旅するコロボックル

NKS

文字の大きさ
上 下
7 / 9

~episode6 魔が巣食う場所~

しおりを挟む
 物理世界に霊体である悪魔を召喚する為には生贄を捧げる儀式を執り行ったりするのが一般的である。雑魚レベルの悪魔なら能力の低い者が魔法陣などを用いる事で接触する事も可能ではあるが、強力で高位の悪魔となればその儀式は大規模となり、それにかかわる能力者のレベルもそれ相応のもので無いと不可能だった。一つ間違えれば召喚者そのものの命が危うくなったり、廃人となる。
 巨人族に悪知恵を吹き込んだと言われている悪魔はこの世の神と対をなす存在で、住んでいるのは高次元なので、大規模な儀式を行ったとしても話すことはおろか、召喚する事自体難しい存在であった。
「物理世界に呼び出そうとするから、騙されるんじゃ」
 アオ曰く、物質界に召喚された霊体のほとんどが雑魚レベルで、物質界に住む者には霊体の格を冷静に判断できる者は少ない。高位と知られている霊体の名乗りを聞くと、自分は偉い神様や悪魔と交流を持つ事が出来るのだとか、冗談のような話だが自分が有名な神様や悪魔の生まれ変わりなのだと信じる者も多い――自分は選ばれた特別な存在でありたいという承認願望からに付け込まれ騙されるのだという。
「我々が霊界にいるのじゃから、その霊体の格は一目瞭然」
 精神世界の霊体同士であれば、嘘をつけば直ちに明らかとなるのが物質界との大きな違いでもあった。

 スサとの対面の後、連絡通路まで戻ったアオは迷路のような回廊を抜け不思議な光を放つ泉の前にいた。
「光る泉なんて初めて」
 ピリカがそう言いながら、おっかなびっくり泉を覗き込む。
「この泉に見えるのは次元転移装置のようなものじゃ」
「次元転移?」
 アオの説明を聞いたエルが怪訝そうに訊き返す。
「ピリカが話をすると言っている悪魔となると高位なのでな、この精神世界よりもさらに高次元なのでこういうものを使って一気に奴のいる場所にアクセスするのが一番早い」
「なんかよくわかんないけど、悪魔ちゃんとやっと話せるのね」
 ピリカの表情が明るくなる。
「これより先は視た事はあるが、我も実際には踏み込んだことが無い場所ゆえ、覚悟は良いか?」
 アオの問いかけにピリカは大きく頷く。
「エルは?」
「——ピリカを護る為に一緒に旅に出る事にしたんだ…ここまで来た以上、最後まで付き合うよ」
 そう言ってエルは口元に笑みを浮かべた。
「あいわかった…では参ろうか」
 そう言うと、アオはピリカとエルを抱え、光の泉に飛び込んだ。
「あれ?」
 光の泉に飛び込んだ次の瞬間、うす暗い部屋の隅に三人は飛び出していた。
 状況を確認するように周囲の様子を伺う。
「石室?」
 部屋は加工された石を組み合わせた構造体で、石造りのせいか空気はひんやりと冷たかった。扉の様なものはなく石室の入り口があり、どうやら何処かに続いているようである。
「とりあえず、妙な気配は感じるけど、害意の様なものは感じられないな」
 エルの呟きにアオが頷く。
「相変わらずエルは感覚が鋭いの」
 肉体が無くてもエルは第六感の能力が高い様で、アオの評価は高い。
 好奇心旺盛のピリカが入り口の外を覗き込むむと、わぁっと声を上げた。
「どうした?」
 慌ててアオとエルがピリカの傍へ走り寄る。
「すごいよぉ。絵がたくさん壁に描いてある」
 ピリカが言うように隣には色とりどりの壁画が壁一面埋め尽くしていた。その絵はピリカやエルが目にした事が無い画風で、順を追ってみていくと物語になっているようである。
「ここ、本当に悪魔ちゃんち?」
「間違いはないと思うが…」
 珍しくアオの端切れが悪い。
 壁画が描かれていたのは部屋ではなく通路の様な場所で、通路は左右方向に延びていた。
「ピリカはどちらに進みたい?」
「んっと…」
 ピリカは通路の左右を見比べ小首を傾げると、「あっち」と左の方向を指示した。
 ピリカの選択に根拠など無いのはエルもアオも理解しているので、敢えてその理由を聞く事無く歩き出す。
 壁画の通路を進むと突き当りに木製の扉が立ちはだかる。その扉には細かい細工が施された取っ手の金具が取り付けられていた。
 扉を開ける前に、アオとエルは扉の向こうの物音がしないかと様子を伺おうとしていると、ピリカは何も考える事無く扉をあけ放った。
「!」
 びっくりするエルとアオを気にすることなく、ピリカは扉の向こうへ行っていく。
「慎重とは無縁だな」
