旅するコロボックル

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~episode4 巨人の良心~

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 刺激的な光と音が満ちる巨人都を離れ、次にアオが小さな旅人を誘ったのは、都から遠く離れた自然豊かな場所だった。
「ここは?」
 アオの肩の上でピリカが周囲を見回して訊ねると、ここは昔の巨人たちの生活を続けている者が多いかもしれないという答えが返ってきた。
「ピリカの祖父がこの国を訪れた頃の巨人たちの暮らしぶりを見せてやる事が出来るかもしれんと思ってな」
「あ…」
 ピリカがアオには言わなかったがずっと気になっていた事をアオは気がついていたらしく、その疑問の解決にと…考えてこの土地に連れて来たらしい。巨人の都と比べて巨人や巨人の建物、車は少なく、人工的な光の点滅や音は見渡す限りでは無いようだった。上空ではトンビが舞い、小鳥たちのさえずりや風のささやきが聞こえてくる。知らない植物ばかりではあったが、ピリカやエルにとっては心落ち着く場所に感じられた。
 周囲に広がる田畑の様子を見たエルが驚きの声を上げる。
「巨人の都では全く見なかったおいしそうなものがたくさん」
 畑ではトマトやキュウリ、ナス、トウモロコシなど夏野菜が実を付けていてた。田んぼの方では秋には米が豊作になりそうだと予感させるように稲の花が咲き乱れている。エルの目から見てもその植物たちはきちんと手入れがされていて、自然の中で勝手に生えたものではないのは一目瞭然だった。
「狭い場所にこれだけ違う種類があるって事は…もしかして」
「そうじゃ巨人達が世話をしているものじゃ」
 アオがにっこりと微笑みながらエルを見る。
「他の生き物たちが増える為の手伝いが巨人達の本来の仕事での。いわば管理人の様なものじゃったのだが…」
 神が地主で巨人が管理人、他の動植物がその住民といった関係性だったのだとアオは語る。しかし神を認識できなくなり、この世の支配者とたぶらかされた事から管理者は自らの役目を放棄して、住民たちから不当な搾取を行う横暴な主となった。
「…ま、ここでは管理者として他の生き物たちの世話を焼く巨人が残っているので、このような場所が残って居るようじゃ」
 昔は黄昏の国の中では当たり前のようにあった光景なのだという。
「馬とか牛とかいう大きな動物さんは?」
 祖父から聞かされていたそれらしき生き物は見当たらないのでピリカが訊ねる。
「昔は巨人達と彼らは友人として助け合う存在じゃったが、今は彼らの役目は車にとって代わられ、多くは巨人達の食べ物して育てられておる」
「お友達を食べちゃうの⁈」
 巨人達が肉を食うという話は聞いてはいたが、いまいちピンときていなかったピリカにとって、夢見ていた昔話の動物たちの今の境遇に衝撃だった。
「馬などはまだ巨人達の娯楽の為に食われずに済む者もいるがの」
 牛は食肉用として育てられる者も可哀そうではあるが、乳が目的の種にいたっては、雄に生まれれば乳が摂れないとして、生まれすぐにその命を巨人達に奪われ廃棄されるという、不条理極まりない扱いを受けるのだから、たまったものではない。
「動物たちの殺生与奪の権利など巨人達にはないのであるがの」
 豚や鶏たちも同じような境遇である事を知っているアオの目は暗い光を帯びる。
「知っているならどうして…」
「前にも言ったじゃろ。我には巨人達の所業を止める事は出来ない決まりとなっておる」
 一緒に旅する間、何度も交わされたやり取りではあるが、ピリカにはどうしても納得が出来ない事であった。
 ピリカとアオがいつもの問答を繰り返していると、エルが近ずいてくる巨人がいると警戒の声を上げる。
「?」
 ピリカが周囲を見回すと、年老いた巨人がこちらに向かってくるのが見えた。籠バックに隠れている時間は無さそうだったので、慌ててピリカとエルはアオの肩の上で人形のフリをする。
「おやまあ、こんなところで珍しい」
 巨人が話しかけてくると、アオは微笑みを浮かべて巨人に向き直る。
「こんにちは、おばあちゃん」
「見掛けない顔だけど…?」
