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第三章 風雲
(一)
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善十郎がこの地に来て三度目の夏も、あっという間に過ぎて行った。そうしてあれほど喧しかった蝉の声も、いつしかもの悲しげな蜩のそれに取って代わられていた。
天正十二年、九月。善十郎はいつものように屋敷へ呼ばれ、氏理と対面していた。されど今日は当主も碁盤を取り出そうとはせず、気鬱げな顔で文台に向かったままだった。
「のう、善十郎」こちらに目を向けることなく、氏理が言った。「世は、いったいどうなっておるのじゃ」
「さて、某などに尋ねられましても、とんとわかりませぬ」
善十郎としても、そう答えるしかなかった。実、世はこの数年の間ただただ目まぐるしく、まるで先読みを許さぬまま移ろい続けている。そして今も、日の本を二分するかの如き大戦の只中だ。
天正十一年。誰もが予期した通り、柴田修理亮勝家と羽柴筑前守秀吉の両雄は、近江柳ヶ瀬は賎ヶ岳にて激突した。戦は羽柴が勝利に終わり、修理勝家は北ノ庄にて自害、骸は城とともに灰となった。ただし柴田方の佐々内蔵助成政は上杉の抑えのため越中に留め置かれ、戦列に加わることはなかった。そのため剃髪して羽柴に服従を誓うことで本領を安堵され、内ヶ島家も戦のあおりを受けることはなかった。
かくして世の趨勢は、羽柴に大きく傾くかに思われた。されどその余韻も冷めやらぬうちに、さらなる戦の火の手が上がる。発端は、筑前守秀吉の命によって信長の二男、三介信雄が安土城を退去させられたことであった。信雄はその処遇に不満を抱き、関係は急激に悪化した。さらに秀吉が側近たちへ調略を仕掛けたことを知り、信雄は重臣三人を斬首した。それに激怒した秀吉は、ついに信雄討伐の兵を挙げたのである。
されどそこで、秀吉にも誤算が生じる。窮地に陥った信雄は、一縷の望みをかけて徳川家に助けを求め、三河守家康もそれに呼応したのだ。さらには紀州の雑賀衆、四国の長宗我部らと結び、羽柴包囲網を形成する。
焦った秀吉は先手を打ち、信雄に与すると思われていた池田紀伊守恒興を強引に味方に引き入れ、天正十二年三月十三日、犬山城を急襲させた。対して家康は大軍を率いて小牧山城にて対陣。かくして戦はいよいよ、羽柴徳川という二大大名が雌雄を決する大戦と相成ったのである。
以後半年、戦は一進一退、双方多数の死者を出しつつも、決め手がないまま続いている。ただしそれも、あくまで尾張や美濃での出来事。山を挟んだこちら側には、戦の影響はほとんど及んではいなかった。越中の佐々、越前大野の金森も羽柴方へと恭順し、越前の丹羽や加賀の前田らとともに、それぞれ領国の安定に努めている。また佐々と前田の間では、利家の次男・利政を佐々に婿入りさせるという婚儀も進められていた。北陸はいたって静謐。尾張のことは対岸の火事。家中にも、そんな緩んだ空気が漂っていた。
されど、状況はそう安穏とはしておれない。そのことを善十郎は、蔦の報告で聞き知っていた。それだけに氏理の気鬱げな顔を見て、来るものが来たかと覚悟する。
「何がありましたか」
そう尋ねると、氏理はようやく顔を上げた。そうして手にしていた文を、広げたまま善十郎へと渡してくる。
「お目通ししてよろしいので?」
「構わぬ。秘しておくようなことでもない」
恐縮しながら、善十郎はその文を手に取る。しかしそれに目を通すよりも早く、氏理はそこに書かれていることを口にした。
「内蔵助どのが、前田領の末森城を攻めた」
善十郎は「……なんと」と驚いてみせる。しかし内心では、やはりと得心していた。小牧の戦がはじまって以来、成政は前田家との婚儀、さらには上杉との和議を進める一方で、城下に多くの牢人者を集めて戦支度を整えていると聞いていた。蔦の報告によれば、その数は実に二万にも上るという。
鑑みれば成政にとって信雄は、かつての主君の遺児に他ならない。求められれば、兵を挙げぬわけにもいかなかったのであろう。つまりは板挟みの挙句、亡き主君への忠義を選んだというわけだ。その苦渋に思いを寄せれば、一概に裏切りと誹ることも難しかった。
「佐々どのから、兵を出して欲しいと?」