「今に始まった事では無いけど…」
 エルとアオは苦笑いするしかなくなり、そっと肩を竦めた。
 石室や壁画の通路はどこか遺跡の様な雰囲気漂っていたのだが、扉の向こう側の床には赤絨毯が敷き詰められ、巨人達の建物の様相である。
「誰かいませんかぁ」
 ピリカの声に返事を返す存在は無かった。
「…なんかこの変な感じ、巨人さん達の都の長が集まる建物感じと似てる」
 ピリカは何かを感じたのか、足を止めて不愉快そうに呟く。
「確かに似てるな」
 エルも何かを感じ取ったのかピリカの呟きに同意した。
「この嫌な感じ、巨人さん達でもないし、精霊とも違う…自然の生き物の感じとも違う…なんだろう?」
 巨人の都では嫌な感じだと言ってピリカは近ずくのを嫌がった気配である。
「悪魔ちゃんの気配?」
「違うな」
 ピリカにアオが即答で否定する。
「これはもっと異質なものだ」
 そうは言ったがアオもそれが具体的に何であるかまでは解ってはいない。
「悪魔ちゃんどこかなぁ」
 そう言いながらピリカは赤絨毯の部屋を見回すと、右側の壁の真ん中に天井からまっすぐ真下に延びる継ぎ目の様なものが視界に入ったのでピリカはそれに近ずいた。その次の瞬間何の前触れも無く継ぎ目が割れ、壁が左右に収納されたので、驚いたピリカは思わず声を上げる。
 開いた壁の向こうは明るかったが天然の光でも電灯などでも無い。不思議に思ったピリカがその光に吸い寄せられるように進むと、光の正体は何枚もの動く映像の光の塊だった。映像の内容は森や海だったり、都なのか巨人達が行きかう姿、電車や車、動物や空などと多種多様である。
「絵が動いてる」
 巨人の都の街中でもたまに動く絵を目にする事はあったが、数十枚の違うものが並んで動いているのを目にするのはピリカは初めてだったので、不思議そうに流れている映像を見比べて、目を丸くした。
「こんな場所に奴が居るとも思えんが…」
 アオは不審げに部屋の中を見渡してそんな呟きを漏らしていると、映像を見ていたエルがアオを呼ぶ。
「これ何だと思う?」
 エルがアオに示したのは爬虫類の頭を持つ人型の生物が何やら作業している様子の画像だった。それを見たアオの表情が一気に厳しくなる。
「オリオンの奴らではないか…この映像が何処の階層の映像なのかが問題じゃ」
「?」
 エルはアオの言葉が何の事だかわからないといった顔をしていると、ピリカが入り口傍の床に描かれた絵なのか記号なのかわからない文字に興味を持ったらしく、それを手でなぞった。その瞬間、ホログラムの映像が消え部屋の中は薄暗くなる。
「消えちゃった」
「何をした?」
「これを触っただけなんだけど…」
 ピリカの指先にある文字を見たアオは「神代文字…」と呟くと、違う文字を足先で軽く踏んだ。その次の瞬間、再びホログラムの光が部屋の中に浮かび上がる。
「また出てきた」
 ピリカが驚いている間に、アオは壁の一部にも文字があるの確認をして一人小さく頷く。
「ここから奴の居場所がわかるかもしれん」
「この絵みたいなやつの意味わかるの?」
 その問いかけにアオは頷く。
「床の文字は画像を表示させるかどうかを操作するようになっておって、壁の文字で表示内容を変えられるようになっておる」
 そう言うとアオは壁の文字を指先でいくつか触った。
「絵が変わった」
 風景を映し出していた映像の一部が床や壁に描かれているような文字の羅列の表示に変わるのを見て、ピリカは興味津々といった様子で映像を見つめる。アオは映像に書かれている文字を確認しながら、壁の文字に指を走らせた。
「メインへのアクセスはここからでは無理か…」
 しばらく操作を試みていたアオは諦めたのか指を止め、風景などの映像に見入っていたピリカとエルに声をかける。
「この部屋はこの階層の末端でここで行き止まり。右へ行くのが正解だったようじゃ」
「道がわかったの?」
「今我らがおるのがここじゃ」
 そう言ってアオは、ホログラムの一枚に表示されたキノコが何層にも積み重なっているような映像の一番下の隅を指さした。
「悪魔ちゃんがいるのは?」
「恐らくここ」
 アオが指示したのはキノコの最上層で、それを見たエルがげんなりした表情を浮かべる。そんなエルに、隣の絨毯の間は物質界の巨人達の長の集まる場所と繋がって居る様なので、嫌ならすぐにでも物質界に帰れるとアオが笑う。
「こっちと黄昏の国の巨人の都と繋がっているってどういう事なんだ?」
