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スキー講習旅行三日目 ~朱に交われば…しゅらしゅしゅしゅ~
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スキー講習旅行三日目の朝は穏やかに始まった。
クロワッサンとスープ、ハムエッグにサラダといった洋風の朝食を食べ、スキー講習の参加者がゲレンデに集合したのは当初のスケジュール通りの朝8時半の事だった。
実力別クラスに分かれ、中級者や上級者のクラスはリフト乗り場の方に向かって行く。
「——では、昨日の復習から始めるので、まず、各自板を装着してください」
スキー講習の講師の指示に従って、初心者クラスの生徒たちが不慣れな様子でスキー靴にスキー板の金具(ビンディング)をセットしていく。
「先生~板に靴がくっつきません~」
何度も金具に合わせて靴をはめ込もうとするのだが、金具が止まらずにいた生徒が声を上げる。その声を聞いてその様子を見に行った講師がすぐにその原因に気が付いた。
「靴の裏の雪が原因だから、ストックで叩いて雪を落としてからもう一回やってみて」
その指示に従って生徒は靴の裏付近をストックで叩くとバラバラと固まった雪が地面に落ちた。それを確認してもう一度スキー板の金具に靴を合わせて踏み込むと、今度はちゃんとカチッという音をたてて靴がはまった。
「みんなも、金具に靴がはまらない時は靴の裏の雪をチェックしてください」
初歩的な事ではあるが、全くのスキー未経験者たちにとっては知らない事ばかりなので講師の言葉に素直に頷く。
「これでスキーの準備が整ったので、昨日少しだけ練習したボーゲンの復習から始めます――」
平坦に近いなだらかな斜面に並び、スキー板をハの字にする。
「——この辺はまだ楽勝なのよね」
二度目のスキー初心者クラスに参加している香奈子が呟きを漏らす。
「そのままの姿勢で少し前に滑りましょう」
講師がそう言った次の瞬間、バランスを崩して数人がパタパタと転倒した。
「今から転んだ時の起き方を教えます――」
この展開は毎度のパターンなのか講師は眉ひとつ動かすことなく、次の指導を始めた。
「——やっぱり、中級者クラスに入った方が良かったかしら…」
退屈そうに香奈子はリフトの方に目をやり呟いた。
「どうした青木? 退屈そうだな?」
カメラを手にした安井が香奈子に声をかける。
「…ええ、まあ」
少し困った様な表情を浮かべる香奈子に安井が首を傾げる。
「青木は去年も来てたよな? なんでこのクラスにいるんだ?」
「実は…」
まだちゃんと思うように曲がれないし、ノロノロでしか滑る事が出来ないからという香奈子の言葉に安井は納得する。
「じゃあ、仕方がないな。多分、今日の午前中は初心者コースを滑る所までいかないはずだけど」
そんな安井の言葉に香奈子は肩を竦める。
「…ちょっと待ってろ」
そう言うと安井は講師の方に滑り寄り何やら言葉を交わすと、再び香奈子の傍に戻って来た。
「講師の先生に言っておいたから、先生と一緒に今回初めての奴らのサポートをしてやってくれ」
「ええ⁈」
驚きの声を上げる香奈子に講師も滑り寄って来る。
「青木さん――わかる範囲でいいから、出来ない子のアドバイスの手伝いをしてくれるかな?」
「私、起き上がるのとか、カニ歩きで坂を上がるぐらいしか…」
困惑する香奈子に講師はそれで充分と言って笑う。
「受講生が多いから、全員ひとりひとりを丁寧に見てあげる事ができないから、助かるよ」
講師は香奈子にそう言うと、指示待ちをしている生徒たちの方に戻っていった。
「これで退屈しなくて済むな」
安井はそう言って、他のクラスの写真を撮影する為か滑り去っていった。
親切なのか余計なお節介なのか微妙な所だと思っていた香奈子の前であおいが小さな悲鳴を上げて転倒する。
