お嬢様は悪事がお嫌い——とある公爵令嬢と執事の華麗なる成敗譚——

夜宵 蓮

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第2章 盗難事件解決編

第15話 潜入と既視感

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 今日もまた、シリルは学園の執事専用の服に身を包み、学園の廊下を歩いていた。
 今回の目的は、前回のような中途半端な変装ではなく、完璧な偽装である。彼の姿を目にしたことのある者が見たとしても、すぐに彼とは分からないようにしなくてはならない。そのため、今日のシリルは一味違った。
 鼻から目の下にかけては、その綺麗な肌を隠すためそばかすを描いており、鼻の上には丸い眼鏡をかけている。さらに口の中には綿を含み、輪郭を誤魔化すという周到さだ。いつも真っ直ぐに伸ばした背筋も、あえて若干丸められている。せかせかと歩くその姿は、誰が見ても公爵令嬢付の美貌の執事とは結びつかないであろう。
 もちろん、この変装は気の良い学園の執事長から執事服を借りた後に施したものである。シリルを信頼する執事長はまたしても快く貸してくれた。少し心が痛むので、彼は一応いくらか掃除をした後に実行することにした。

 そして今、彼は変装した姿でとある場所へと足を早めていた。
 生徒の個人情報の載った名簿のある場所といえば、やはりあそこしかない。少々危険だが、無駄な手間を省くためにはやるしかないだろう。
 彼は、ある扉の前で立ち止まり、その取っ手に手をかけた。手袋を付けた手でゆっくりと取っ手を引くも、扉は開かない。案の定、鍵がかかっているようだ。
 シリルは溜息をつき、周囲に誰もいないことを確認すると、燕尾服の内ポケットから細長い針金を二本取り出した。その先端を少し曲げ、鍵穴に差し込む。そして少しの間鍵穴の中を針金で探ると、やがてカチャリという音がして鍵が開いた。
 針金を鍵穴から引き抜いて内ポケットにしまうと、シリルは音を立てないようにそっと扉を開いた。飾り気のない扉の中には、無数の書棚が並んだ空間が広がっている。シリルは素速くその中に体を滑り込ませると、扉を閉めた。灯りのないその部屋は、扉を閉めるとすぐに真っ暗になる。
 今度はマッチを取り出すと、シリルはそれを擦って火をつけた。彼は自分の前にマッチを突き出し、辺りを見回した。目当ての物は、すぐ近くの壁にかかっていた。シリルは、壁にかけられたいくつかのランプの内一つを手に取ると、マッチの火を移した。
 途端に、辺りがぼうっと明るくなる。シリルはその灯りを頼りに、書棚の間を進んでいった。棚には、学年とクラスの書かれた金属のプレートがそれぞれ打ちつけられている。

 ――そう、ここは、学園の全生徒の情報が保管されている資料室である。東棟の五階に位置し、生徒の情報の他に、学園の設計図や費用がまとめられた帳簿など、シルヴィリス学園に関するあらゆる重要書類が保管されている。
 最上階であるこの階層にはほとんど人は来ないはずだが、念のため早めに済ませた方がいいだろう。シリルは階下に足音が漏れないよう注意しながら、一年C組の棚を探した。その棚はすぐに見つかり、シリルはその前に立つと一人一人の情報の記された名簿を棚から引き抜き、素早く目を通していった。例の犯人像に当てはまる生徒を見つける毎に、手帳にさらさらと名前を書き込んでいく。それをしばらく繰り返して、ようやく作業が終わった。C組の生徒五十人の内、該当者は十五人であった。それを確認すると、シリルは入口に踵を返そうとした。

 ――と、その時だった。入口の辺りから、微かな物音がした。沈黙に包まれた部屋には、僅かな音でも響き渡る。その金属音は、ちょうど鍵穴を回そうとするような音だった。
 シリルは冷や汗をかいた。――彼は、わざわざ再び部屋の鍵を閉めるようなことはしていない。それはつまり、誰かが来れば侵入が発覚してしまうことを指していた。
 思った通り、部屋に入ろうと鍵を回した何者かは、鍵が既に開いていることに気づいたようだ。何か呟く、くぐもった声が扉の向こうから聞こえてきた。シリルは眉をひそめ、すぐさまランプの炎を消した。壁伝いに部屋の奥の方へ進み、ある書棚の影に身を隠すと、扉の開く気配がした。