 あの世経由でしかこの場所に来られないと思っていたエルはアオに問いかける。
アオの説明によると、この次元レベルになれば、本来、過去現在未来中今と言って、時間にも距離にも縛られなくなるので、どの時代のどの場所にでもこの部屋の端末操作していく事が出来るのだが、何らかの原因で空間が歪み、隣の部屋だけ物質界の巨人達の長たちが集う場所と癒着しているらしかった。
「空間のゆがみの原因が気になるが、そこを通れば帰りは楽になりそうじゃな」
 そう言うアオの言葉を聞きながら、エルは嫌な予感を感じずには居られなかった。

 地下室の様な最下層から上の層に上がると風景は一転して明るく緑豊かな大空間が広がっていた。その緑は北国で育ったピリカやエルが目にした事が無い植物ばかりで、自然の森と言うよりは手入れが行き届いた温室の様な場所である。その中を翼を持つ人型の者たちが飛び交っていた。
「鳥の人…」
 背中に翼を持つ人型など見た事も聞いた事も無かったピリカがぽかんと口を開ける。
「昔は、あれらはたまに巨人達の指導の為に物質界に降りる事があったのじゃが、巨人達はあれの事を天使だとか天狗、はたまた悪魔の化身と呼ぶことが多いな」
 アオが説明をしてくれるが、ピリカ達にはそれらの存在を見た事も聞いた事も無かったので、ピンとくる様子は無かった。
「悪魔って闇の世界に住んでるんじゃないのか?」
 エルが疑問を口にするとアオは苦笑いを浮かべ「その闇ってのは何なのだ?」と訊き返した。
「え? 光は神様で、闇は悪魔…」
 そう答えている途中でエルは答えに詰まる。イメージ的に光=神=善であり、闇=悪魔=悪と思い込んでいた事に気が付いたからである。
「闇が悪と誰が決めた。昼間は善だが夜は悪なのか?」
 皮肉めいた表情を浮かべアオがそう言うと、エルは首を振る。
「此度の過ちは巨人達だけではなく、お前たちの中にも思い込みの形で根を張っておるのじゃ――悪滅せば善ばかりにならぬ所以」
「もしかして…いや…ええ⁈」
 エルは雷に打たれた様に、突如、里山再生の村で出会った巨人のイトの言葉を理解した。——正しいと思っている事が実は誤りで、それに気が付いて正す事は非常に難しい。
 正しいと思い込んでいると、それに対して疑いを持つ事は全く無い。個のレベルでそうなのだから、年月を重ねて種で思い込みを正しいと信じれば、それが間違いだと気が付くのは非常に難しくなる。そして気が付いたとしても、本来あるべき形に戻そうとした時、種の正義と反する事の場合は理解されずに異端とされ、群れから追放や迫害される可能性が非常に高い。
「悪魔をピリカが説得するというのは、的外れって事に…」
「ならないのじゃ」
「へ?」
 エルの思考が混乱したのか目が点になる。
「悪は灰汁。闇と同じでそれそのものは良くも悪くも無いのじゃが、巨人達に悪知恵を吹き込んだ存在は存在するのじゃ」
 アオの言葉にエルは頭を抱えた。そんなエルに今は解らなくていい。そのうち理解できる時が来るだろうから心配するなと、慰めなのか励ましなのかよく分からない事をアオが言っていると、ピリカがたんぽぽを手に走り寄って来た。
「見てみて、鳥の人に貰ったの」
「ほう…真心の愛か」
 ピリカは大輪で華やかな花の様な存在ではないが、小さくても太陽に向かって精一杯花を咲かせ、周囲の心を和ませる存在である。
――そして、たくさんの希望のタネを空へ飛ばすのだな。
 それはピリカにぴったりな花言葉だと思いながら、アオが目を細めた。

 翼を持つ者たちが居る階層からさらに上へあがると、さらに緑の濃さが増し密林を形成していて、その間からちらほらと恐竜たちの姿が見受けられた。
「おっきいねぇ」
 ピリカが初めて目にする恐竜たちの姿に目を丸くする。
「物質界では恐竜種は絶滅してしもうたが、ここが彼らの安住の地じゃ」
 物質である肉体を失えば、精神体だけになりそれぞれに応じた世界に行くというのはこういう事なのかとエルは恐竜を見上げながら思う。
「少し休憩でも取ろうかの」
「そういえば、ずっと休んでなかったね」
 精神世界に来てから随分経つような気もするが、肉体を伴っていないせいか疲れや空腹感は今まで無かったので、アオに言われてピリカは眠ったり食事を全くしていなかった事に気が付いた。
「確かこっちに茶屋があったはずじゃ」
 最下層の端末で見た地図を思い出しながらアオがあたりを見渡すと、木々の間にテーブルセットを見つけた。
「お前たちには何を注文しようかの」