「痛ぁい…あ、あれ?」
長いスキー板を付けたままなので、どうやって起き上がればいいか解らずもがくあおいを見た香奈子は小さくため息を吐くと、恐る恐るあおいに近ずき、起き上がり方のアドバイスを始めた。
大きなトラブルが発生する事無く二日目の午前中の講習を終え、スキー班はゲレンデ側の休憩場で昼食を取る事になった。
「…少しは滑れるようになった?」
昼食のカレーを手にした優子が香奈子とあおいを見つけてその隣の席に座る。
「まだ滑るって程では…ねぇ?」
スプーンで福神漬けを掬いながら香奈子があおいを見る。
「ちょっと坂の上に昇ってから、今、滑る練習してるんですけど…地面に転がってる時間の方が長いかも」
話を聞いて「練習して体で覚えるしかないもんねぇ」という優子に、「スキーの道具って長いし、思ったより重いから扱い方もよく解ってないし…」とあおいが苦笑いを浮かべる。
「最初から上手に出来る人なんていないんだから、焦らない焦らない」
と、香奈子と優子に言われ、あおいは小さく頷いた。
「あ、おった、おった」
優子たちを見つけた古谷と渉が、彼女たちの傍の空席に腰を下ろす。
「そっちは午前中、どんな感じだったの?」
違うクラスがどんな時間の過ごし方をしていたのか気になったのか香奈子が訊ねた。
「午前中は中級者コースの上の方で、パラレルの練習をしてたけど、めっちゃむずいねん」と古谷が言う。
「パラレルはコース取りの判断力とリズム感なんかがコツかも――」
そう言って渉が笑う。
「リズム感なぁ…自信ないわ」
勉強には自信があるが、身体を使うのは人並み程度だと自覚しているのか、そう言って古谷は肩を竦めた。
「…渉君はどうしての?」
「お昼休憩の後、講師の先生たちと一緒にスキーパフォーマンスをするんで、その打ち合わせとか練習みたいなのをしてました」
「なにそれ⁈」
何も知らされていない優子たちが初耳情報に驚いて渉を見る。
「内容は内緒ですけど、かっこいいパフォーマンスが出来ると思います」
「スキーが上手っていいなぁ…」
あおいが羨ましそうに渉を見る。
「あおいちゃんは運動神経がいいから、練習してコツを掴めばすぐにうまくなると思うよ」
「そうかな?」
まんざらでもないという表情を浮かべるあおいに優子や古谷も同意する。
「私は運動音痴な方だから、静香さん達と一緒だった方が良かったかも…」
滑る練習に入って転びまくったせいで心が折かかっているのか、香奈子がそんな呟きを漏らす。
「静香たちは今日は善光寺参りに行ってるんだっけ?」
「その後、どこかの温泉に行くみたいな話やったけど…」
別働班のスケジュールなので、ざっくりとした内容しかわからなかった。
「あ~ん、やっぱりそっちにすれば良かった~」
香奈子が嘆く。
「今更、あっちに加われないんだから、諦めが肝心よ」
「うう…」
そんな会話を優子と香奈子がしていると、水で流し込むようにしてカレーを食べ終わった渉が席を立つ。
「もう食べ終わったの?」
「午後のパフォーマンスの為にリフトで一番上まで上がってスタンバイしなきゃいけないんで、先に行かないと…」
そんな事情を聞いた他のメンバーは渉にエールを送って送り出した。
「休憩時間はまだあるけど、トイレは早めに行っておいた方がいいわよ」
時計に目をやった優子があおいにに言う。
「早めってどうしてですか?」
「スキーウェアーを着てるしスキー靴のままだから、ただでも女子トイレって混むのに、ウエアーを脱いだり着たりする時間がかかるから列がなかなか進まないのよ」
「あ~なるほど…ちょっと、行ってきます」
そう言ってあおいがスキー靴を響かせながらトイレへ向かった。
「香奈子さんは大丈夫?」
「私は先に済ませたから」
その辺は香奈子も去年経験しているのでよく解っていた。
「女子は大変やな、僕らは大じゃなかったらちょっと出すだけやから…」
「高速のサービスエリアのトイレもそうだけど、ほんと男子がうらやましくなるわ」と優子が笑う。