 老婆はそう言いながらアオを見る。アオは今日も派手な柄の振袖姿で、のどかな田園風景にはそぐわない格好だったので、老婆の興味を刺激したようだった。
「旅をしているんですが、ここ素敵だから見とれちゃって…」
「その格好で旅とは…」
 老婆は驚いて言葉を失う。そもそも振袖はハレの日…つまりはお祝い事などで身に付ける特別な着物である。そんな格好で旅をするのは老婆からすれば、狂気の沙汰であった為、無理もない反応であった。
「どこから来たの?」
「北の方から…」
 そう答えたアオを見ていた老婆の視線がピリカに注がれ、老婆は驚いたように「…コロボックル?」と呟きを漏らした。それを聞いたアオに緊張が走る。そんなアオに老婆は「そんな警戒せんでいい」と言って皺だらけの顔の皺をさらに深くして笑った。
「昔、戦争があった時、外国からこの国へ戻る時に、北の地でコロボックルたちと出会った事があるの…懐かしいわね」
 老婆は懐かしそうに呟くと、ピリカに話しかける。
「初めまして、小さな妖精さん」
 予想外の事態にピリカは一瞬どうしようか悩んだ後、人形のフリを止めた。
「…こんにちは」
「私はイト。宜しくね」
 イトと名乗った巨人の老婆は当然のようにそう挨拶すると、こんどはエルの方に顔を向ける。
「このネズミさんはこの辺のネズミとは違うようだね…この子も北の地から来た子かね」
 そう一人呟くと、エルの方にもピリカと同じようにあいさつをする。そのイトのふるまいは予想外だったのか、アオは珍しく戸惑いの表情を浮かべた。
「立ち話もなんだし、急いでいないなら、少しうちでお茶でもどう?」
 どうやらイトは話をしたいらしくアオを見る。アオはイトから害意が感じられなかったからか、素直にお茶の誘いを受ける。
「近くだから付いてきて」
 そう言うと、イトはゆっくりと歩き出した。
 イトが言うように、彼女の家は出会った場所から5分もかからない距離にあり、今時珍しい古い農村部の日本家屋だった。
「…ほう、珍しい、今時茅葺とは」
 屋根を見上げてアオが目を細める。
「ぼろ屋でごめんなさいね」
 そう言いながらイトは縁側から家の中に入り、押し入れから出した座布団を縁側に敷くとアオに座る様に促す。建物は古いがよく手入れがされていて掃除も行き届いている所を見ると、ぼろ屋と言いながらも大切にしている事がよくわかる。
「ありがとう」
 アオはそう言うと肩からピリカとエルを縁側に下ろし、自分も縁側に腰を下ろす。そうしている間にイトは台所から冷えた麦茶をお盆に乗せて持ってくると、そのお盆をアオの横に置いて自分も縁側に座った。
「小さなお客さんたちはこっちね…」
 イトはアオの分とは別に、ピリカやエルの為にお猪口に麦茶を注いだ。
「つべたい~。美味しい」
 喉が渇いていたのか、ピリカがお猪口に入った麦茶に口をつけ声を上げる。その様子をニコニコしながらイトは眺めていた。
 手入れがされた庭には鶏たちが放し飼いにされている様子を眺めながらアオがおもむろに口を開く。
「——こんな暮らしをまだ続けている人がいるとは…」
 イトが古き良き時代の巨人達の暮らしを忠実に続けているのが予想以上だったようで、アオは驚きを隠せないようだった。
「古臭いと思うかもしれないけれど、この生活はこの世界のみんなに優しいし、ゆったりと時間が流れるから好き」
 麦茶を飲みながらイトは穏やかに答える。
「この村には都会に馴染めなかった人たちが集まってきていて、今ね、壊してしまった里山の再生事業をみんなでやっているの」
 それを聞いたアオは興味深げにイトを見る。
「間に合うかどうかはわからないけれど、荒れ放題だった森の手入れをしたり、稲や野菜の栽培は無農薬の有機栽培に取り組んだり…」そう言って、イトは楽し気に仲間達との活動の話を始めた。
 巨人達の住む建物は木造家屋が減った為に需要がなくて収入が見込まれない上に、海外からの安い木材の輸入が増加した。危険、汚い、キツイといういわゆる3Kの職業という事もあって林業は衰退して、近年では山が荒れ放題になっていた。
