した生徒たちがささやきを交わす。そんな生徒たちを気にする事なくサンタは「この聖なる夜に良い子のみんなにプレゼントじゃ!」と言うと、カウンターの奥からトナカイの衣装を身につけた三人の教師たちがショートケーキが乗ったワゴンを押して各テーブルに配り始めた。
「先生たちノリノリですね…」
 臨海学校の時もそうであったが、今回も学校では見せない教師たちの楽しそうな様子に渉は苦笑する。
「自由参加の旅行は先生たちも遊ぶってのはお約束みたいになってるし」
「そういえば、今回、先生たちお酒飲んでませんね…」
 夏はバスが出発すると同時にビールを飲んでいた教師が多かったのだが、今回は全く飲んでいる姿を見た覚えが渉にはなかった。
「そう言えば…あ」
 香奈子は渉に合槌を打とうとしたところで、教師たちのテーブルにビールやワイン、スパークリングワインが置かれている事に気が付いた。
「…やっぱり飲むのね」
 呆れ半分で香奈子は失笑を漏らしていると、生物部部員たちのいるテーブルにもケーキを乗せたワゴンがやって来た。
「お好きなケーキをどうぞ――」
 トナカイの被り物を被った英語教師、安西にそう言われて見ると、数種類のおいしそうなショートケーキがあった。
「私はチョコ」
「いちごのショートください」
「僕はチーズケーキ」
「アップルパイみたいなケーキがいいな」
「——そっちのメロンが乗ってる奴」
「私はレアチーズの方」
 結果的にこのテーブルで全種類のケーキが並ぶ事となり、安西が「みんな好みがバラバラなのね」と小さく笑う。
「うちは個性豊かですからね」と答える優子に、安西は「それは大切な事ね」と微笑み、次のテーブルに移動した。
 それに続いて全身トナカイの衣装を身につけた現国教師の木下がシャンパン風のジュースを運んでくる。
「え~シャンメリー⁈」
 静香の声に木下が苦笑いを浮かべた。
「君らは未成年なんだから…」
 そう言いかけた木下に静香は人差し指を立て、チッチッチッと言った後「勘違いしては困ります――私は普通のコーラとかオレンジジュースが飲みたいだけ」と言ってニヤリと笑う。
「こりゃ、失礼。普通のジュースも用意してあるけど、乾杯はこいつで頼むよ」と木下は笑う。それを聞いて静香は「はぁい」と返事をしていると、続いてサンタの奥野と全身トナカイの衣装の体育教師の安井がやって来た。
「メリークリスマス。これはワシからのささやかな贈り物じゃ」
 そう言って奥野は安井が持っている白い袋から小袋を一人ずつに手渡していく。
「…缶バッチ⁈」
 小袋を受け取ると同時に中身を確認したあおいがニヤニヤしている奥野の顔を見上げる。
「今回の記念品じゃ」
 缶バッチにはスキーを履いている奥野サンタが笑顔でピースサインをしているイラストが描かれているものであった。
「うわぁ…」
 渉もその絵柄を確認して微妙な表情になりながら声をもらす。
「…学校からじゃないのがポイントやね」
 古谷が苦笑いを浮かべる。
「そう。この旅行参加者のみが手に入れる事が出来るレアグッツじゃ――きっと将来プレミアムが付くぞ」と言って奥野が白いひげの間から歯を見せて笑う。
「それじゃ、使わず家宝として大事にしまっておかなきゃね」
 静香が笑いながらそう言うと、奥野が「使って欲しいなぁ~。通学かばんとか制服なんかに付けてもらえると嬉しいんだけどなぁ~」と言い出した。それを聞いて一同爆笑する。
「どんだけ自己顕示欲が強いんですか」
「奥野さんの事知らなかったら、ただのスキーをするサンタのイラストにしか見えませんよ」
「承認欲求強すぎ」
 生物部の部員たちに笑われ、奥野は少し傷付いたのか口を尖らせる。
「これ自腹なんだよ――まあ、笑ってくれたからいいけどさ…」
 拗ねた様な言葉を聞いて静香が「はいはい、面白かったんで、次行ってみよう」と奥野を軽くあしらう。
 次のテーブルに向かった奥野の後ろ姿を見つめ――将来、このバッチを見る度、先生の事をきっと思い出すと思います――缶バッチを手に渉はそっと心の中で小さく呟いた。
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