それから十分以上あれこれと雑談を続けていたのだが、あおいが帰って来る気配が一向になかった。
「——ちょっと遅くない?」
心配になった優子が様子を見に行こうとしたところであおいが戻って来た。
「そんなにトイレ混んでた?」
「…そんな滅茶苦茶混んでいた訳じゃないんですけど、脱皮が大変だったもので」
「脱皮?」
あおいの口から出た謎の言葉に一同首を傾げる。
「私、ガリだから寒さが骨身にしみるんですよ」
だから何枚も重ね着をしているのだとあおいは言う。
「重ね着って…何枚着てるの?」
「ええっと…上はヒートテックにババシャツ、その上に薄いセーターの上にトレーナーで、下はタイツ、レギンスと靴下を二枚重ねで、ジャージの上にスキーパンツ…」
それでよく動けるもんだと古谷が笑う。
「…そりゃ、それだけ着てたら、トイレをする為に下を脱ぐだけで大変だわ」
呆れる優子の横で、香奈子が午後からは体を動かす事が多くなるから、寒さを感じるのは少しマシになるかもと言う。
「だったらいいんですけど…」
不安げなあおいに古谷も「大丈夫やって」と言うと、そろそろ集合時間だからと席を立つ。
「もうそんな時間?」
時間を確認した優子たちも立ち上がると、休憩所のストーブで乾かしていた手袋を取って、外に出た。
「お、あそこにあおいちゃんの仲間がおるで」
外に置いていた自分のスキー板とストックを手にした古谷があおいにそう言って休憩所前の一角を指さす。そこには5体ほどの大きな雪だるまが鎮座していた。
「雪だるまじゃないですか…どこが私のお友達なんですか?」
怪訝そうに訊くあおいに古谷は「あおいちゃんは着だるまやから、だるま仲間や」と笑うと、それを聞いたあおいは頬を膨らませそっぽを向く。
「…あれ、怒った?」
あおいの反応に古谷が訊くがあおいは答えない。
「——ほんと古谷君ってデリカシーがない所があるのよね…」
あおいとコミュニケーションを取るつもりでいつも要らない事を言ってしまう古谷の学習能力の無さに優子は呆れるのだった。
「——当スキー場、スキー教室の講師及び、上級者クラスの人たちによる素晴らしいスキーパフォーマンスをお楽しみ下さい」
集合時間になり、集合場所で各クラスの点呼が行われた後、メガホンマイクを手にした奥野がそう呼びかけると、右手を大きく上げて頂上に手を振った。それが合図だったのか、スキーコースの頂上から列を作って急な斜面を下って来る人影が見えた。ほぼ直滑降に近いパラレルの滑りにギャラリーからどよめきが上がる。隊列は一糸乱れぬ動きで途中まで下ると、中腹の少し上あたりで左右に散開する。美しいシュプールを描きながら優雅に滑り降りる姿は見事なものであった。
「かっこいい~」
「すごい」
そんな感嘆の声があちらこちらから聞こえて来る。
パフォーマンスの次の見どころは中腹の下の大きな段差をジャンプ台として空を舞うというものだったのだが、着地が綺麗に決まった瞬間ギャラリーから拍手が巻き起こった。
「すごいね~…渉君どこかしら?」
香奈子が目を細めスキーパフォーマンスの集団の中から渉を探す。
「まだ遠いから、顔までは認識できないわね…」
優子も渉の姿を探すが個々の顔まで判別する事は出来なかった。
「…あれ? みんなお揃いの緑のウエアーを着てるのに、一人だけ赤いのがいますよ?」
あおいが滑り降りて来る隊列の一番後ろに一人だけ違う色なのに気が付く。
「ほんと? …あ、ほんとだ」
デザインまでは判らないが、あおいが指摘した様に赤い服を身につけた人影が居るが確認できた。
「サンタの格好をしてるとか?」
「ありうるわね…」
色合い的にサンタの衣装っぽい事に気が付いたのはあおい達だけでは無かった様で、あちらこちらからヒソヒソと話す声が聞こえてくる。そうしている間にもどんどんパフォーマンス集団は斜面を下り降り、ギャラリーの前の空きスペースに颯爽と到着すると雪煙を上げながら左右に分かれて整列して止まる。そして最後に到着したのは赤いサンタ姿の奥野の等身大抱き枕をスキーウェアーの上にビニール紐で張り付けた渉だった。それを見た瞬間、ギャラリーから爆笑が起こる。