 そう言いながらアオはカフェ風のテーブルに着くと、テーブルの淵に浮かぶ光る文字を見る。
「肉体が無いのに食べたり飲んだりできるんですか?」
 怪訝そうに訊くエルにアオは「ここの飲食物は生命エネルギー体で、飲食する事によってその生体エネルギーの融合をするんじゃ」を笑った。
 アオは光の文字を何やら操作して少しすると、果物籠がテーブルの上にふわっと現れた。
「わーい果物」
 ピリカが久しぶりの食事に歓声を上げ、桃の様なものにかじりついた。その瞬間、その果実の様なものはすっとピリカの体へ吸い込まれ、ピリカの体から淡い光の様が放たれる。
「何⁈」
 いきなりの事でピリカは驚きの声を上げた。それを見てアオは思わず声をたてて笑う。
「光るのは融合した証じゃ。こちらの世界での食事をすると必ずそうなる」
「嬉しいって感じ…それが美味しいって感じるのは何?」
「植物は動物に食べられ融合されるのを歓喜とするのでな、それをダイレクトに感じるのじゃ。食べるというのは本来生体エネルギーの融合じゃからのう」
「ふうん…」
 不思議そうな表情を浮かべながら、ピリカは次の果実に手を伸ばした。
「…それにしても、最初、アオはこの世界は視た事はあるけど、来た事は無いって言っていたのに、いろいろ知ってるよね?」
 果実を手にエルがアオに疑問をぶつける。
「確かに来るのは初めてじゃが、最下層で端末の情報を得る事が出来たからの」
 そう言ってアオは自分の頭を指先でトントンと示す。
「この次元の基本情報を我は記憶した」
 アオの話だと神代文字は一文字でも大量の情報が詰まっているらしい。
「正確には読むというよりは、精神集合体の記憶サーバーにアクセスして情報を受け取っておるのだが、下の端末では核心部分への接続が出来なかったので不完全ではあるがの」
「…はぁ」
 聞きなれない単語の羅列にエルは曖昧な返事を返す。
「知らない土地に着いてから、ガイド本を手に入れたようなものじゃ」
「大丈夫?」
「嘘はまかり通らん次元なので、その辺は大丈夫じゃ…奴のところに行くまではな」
 それが一番不安なんだと思いながら、果物のエネルギーを吸収する度に自分の体が光るのを無邪気に楽しんでいるピリカを見たエルはそっとため息を吐いた。

 次の階層に上がるとそこは大海原であった。そしてその上に浮かぶように立つ石造りの神殿。繊細な装飾が施された真っ白な石柱が天と地を繋ぐように立ち並ぶ光景は絵画の様に美しい。
「あ、お魚さん」
 赤や青、黄色といったカラフルな魚を初めて目にしたピリカは目を輝かせた。そんなピリカにエルが「泳いでるところがおかしいけどな」と突っ込みを入れる。
 エルが言うように原色の魚たちは海ではなく空中で水の中と変わらない様子で泳ぎ回っていた。
「ここでは水中や空中など関係ないからのぅ」
 エラ呼吸する必要が無いから可能といえば可能なのだろうが、見慣れていない光景の為か違和感をエルはかなり感じる。
「見よ、海の中で鳥が飛んでおるわ」
 アオにそう言われて海の中を覗くと確かに鳥たちが飛んでいる。
「どうなっているんだ?」
 エルが困惑した表情を浮かべた。その横でピリカが「お魚さんが空を泳いで、鳥さんは海の中を飛ぶなんて変なの」と笑う。
 奇妙な光景はそれだけではない。神殿の奥に海の中へ続く階段があった。
「あの階段を行けば上の階層へ行けるようじゃな」
「海の中深くに下って行ってるみたいなのに、上へ?」
「悩んでも仕方あるまい。行けばわかる」と、首を傾げるエルにアオはそう言うと神殿の奥の階段へ歩き出した。
「俺達が想像していた悪魔の住む場所とはずいぶん違うよな?」
 アオの後ろを歩きながらエルがピリカに小声で話しかける。
「ん? ここなら悪魔ちゃん寂しくなさそうだね」
「そういう問題では無くて…」
 見当違いのピリカの言葉にエルは頭痛の様なものを覚える。
 エルが想像していた悪魔の住む場所は、古びた暗い神殿か城のような場所で、陰気で血やカビの臭いが漂う怪しげな場所であった。
 しかし、今まで見てきた限り、最下層はそれっぽい雰囲気が少しあったのだが、上層部は明るく自然豊かで、そこに住む者たちは皆穏やかで幸せそうである。
「この世界がおかしいのか、俺がおかしいのか…」
 その答えを導き出す事はエルにはまだ出来なかった。
「長い階段じゃのう」