「――誰かいるのか?」

 扉の方から光が差し込み、男性の低い声が資料室の中に響く。シリルは必死で息を殺した。
 男性は、壁のランプを確認したようだ。「一つ足りない……」と呟く声がシリルの元にまで届いた。それから金属の触れ合う音がして、彼がランプを手に取ったのが分かった。
 シリルは、万事休すと身構えた。流石に、見つかった時の言い訳までは考えていない。シリルは浅慮であった自分を呪うと、どうするべきか思考を巡らせた。
 色々と考えた末、入ってきた何者かとすれ違うようにして部屋を出るのが一番良いだろうという結論に至った。無駄な面倒事を起こしたくはない。万一の場合、リズも巻き込むことになるかもしれないのだ。
 シリルは、足音を立てないよう細心の注意を払いながら、棚伝いに進んでいった。入ってきた誰かの足音がする方は避けつつ、入口を目指す。
 そして、やっと入口に辿り着いた、その時――シリルは、何者かに肩を掴まれた。

「――お前、ここで何してる?」

 疑る声が、背後から聞こえた。その声は、よく聞くと聞き覚えのあるものだということにシリルは気づいた。シリルは、自分の推測を確かめるため、ゆっくりと振り向いた。そこに立っていたのは、予想通り彼の見知った人物だった。

「……ルイス先生」

 思わず、その人物の名が口を突いて出た。ランプを片手に持った、着古した白衣に黒い巻き毛の彼――ルイスは、驚いた顔でシリルを見つめた。シリルは、すぐにしまったと思った。今の発言は、自分の正体を明かしてしまったようなものだ。

「お前……見覚えがあるが、誰だ――?」

 ルイスが首を捻ってシリルの顔を覗き込む。シリルは観念して、眼鏡を外し、ハンカチで顔のそばかすを落とした。ほぼ変装を解いた彼を見て、ルイスは目を見開いた。

「お前……まさか、アッシャーか」

 シリルは、困り顔で苦笑した。

「えぇ。少々、事情がありまして…………」


 それから、シリルはルイスに連れられ、彼の研究室に来ていた。研究室は彼個人のもののようで、リズの自室よりも手狭だが、たくさんの実験器具が置かれていた。

「狭くて悪い。実験室が空いてなくてな。まずは、そこに掛けて話を聞かせてくれ」
「はい、失礼いたします」

 ルイスは、シリルを部屋の奥に置いてある椅子に座るよう促した。その後、彼はドアの前の回転椅子に腰かけた。その動作がシリルの退路を塞いだように見えたのは、単なる気にしすぎだろうか。
 そして、シリルはルイスに事のいきさつを話して聞かせた。シリルの話を聞き終えると、ルイスは深い溜息をついた。

「お前なぁ、それなら俺に頼めばよかったじゃないか。俺は、大したことは特にしてないが一応C組の担任なんだからな」
「それは……頭にありませんでした。ルイス先生は、私が頼めば教えてくださったんですか?」
「あぁ、事情が事情だ。教師陣も、昨今の盗難事件には頭を悩まされてるからな」

 ルイスは肩を竦めて言う。シリルは眼を瞬かせた。

「まぁ、お前が他人を巻き込みたくなかったのも、分からなくはないけどな。……しかし、貴族の子息息女の個人情報を盗み見するとは、かなり無謀な行為だぞ」
「はい……申し訳ありません」

 ルイスの呆れたような声に、シリルは決まり悪い顔で目を伏せた。

「しかし、一つだけ分からんことがあるんだが……お前、どうやって資料室の鍵を開けたんだ?」
「それはですね…………」

 シリルは少し躊躇った後、諦めてポケットから針金二本を取り出してみせた。

「解錠の技術については、昔世話になった人から教わったものでして。私がまだ平民だった時のことです」
「ピッキングまでできるのか、お前は。全く、底が知れないな」

 ルイスは感心しているのか呆れているのか分からないような顔をした。針金をしまうと、シリルは真剣な顔つきでルイスを見つめた。

「ルイス先生、一つお願いがあるのですが――」
「このことは秘密にしてくれ、だろ? 分かってる、報告しないでおいてやるよ。ただし、今後はくれぐれもこんなことがないように。見つけたのが俺じゃなかったら、どうなっていたか分からないぞ?」
「はい、重々承知しております。お心遣い、感謝いたします」