 山が荒れると木々が病気になって枯れたり倒木する事によって空気の浄化能力が低下したり、保水能力が下がり大雨の際に土砂崩れなどが起きたりして、その森生態系のバランスが大きく崩れる。その影響はやがてその麓にまで影響を与え始め、空気が汚れたり水が悪くなって田畑での農作物の成長に問題が出たり、森の生態系のバランスが崩れれば、エサを求めて野生の動物が農作物を食い荒らしたりして、さらに問題が起きる事に気が付いた者たちが根本原因を正す為に立ち上がったのだという。
「私たちは金儲けと楽する事ばかり考えていたのね…」
「…」
 ピリカとエルは鶏たちが珍しいのか庭に降りて彼らと遊びだした一方、アオは黙ってイトの話に耳を傾けていた。
「森を守って川や井戸の水を飲み、川で魚を釣ったり、農作物を育ててそれを食べたり、植物の繊維やお蚕さんで布を織れば着るものにだって困らない。竈があれば薪を集めて火を炊くことが出来るから料理も出来るし、お風呂にも入れる…生きていくだけならばお金ってそんなには要らないのよね」
「…まあ」
 言葉少なくアオは相打ちをする。大人しく自分の話にアオが大人しく耳を傾けているからか、イトは言葉を続ける。
「雑草取りが面倒だからと農薬を使った結果、小さな生き物たちが生きていけなくなって生態系が壊れ、生態系が壊れたら植物たちに病気が発生したりする事になって、さらに薬を使う事をしていたのだけど…一時的に良くなるように見えてもそれでは根本原因の解決にならないから、問題は増え続けるばかり…雑草取りを安易に解決しようとした考えが浅はかでそれが根本原因なのに…」
 一事が万事こういう事ばかりだとイトは言う。
「料理が面倒だからと加工品を買うようになり、加工品は作ってから時間が経っても傷まないように防腐剤を入れるようになったり、美味しく感じるから、新鮮な色に見えるからとお薬を次々に入れる事態になった事に変だと思わず、便利だから、美味しいからと喜んで高いお金を払って毒を買って食べて…病気になっているのにね」
「…知っているのですね」
「知っているというより、気が付いたの」
 そう言ってイトは微笑む。
「食べ物の毒は体だけではなく心…というか、魂を病気にしちゃうから」
 この村に集まってきた者の多くは都市部に住み、身体や心の病に長年悩まされてきた者が多いという。病気と闘っているうちに普段口にしている食品が美味しい毒である事に気が付いた者たちがこのままではいけないとこの地に集まってきたのだという。
「この村に来て、出来るだけ自然のものを口にするようになって、病気がマシになった者も多いわ」
「…でしょうね」
 アオは頷いた後、その話を何故自分にするのか? とイトに尋ねると、イトは楽し気に「コロボックルよ」と笑った。
 コロボックルは本来自然豊かな場所にしか住めない妖精で、人工的な飲食物を口にすればたちまち死んでしまう。そんな存在を伴って旅をしているという事は、人工物は毒であると知っていて、それを避ける事が出来る人間だというのが理由らしかった。
「こんな事、普通の人に言っても、何を馬鹿なって一蹴されるだけだし」
 イトはそう言って少し寂しそうに苦笑いを浮かべるのだった。

「…へぇ、お前さん達の森は豊かなんだね」
 袖すり合わせるも何かの縁とは言うが、イトの家にピリカ達は留まっていた。
 居間のちゃぶ台の上でピリカはイトに大きく頷いてみせる。
「深い森には精霊たちもたくさん住んでいて、私達が困ってると助けてくれるの」
「私は精霊は見た事が無いのだけど…」
「このおうちにもいるよ」
 ピリカはそう言うと居間の隣にある台所の方を指し示す。
「台所?」
 イトが首を傾げると、ピリカはちゃぶ台から飛び降りて、台所の方に走り出す。
「イトちゃん、あそこ」
 そう言ってピリカが指示したのは竈だった。
「竈に?」
「うん…火の精霊がいるよ」
「そりゃあ、この竈は今も使ってるからいてもおかしくはないけれど…」
 精霊の姿を捉える事はできないようで、イトは少し困惑した表情になる。
「火の精霊さんに頼みたい事はある?」
「特にはないね…いつもありがとうっては思っているけれど」
 イトがそう言うと「精霊さんは見えなくても、仲良しさんなんだね」とピリカが笑顔になる。
「仲良しかどうかはわからないけれど、火も水も土も大切に扱わないとね」
 粗末に扱えば、かならず困る事になるのは自分の方だから…とイトは笑った。それを聞いていたピリカは不思議そうにイトを見つめ、「イトちゃんは巨人らしくないね」と首を傾げる.