 神殿奥の階段傍に立ったアオが、階段を見下ろして呟きをもらし、ピリカとエルを肩に乗せると階段に踏み込む。その瞬間、天地が逆転する感覚がして下っていたはずの階段が上に向かって伸びている。そしてその階段は上に向かって動き始めた。
「下に降りたはずなのに上がってるよ⁈」
「階段が勝手に動いている!」
 予想外の出来事にピリカとエルは半分パニックを起こし、声を上げる。
「落ち着け。上下逆さまになっるような感覚になったのは重力制御システムの応用技術みたいなものじゃ――魂はコアに惹かれるゆえな…」
 アオが落ち着いた様子でそう言うと、ピリカ達はとりあえず騒ぐのをやめた。
「なんかよくわかんないけど、アオが慌ててないって事は大丈夫なんだね?」
「心配ない」
 アオのその言葉を聞いてピリカ達は安堵の表情を浮かべる。
 この世界は強い精神体なら空間をゆがめて一瞬で移動するのは簡単なのだが、そこから生じた空間のゆがみは波紋の様に広がり、低次元への影響を大きく与える為、使う事を禁止されているので、このような仕掛けがあちこちにあるとアオは説明する。
「んと、もしかしてなんだけど、ここって巨人さん達が使っている便利なものよりすごいんじゃないかって気がするんだけど…」
 ピリカ自身、巨人族が使う便利なものを全て知っている訳ではないが、直感的に感じるものがあったのか、その疑問を口にする。
「間違ってはおらんな。巨人族たちが使っている技術の多くはここからもたらされたものなのだから」
「へ⁈」
 予想外のアオの言葉にピリカとエルは驚きの表情を浮かべる。
「この世界の者たちが物質界の者へ少しずつではあるが、彼らを繁栄させる為に夢や閃きといった形で指導する事もあるんじゃが…直接ではないせいか物質界では不完全なものも多いし、金儲けの道具とする者が後を絶たないのが困りものであるがな」
「アオが住んでいた場所には無かったのはどうして?」
「あちらの技術レベルではいろいろ星を汚すのでな…それに役目上必要ではないので困りはしない」
「役目?」
 エルの問いにアオは「役目は役目じゃ」と言うと、話題を逸らすように近くに見えてきた上層部を見上げ「次が最上層部じゃ…いよいよじゃな」とピリカに声を掛ける。
「悪魔ちゃんとお話いっぱい出来たらいいな」
 そう言うピリカからは不安など少しも感じられないどころか、期待感すら感じた。
――こやつ、九分九厘の破滅の道をもしかするとひっくり返すかもしれん…
 アオの頭にそんな考えがよぎる。
――あとは祈るだけじゃ
 心の中でアオはそっと呟くと祈る様に目を閉じた。

 最上層部はそれまでの階層とは全く違う趣の場所であった。
 全体的に銀色の金属で構成され、どこか船の中といった印象を受ける。装飾品なのかところどころに水晶があしらわれており、その水晶から光が放たれているせいか明るい。
「誰もいないね…」
 周囲を見回したピリカが少しがっかりしたように呟く。
「まぁ、ここは高次元の住人でも頻繁に来るような場所ではないからの」
 そう言いながらアオは壁際に浮かびあがった文字に視線を走らせる。
「右、第五宇宙第九階層管理長室。中央、第五宇宙情報集中管理室。左、第五宇宙第五階層特務長室…こっちじゃ」
 アオはそう言うと左に向かった。
「ピリカはわかんないから、アオに任せるね」
 アオが読み上げた表示がどんな意味を持つのかさっぱり理解できないピリカは、それがどういう意味なのか興味は一切ないらしい。一方のエルは何かが気になるのか落ち着かない様子で周囲を見回していた。
「…嫌な感じがする」
 エルの言葉にアオは足を止める。
「最下層の異質な感じはしないが…」
 アオがそう呟いた時、突如、正面の壁が無くなり、そこからトカゲの頭を持つ人型が二体姿を現した。そしてアオを見るなり「◆#×*★▽!」と解らない言葉を発し、腰に身に付けていた銀色の何かに手をかけた。
「お前たちはしっかり捕まっておれ」
 アオは叫ぶようにそう言うと、厳しい表情でトカゲ頭と対峙する。
「オリオンの者がこのような場所で何をしておる!」
 アオが誰何するやトカゲ頭は手にしてた銀色の棒を引き抜いた。
「上等」
 アオは冷ややかな視線をトカゲ頭に注ぎながらそう呟くと、両手を合わせて正面に突き出し、左右に広げる。広げた手の間には光を放つ剣が現れた。
「%×■¥‼」
 トカゲ頭たちが一斉にアオに向かって襲い掛かる。それをアオはまるで舞を舞うようにひらりと身を躱し、トカゲ頭向かって光の剣で薙ぎ払った。光の剣を受けたトカゲ頭の頭部が跳ね飛び、その次の瞬間、切り離された頭部と胴体は塵となる。