「オチがサンタ奥野さんって」
「昨日の景品だよな?」
「使い方間違ってるぞw」
抱き枕は昨夜のクリスマスパーティーのビンゴの景品で、当選者に贈呈された時に披露されたものだっただけに、ギャラリーたちの記憶にまだ新しく、笑いの効果は絶大であった。
「素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました!」
ハンドマイクを持った奥野がしれっとした表情でそう言って、まだ笑っているギャラリーたちに拍手を要求する。笑いと拍手の中、パフォーマンス集団は一礼した。
「では、午後のスキー講習を開始してください」
その案内をきっかけにギャラリーたちはそれぞれクラスに分かれて、午後の講習が始まる。
「あんなもの身に付けてよく滑り降りてきたわね…」
リフト乗り場で渉を見つけた優子が渉の傍に行って声をかけた。
「いやぁ…滅茶苦茶滑りにくかったっす」
そう言いながら渉はウケたから結果オーライですが…と言って笑う。
「奥野サンタの等身大抱き枕って昨夜のビンゴの景品だったやつよね? 貰ったの二年の知らない子だったハズだけど…」
「ああ、さっきのは予備です」
「は?」
渉の言葉を聞いて優子の目が点になる。
「奥野さん、景品として等身大抱き枕を三個作ったんだそうです…枕って言ってますが、ビニール製の人形みたいなものなんで、不良品だった場合を考えての保険だったみたいです」
「そうだったんだ」
遠目では素材までわからなかったので、渉の説明ではじめてそれがビニール製だった事を知った優子であった。
「布地のものより安かったんだそうで…」
「缶バッチと抱き枕…自腹でいくら払ったんでしょうね」
「さあ?」
くだらないものとは思うが、自腹を切って迄生徒たちを笑わせようとする奥野の遊び心とサービス精神に呆れ半分すごいなという気持ち半分といった思いを抱いて、優子と渉は目線を合わせるとどちらともなく小さく笑う。
「——で、どうして渉君があれ付けて滑ったの?」
「この後の授業もあるんで講師の先生を笑いものにする訳にはいかないし、生徒では俺が一番スキーの経験が長くて上手かったってだけです」
「なるほど…」
さほど大した意味がある訳ではなかったらしい。
「あれ、奥野さんに返却したの?」
「笑いをとったご褒美にもらいました」
「あはは」
貰っても邪魔な気もするが、それをどうするかは渉の問題なので優子は他人事なのもあって笑う。
「トオル君と一緒に飾って有効利用しようかと…」
「や~め~て~」
奥野サンタを部室に置かれるとなると他人事ではなくなるので優子が即座に抗議の声を上げる。
「どうしようかな~?」
いつのまにやら面白かったら何でもありという生物部の先輩たちと同じ思考回路になっている自分にまだ気が付いていない渉であった。
クロワッサンとスープ、ハムエッグにサラダといった洋風の朝食を食べ、スキー講習の参加者がゲレンデに集合したのは当初のスケジュール通りの朝8時半の事だった。
実力別クラスに分かれ、中級者や上級者のクラスはリフト乗り場の方に向かって行く。
「——では、昨日の復習から始めるので、まず、各自板を装着してください」
スキー講習の講師の指示に従って、初心者クラスの生徒たちが不慣れな様子でスキー靴にスキー板の金具(ビンディング)をセットしていく。
「先生~板に靴がくっつきません~」
何度も金具に合わせて靴をはめ込もうとするのだが、金具が止まらずにいた生徒が声を上げる。その声を聞いてその様子を見に行った講師がすぐにその原因に気が付いた。
「靴の裏の雪が原因だから、ストックで叩いて雪を落としてからもう一回やってみて」
