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第一章
(五)
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利家は約定を守ったようで、禁を破って舟を出した漁師たちにも咎めはなかった。数日後にまた浜を訪ねると、かの者らは並んで網の手入れをしていた。氏勝の姿に気付くと、顔を綻ばせて手を振って来る。どうやらすっかり顔馴染みになったようだ。
話を聞くと咎めどころか、少ないながらも銭まで貰ったという。その上あの夜はずいぶんな豊漁でもあったようで、これでしばらくは食べていけそうだと、どの顔も満足げだった。それを見て、氏勝もほっと胸を撫で下ろす。
「ところで、聞いたばい。上じゃ、何やら水がなくて喧嘩までしとると?」
「まあの。何しろ十万からの兵がおる。兵糧も水も、いくらあっても足りぬのよ」
「そうか……じゃあ」
と、漁師のひとりが何かを言いかけたところで、不意に怯えたように顔を背けた。何事かと思って振り返ると、数人の供を連れた大柄な侍が浜へ下りてこようとしているのが見えた。具足こそは着けていないが、腰には立派な大小を差し、供にはそれぞれ長槍を持たせている。それだけで、かなりの将であることがわかった。やがてその顔が見て取れると、氏勝はうんざりとした思いでため息をついた。
「わしの顔を忘れたとは言わせぬぞ、山下半三郎」
本多平八郎忠勝は、威圧するような低い声で言った。夜闇の中、それもかなりの距離があったはずなのに、しっかりとこの顔を覚えられていたようだった。氏勝のほうは射手であるだけに遠目には自負があったが、向こうも同じくらいの目を持っているらしい。
「先日の件、関わった者にお咎めはなしと聞き及んでおりますが?」
そうは言ったが、その赦免された者の中に氏勝の名はなかった。もちろんそんな名を持つ者など、あの場にはいなかったことになっているからに他ならない。
「別に咎め立てに来たわけではない。虚仮にされた落とし前は、いずれ何かの形で返そうとは思っておるがの」
剣呑剣呑、と心の中でつぶやいた。こうしたいかにもな猪武者は、氏勝のもっとも苦手とする相手である。
「では、いったい何用でございまするか、本多さま?」
「今日のところは、ただ迎えに来ただけよ。わが陣屋に来られよ。殿がおぬしに会いたいと申されておる」
いきなりの言葉に、氏勝はわずかに目を瞠った。忠勝ほどの者が「殿」と呼ぶ相手はただひとり、大納言家康のことに他ならなかった。されど家康ほどの大名に、おのれごとき雑兵が対面を許されるはずもない。
「先日の一件、おぬしは前田家のためにしたつもりであろうが、助けられたのは我らも同じよ。礼のひとつも言わねば筋が通らぬ」
「それならば前田の大殿か、野一色どのを通してくだされ。某はあくまで、その配下にござれば」
「通して……よいのか?」
忠勝はそう言って、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。そうである。あくまでも氏勝は、あの一件に関わっていないことになっているのだ。伝右衛門たちにはああ言ったが、「合力するな」という命はすなわち「関わるな」という意味である。事の顛末が野一色頼母に、そして中村家に伝わってしまうと、少々困ったことになるかもしれない。
「それゆえ、こうして直に会いに来たのよ。大人しく我らについてくるがよい。悪いようにはせぬ」
そこまで言われれば、もはや従うしかないようだった。それに考えてみれば、氏勝たちの実の役目は徳川の動静を窺うことである。ならばその懐に入り、家康の屋敷の中を覗ける機会は逃すべきではないだろう。
徳川の陣場中央にある家康の屋敷は、思っていた以上に質素で簡潔なものだった。陣中にある仮のものであるためだけではなかろう。聞くところによれば徳川家というのは、家康自身が夜に文を書くときでさえ使いさしの蝋燭を使うほど、倹約が徹底されているらしい。そうした気風が隅々まで行き渡り、目に見える形で表れているのだと思われた。
そして氏勝が通されたのは会所ではなく、屋敷の奥にある家康の自室であった。この対面は公なものではなく、あくまでも内々のものであるゆえと説明されたが、そこまで来ると氏勝としても否応なく緊張してしまう。
しかしそのとき、耳の中に蘇ってきた声があった。好奇心に満ちてわくわくとした、弾んだ声。