「☆*▼$○‼」
 残されたトカゲ頭が大きく出てきた奥の方へ叫び声を上げた。それは応援を呼ぶものだったのか、奥からトカゲ頭が次々と走り出てくる。
 アオにとって幸いだったのは、増援を呼ばれてもこの場所は通路で、取り囲まれる心配がない事だった。アオはトカゲ頭の増援にも顔色一つ変える事無く、襲い掛かって来る者たちを次々に薙ぎ払う。トカゲ頭との実力の差は歴然であった。
 最後のトカゲ頭を薙ぎ払ったアオは周囲にトカゲ頭が残っていないのを確認すると、ふっと息を吐き、手にしていた光の剣を消した。
「…トカゲさん死んじゃったの?」
 ピリカが悲し気な声でアオに尋ねる。
「正確には、無に還った」
「トカゲさんたち、どうして襲い掛かってきたの?」
「貴奴らは好戦的な種で、弱肉強食の支配構造主義じゃから、力がすべてで正義」
 そこに話し合いをするという選択は一切ないという。
「そんな…」
 初めて命をかけた戦いを目撃したのがよほどショックだったのか、ピリカの顔色は悪い。
「話し合いで解決できる種も多いが、トカゲ頭の様に問答無用で攻撃してくる種もいるという事だけは忘れるな」
「…」
 ピリカは頷く事も無く押し黙る。そんなピリカが不憫に思ったのかアオは表情を緩め、優しく小さな妖精に話しかける。
「お前は戦う必要はないのじゃ。それは罪穢れを背負う覚悟がある者の役目なのだから」
「…」
 俯いたピリカの頭をそっと撫でた後、アオはエルの方を見た。
「エルは怪我はないか?」
「俺は大丈夫。アオこそ怪我は?」
「問題ない」
「昔、俺も大勢と戦った事があるけど死にかけたからなぁ…」
 そういうエルの目は賞賛の色を含んでいる。
「力押しなど外道のする事じゃがな…」
 自戒する様にアオはそう言うとそっと肩を竦め、トカゲ頭が出てきた方に視線を送る。
「トカゲ頭がこんなところで何をしておったのか…」
 それは下層部の端末の情報にもいっさい含まれていなかったので、ここで何が起きているのかアオにも解らない事であった。

 神と対をなす者を悪魔といい、その姿は山羊や蛇の姿をしていると言い伝えられている。しかし実際にその者と会い、言葉を交わした者の数は定かではなかった。
「邪魔をする」
 第五宇宙第五階層特務長室という表示の部屋に入ったアオは、部屋の主に声を掛ける。そのアオの声に反応するように正面の机で書類にサインをしていた人物が顔を上げた。
「すみません…作業は終わっては…え?」
 アオと目があった黒いスーツ姿に黒い長髪の人物はペンを持ったまま固まる。
「失礼…そなた五階層の特務室長で間違いないか?」
「いかにも…貴方は?」
「貴方と似たような立場の者——青龍のアオと申した方が良いか?」
「…青龍…おおっ」
 何かを思い出すように考えた後、思い当りがある名だったのか、長髪の人物はポンと手を叩き「初めてお目にかかる。私はこの階層の特務室長を務めるサタンと申します」と言いながら、立ち上がってアオに手を差し出した。
 アオは複雑そうな表情を浮かべサタンと握手を交わす。
「…ところでオリオンのトカゲ頭は?」
 部屋の入口の方を気にするようにサタンが訊いた。
「無に還ってもろうた」
 それを聞いたサタンはホッとした様に椅子に座り込み「長かった…」と呟きをもらす。
「何があった?」
 アオの問いにサタンはこれまでの出来事を話し始めた。
 サタンの仕事は本来、物質界における低波動の周波数管理責任者であった。
 低波動の周波数は不平不満、愚痴、悲しみといったいわゆるネガティブといわれる感情の動きによって発信される。
 物質界の巨人族のポジティブ、ネガティブな感情の動きは特にその発信する力が強すぎるので、他の周波数に干渉しないように制御する必要性があり、それがサタンの仕事であった。
 どの周波数で居るのかは個々の自由ではあるのだが、ポジティブとネガティブの割合は常に同じにしてバランスを取る必要性がある。光ばかりではその明るさに気が付く事が無く、闇があって初めてその明るさに気が付く事になる。その逆もまた然り。喜びと悲しみの微調整はサタンの腕の見せ所であった。
「ところがそれにトカゲ頭たちが目を付けたのです」
 彼らはネガティブな感情のエネルギーが主要エネルギーなので、巨人達にネガティブな感情を増幅させるように操作する事をサタンに強要したのだという。