その指示に従って生徒は靴の裏付近をストックで叩くとバラバラと固まった雪が地面に落ちた。それを確認してもう一度スキー板の金具に靴を合わせて踏み込むと、今度はちゃんとカチッという音をたてて靴がはまった。
「みんなも、金具に靴がはまらない時は靴の裏の雪をチェックしてください」
初歩的な事ではあるが、全くのスキー未経験者たちにとっては知らない事ばかりなので講師の言葉に素直に頷く。
「これでスキーの準備が整ったので、昨日少しだけ練習したボーゲンの復習から始めます――」
平坦に近いなだらかな斜面に並び、スキー板をハの字にする。
「——この辺はまだ楽勝なのよね」
二度目のスキー初心者クラスに参加している香奈子が呟きを漏らす。
「そのままの姿勢で少し前に滑りましょう」
講師がそう言った次の瞬間、バランスを崩して数人がパタパタと転倒した。
「今から転んだ時の起き方を教えます――」
この展開は毎度のパターンなのか講師は眉ひとつ動かすことなく、次の指導を始めた。
「——やっぱり、中級者クラスに入った方が良かったかしら…」
退屈そうに香奈子はリフトの方に目をやり呟いた。
「どうした青木? 退屈そうだな?」
カメラを手にした安井が香奈子に声をかける。
「…ええ、まあ」
少し困った様な表情を浮かべる香奈子に安井が首を傾げる。
「青木は去年も来てたよな? なんでこのクラスにいるんだ?」
「実は…」
まだちゃんと思うように曲がれないし、ノロノロでしか滑る事が出来ないからという香奈子の言葉に安井は納得する。
「じゃあ、仕方がないな。多分、今日の午前中は初心者コースを滑る所までいかないはずだけど」
そんな安井の言葉に香奈子は肩を竦める。
「…ちょっと待ってろ」
そう言うと安井は講師の方に滑り寄り何やら言葉を交わすと、再び香奈子の傍に戻って来た。
「講師の先生に言っておいたから、先生と一緒に今回初めての奴らのサポートをしてやってくれ」
「ええ⁈」
驚きの声を上げる香奈子に講師も滑り寄って来る。
「青木さん――わかる範囲でいいから、出来ない子のアドバイスの手伝いをしてくれるかな?」
「私、起き上がるのとか、カニ歩きで坂を上がるぐらいしか…」
困惑する香奈子に講師はそれで充分と言って笑う。
「受講生が多いから、全員ひとりひとりを丁寧に見てあげる事ができないから、助かるよ」
講師は香奈子にそう言うと、指示待ちをしている生徒たちの方に戻っていった。
「これで退屈しなくて済むな」
安井はそう言って、他のクラスの写真を撮影する為か滑り去っていった。
親切なのか余計なお節介なのか微妙な所だと思っていた香奈子の前であおいが小さな悲鳴を上げて転倒する。
「痛ぁい…あ、あれ?」
長いスキー板を付けたままなので、どうやって起き上がればいいか解らずもがくあおいを見た香奈子は小さくため息を吐くと、恐る恐るあおいに近ずき、起き上がり方のアドバイスを始めた。
大きなトラブルが発生する事無く二日目の午前中の講習を終え、スキー班はゲレンデ側の休憩場で昼食を取る事になった。
「…少しは滑れるようになった?」
昼食のカレーを手にした優子が香奈子とあおいを見つけてその隣の席に座る。
「まだ滑るって程では…ねぇ?」
スプーンで福神漬けを掬いながら香奈子があおいを見る。
「ちょっと坂の上に昇ってから、今、滑る練習してるんですけど…地面に転がってる時間の方が長いかも」
話を聞いて「練習して体で覚えるしかないもんねぇ」という優子に、「スキーの道具って長いし、思ったより重いから扱い方もよく解ってないし…」とあおいが苦笑いを浮かべる。
「最初から上手に出来る人なんていないんだから、焦らない焦らない」
と、香奈子と優子に言われ、あおいは小さく頷いた。
「あ、おった、おった」
優子たちを見つけた古谷と渉が、彼女たちの傍の空席に腰を下ろす。
「そっちは午前中、どんな感じだったの?」