「半三郎、おぬし三河守に会うのか。凄いな!」
ちらと傍らに目をやると、そこにはやはりいつもの幻が見えた。いまだ月代も青々とした、華奢で小さな姿。それを目にして、氏勝の心はまた急速に熱を失ってゆく。
「別に凄くなどありませぬよ、若殿。三河守とて、そこらの山賊の大将とさして変わりませぬ」
やはりおのれは間違っていたか。冷え冷えとした心で、氏勝はそう思った。あの小野伝右衛門という男と同輩たちに思うところがあって、つい力を貸してしまったが、お陰でどうも怪しい風向きになってきている。こんなことなら妙な同情などせずに、放っておけばよかった。かの者らが憂き目を見たままであろうと、前田と徳川がくだらぬ喧嘩でおのが身を滅ぼそうと、知ったことなどなかったではないか。
まして此度は上の者からも、関わるなと命じられてもいたのだ。ならばなぜ、それに従わなかったのだ。
「まったく……愚かなことよ」
結局、一番の莫迦はおのれであったということか。そう冷笑を漏らしたと同時に障子が開いて、大柄な男が上機嫌に頷きながら入ってきた。そうして平伏する氏勝に向けて、「楽にせよ、構わん」と言った。
それに応じて顔を上げると、今度は興味深げに身を乗り出して覗き込んでくる。その顔は慥かに戦場で遠目に見た、権大納言家康そのままであった。いったいおのれはかようなところで何をしているのだという、呆れにも似た感情がまた沸き上がってくるのを、氏勝は止められなかった。
「おぬしが、山下半三郎か」
「はっ」と、氏勝はまた形ばかりに頭を下げる。
「……して」と、家康は尋ねてくる。「先の茶番、何者の入れ知恵ぞ?」
「と、申されますと?」
「頼母がごときに思い付く策ではあるまい。とはいえ、又左(利家)のやりようとも思えぬ。あの者の策なら、おぬしのような余所者を使うはずもないしの。よもや、おのれで考えてのこととは言うまい?」
さて、と氏勝は思案する。この場合、どう答えるのがもっとも穏当であろうか。あくまで関わらずの立場を貫く中村家を巻き込むわけにはゆかぬし、今言われた通り前田家の指図とするのも筋が通らぬ。やはり、包み隠さず打ち明けるしかないのであろうか。とはいえ、それを信じるかはわからぬが。
「其の舟を同じくして済るに当たりて……風に遭わば?」
「……其の相救うや左右の手の如し」と、家康があとを受けた。「呉越同舟。孫子か」
氏勝は「……いかにも」と頷いた。かつて争っていた呉と越という国の兵同士がひとつの舟に乗り合わせたとき、大風に遭っておのが身が危うくなれば、憎しみを忘れて互いに助け合ったという故事である。
どうやらその遣り取りのみで、家康も誰の入れ知恵でもないことを理解したらしかった。そして奇妙に嬉しげに、口元を歪ませてつぶやく。
「今与一、武辺ばかりではなかったか」
氏勝はその言葉が聞き取れず、「何と申されましたか?」と尋ねる。されど家康はそれには答えず、不意に表情を険しくした。
「山下半三郎。おぬしは何者ぞ?」
家康の目にあるのは、決して猜疑ではなかった。されどそれはただの好奇心と言うにはあまりに激しく、一切の嘘偽りを許さぬほど厳しいものでもあった。
「豊臣家中老、中村式部少輔が家臣にございまする」
「さようなことは訊いておらぬ。生まれはどこじゃ。摂津か、近江か?」
そのふたつの国を挙げたのは、式部少輔一氏がこれまで領してきた国であるゆえであろう。慥かに牢人として流れ歩いて、雑兵として拾われたのは近江であった。されどそれとて、偶々放浪の末に流れ着いただけのことだ。
「……飛州にございます」
「飛州……とな?」
「はい。父は飛騨白川郷、内ヶ島兵庫頭が家老にして荻町城城主・山下大和守時慶。某はその嫡男、半三郎氏勝にございます」
家康は口元に手を当て、視線を中空に漂わせながら、「内ヶ島……のう」としばし思案していた。その家名にすぐに心当たりがなかったのであろう。されどやがて、ふと何かを思い出したかのように目を見開き、それを氏勝へと戻した。
「さては……前田又次郎に肩入れしたは、それが理由か」
その問いには答えなかった。もうこれ以上身の上を語るつもりはないと伝えるため、再び静かに平伏したのみであった。
「なるほど……これは思っていた以上に面白き男じゃの、おぬしは」
傍らの忠勝は話の流れがわかっていないのか、厳つい顔をさらに訝しげに顰めていた。家康はそれを宥めるように頷きかけ、立ち上がった。