「それはまだない。だが、戦が長引けばそれもあり得るであろう」
佐々方の兵は二万。内ヶ島が出せる兵は、最大でも五百。それだけ考えれば、出したところで大した足しにもならぬ。されど『兵を出す』ということは、単に数だけの問題ではないのだ。
佐々と内ヶ島の関係は、形の上では慥かに対等な盟ではあるが、実のところは寄親と寄子という関係である。つまりひとたび戦となれば、旗幟を明らかにすることが必要となる。寄親は兵の足しにならぬことを承知で、忠義を試すために兵を求める。
ゆえ、求められさえすれば兵を出さぬわけにはいかない。されど出したが最後、羽柴方からは敵と見做されることとなる。しかも、西の金森と南の遠藤は羽柴方だ。我ら内ヶ島は、いきなり大戦の最前線に立たされることとなる。
「このことを、どなたかには……」
「備前には伝えた。備中と大和にも早馬を出し、明日にも合議を開くこととしておる」
「尾上どのは、何と?」
氏理はしばし、痛みを堪えるかの如くにきつく目を閉じた。歯を食い縛っているゆえか、耳の下に筋が浮き上がる。
「……内蔵助どのと手を切れ、と申しておった」
善十郎も深く息をつき、目を閉じた。氏綱がそれを進言するために、どれだけの覚悟を固めていたかが窺い知れたゆえだった。あの筆頭家老とて、おのが当主のことはよく理解している。その上であえて口にしたのだ。おそらく氏綱は深い思慮をもって、この大戦は羽柴の勝ちと読んだのであろう。つまり、佐々に従っては先がない。この内ヶ島という小さき家を守るためには、それしか道はないと。
「おぬしはどう思う、善十郎?」
「すべては、殿がお決めになることかと」
善十郎はそう言って、確りと拳を床に突き、平伏した。今日までの生涯をともに歩んできた氏綱の、その言葉の重みを前に、おのれなど新参者に何が言えるであろう。
「某はただ殿の下知のままに、槍を振るうのみにございます」
氏理はゆっくりと目を開き、面差しを和らげた。そうして善十郎が畳んだ文を、再び手元に引き寄せる。
「今日の対局はなしじゃ。ひとりにしてくれぬかの」
「かしこまりました」
善十郎はそう答え、静かに御座所をあとにした。去り際にちらと見た氏理の横顔は、また気鬱げに沈んでいるように見えた。
翌日、先の大風で傷んだ屋根を修繕していると、不意に「善十郎、何をしておる」と声をかけられた。振り返ると、庭から怪訝そうに見上げてくる孫次郎氏行の姿があった。
「これは若殿、お見苦しいところをお見せしました」
善十郎は手を止めて、体を起こす。高いところから見下ろすのも失礼かと、急いで梯子を下りた。
「冬に備えて、屋根の手入れをしておりました。先の冬は酷い目に遭いましたからな」
「善十郎もいつまでもかようなあばら家におらず、どこかに屋敷でも建てれば良いのだ。何なら我が屋敷に部屋を与えても良いのだぞ?」
氏行は呆れたようにため息をつき、幾度も断った話を蒸し返す。この若殿も、今や数えで十四になった。女性的に整った面差しも精悍さを増し、徐々に風格さえ漂わせはじめている。傍らの小太郎も、三十人ほどに増えた馬廻を束ねる立派な将だ。
そしてもうひとり、懐かしい顔があった。思わずかつてのように気安く名を呼びそうになって、慌てて飲み込む。
「これは山下どの。お久しゅうございます」
「止めてくださいませ、飯島さま。どうぞかつてのように、半三郎とお呼び捨てくだされ」
そう言って細面に苦笑を浮かべたのは、山下半三郎氏勝である。一年ほど前に帰雲を離れ、現在は荻町城にて父・大和守時慶の補佐として辣腕を振るっている。齢十七ながら、すでに内ヶ島家の重臣のひとりと言ってもよかった。今日はおそらく城での合議のため、父時慶に同行して来たのであろう。
「とんでもない。話は聞いておりますぞ、先日の庄川堤の修繕の際は、見事な差配ぶりでお父上を唸らせたとか」
「それは多分に、父の手前贔屓でございますよ。それにせっかく教えていただいた槍のほうは、今でも不得手で……お恥ずかしい限りです」
「されど弓のほうでは、なかなかの才を見せたとか。ならばそちらを伸ばしなされ。おのれを守り功を成すには、何かひとつ得手があれば良いのでございます」
懐かしさについつい舌も滑らかになる。されどこのまま立ち話を続けるわけにもいかず、善十郎は三人を庵の中に迎え入れた。蔦は城下のほうへ出ているので、何のもてなしもできぬが仕方がない。
