ふたつの足跡

Anthony-Blue

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11.遅れてきた現実

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目が覚めると、相変わらずの体のけだるさと、見慣れた天井が見えた。また、いつもの朝がやってきた。ただ、今朝はいつもとは違った風景がそこにはあった。狭いベッドの隣には、美佳が静かな寝息を立てていた。目覚まし時計に目をやると、まだ5時過ぎだった。こちら向きに寝ている美佳に、向かい合う形で体の向きを変えると目の前に彼女の顔があった。

昨夜、自宅近くまで戻ってきて夕食を食べた。食事の後、送っていこうとしたら、

「お願いです。もう少し、一緒にいてください。」

と、初めてわがままを言った美佳を一緒に連れて帰ってしまった。

「明日仕事なんだから、帰らなきゃいけないんじゃないの。」

「朝早くに家まで送ってください。」

と言って、ペコッと頭を下げられたらいやとも言えず、美佳の言うことを聞くことになった。家に着くと、二人とも疲れていたのですぐに寝てしまっていた。いやな夢も見ずに、ぐっすり寝たせいで朝早くに目が覚めたかもしれない。美佳は、何時頃起こしたら良いのだろうと思いながら、彼女の寝顔を見ていたかった。眠気が去って、頭が冴えてくると昨日のことが夢のように思い出されてきた。ずいぶん無茶なことをしたと、今になって思い返された。でも、あれはそうなる運命だったのかもしれないと、都合のいいことを考えていると美佳が突然瞳を開いた。

「お、おはよう・・・ございます。」

「あっ、おはよう。」

僕と美佳は、お互い近すぎる距離を意識して、ぎこちなく挨拶を交わした。こんな近い距離で、会社でするような挨拶をしたことに照れくささも感じていた。

「よくねむれた?」

「あ、はい。」

「何時くらいに家を出るつもり?」

「ああ、そうですよね。帰らなきゃいけないんだ。もう少ししたらお願いできますか?」「うん、わかった。」

 美佳との距離を保ったまま、話し続けている自分が、少し滑稽に思えた。もう少しの時間は、彼女が決めることなのだろう。僕は、天井に向き直し目を閉じた。美佳が動いている気配がして、僕の腕に彼女の暖かい頬と吐息が触れた。でも、それ以上の動きは止めて時計の秒針だけが、この空間を動かしていた。いつの間にか眠ってしまい、次に目覚めたのは美佳に起こされたときだった。

「橘さん、そろそろ起きてくださいね。」

 軽く肩を揺すられて、目が覚めた。急激に深い眠りに落ちていたため、なかなか意識がはっきりしない僕に再び美佳が声をかけた。

「橘さん、だいじょうぶですか。」

「ごめん、だいじょうぶだよ。今、何時だっけ?」

「えっと、今6時過ぎです。」

「遅くなっちゃたかな。」

「そんなことないです。」

 僕たちは、そそくさと身支度を調えて駐車場へと向かった。美佳は、どことなくうれしそうにシートに収まっている。

「なんか、いいことあった?」

 いつもよりも増して機嫌の良さそうな美佳に僕は聞いた。

「なんでもないです。ただ、うれし恥ずかし朝帰りだなって思っちゃいまして。」

「なんだよ、それ。すごく意味深に聞こえるけど、なんにも・・・。」

「いいんです。一緒にいられたことに意味があるんですから。」

 僕の言葉を遮って、美佳は言った。今朝はこの季節にしては気温が低く少し肌寒いように感じた。そのかわり、空気が澄んでるような気がして空の青さが目に広がった。月曜の朝なのだけれども、時間が早いせいか道路には車は少なく、美佳の家には思ったよりも早く着いた。車椅子を下ろしかけている美佳に僕は聞いた。

「君の支度が終わるまで、ここで待っていようか?会社まで送るけど。」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。送って頂いて。」