「ともあれ、此度はおぬしに助けられた。礼を言うぞ、半三郎」
「勿体なきお言葉にございまする」
「じゃが、根本からの解決にはなっておらぬのも慥かよ。水を巡っての諍いはこれからも起こるであろう。何か良き手立てはないものか」
それについては、氏勝も考えていることがあった。されどそれをどうやって利家へ、さらにその上の太閤へと進言するか、考えあぐねていたところでもあった。おそらくここは、もっともの好機であろう。
「此度力を借りた漁師たちが、海沿いにいくつかの水場を知っておるとのこと。どうやらまだ、我らが見つけておらぬもののようにございます」
「ほう……さようなものがあるのか?」
「はい。かの者らにとっても真水は命綱同然ゆえ、各地にそうしたところを見付けて押さえておるようで。そのうちのいくつかに案内させましょう。見返りとして月に幾日かは漁ができるよう、禁を緩めてやってはいかがかと」
家康はふむ、ふむと小さくいくつか頷いた。「良き考えじゃ。太閤殿下にはわしから言っておこう」
漁師たちから教えられた水場のひとつは、今の前田家の陣場より南へ一里ほど下ったあたりにあった。ならばいっそ、そちらに陣を移してしまうのがいいかもしれぬ。此度の騒動は徳川と前田という、ふたつの大きな陣が隣り合っていたために起きたことでもあった。それを引き離してしまえば、兵たちの諍いも減るかと思われた。
「では半三郎、大儀であった」
家康はそう言って、ゆっくりと部屋をあとにしていった。されどその戸口の前で立ち止まり、ふと振り返る。
「ところでおぬし、齢はいくつになる」
氏勝は平伏したまま答えた。「数えで、二十五になり申す」
「ほう……して、妻はおるのか?」
「いえ。小身ゆえ、いまだ」
ほう、ほう。家康は口の中でつぶやくように、小声で繰り返した。そうして何やら含み笑いを浮かべながら、今度こそ立ち去って行った。
大陸での戦線は膠着したまま、また時ばかりが過ぎていった。そうして年が明けて文禄二年五月、明より特使が派遣され、講和交渉がはじめられた。やがて八月には一部の兵を残して渡海勢も帰国し、さらに大阪にて淀の方が男子を出産したとの報を受けて、太閤秀吉も名護屋を離れた。それとともに諸将も所領へと戻ることを許され、徳川軍が八月に陣を払ったことにともない、氏勝ら中村家の者たちも駿府へと戻ることとなった。
かくしてのちに文禄の役と呼ばれることとなる外征は、ひとまずの終結をみたのである。
話を聞くと咎めどころか、少ないながらも銭まで貰ったという。その上あの夜はずいぶんな豊漁でもあったようで、これでしばらくは食べていけそうだと、どの顔も満足げだった。それを見て、氏勝もほっと胸を撫で下ろす。
「ところで、聞いたばい。上じゃ、何やら水がなくて喧嘩までしとると?」
「まあの。何しろ十万からの兵がおる。兵糧も水も、いくらあっても足りぬのよ」
「そうか……じゃあ」
と、漁師のひとりが何かを言いかけたところで、不意に怯えたように顔を背けた。何事かと思って振り返ると、数人の供を連れた大柄な侍が浜へ下りてこようとしているのが見えた。具足こそは着けていないが、腰には立派な大小を差し、供にはそれぞれ長槍を持たせている。それだけで、かなりの将であることがわかった。やがてその顔が見て取れると、氏勝はうんざりとした思いでため息をついた。
「わしの顔を忘れたとは言わせぬぞ、山下半三郎」
本多平八郎忠勝は、威圧するような低い声で言った。夜闇の中、それもかなりの距離があったはずなのに、しっかりとこの顔を覚えられていたようだった。氏勝のほうは射手であるだけに遠目には自負があったが、向こうも同じくらいの目を持っているらしい。
「先日の件、関わった者にお咎めはなしと聞き及んでおりますが?」
そうは言ったが、その赦免された者の中に氏勝の名はなかった。もちろんそんな名を持つ者など、あの場にはいなかったことになっているからに他ならない。
「別に咎め立てに来たわけではない。虚仮にされた落とし前は、いずれ何かの形で返そうとは思っておるがの」
剣呑剣呑、と心の中でつぶやいた。こうしたいかにもな猪武者は、氏勝のもっとも苦手とする相手である。
「では、いったい何用でございまするか、本多さま?」
「今日のところは、ただ迎えに来ただけよ。わが陣屋に来られよ。殿がおぬしに会いたいと申されておる」