「右近もおればよかったのですが、どうやら牧戸を離れられぬとのこと。備中が不在の間は、あの者が城代にございますゆえ」
「それは若殿もお寂しゅうございますな。されど川尻どのも立派になられたものよ」
「刑部はどうにも頼りないがの。まだまだ、目を離すわけにもいかぬわ」
そう言って若者たちは目を見合わせ、楽しそうに笑う。右近の弟刑部は、この者らにとっても兄弟のようなものなのであろう。しかしその談笑もつかの間、氏行は不意に真顔になって、善十郎に向き直った。
「ところで、父上より聞いたぞ。今日の合議のこと……内蔵助どのが末森城に攻め込んだというのはまことか」
「はい、どうやら慥かなことのようにございます」
「それでは我らも内蔵助どのに従って、兵を出すことになるのか?」
「さて……今のところ、そうした求めはないようにございます。佐々どのの兵は一万五千、対して末森の城兵は二千足らず。我らの合力などなくとも、城はすぐに落ちましょう」
「じゃが、そのあとはわからぬであろう?」
末森城は、前田領のちょうど中心、加賀と能登を繋ぐ要所である。ここを成政に抑えられては、領地をふたつに分断されてしまう。それこそ死に物狂いで奪回を図るであろう。
「とうとう、我らもこの大戦に巻き込まれるというわけか。いったいこれからどうなるのであろうの……」
尾張の戦は長久手で徳川が大勝したのち、互いに手を出せぬまま睨み合いに入っていた。ただし長宗我部が讃岐で、雑賀衆が摂津で羽柴方に攻め入っている。北条は佐竹・宇都宮らと上野にて衝突し、さらに上杉が参陣するとの風聞も流れていた。そこへもってきて、此度の知らせだ。戦はいよいよ日の本中に広がり、泥沼の様相を見せつつある。
「結局……羽柴筑前に日の本を束ねるだけの力はなかった、ということか」
氏行が、どこか残念そうに肩を落として言った。しかしそれに、半三郎が口を挟む。
「どうでしょうな。逆にこの窮地を切り抜ければ、いよいよ世は羽柴に傾くのやも知れませぬ」
「しかしこの混乱を、いったいどうやって収めると言うのだ。いかな筑前とて、身はひとつしかないであろう」
若者たちは囲炉裏を囲み、車座に腰を下ろした。するといきなり、氏行が尋ねてくる。
「善十郎はどう思う。もしも内蔵助どのより求められれば、我らも兵を出すべきか。あるいは手切れをして羽柴に付くべきか」
尋ねられ、狡いのを承知で問いを返した。「若殿は、どうお考えで?」
「それはここに来るまでも、半三郎とさんざん話した。この者は羽柴に付くべきと言っておる。この戦、最後は羽柴が勝つであろうと」
「では、若殿は佐々どのに合力せよと?」
「せぬわけには参るまい。内蔵助どのはたとえ寄せ集めとて、二万近い兵を擁しておるのじゃ。敵に回してはひとたまりもないわ」
答えはおのれの中で固まっていたのであろう、氏行は即座に答えた。
「それに内蔵助どのとは盟を結んでおる。それも力ずくで切り従えてもよいはずのところを、あくまでも対等の盟ということにしてくれたのじゃ。その友誼に応えずして、何が武士じゃ」
そこへ「ですが、家も守らねばなりませぬぞ」と、半三郎が遠慮なく言い放つ。おそらく今頃城の中でも、それぞれの父親たちが同じような論を闘わせているであろう。そんなことを思いながら、善十郎は若者たちを見ていた。
「ともかく、我らのことはいいのじゃ。善十郎はどう思う?」
と、氏行は話を戻す。どうやら答えぬわけにはいかないようだが、かと言ってどちらとも言いようがない。
「実は殿からも、同じようなことを尋ねられました」
「父上からもか。して、何と答えたのだ?」
「すべては殿がお決めになること、善十郎はその下知に従いますと」
その答えに失望したのか、氏行は身を反らして大きく息を吐き出した。
「狡いのう、善十郎は。それでは小太郎と同じではないか」
ずっと黙っていた小太郎が、恥ずかしそうに肩をすぼめた。しかし俯きがちにこちらに向けた目は、どことなく嬉しそうでもあった。
「実際、そうとしか答えようがありませぬ。某は所詮、槍を振るうしか能のない者ですゆえ。しいて言うなら、今しばらくは様子を見るべきかと。ともすれば明日にでも、流れは大きく変わるやもしれませぬゆえ。戦とは、往々にしてそうしたものにございます」