違うクラスがどんな時間の過ごし方をしていたのか気になったのか香奈子が訊ねた。
「午前中は中級者コースの上の方で、パラレルの練習をしてたけど、めっちゃむずいねん」と古谷が言う。
「パラレルはコース取りの判断力とリズム感なんかがコツかも――」
そう言って渉が笑う。
「リズム感なぁ…自信ないわ」
勉強には自信があるが、身体を使うのは人並み程度だと自覚しているのか、そう言って古谷は肩を竦めた。
「…渉君はどうしての?」
「お昼休憩の後、講師の先生たちと一緒にスキーパフォーマンスをするんで、その打ち合わせとか練習みたいなのをしてました」
「なにそれ⁈」
何も知らされていない優子たちが初耳情報に驚いて渉を見る。
「内容は内緒ですけど、かっこいいパフォーマンスが出来ると思います」
「スキーが上手っていいなぁ…」
あおいが羨ましそうに渉を見る。
「あおいちゃんは運動神経がいいから、練習してコツを掴めばすぐにうまくなると思うよ」
「そうかな?」
まんざらでもないという表情を浮かべるあおいに優子や古谷も同意する。
「私は運動音痴な方だから、静香さん達と一緒だった方が良かったかも…」
滑る練習に入って転びまくったせいで心が折かかっているのか、香奈子がそんな呟きを漏らす。
「静香たちは今日は善光寺参りに行ってるんだっけ?」
「その後、どこかの温泉に行くみたいな話やったけど…」
別働班のスケジュールなので、ざっくりとした内容しかわからなかった。
「あ~ん、やっぱりそっちにすれば良かった~」
香奈子が嘆く。
「今更、あっちに加われないんだから、諦めが肝心よ」
「うう…」
そんな会話を優子と香奈子がしていると、水で流し込むようにしてカレーを食べ終わった渉が席を立つ。
「もう食べ終わったの?」
「午後のパフォーマンスの為にリフトで一番上まで上がってスタンバイしなきゃいけないんで、先に行かないと…」
そんな事情を聞いた他のメンバーは渉にエールを送って送り出した。
「休憩時間はまだあるけど、トイレは早めに行っておいた方がいいわよ」
時計に目をやった優子があおいにに言う。
「早めってどうしてですか?」
「スキーウェアーを着てるしスキー靴のままだから、ただでも女子トイレって混むのに、ウエアーを脱いだり着たりする時間がかかるから列がなかなか進まないのよ」
「あ~なるほど…ちょっと、行ってきます」
そう言ってあおいがスキー靴を響かせながらトイレへ向かった。
「香奈子さんは大丈夫?」
「私は先に済ませたから」
その辺は香奈子も去年経験しているのでよく解っていた。
「女子は大変やな、僕らは大じゃなかったらちょっと出すだけやから…」
「高速のサービスエリアのトイレもそうだけど、ほんと男子がうらやましくなるわ」と優子が笑う。
それから十分以上あれこれと雑談を続けていたのだが、あおいが帰って来る気配が一向になかった。
「——ちょっと遅くない?」
心配になった優子が様子を見に行こうとしたところであおいが戻って来た。
「そんなにトイレ混んでた?」
「…そんな滅茶苦茶混んでいた訳じゃないんですけど、脱皮が大変だったもので」
「脱皮?」
あおいの口から出た謎の言葉に一同首を傾げる。
「私、ガリだから寒さが骨身にしみるんですよ」
だから何枚も重ね着をしているのだとあおいは言う。
「重ね着って…何枚着てるの?」
「ええっと…上はヒートテックにババシャツ、その上に薄いセーターの上にトレーナーで、下はタイツ、レギンスと靴下を二枚重ねで、ジャージの上にスキーパンツ…」
それでよく動けるもんだと古谷が笑う。
「…そりゃ、それだけ着てたら、トイレをする為に下を脱ぐだけで大変だわ」
呆れる優子の横で、香奈子が午後からは体を動かす事が多くなるから、寒さを感じるのは少しマシになるかもと言う。
「だったらいいんですけど…」
不安げなあおいに古谷も「大丈夫やって」と言うと、そろそろ集合時間だからと席を立つ。