——いい巨人がいるかもしれないとは思っていたが、イトに会うまで実際に巨人族と交流を持つ機会が無かったので、アオや消えゆく白狐のユキ、聖なる森のネズミたちの話を聞いたりする限りでは、もしかすると良い巨人などいないのでは? と思う事も多かった。
 イトは巨人族としてはかなり特殊なのかもしれなかったが、ピリカとしては嬉しい出会いでもある。
 いつもならピリカの安全を最優先に気配りを怠らないアオやエルが、イトとピリカを二人っきりにしている事からも、彼らもまたこの巨人族の老婆に対して心を許しているのは明らかであった。
 その二人が今何をしているのかと言うと、イトの家の風呂に入りに行っている。
 実のところ、アオは風呂に入らなくても汗をかいたり汚れる事は無いのだが、大の風呂好きで、イトの家の風呂が五右衛門風呂だと聞いて入りたがった。そしてエルは肉体を持つ普通の野ネズミなので、旅で汚れた体のままで家屋をうろうろするのはマズいだろうと、アオに風呂場へ強制連行されていた。
 家屋の裏手にある風呂場から、エルの悲鳴とアオの笑いが聞こえてくる。楽しそうな声に興味をひかれてピリカが彼らの様子を覗きに走った。
 半開きの風呂場の扉の隙間から中を覗くと、エルはアオの手の中で洗われている最中だった。全身泡立てた石鹸まみれのエルは様子を見に来たピリカに助けを求める。
「ピリカ助けてくれ~。いくら洗っても俺は白くならねぇって」
「蚤でもついていたらイトに申し訳ないからね」
 アオは楽しそうにそう言いながら、容赦なくエルを捏ねまわし、洗面器に汲んであったお湯をエルに豪快にかけて泡を洗い流す。立ち上る湯気の中から現れたエルは文字通りの濡れネズミとなっていた。
「エル…男前になったね」
 ピリカが揶揄うと、エルは情けない顔で今にも笑い転げそうな妖精を見る。
「ピリカもアオに洗って貰えば?」
「私は半霊半物質だから大丈夫だも~ん」
 ピリカはそう言ってエルに舌を出して見せたが、その会話を聞いていたアオの目が光る。
「そうじゃな。風呂は魂の洗濯にもなるからピリカも入るがいいぞ」
「きゃ~」
 ピリカが逃げる間もなく、アオは素早くピリカをつまみあげると、着ていた服を脱がせにかかった。ピリカの抵抗虚しく、あっという間にピリカは全裸にされて、お湯を張った洗面器にちゃぽんと浸けた。
「ピリカは湯に浸かっておれ」
 風呂の湯は火と水の力で魂の浄化が出来るからとアオは告げると、ピリカが着ていた服を泡立て始める。
「…え、そっち?」
 てっきりピリカも泡だらけにされるだろうと思っていたエルは、意外そうな声をあげる。
「ピリカの体は半霊半物質だからどっちでもいいのじゃが、こやつの服は物質で出来ておるからの」
 たまには洗濯をしなければという事らしい。
「私の服を洗うなら、アオのひらひらした服は?」
 湯桶の淵につかまってピリカが訊くと、アオはにやりと口元に笑みを浮かべる。
「我は霊体じゃし、着ている着物も霊体じゃからの」
 そう言うと瞬時に全裸だったはずのアオの体が一瞬で着物に包まれた。
「なんかずるい」
 ピリカが口を尖らせて抗議をすると、アオは笑いなが再び全裸になり、洗ったピリカの服をきゅっと絞った。
「これが渇くまでピリカの服はどうするかのぉ」
 ドライヤーかアイロンがあればそれで乾かすかと考えていると、脱衣所の方からイトの声が聞こえてくる。
「私が昔着ていた浴衣を用意したから…」
 アオの正体を知らないイトは、振袖では暑いし、くつろぐには不向きだろうと気を使ってくれたらしい。