氏行はまだ不満げに、半三郎は何か得心したような顔で、善十郎の言葉に耳を傾けていた。逼迫した状況であることは承知で、そんなふたりの様子が微笑ましくもあった。
※
それからふた月ほどが過ぎた十一月、善十郎の言った通り、戦の流れは突如として大きく動くこととなる。
その日も城下へ出た蔦は、道端の露店を冷やかして歩いていた。風もいつの間にか刺すほどに冷たくなり、誰もが背を丸めて歩いている。それでも帰雲の城下は、いつになくひときわ賑わっていた。間もなくこの地も雪に閉ざされ、街道も行き来できなくなるゆえだ。誰もがその冬を越すための準備に余念がなく、すなわち商人たちにとってもかき入れどきなのだ。
商家の前にはずらりと行列ができ、道端に並んだ露店の前も人だかりができている。その中に、ぽつりと人垣が途切れている場所があった。座っているのは、薄汚い身形の干魚売りがひとり。誰も足を止めないのは、並べている品が貧相なためであろう。されど蔦はあえて、その前に立ち止まった。
「お久しゅうございます、甚太郎さま」
干魚売りの男が、こちらにのみ聞こえる声で言った。蔦は応えを返さず、永楽銭を一枚投げて渡す。男はにやりと笑みを浮かべ、釣りとして悪銭を二枚返してきた。そうして男は永楽銭を大事そうに懐へ納めると、売り品を選ぶ振りをして顔を伏せた。
「三介が、鼠と手打ちをいたしました」
その知らせには、さすがに蔦も「……何と」と言葉を失った。あまりに予想外でもあったからだ。戦のそもそもの発端、織田三介信雄と筑前守秀吉が、いきなり和を結んだということだ。
「伊賀と伊勢、それぞれ半国。代わりに三介は権大納言の宣下を受けるとのこと。それで鼠も了解したそうにございます。合わせて、間もなく徳川さまも兵を引かれますとか」
「愚かな……勝てぬ戦でもなかったであろうに」
「されど、決め手を欠いていたこともまた慥か。いつまでも睨み合いを続けるわけにもいかなかったことでしょう」
慥かに総兵力は、徳川方の三万に対して羽柴方十万と、圧倒的な差があった。それでも最も大きな兵のぶつかり合いとなった長久手の合戦では、徳川方が大勝している。三河守家康の用兵や見事、以来羽柴方は迂闊に手を出せずにいると聞いていた。
ただし全面衝突となれば、兵力の差で圧し潰されることは必至、仕掛けるに仕掛けられずにいたのは徳川も同じだったということか。あるいは十万の兵を日の本中に展開させながら、綻びを見せずにいる羽柴の体力にも恐れをなしたのか。
「なるほどの……して、戦は終いか」
尋ねるでもなくそう漏らすと、男はひひっと笑って「はて、さて……それは、まだ何とも」と答える。
なるほど、と蔦はまた小さく頷いた。信雄にとっての戦は終わりでも、秀吉にとっては違うわけだ。これもまた、戦における布石のひとつ。そもそもの大義を失わせ、包囲網の中でもっとも手強い徳川を退場させる。そうしてこれから各地に散らばる敵を、ひとつずつ潰してゆくつもりか。
雑賀、長宗我部、北条、佐々。どれも個別に戦えば、とてもではないが羽柴の敵ではない。あるいはそれこそが、この戦のそもそもの狙いであったか。徳川と決着を付けるつもりなど最初からなく、各地で火種となりそうな勢力を炙り出し、今のうちに叩いておくことこそが。
「それでどうなさりまするか、甚太郎さま」
「どう、とは?」
「徳川さまはずいぶんと興味を示されております。まだ、我らとともに来ていただく気にはなれませぬか」
何を申すと思えば。蔦はうっすらと笑いながら、一度だけ首を横に振った。
「まさか、佐々ごときと心中するおつもりか」
「そんな気はさらさらないわ。佐々になぞ、何の義理もない」
万にひとつも佐々方に勝ち目はない。それは蔦にもわかっていた。先の末森城攻めも圧倒的な兵力差をもってして、とうとう城を落とすには至らなかった。それはもちろん前田勢の奮闘もあってのことだが、佐々の大軍が寄せ集めのため統制を欠いたという要因も大きい。そんな張りぼての軍勢で、どうやって城攻め巧者の筑前守に立ち向かえるというのか。
蔦は「されど……」と言いかけて、ついと顔を上げた。すっきりと晴れ上がった晩秋の空。されど西のほうの一角に、すでに重い雪雲が迫りつつあった。
「……されど?」