「もうそんな時間?」
時間を確認した優子たちも立ち上がると、休憩所のストーブで乾かしていた手袋を取って、外に出た。
「お、あそこにあおいちゃんの仲間がおるで」
外に置いていた自分のスキー板とストックを手にした古谷があおいにそう言って休憩所前の一角を指さす。そこには5体ほどの大きな雪だるまが鎮座していた。
「雪だるまじゃないですか…どこが私のお友達なんですか?」
怪訝そうに訊くあおいに古谷は「あおいちゃんは着だるまやから、だるま仲間や」と笑うと、それを聞いたあおいは頬を膨らませそっぽを向く。
「…あれ、怒った?」
あおいの反応に古谷が訊くがあおいは答えない。
「——ほんと古谷君ってデリカシーがない所があるのよね…」
あおいとコミュニケーションを取るつもりでいつも要らない事を言ってしまう古谷の学習能力の無さに優子は呆れるのだった。
「——当スキー場、スキー教室の講師及び、上級者クラスの人たちによる素晴らしいスキーパフォーマンスをお楽しみ下さい」
集合時間になり、集合場所で各クラスの点呼が行われた後、メガホンマイクを手にした奥野がそう呼びかけると、右手を大きく上げて頂上に手を振った。それが合図だったのか、スキーコースの頂上から列を作って急な斜面を下って来る人影が見えた。ほぼ直滑降に近いパラレルの滑りにギャラリーからどよめきが上がる。隊列は一糸乱れぬ動きで途中まで下ると、中腹の少し上あたりで左右に散開する。美しいシュプールを描きながら優雅に滑り降りる姿は見事なものであった。
「かっこいい~」
「すごい」
そんな感嘆の声があちらこちらから聞こえて来る。
パフォーマンスの次の見どころは中腹の下の大きな段差をジャンプ台として空を舞うというものだったのだが、着地が綺麗に決まった瞬間ギャラリーから拍手が巻き起こった。
「すごいね~…渉君どこかしら?」
香奈子が目を細めスキーパフォーマンスの集団の中から渉を探す。
「まだ遠いから、顔までは認識できないわね…」
優子も渉の姿を探すが個々の顔まで判別する事は出来なかった。
「…あれ? みんなお揃いの緑のウエアーを着てるのに、一人だけ赤いのがいますよ?」
あおいが滑り降りて来る隊列の一番後ろに一人だけ違う色なのに気が付く。
「ほんと? …あ、ほんとだ」
デザインまでは判らないが、あおいが指摘した様に赤い服を身につけた人影が居るが確認できた。
「サンタの格好をしてるとか?」
「ありうるわね…」
色合い的にサンタの衣装っぽい事に気が付いたのはあおい達だけでは無かった様で、あちらこちらからヒソヒソと話す声が聞こえてくる。そうしている間にもどんどんパフォーマンス集団は斜面を下り降り、ギャラリーの前の空きスペースに颯爽と到着すると雪煙を上げながら左右に分かれて整列して止まる。そして最後に到着したのは赤いサンタ姿の奥野の等身大抱き枕をスキーウェアーの上にビニール紐で張り付けた渉だった。それを見た瞬間、ギャラリーから爆笑が起こる。
「オチがサンタ奥野さんって」
「昨日の景品だよな?」
「使い方間違ってるぞw」
抱き枕は昨夜のクリスマスパーティーのビンゴの景品で、当選者に贈呈された時に披露されたものだっただけに、ギャラリーたちの記憶にまだ新しく、笑いの効果は絶大であった。
「素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました!」
ハンドマイクを持った奥野がしれっとした表情でそう言って、まだ笑っているギャラリーたちに拍手を要求する。笑いと拍手の中、パフォーマンス集団は一礼した。
「では、午後のスキー講習を開始してください」
その案内をきっかけにギャラリーたちはそれぞれクラスに分かれて、午後の講習が始まる。
「あんなもの身に付けてよく滑り降りてきたわね…」
リフト乗り場で渉を見つけた優子が渉の傍に行って声をかけた。
「いやぁ…滅茶苦茶滑りにくかったっす」