 礼を言ってアオが脱衣所を覗くと脱衣籠の中に丁寧に折りたたまれた浴衣と腰ひも、そして兵児帯が入っていた。
「まあ、悪くはないか」
 アオが浴衣をつまみ上げて見ていると、浴室の中からエルがアオを呼ぶ。
「…なんじゃ?」
「アオのせいで乾かなくなったじゃないか~」
 野生動物の毛皮や鳥類の羽は体から分泌される脂成分でコーティングされている為、水に濡れても身を震わせるだけで水滴は脂ではじかれるのだが、先ほどアオがエルを念入りに石鹸で洗ってしまった為にエルの毛皮の脂分が流れてしまった。どれだけ身を震わせてもずぶ濡れのままだったので、エルが抗議の声を上げたのである。
「今の季節だから風邪はひかぬであろう」
 アオが忘れていたといった様子で手をポンと叩き、エルに笑いかける。
「そういう問題じゃないんだけど…」
 抗議しても無駄なのはわかっていたのか、エルはぶつくさ言いながら脱衣所の床にアオが投げ捨てたバスタオルの上で転がりまわりはじめた。
「…ピリカを忘れておった」
 用意された浴衣を手早く着たアオが、湯桶に浸かったままのピリカを思い出して見ると、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「何もこんなところで寝なくても…」
 そう言いながらアオがピリカを湯桶からすくいあげるが、一向に目を覚ます様子はなかった。どうしたものかとアオが思案していると、脱衣所の外からイトが声を掛けてくる。
「急ぎ、手ぬぐいでピリカちゃんの浴衣を縫ったのだけど、着せてくれるかしら?」
「おお、それはいい」
 アオは脱衣所の扉を開け、イトから小さな浴衣を受け取る。
 ピリカの体は人形サイズなので、手ぬぐいを切って縫う時間もさほどかからなかったらしく、ほとんど波縫いだったがちゃんとした浴衣の形をしていた。
 アオは眠っているピリカに浴衣を着せ、帯の代わりにリボンを巻き付けたのだが、その様子はまるで着せ替え人形で遊んでいるように見える。
「いろいろと気を遣わせたようで申し訳ない」
 着せ替えが済んだピリカをタオルの上に乗せて今の方に移動しながらアオがイトに礼を言うと、イトは顔の皺をさらに深くして「お客さんなんて久しぶりだし、くつろいでもらえれば嬉しいから」とニコニコする。
 居間に戻りちゃぶ台の上にピリカを乗せたタオルをそっと置いていると、イトがザルに入ったトマトを持ってきた。
「井戸で冷やしたトマトをどうぞ」
「これはありがたい」
 アオは嬉しそうに赤く熟したトマトを手に取りかぶりつくと、良く冷えたトマト果汁が口いっぱいに広がる。
「旨いのぉ…天土の恵みに水の恵みが加わっておる、最高のご馳走じゃ」
 アオがそう言うとイトは「急ぎの旅でないと言ってたし…今夜はうちに泊まっていきなさいな。今、夕飯の支度をしているから」と満面の笑顔を見せる。
「良いのですか?」
「もちろん。この里で採れたお野菜をたんと食べて旅の疲れを癒しなさいな」
 そう言ってイトは台所の方へ行ってしまった。
「…イトさんって、変わった巨人だね」
 小さめのトマトかじりつきながらエルが呟く。
「…ピリカが言っていた良い巨人さんってやつなのかな?」
「イトは自分が自然の中の一部である事は承知しているようだから、悪さを企むことはなかろうて――皆がイトのようであったなら、この国も平和なのじゃが…」
 庭先の鶏たちや植木を見ていてもわかるが、他の命に対しても敬意を払い大切にしているのは見て取れる。