 巨人達は「欲」や「楽」に甘い。それに付け込み、欲を満たす為の知恵や技術の提供を条件に、ネガティブな波長を生み出す種を植え付けるだけで良かった。
 まずやったのは「貨幣経済」という概念。
 本来ただであるはずの自然の恵み全てを貨幣経済に組み込んだのである。
お金という概念が出来た事により、貧富の差が生まれ、そこから富を多く持つ者が貧しい者を支配するという構図が出来るのにはそんなに時間がかからなかった――富を持つ者は貧しい者から搾取を続け、より豊かになり、貧しい者はより貧しくなっていった。
「富裕層も貧しい者も皆、力なき貨幣の僕となってしまえば、それを操作するだけで簡単にネガティブなエネルギーを集める事ができる様になったので、それをトカゲ頭たちは母星に転送していたんです」
 安して眠れる場所を手に入れるのも貨幣、食欲や性欲を満たすのも貨幣。地位や名誉、知識を満たす為にも貨幣。その欲が満たせないと不平不満が生まれ、欲を満たした者に対する妬み嫉みが生まれ、そこから力による富裕層と貧者の暴力闘争に繋がっていく。
 次にやったのが「共食い」の推奨。巨人族が動物を食べれば、食べられる者の恨みつらみ、悲しみを受け、霊性が低下し低周波となる為、よりネガティブな波長を生みやすくなる――巨人族の中でもその事を知っている超富裕層にベジタリアンやヴィーガンが多いのはそういう理由である。
 そして「楽」になるとして、そこに様々な形で病の種を蒔いた。食品には毒を。低周波を発する多くの生活用品に囲まれるようにする波長干渉。
 病から苦しみや悲しみといった新たなネガティブな感情が生み出され、生活用品による低周波がその空間に満たされると周波数が重なり共鳴が起きる。そのエネルギーは増幅するので、集まる低周波のエネルギーは膨大な量になっていったという。
「この星はトカゲ頭たちの植民地であり、低周波を発生させる為の工場となっていたのです…」
 そう言った後、サタンは言い訳がましく「巨人達が欲に従順過ぎたのです…彼らが欲を律する事が出来ていたなら、こんな事にはならなかった」とため息をついた。
「サタンちゃん、好きでやっていた訳じゃなかったんだ…」
 ずっと黙って話を聞いていたピリカが呟きを漏らす。その声にサタンはようやくピリカの存在に気が付いたのか、怪訝そうに小さな妖精に視線を向け、アオに「この者は?」と尋ねる。
「おぬしと話がしたいと言うので連れて来た者じゃ」
「私と話とは?」
「巨人さん達に悪い事を止めるようにサタンちゃんに説得してもらおうと思ったの」
「…は?」
 思わぬピリカの言葉に、クールな表情だったサタンの目が点になった。

「何故、私に?」
 奇妙な沈黙の後、サタンが口を開いた。
「サタンちゃん、トカゲ頭たちに無理矢理、悪い事を巨人さん達にさせるようにしてたんでしょ? もうここにはトカゲ頭たちはいなくなったし、巨人さん達に悪い事をさせる必要が無くなったんだから、今すぐやめさせて」
 ピリカは真っ直ぐにサタンを見据えて訴える。
「…」
 サタンは困惑顔で真剣な様子の小さな妖精を見つめ返す。
「動物も植物もみんな困ってるの――サタンちゃんが巨人さん達にみんなが困る事を正しいって教えて、それを巨人さん達が信じてしまっているのだから、それが間違いでしたって、巨人さん達に正しい生き方を教えなおすのは貴方がしないといけないと思うの」
 答えあぐねるサタンの様子に、ピリカは更に言葉を続ける。
「サタンちゃんは悪い事が好きな悪い子なの? 自分で悪い事をしたのが判っているのに、ごめんなさい出来ないの⁈」
 サタンはピリカに主張を聞いているうちに冷静さを取り戻したのか、静かに「出来なければ、どうするというのだ?」と問いかける。
「サタンちゃんがちゃんとするまで、私、お話をいっぱいする」
「…は?」
 ピリカの言葉を聞いたサタンの目は再び点になった。
「お話? 私を殺せばいいとは思わないのか?」
 ピリカの言葉の真意を図りかねるのかサタンはそう問いかけると、ピリカは迷うことなく首を振る。
「貴方を殺したら、巨人さん達の間違いを正せる人いなくなっちゃうもん」
「私がしなくても、神や天使たちなら出来るとは思わないのか?」
「神様や天使が正しい事を言っても、巨人さん達には考え方が全然違うから、きっとわかってもらえないし、信じてくれないと思うの…巨人さん達にとっての神様は、便利な事を沢山教えてくれたサタンちゃんだと思っているから!」
 サタンはそれを聞いて絶句する。