 シリルは、深く頭を下げた。


 * * *


 同じ日、リズは一人考え事をしながら廊下を歩いていた。アンナは、科学研究会に行っていて不在だ。キースたちも、C組の生徒に聞き込みに行っている。
 リズの考え事とは、シリルの調査や、犯人の動機についてだ。シリルの方は何とかなっているだろうが、犯人の動機の方が全く分からない。伯爵家という身分でありながら、下級貴族の生徒から物を盗む、その理由が想像できないのだ。やはり、精神的な動機なのだろうか。しかし、それにしても何か要因があるはずだ。そうだとしたら、一刻も早く話を聞かないと……。

 そんなことを悶々と考えながら歩いていた彼女は、前を見ていなかったらしい。リズは、前方から歩いてきた――というよりも走ってきた何者かに、正面から衝突してしまった。

「きゃっ――!?」
「うわっ!」

 リズは、勢い良くぶつかられた衝撃で、立ったままでいることができなかった。ぐらりと重心が後ろに揺らぐ。そのまま地面に倒れ込みそうになったその時、誰かの手が伸びてきた。リズは、その時初めてしっかりとぶつかった相手の顔を認めた。

「――――キース!?」

 キースは、素早くリズの手を掴むと、その腰に手を回し、ぐいっと彼女を自分の方へ引っ張った。リズの方に踏み込まれた足は、まるで南方の国の情熱的なダンスのステップのようだ。

「リズ、大丈夫かっ?」

 キースは、心配そうにリズの青い瞳を覗き込む。今、二人は、鼻先が触れ合いそうな距離に接近していた。リズは、心拍数が一気に上がるのが分かった。きっと、ぶつかって倒れそうになったショックからだろう。リズは目を閉じて深呼吸をすると、体勢を整えた。

「えぇ、大丈夫よ。支えてくれてありがとう」

 もう支える必要はないはずだが、なぜだかキースは手を離そうとしない。不思議に思ってリズが顔を上げると、その深く透き通った緑の目は、食い入るようにリズをじっと見ている。

「えっと……キース? 本当に、もう大丈夫よ?」
「――あぁ、いや……リズの目って、近くで見るとこんなに綺麗なんだなって思って」

 キースは、少し首を傾げて微笑んだ。リズはその微笑に、年相応の、もしくはそれ以上の青年らしさを見た気がした。あまりずっと見つめられるので、リズはなんだか気恥ずかしくなって目を逸らした。

「そ、そう…………あの、もうそろそろ離してくれないかしら?」
「おっと、ごめん! つい見惚れちゃってさ」

 リズに言われると、キースはぱっと手を離して笑った。その笑顔には、いつもの少年らしさが戻っている。リズは一安心して息をつくと、キースに向き直った。

「キース、ごめんなさい。私、考え事をしていて前を見てなかったの」
「俺の方こそ、ごめん! ジョンがいつの間にかいなくなってたから、慌てて捜してたところだったんだ」
「そうなの? なら、私も手伝うわ。ちょうど暇してたところなの」
「いいのか? 助かるよ!」

キースは、「ありがとな」とにかっと笑った。

 ――その時、リズの脳裏に何かがフラッシュバックした。今の一連の出来事に、何か既視感を覚えたような気がしたのだ。リズは顎に手を当て、眉をひそめた。その様子を見て、キースが不思議そうに首を傾げる。

「どうしたんだ、リズ?」
「…………そうだわ! あの日、今みたいに誰かとぶつかって――」

 リズは、以前曲がり角でぶつかったあの美少年の顔を思い出した。また、彼が手に何かの入った袋を持っていたことも。

「…………彼に話を聞かないとね」

 リズは、ぼそりとそう言うと顔を上げた。

「ごめんなさい、キース。私、思い出したことがあるから、シリルに会わないと」
「そっか、分かった! またな~!」

 リズは、手を振るキースに見送られ、早足で寮の自室へと向かった。
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