「まあ、巨人全体で見れば、イトは珍しき者ではあるようじゃが」
 アオは複雑そうな表情を浮かべそう言うと、トマトにかぶりついた。

「ここは平和じゃのう」
 縁側で団扇片手にアオは夕涼みをしていた。
 蚊取り線香の香りが漂う縁側の軒先にかけられた風鈴が風に吹かれて涼やかな音をたてる。巨人達の都では見る事が出来なくなった彼らの原風景がそこにはあった。
「ひんやりしていて気持ちいい」
 ピリカとエルが縁側の床板に寝転がり、すっかりくつろいでいる。
 巨人達の都の喧騒を考えると、同じ国にいるとは思えないほど、この場所は穏やかな時間が流れていた。
 ぼんやりと星空を眺めていたアオの横に食べやすく切ったスイカをイトが置く。
「スイカどうぞ」
「わ~い、スイカ」
 床に転がっていたピリカが飛び起き、スイカに走り寄る。そんな食いしん坊の妖精をニコニコしながら見ていたイトはアオの横に腰を下ろした。
「ゆっくり出来ている?」
「おかげさまで…」
 イトの気遣いを感じながらアオは小さく頭を下げる。イトは「良かった」と小さく呟くと、そのまま黙り込んだ。
 たまに鳴る風鈴の音とピリカとエルがスイカを食べている音だけが縁側に鳴り響く。しばらくの沈黙の後、アオが口を開いた。
「イトは何も訊かないのですね…」
 ピリカを連れていたとはいえ、出会ったばかりのアオを家に招き入れ、風呂や心尽くしの手料理を振舞ってくれたイトだったが、この時間になるまでアオに何一つ問いかける事は無く、アオはそれが不思議で仕方がなかったのである。
——話したかったら話せばいい事で、無理に訊く必要はない。それがこの老婆の答えだった。
「振袖でコロボックルと野ネズミを連れて旅をしているなんて、訳アリ以外の何物でもないじゃない」
 そう言ってイトは笑う。
 イトが指摘する事に間違いはなかったし、アオとしてはあまり探りを入れて欲しくないのも確かではあった。
「生きて居ればいろいろあるし、探られたくない事、話したくない事の一つや二つ、みんな持っているもの…貴方は悪い人じゃないって思った私の直感は正しかったんだからいいじゃない」
 イトはあっけらかんとした様子でアオに微笑みかける。対するアオは困った表情を浮かべ、再び夜空を見上げた。巨人達の都では街の人工的な光で夜も明るいので星はほとんど見る事は出来なかったが、この場所の夜空には満天の星々が輝きを放っているのを見ることが出来る。黙って星を眺めていたアオが再び口を開く。
「——このまま、皆、滅びの道を歩むのでしょうか…」
 それは質問と言うより独り言のような呟きで、どこか悲しみの色帯びている。そんなアオの言葉を耳にしたイトはすぐに答えることは無く、アオと同じように夜空を見上げた。
「私たちだけが自滅するなら自業自得というものだけど…」
 他の生き物たち迄道ずれにするのは忍びないと、イトはため息を吐く。
「気休めにもならないのだけどね…里山再生活動はここに集まった者たちが出来るせめてもの罪滅ぼし」
 様々な思いが駆け巡っているのか、イトはそう呟くと再び黙り込んだ。アオもあえてイトの呟きに何も言わずにいると、思う存分スイカを堪能したピリカが二人を見上げ「諦めたら終わりだよ?」と言葉をかける。
「…巨人さん達が悪い子でいっぱいになっちゃったから、みんなおかしくなっちゃったんでしょ? イトちゃんみたいないい巨人さんが増えたらいいんじゃないの?」