そう言いながら渉はウケたから結果オーライですが…と言って笑う。
「奥野サンタの等身大抱き枕って昨夜のビンゴの景品だったやつよね? 貰ったの二年の知らない子だったハズだけど…」
「ああ、さっきのは予備です」
「は?」
渉の言葉を聞いて優子の目が点になる。
「奥野さん、景品として等身大抱き枕を三個作ったんだそうです…枕って言ってますが、ビニール製の人形みたいなものなんで、不良品だった場合を考えての保険だったみたいです」
「そうだったんだ」
遠目では素材までわからなかったので、渉の説明ではじめてそれがビニール製だった事を知った優子であった。
「布地のものより安かったんだそうで…」
「缶バッチと抱き枕…自腹でいくら払ったんでしょうね」
「さあ?」
くだらないものとは思うが、自腹を切って迄生徒たちを笑わせようとする奥野の遊び心とサービス精神に呆れ半分すごいなという気持ち半分といった思いを抱いて、優子と渉は目線を合わせるとどちらともなく小さく笑う。
「——で、どうして渉君があれ付けて滑ったの?」
「この後の授業もあるんで講師の先生を笑いものにする訳にはいかないし、生徒では俺が一番スキーの経験が長くて上手かったってだけです」
「なるほど…」
さほど大した意味がある訳ではなかったらしい。
「あれ、奥野さんに返却したの?」
「笑いをとったご褒美にもらいました」
「あはは」
貰っても邪魔な気もするが、それをどうするかは渉の問題なので優子は他人事なのもあって笑う。
「トオル君と一緒に飾って有効利用しようかと…」
「や~め~て~」
奥野サンタを部室に置かれるとなると他人事ではなくなるので優子が即座に抗議の声を上げる。
「どうしようかな~?」
いつのまにやら面白かったら何でもありという生物部の先輩たちと同じ思考回路になっている自分にまだ気が付いていない渉であった。
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さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』
本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」
かつて、私は信じていた。
優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な──
そんな普通のお兄ちゃんを。
でも──
中学卒業の春、
帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、
私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった!
家では「戦利品だー!」と絶叫し、
年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、
さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!?
……ちがう。
こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない!
たとえ、世界中がオタクを称えたって、
私は、絶対に──
お兄ちゃんを“元に戻して”みせる!
これは、
ブラコン妹と
中二病オタク姫が、
一人の「兄」をめぐって
全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──!
そしていつしか、
誰も予想できなかった
本当の「大好き」のカタチを探す、
壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。
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