いきなりの言葉に、氏勝はわずかに目を瞠った。忠勝ほどの者が「殿」と呼ぶ相手はただひとり、大納言家康のことに他ならなかった。されど家康ほどの大名に、おのれごとき雑兵が対面を許されるはずもない。
「先日の一件、おぬしは前田家のためにしたつもりであろうが、助けられたのは我らも同じよ。礼のひとつも言わねば筋が通らぬ」
「それならば前田の大殿か、野一色どのを通してくだされ。某はあくまで、その配下にござれば」
「通して……よいのか?」
忠勝はそう言って、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。そうである。あくまでも氏勝は、あの一件に関わっていないことになっているのだ。伝右衛門たちにはああ言ったが、「合力するな」という命はすなわち「関わるな」という意味である。事の顛末が野一色頼母に、そして中村家に伝わってしまうと、少々困ったことになるかもしれない。
「それゆえ、こうして直に会いに来たのよ。大人しく我らについてくるがよい。悪いようにはせぬ」
そこまで言われれば、もはや従うしかないようだった。それに考えてみれば、氏勝たちの実の役目は徳川の動静を窺うことである。ならばその懐に入り、家康の屋敷の中を覗ける機会は逃すべきではないだろう。
徳川の陣場中央にある家康の屋敷は、思っていた以上に質素で簡潔なものだった。陣中にある仮のものであるためだけではなかろう。聞くところによれば徳川家というのは、家康自身が夜に文を書くときでさえ使いさしの蝋燭を使うほど、倹約が徹底されているらしい。そうした気風が隅々まで行き渡り、目に見える形で表れているのだと思われた。
そして氏勝が通されたのは会所ではなく、屋敷の奥にある家康の自室であった。この対面は公なものではなく、あくまでも内々のものであるゆえと説明されたが、そこまで来ると氏勝としても否応なく緊張してしまう。
しかしそのとき、耳の中に蘇ってきた声があった。好奇心に満ちてわくわくとした、弾んだ声。
「半三郎、おぬし三河守に会うのか。凄いな!」
ちらと傍らに目をやると、そこにはやはりいつもの幻が見えた。いまだ月代も青々とした、華奢で小さな姿。それを目にして、氏勝の心はまた急速に熱を失ってゆく。
「別に凄くなどありませぬよ、若殿。三河守とて、そこらの山賊の大将とさして変わりませぬ」
やはりおのれは間違っていたか。冷え冷えとした心で、氏勝はそう思った。あの小野伝右衛門という男と同輩たちに思うところがあって、つい力を貸してしまったが、お陰でどうも怪しい風向きになってきている。こんなことなら妙な同情などせずに、放っておけばよかった。かの者らが憂き目を見たままであろうと、前田と徳川がくだらぬ喧嘩でおのが身を滅ぼそうと、知ったことなどなかったではないか。
まして此度は上の者からも、関わるなと命じられてもいたのだ。ならばなぜ、それに従わなかったのだ。
「まったく……愚かなことよ」
結局、一番の莫迦はおのれであったということか。そう冷笑を漏らしたと同時に障子が開いて、大柄な男が上機嫌に頷きながら入ってきた。そうして平伏する氏勝に向けて、「楽にせよ、構わん」と言った。
それに応じて顔を上げると、今度は興味深げに身を乗り出して覗き込んでくる。その顔は慥かに戦場で遠目に見た、権大納言家康そのままであった。いったいおのれはかようなところで何をしているのだという、呆れにも似た感情がまた沸き上がってくるのを、氏勝は止められなかった。
「おぬしが、山下半三郎か」
「はっ」と、氏勝はまた形ばかりに頭を下げる。
「……して」と、家康は尋ねてくる。「先の茶番、何者の入れ知恵ぞ?」
「と、申されますと?」
「頼母がごときに思い付く策ではあるまい。とはいえ、又左(利家)のやりようとも思えぬ。あの者の策なら、おぬしのような余所者を使うはずもないしの。よもや、おのれで考えてのこととは言うまい?」
さて、と氏勝は思案する。この場合、どう答えるのがもっとも穏当であろうか。あくまで関わらずの立場を貫く中村家を巻き込むわけにはゆかぬし、今言われた通り前田家の指図とするのも筋が通らぬ。やはり、包み隠さず打ち明けるしかないのであろうか。とはいえ、それを信じるかはわからぬが。
「其の舟を同じくして済るに当たりて……風に遭わば?」
「……其の相救うや左右の手の如し」と、家康があとを受けた。「呉越同舟。孫子か」