 真っ直ぐに見つめてそう言うピリカにイトは苦笑いを浮かべる。
「自分を含めてすべてがおかしいと気が付く所からなんだけど…」
 正しいと思っている事が実は間違っていたのだと気が付いて認め、それを正すという事は非常に難しい事である。口で言うのは簡単でも行動に移すとなると大変なのは、イトも自らが体験した事だったのでその苦労は身に染みてよく理解していた。
「本当に悪い子なんていないと思うの…悪い事をいい事だって教えた悪魔がいい子になったら、巨人さんたちもみんないい子になるかも」
 突拍子もない事を言い出したピリカをアオは驚いた顔で見る。
「悪魔を改心させるだと⁈」
「きっといい方法があると思うの」
 根拠の無い自信に満ちた笑顔をピリカは浮かべる。
「その自信はどこから…」
 アオはなんとも言えない表情を浮かべそう呟くしかなかった。

 里山の朝は早い。日の出頃には田畑の世話をし、産みたての卵を集めたあと鶏舎の掃除や鶏たちの餌水の交換。そして朝食の準備と慌しく時間が過ぎていく。
 イトが朝の作業を一通りこなして、ちゃぶ台に朝食を並べた頃、ピリカが目を覚ました。
「よう眠っておったな」
 振り袖姿のアオが目をこすりながら起きてきたピリカに声をかける。
「美味しそうなにおい」
「相変わらず、食欲旺盛じゃのう」
 ピリカが目を覚ましたのは朝食の匂いに反応したからだと知ってアオが笑う。
「ピリカ遅い」
 とっくに目を覚ましていたエルがちゃぶ台の上からピリカに声をかけた。全員が揃うまでと、朝食がおあずけになっていたらしい。
「では、頂きましょうか…」
 イトがピリカをちゃぶ台の上に乗せ、そっと手を合わせてから朝食を食べ始めた。
 ピリカとエルには朝採りの野菜、アオとイトは炊き立ての雑穀ごはんに味噌汁、漬物、焼き魚といった巨人族の朝食が用意されていた。
 食にうるさいアオもイトが用意した食材に問題が無いのか、美味しそうに食事を口に運んでいる。
「——これからどうするの?」
「ピリカ次第」
 昨夜のピリカの突拍子もない言葉がどこまで本気なのか、図りかねているアオだった。
「アオは悪魔ちゃんの居場所知ってるんでしょ? だったらそこ」
「簡単に言うてくれる…」
 当然のように言うピリカにアオは苦笑いを浮かべる。
 神の化身と言われるアオであっても、おいそれと近ずく事が出来ない相手である。ましてやピリカやエルを伴う事を考えればそれなりの準備が必要だった。
「玉、剣、鏡は揃っておるし…まあ、なんとかなるか…」
「それって三種の神器…」
 アオの呟きを聞いていたイトが目を丸くする。
「あなた一体…」
 初めてイトはアオに問いかけを口にした。そんなイトにアオは「世の中知らない方が良い事もある」と言って笑う。アオ達の素性が気にはなるものの、知れば責任が生じるし年寄りには荷が重そうだと、イトは自分に言い聞かせ、残りの朝食を胃袋流し込む。
 朝食を食べ終えたアオは立ち上がるとピリカとエルを自分の肩に乗せ玄関へ向かった。見送りについてきたイトにアオは青い錦の守り袋を手渡す。
「短い間であったが、世話になった」
 守り袋はアオの感謝の気持ちの印だった。これが必ず守ってくれるからと告げると、アオは別れの言葉を口にして振り返ることなくイトの家を後にする。
「ご無事で…」
 不思議な旅人一行を見送ったイトは手を合わせると、静かに彼らの無事を一人祈るのだった。
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