「だからこそ、よ。これからが面白きところでな」
そう言い残して、蔦はくるりと背を向けた。その口元にはずっと、堪え切れない笑みが浮かんでいた。
天正十二年、九月。善十郎はいつものように屋敷へ呼ばれ、氏理と対面していた。されど今日は当主も碁盤を取り出そうとはせず、気鬱げな顔で文台に向かったままだった。
「のう、善十郎」こちらに目を向けることなく、氏理が言った。「世は、いったいどうなっておるのじゃ」
「さて、某などに尋ねられましても、とんとわかりませぬ」
善十郎としても、そう答えるしかなかった。実、世はこの数年の間ただただ目まぐるしく、まるで先読みを許さぬまま移ろい続けている。そして今も、日の本を二分するかの如き大戦の只中だ。
天正十一年。誰もが予期した通り、柴田修理亮勝家と羽柴筑前守秀吉の両雄は、近江柳ヶ瀬は賎ヶ岳にて激突した。戦は羽柴が勝利に終わり、修理勝家は北ノ庄にて自害、骸は城とともに灰となった。ただし柴田方の佐々内蔵助成政は上杉の抑えのため越中に留め置かれ、戦列に加わることはなかった。そのため剃髪して羽柴に服従を誓うことで本領を安堵され、内ヶ島家も戦のあおりを受けることはなかった。
かくして世の趨勢は、羽柴に大きく傾くかに思われた。されどその余韻も冷めやらぬうちに、さらなる戦の火の手が上がる。発端は、筑前守秀吉の命によって信長の二男、三介信雄が安土城を退去させられたことであった。信雄はその処遇に不満を抱き、関係は急激に悪化した。さらに秀吉が側近たちへ調略を仕掛けたことを知り、信雄は重臣三人を斬首した。それに激怒した秀吉は、ついに信雄討伐の兵を挙げたのである。
されどそこで、秀吉にも誤算が生じる。窮地に陥った信雄は、一縷の望みをかけて徳川家に助けを求め、三河守家康もそれに呼応したのだ。さらには紀州の雑賀衆、四国の長宗我部らと結び、羽柴包囲網を形成する。
焦った秀吉は先手を打ち、信雄に与すると思われていた池田紀伊守恒興を強引に味方に引き入れ、天正十二年三月十三日、犬山城を急襲させた。対して家康は大軍を率いて小牧山城にて対陣。かくして戦はいよいよ、羽柴徳川という二大大名が雌雄を決する大戦と相成ったのである。
以後半年、戦は一進一退、双方多数の死者を出しつつも、決め手がないまま続いている。ただしそれも、あくまで尾張や美濃での出来事。山を挟んだこちら側には、戦の影響はほとんど及んではいなかった。越中の佐々、越前大野の金森も羽柴方へと恭順し、越前の丹羽や加賀の前田らとともに、それぞれ領国の安定に努めている。また佐々と前田の間では、利家の次男・利政を佐々に婿入りさせるという婚儀も進められていた。北陸はいたって静謐。尾張のことは対岸の火事。家中にも、そんな緩んだ空気が漂っていた。
されど、状況はそう安穏とはしておれない。そのことを善十郎は、蔦の報告で聞き知っていた。それだけに氏理の気鬱げな顔を見て、来るものが来たかと覚悟する。
「何がありましたか」
そう尋ねると、氏理はようやく顔を上げた。そうして手にしていた文を、広げたまま善十郎へと渡してくる。
「お目通ししてよろしいので?」
「構わぬ。秘しておくようなことでもない」
恐縮しながら、善十郎はその文を手に取る。しかしそれに目を通すよりも早く、氏理はそこに書かれていることを口にした。
「内蔵助どのが、前田領の末森城を攻めた」
善十郎は「……なんと」と驚いてみせる。しかし内心では、やはりと得心していた。小牧の戦がはじまって以来、成政は前田家との婚儀、さらには上杉との和議を進める一方で、城下に多くの牢人者を集めて戦支度を整えていると聞いていた。蔦の報告によれば、その数は実に二万にも上るという。
鑑みれば成政にとって信雄は、かつての主君の遺児に他ならない。求められれば、兵を挙げぬわけにもいかなかったのであろう。つまりは板挟みの挙句、亡き主君への忠義を選んだというわけだ。その苦渋に思いを寄せれば、一概に裏切りと誹ることも難しかった。
「佐々どのから、兵を出して欲しいと?」
「それはまだない。だが、戦が長引けばそれもあり得るであろう」
佐々方の兵は二万。内ヶ島が出せる兵は、最大でも五百。それだけ考えれば、出したところで大した足しにもならぬ。されど『兵を出す』ということは、単に数だけの問題ではないのだ。