 今迄も諸悪の根源がサタンだとして、滅ぼそうと試みる者は多かった。多くの場合、低階層のサタンの分身ともいえる存在に挑み、それらを倒す事に成功した者もいれば、返り討ちに合う者も多かった。勝っても負けてもどちらかに遺恨が残り、その遺恨から更なるネガティブな波長が生じる為、決してポジティブな高波長の世界に移行する事が無かった。
 ところが今ここに居る小さな妖精は暴力的な強硬手段を取ることなく、話し合いで何とかしようとしている。気が遠くなるほど長い間生きてきたサタンであったが、この階層迄辿り着いた上に、こんな事を主張する存在との出会いは初めての事だった。
「…私が巨人達の神だと?」
 戸惑いというよりは、探りを入れるようにサタンはピリカを見る。
「サタンちゃんが教えた事が巨人さん達に都合が良くてみんな信じたから――たくさんの信じる者がいてその想いを集めることが出来たなら、その精神体はより強い力を持つんでしょ? サタンちゃんが今も強い力を持っていてここにいられるのはサタンちゃんを信じる者が多いって事だもん」
 そういうピリカの脳裏には、信じる者が減り消えゆくのも時間の問題となっていた白狐のユキが浮かんでいた。ユキから発せられる生命エネルギーに対して、今目の前にいるサタンから発せられる生命エネルギーは桁違いに強い。今、実際にそれを感じてピリカは自分の言葉に確信の様なものを感じていた。
 ピリカとサタンのやり取りをじっと聞いていたアオが突然笑い出す。
「——否定できまい。銀河連合の取り決めを破り、おぬしは自らを神と名乗り巨人族の世界に介入してきたからのう」
「何故それを…」
 ぎょっとしたようにサタンはアオを見る。
「巨人族が住む星は特別保護区。巨人族の潜在能力は銀河連合の指導種と同等。それゆえ銀河連合の管理下に置いて、彼らが高周波世界に移行できるように指導管理官たち以外の介入は禁止されているはず――指導管理官たち事を巨人達は神々と呼び、崇めているのを知りながら、おぬしは要所要所で彼らに成りすまし、低周波を好む様々な思想を吹き込んできたではないか」
「それはトカゲ頭たちに強要されて…」
「痴れ者——ここにはトカゲ頭たちでは入ってこられない結界がある。中から手引きしなければ奴らが侵入する事は出来ぬ」
「…」
 アオの指摘にサタンは黙り込み、そのやり取りを聞いていたピリカが「サタンちゃんがトカゲ頭を?」と言いながら不思議そうな表情を浮かべる。
「巨人達が発する低周波のエネルギーを提供してトカゲ頭たちの覇権拡大させ、銀河連合の切り崩しをするのが目的といったところではないかと我は思うが…」
 銀河連合の片田舎の低周波の調整管理といった仕事では満足できず、もっと高い地位にいたいという考えがあったのかもしれぬと、凍り着いたように動かなくなったサタンを見ながらアオがピリカに説明する。
 巨人達からみれば、精神や科学的文明レベルが高い銀河連合の宇宙人たちは超常的な力を持ち、奇跡にしか見えない事を数々と行う神である。
 たとえばライター。原始時代の巨人達が見れば、簡単に火を出したり消したりする事が出来る奇跡の技であり、天気予報は原始人にとっては天候の予言で、かなりの精度で実際に起こる事から、ただの巨人たちであっても、原始人相手なら神と崇められる事となるだろう。
「奇跡ないのが奇跡であるのじゃが、どうも巨人達は、神は全能であるから何でも出来ると信じておる様じゃ」
 そう言うアオの表情は苦い。
「…言われてみれば、神様って何なのか考えた事もなかった」
 この部屋に入って以来、ずっと気配を隠し身をひそめていたエルが不意に口を開いた。
「漠然と神様は超常的な力を持ち、何でも出来ると思っていたけれど、俺達が知る生き物じゃないだけだったなんて…」
「じゃあ、アオは神様の化身って言われているけれど…宇宙から来たって事⁈」
 理解を超えているのか、ピリカは混乱気味である。
「我の事より、まずはサタンの事が問題であろう――」
 そう言ってアオ話題を再びサタンに向ける。
「思惑通り、巨人達の世界は間もなく低周波の次元に沈む…笑いが止まらんであろう」
「…私の勝ちだ」
 アオの皮肉を込めた言葉に、サタンは口元に笑みを浮かべて答える。静かではあるがその表情は満足そうであった。
「低周波の次元に沈むってどういう事⁈」
 不穏なものを感じたピリカが悲鳴を上げる。
「刻が来るのじゃ…」
 アオのその言葉は苦渋に満ちたものだった。
しおりを挟む

処理中です...