「うん。じゃあ、会社で。気をつけてね。」

「はい。わかりました。橘さんも、気をつけて。」

いつものように、手を振って見送る美佳を確認して僕は車をスタートさせた。ミラーの中の美佳は、見えなくなるまで手を振っていた。

 相変わらず、食欲はない。それ以上に、今朝は体のだるさを感じていた。体は熱っぽく、頬に当たる風は冷たさを増しているように思う。開け放たれていたウインドウを閉めて、車を走らせる。このまま、会社に行くには時間が早すぎる。どうしようかと、考えているとファストフードの看板が目に入った。時間つぶしと朝食を兼ねて、駐車場に車を入れた。店内に入ると、出勤途中のビジネスマンらしき人たちが数人朝食を摂っていた。僕も、朝のメニューを頼んでテーブルに着いた。ホットコーヒーで、ハンバーガーを胃袋に流しこみイスの背もたれに体重を預けた。窓にかかるロールスクリーンの隙間から、一本の光がテーブルを通り僕の体を二分割する。どちら側が、本当の僕だろうか。今はもう、どちらも自分の体ではないような気がしていた。

 残りのコーヒーで時間をつぶし、適当な時間になってので店を出て会社に向かった。コーヒーで体を温めてはずなのに、体の芯の部分は冷たく凍り付いているような感覚だった。会社に着くと、体を引こじるようにして事務所にたどり着いた。自分のデスクでパソコンを立ち上げていると、ドアが開いて美佳が出勤してきた。

「おはようございます。橘さん。」

「おはよう、高橋君。」

 他の同僚と同じように、僕にも挨拶をして更衣室に消えていった。僕は、始業時間にはまだ時間があったけれど溜まっていた書類の整理をし始めていた。

「おっ、朝からまじめだねぇ。何かいいことあったのかなぁ。」

 いつの間にか、後ろに来ていた伸子が突然声をかけた。

「先輩、脅かさないでくださいよ。」

「別に、そんなに驚かなくてもいいんじゃない。」

と言い、妙な笑みを浮かべて僕の耳元で囁いた。

「昨日、デートしたんだって。美佳ちゃんと。」

「えっ?」

「さっき更衣室で会ったら彼女、私にだけに言ったのよ。君と海に行ったって。」

「はぁ。」

「私に、勝利宣言したかったのかもしれないね。」

「勝利宣言?何ですか、それ。」

「あっ、それはいいから。どうだったの。何かあったの。」

「別に何にもありませんよ。ただ、海を見に行っただけですから。」

 少しどぎまぎしている僕を見て、少し怒ったように言った。

「まあ、いいわ。美佳ちゃん、とびっきりうれしそうに言ってたわよ。」

 美佳は、僕と海に行ったことだけを言ったのだろう。まさか、僕の秘密なんて言えるはずもないだろう。彼女が、その秘密を口にしたとたん、彼女自身も共犯になってしまうのだから。

「ありがとね。」

 伸子は、急に改まってそう言った。

「先輩に、お礼言われることじゃないですから。」

「ううん。一応、私の話を気にかけてくれてたみたいだから。」

「先輩は、それで良かったんですか。」

 自分でもそんなこと言うつもりなど無かったのだが、口から出た言葉に僕だけでなく伸子も驚いたみたいで

「えっ。」

っと、言葉を詰まらせた。

「な、なに言ってるのよ。」

 珍しく動揺を表に出した伸子を見た気がした。

「あっ、いや、すいません。」

「橘君、そこは謝るところじゃないから。って、今朝顔色悪くない?どこか体調でも良くないんじゃないの。」

「はあ、少し熱っぽいような気がするんですけど・・・・。」

と言った途端、頭の中のジャイロコンパスが止まりかけたように眩暈が襲ってきた。視野が狭まり目の前が暗闇に閉ざされ、車椅子から崩れ落ち床の上に倒れてしまった。聴覚はそれでも生きていて、

「橘君、大丈夫?誰か救急車を呼んでください。」

と、冷静さを失った伸子の声だけが頭の中に響き渡った。
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