佐々と内ヶ島の関係は、形の上では慥かに対等な盟ではあるが、実のところは寄親と寄子という関係である。つまりひとたび戦となれば、旗幟を明らかにすることが必要となる。寄親は兵の足しにならぬことを承知で、忠義を試すために兵を求める。
ゆえ、求められさえすれば兵を出さぬわけにはいかない。されど出したが最後、羽柴方からは敵と見做されることとなる。しかも、西の金森と南の遠藤は羽柴方だ。我ら内ヶ島は、いきなり大戦の最前線に立たされることとなる。
「このことを、どなたかには……」
「備前には伝えた。備中と大和にも早馬を出し、明日にも合議を開くこととしておる」
「尾上どのは、何と?」
氏理はしばし、痛みを堪えるかの如くにきつく目を閉じた。歯を食い縛っているゆえか、耳の下に筋が浮き上がる。
「……内蔵助どのと手を切れ、と申しておった」
善十郎も深く息をつき、目を閉じた。氏綱がそれを進言するために、どれだけの覚悟を固めていたかが窺い知れたゆえだった。あの筆頭家老とて、おのが当主のことはよく理解している。その上であえて口にしたのだ。おそらく氏綱は深い思慮をもって、この大戦は羽柴の勝ちと読んだのであろう。つまり、佐々に従っては先がない。この内ヶ島という小さき家を守るためには、それしか道はないと。
「おぬしはどう思う、善十郎?」
「すべては、殿がお決めになることかと」
善十郎はそう言って、確りと拳を床に突き、平伏した。今日までの生涯をともに歩んできた氏綱の、その言葉の重みを前に、おのれなど新参者に何が言えるであろう。
「某はただ殿の下知のままに、槍を振るうのみにございます」
氏理はゆっくりと目を開き、面差しを和らげた。そうして善十郎が畳んだ文を、再び手元に引き寄せる。
「今日の対局はなしじゃ。ひとりにしてくれぬかの」
「かしこまりました」
善十郎はそう答え、静かに御座所をあとにした。去り際にちらと見た氏理の横顔は、また気鬱げに沈んでいるように見えた。
翌日、先の大風で傷んだ屋根を修繕していると、不意に「善十郎、何をしておる」と声をかけられた。振り返ると、庭から怪訝そうに見上げてくる孫次郎氏行の姿があった。
「これは若殿、お見苦しいところをお見せしました」
善十郎は手を止めて、体を起こす。高いところから見下ろすのも失礼かと、急いで梯子を下りた。
「冬に備えて、屋根の手入れをしておりました。先の冬は酷い目に遭いましたからな」
「善十郎もいつまでもかようなあばら家におらず、どこかに屋敷でも建てれば良いのだ。何なら我が屋敷に部屋を与えても良いのだぞ?」
氏行は呆れたようにため息をつき、幾度も断った話を蒸し返す。この若殿も、今や数えで十四になった。女性的に整った面差しも精悍さを増し、徐々に風格さえ漂わせはじめている。傍らの小太郎も、三十人ほどに増えた馬廻を束ねる立派な将だ。
そしてもうひとり、懐かしい顔があった。思わずかつてのように気安く名を呼びそうになって、慌てて飲み込む。
「これは山下どの。お久しゅうございます」
「止めてくださいませ、飯島さま。どうぞかつてのように、半三郎とお呼び捨てくだされ」
そう言って細面に苦笑を浮かべたのは、山下半三郎氏勝である。一年ほど前に帰雲を離れ、現在は荻町城にて父・大和守時慶の補佐として辣腕を振るっている。齢十七ながら、すでに内ヶ島家の重臣のひとりと言ってもよかった。今日はおそらく城での合議のため、父時慶に同行して来たのであろう。
「とんでもない。話は聞いておりますぞ、先日の庄川堤の修繕の際は、見事な差配ぶりでお父上を唸らせたとか」
「それは多分に、父の手前贔屓でございますよ。それにせっかく教えていただいた槍のほうは、今でも不得手で……お恥ずかしい限りです」
「されど弓のほうでは、なかなかの才を見せたとか。ならばそちらを伸ばしなされ。おのれを守り功を成すには、何かひとつ得手があれば良いのでございます」
懐かしさについつい舌も滑らかになる。されどこのまま立ち話を続けるわけにもいかず、善十郎は三人を庵の中に迎え入れた。蔦は城下のほうへ出ているので、何のもてなしもできぬが仕方がない。
「右近もおればよかったのですが、どうやら牧戸を離れられぬとのこと。備中が不在の間は、あの者が城代にございますゆえ」
「それは若殿もお寂しゅうございますな。されど川尻どのも立派になられたものよ」