氏勝は「……いかにも」と頷いた。かつて争っていた呉と越という国の兵同士がひとつの舟に乗り合わせたとき、大風に遭っておのが身が危うくなれば、憎しみを忘れて互いに助け合ったという故事である。
どうやらその遣り取りのみで、家康も誰の入れ知恵でもないことを理解したらしかった。そして奇妙に嬉しげに、口元を歪ませてつぶやく。
「今与一、武辺ばかりではなかったか」
氏勝はその言葉が聞き取れず、「何と申されましたか?」と尋ねる。されど家康はそれには答えず、不意に表情を険しくした。
「山下半三郎。おぬしは何者ぞ?」
家康の目にあるのは、決して猜疑ではなかった。されどそれはただの好奇心と言うにはあまりに激しく、一切の嘘偽りを許さぬほど厳しいものでもあった。
「豊臣家中老、中村式部少輔が家臣にございまする」
「さようなことは訊いておらぬ。生まれはどこじゃ。摂津か、近江か?」
そのふたつの国を挙げたのは、式部少輔一氏がこれまで領してきた国であるゆえであろう。慥かに牢人として流れ歩いて、雑兵として拾われたのは近江であった。されどそれとて、偶々放浪の末に流れ着いただけのことだ。
「……飛州にございます」
「飛州……とな?」
「はい。父は飛騨白川郷、内ヶ島兵庫頭が家老にして荻町城城主・山下大和守時慶。某はその嫡男、半三郎氏勝にございます」
家康は口元に手を当て、視線を中空に漂わせながら、「内ヶ島……のう」としばし思案していた。その家名にすぐに心当たりがなかったのであろう。されどやがて、ふと何かを思い出したかのように目を見開き、それを氏勝へと戻した。
「さては……前田又次郎に肩入れしたは、それが理由か」
その問いには答えなかった。もうこれ以上身の上を語るつもりはないと伝えるため、再び静かに平伏したのみであった。
「なるほど……これは思っていた以上に面白き男じゃの、おぬしは」
傍らの忠勝は話の流れがわかっていないのか、厳つい顔をさらに訝しげに顰めていた。家康はそれを宥めるように頷きかけ、立ち上がった。
「ともあれ、此度はおぬしに助けられた。礼を言うぞ、半三郎」
「勿体なきお言葉にございまする」
「じゃが、根本からの解決にはなっておらぬのも慥かよ。水を巡っての諍いはこれからも起こるであろう。何か良き手立てはないものか」
それについては、氏勝も考えていることがあった。されどそれをどうやって利家へ、さらにその上の太閤へと進言するか、考えあぐねていたところでもあった。おそらくここは、もっともの好機であろう。
「此度力を借りた漁師たちが、海沿いにいくつかの水場を知っておるとのこと。どうやらまだ、我らが見つけておらぬもののようにございます」
「ほう……さようなものがあるのか?」
「はい。かの者らにとっても真水は命綱同然ゆえ、各地にそうしたところを見付けて押さえておるようで。そのうちのいくつかに案内させましょう。見返りとして月に幾日かは漁ができるよう、禁を緩めてやってはいかがかと」
家康はふむ、ふむと小さくいくつか頷いた。「良き考えじゃ。太閤殿下にはわしから言っておこう」
漁師たちから教えられた水場のひとつは、今の前田家の陣場より南へ一里ほど下ったあたりにあった。ならばいっそ、そちらに陣を移してしまうのがいいかもしれぬ。此度の騒動は徳川と前田という、ふたつの大きな陣が隣り合っていたために起きたことでもあった。それを引き離してしまえば、兵たちの諍いも減るかと思われた。
「では半三郎、大儀であった」
家康はそう言って、ゆっくりと部屋をあとにしていった。されどその戸口の前で立ち止まり、ふと振り返る。
「ところでおぬし、齢はいくつになる」
氏勝は平伏したまま答えた。「数えで、二十五になり申す」
「ほう……して、妻はおるのか?」
「いえ。小身ゆえ、いまだ」
ほう、ほう。家康は口の中でつぶやくように、小声で繰り返した。そうして何やら含み笑いを浮かべながら、今度こそ立ち去って行った。
大陸での戦線は膠着したまま、また時ばかりが過ぎていった。そうして年が明けて文禄二年五月、明より特使が派遣され、講和交渉がはじめられた。やがて八月には一部の兵を残して渡海勢も帰国し、さらに大阪にて淀の方が男子を出産したとの報を受けて、太閤秀吉も名護屋を離れた。それとともに諸将も所領へと戻ることを許され、徳川軍が八月に陣を払ったことにともない、氏勝ら中村家の者たちも駿府へと戻ることとなった。
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