「刑部はどうにも頼りないがの。まだまだ、目を離すわけにもいかぬわ」
そう言って若者たちは目を見合わせ、楽しそうに笑う。右近の弟刑部は、この者らにとっても兄弟のようなものなのであろう。しかしその談笑もつかの間、氏行は不意に真顔になって、善十郎に向き直った。
「ところで、父上より聞いたぞ。今日の合議のこと……内蔵助どのが末森城に攻め込んだというのはまことか」
「はい、どうやら慥かなことのようにございます」
「それでは我らも内蔵助どのに従って、兵を出すことになるのか?」
「さて……今のところ、そうした求めはないようにございます。佐々どのの兵は一万五千、対して末森の城兵は二千足らず。我らの合力などなくとも、城はすぐに落ちましょう」
「じゃが、そのあとはわからぬであろう?」
末森城は、前田領のちょうど中心、加賀と能登を繋ぐ要所である。ここを成政に抑えられては、領地をふたつに分断されてしまう。それこそ死に物狂いで奪回を図るであろう。
「とうとう、我らもこの大戦に巻き込まれるというわけか。いったいこれからどうなるのであろうの……」
尾張の戦は長久手で徳川が大勝したのち、互いに手を出せぬまま睨み合いに入っていた。ただし長宗我部が讃岐で、雑賀衆が摂津で羽柴方に攻め入っている。北条は佐竹・宇都宮らと上野にて衝突し、さらに上杉が参陣するとの風聞も流れていた。そこへもってきて、此度の知らせだ。戦はいよいよ日の本中に広がり、泥沼の様相を見せつつある。
「結局……羽柴筑前に日の本を束ねるだけの力はなかった、ということか」
氏行が、どこか残念そうに肩を落として言った。しかしそれに、半三郎が口を挟む。
「どうでしょうな。逆にこの窮地を切り抜ければ、いよいよ世は羽柴に傾くのやも知れませぬ」
「しかしこの混乱を、いったいどうやって収めると言うのだ。いかな筑前とて、身はひとつしかないであろう」
若者たちは囲炉裏を囲み、車座に腰を下ろした。するといきなり、氏行が尋ねてくる。
「善十郎はどう思う。もしも内蔵助どのより求められれば、我らも兵を出すべきか。あるいは手切れをして羽柴に付くべきか」
尋ねられ、狡いのを承知で問いを返した。「若殿は、どうお考えで?」
「それはここに来るまでも、半三郎とさんざん話した。この者は羽柴に付くべきと言っておる。この戦、最後は羽柴が勝つであろうと」
「では、若殿は佐々どのに合力せよと?」
「せぬわけには参るまい。内蔵助どのはたとえ寄せ集めとて、二万近い兵を擁しておるのじゃ。敵に回してはひとたまりもないわ」
答えはおのれの中で固まっていたのであろう、氏行は即座に答えた。
「それに内蔵助どのとは盟を結んでおる。それも力ずくで切り従えてもよいはずのところを、あくまでも対等の盟ということにしてくれたのじゃ。その友誼に応えずして、何が武士じゃ」
そこへ「ですが、家も守らねばなりませぬぞ」と、半三郎が遠慮なく言い放つ。おそらく今頃城の中でも、それぞれの父親たちが同じような論を闘わせているであろう。そんなことを思いながら、善十郎は若者たちを見ていた。
「ともかく、我らのことはいいのじゃ。善十郎はどう思う?」
と、氏行は話を戻す。どうやら答えぬわけにはいかないようだが、かと言ってどちらとも言いようがない。
「実は殿からも、同じようなことを尋ねられました」
「父上からもか。して、何と答えたのだ?」
「すべては殿がお決めになること、善十郎はその下知に従いますと」
その答えに失望したのか、氏行は身を反らして大きく息を吐き出した。
「狡いのう、善十郎は。それでは小太郎と同じではないか」
ずっと黙っていた小太郎が、恥ずかしそうに肩をすぼめた。しかし俯きがちにこちらに向けた目は、どことなく嬉しそうでもあった。
「実際、そうとしか答えようがありませぬ。某は所詮、槍を振るうしか能のない者ですゆえ。しいて言うなら、今しばらくは様子を見るべきかと。ともすれば明日にでも、流れは大きく変わるやもしれませぬゆえ。戦とは、往々にしてそうしたものにございます」
氏行はまだ不満げに、半三郎は何か得心したような顔で、善十郎の言葉に耳を傾けていた。逼迫した状況であることは承知で、そんなふたりの様子が微笑ましくもあった。
※
それからふた月ほどが過ぎた十一月、善十郎の言った通り、戦の流れは突如として大きく動くこととなる。
その日も城下へ出た蔦は、道端の露店を冷やかして歩いていた。風もいつの間にか刺すほどに冷たくなり、誰もが背を丸めて歩いている。それでも帰雲の城下は、いつになくひときわ賑わっていた。間もなくこの地も雪に閉ざされ、街道も行き来できなくなるゆえだ。誰もがその冬を越すための準備に余念がなく、すなわち商人たちにとってもかき入れどきなのだ。
商家の前にはずらりと行列ができ、道端に並んだ露店の前も人だかりができている。その中に、ぽつりと人垣が途切れている場所があった。座っているのは、薄汚い身形の干魚売りがひとり。誰も足を止めないのは、並べている品が貧相なためであろう。されど蔦はあえて、その前に立ち止まった。
「お久しゅうございます、甚太郎さま」
干魚売りの男が、こちらにのみ聞こえる声で言った。蔦は応えを返さず、永楽銭を一枚投げて渡す。男はにやりと笑みを浮かべ、釣りとして悪銭を二枚返してきた。そうして男は永楽銭を大事そうに懐へ納めると、売り品を選ぶ振りをして顔を伏せた。
「三介が、鼠と手打ちをいたしました」
その知らせには、さすがに蔦も「……何と」と言葉を失った。あまりに予想外でもあったからだ。戦のそもそもの発端、織田三介信雄と筑前守秀吉が、いきなり和を結んだということだ。
「伊賀と伊勢、それぞれ半国。代わりに三介は権大納言の宣下を受けるとのこと。それで鼠も了解したそうにございます。合わせて、間もなく徳川さまも兵を引かれますとか」
「愚かな……勝てぬ戦でもなかったであろうに」
「されど、決め手を欠いていたこともまた慥か。いつまでも睨み合いを続けるわけにもいかなかったことでしょう」
慥かに総兵力は、徳川方の三万に対して羽柴方十万と、圧倒的な差があった。それでも最も大きな兵のぶつかり合いとなった長久手の合戦では、徳川方が大勝している。三河守家康の用兵や見事、以来羽柴方は迂闊に手を出せずにいると聞いていた。
ただし全面衝突となれば、兵力の差で圧し潰されることは必至、仕掛けるに仕掛けられずにいたのは徳川も同じだったということか。あるいは十万の兵を日の本中に展開させながら、綻びを見せずにいる羽柴の体力にも恐れをなしたのか。
「なるほどの……して、戦は終いか」
尋ねるでもなくそう漏らすと、男はひひっと笑って「はて、さて……それは、まだ何とも」と答える。
なるほど、と蔦はまた小さく頷いた。信雄にとっての戦は終わりでも、秀吉にとっては違うわけだ。これもまた、戦における布石のひとつ。そもそもの大義を失わせ、包囲網の中でもっとも手強い徳川を退場させる。そうしてこれから各地に散らばる敵を、ひとつずつ潰してゆくつもりか。
雑賀、長宗我部、北条、佐々。どれも個別に戦えば、とてもではないが羽柴の敵ではない。あるいはそれこそが、この戦のそもそもの狙いであったか。徳川と決着を付けるつもりなど最初からなく、各地で火種となりそうな勢力を炙り出し、今のうちに叩いておくことこそが。
「それでどうなさりまするか、甚太郎さま」
「どう、とは?」
「徳川さまはずいぶんと興味を示されております。まだ、我らとともに来ていただく気にはなれませぬか」
何を申すと思えば。蔦はうっすらと笑いながら、一度だけ首を横に振った。
「まさか、佐々ごときと心中するおつもりか」
「そんな気はさらさらないわ。佐々になぞ、何の義理もない」
万にひとつも佐々方に勝ち目はない。それは蔦にもわかっていた。先の末森城攻めも圧倒的な兵力差をもってして、とうとう城を落とすには至らなかった。それはもちろん前田勢の奮闘もあってのことだが、佐々の大軍が寄せ集めのため統制を欠いたという要因も大きい。そんな張りぼての軍勢で、どうやって城攻め巧者の筑前守に立ち向かえるというのか。
蔦は「されど……」と言いかけて、ついと顔を上げた。すっきりと晴れ上がった晩秋の空。されど西のほうの一角に、すでに重い雪雲が迫りつつあった。
「……されど?」
「だからこそ、よ。これからが面白きところでな」
そう言い残して、蔦はくるりと背を向けた。その口元にはずっと、堪え切れない笑みが浮かんでいた。
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