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第三章
(三)
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五郎太丸が駿府へと入ったのは、その年の夏前のことだった。それはもちろん、もうあの城で夏を過ごさせたくないというお亀の方の気持ちが、行動を速めさせたのであろう。
それと入れ替わるようにして、将軍となった家康は上洛していった。嫡男秀忠の長女・千姫と、豊臣内大臣秀頼の婚儀のためである。
日の本に残った最後の火種と言える徳川と豊臣が縁戚となることで、いよいよ天下は静謐に向かいつつある。そんな期待感が、巷には満ちはじめていた。ただし今日の和平は明日の対立の種ともなるという、乱世の記憶もいまだ消えてはいない。
そんな夏の盛りのことである。駿府に腰を落ち着けた五郎太丸を訪ねてきた者があった。太閤秀吉の縁戚であり、豊臣恩顧の大名たちの中でも最大の勢力を誇る重鎮・浅野弾正少弼長政と、その子紀伊守幸長である。
この春幕府が開かれたのに伴って、諸国の大名たちはこぞって江戸へ祝賀に集まってきていた。かの者らは将軍の名代として対応した中納言秀忠へと謁見していったが、その中で浅野親子だけは家康不在の駿府にも立ち寄り、五郎太丸へ挨拶に現れたのである。
それはこの幼君にとって、はじめてと言っていい対外的な会見であった。その大仕事を、五郎太丸は齢四つとは思えぬ落ち着きぶりでこなしてみせた。そうして対面を済ませて部屋を出ると、見送りに付き添っていた氏勝に、紀伊守幸長が話しかけてきた。
「実に聡明な若君であらせられる。上さまも行く末が楽しみなことでござろうな」
世辞とわかっていても、主を称えられれば嬉しいものである。氏勝も相変わらず傍からはわかりにくいものの、ふわりと表情を緩めた。
紀伊守は氏勝よりも八つばかり若く、まだ二十代の若武者であったが、その勇名は徳川でも知らぬ者はいなかった。朝鮮征伐の折は渡海勢に加わり、大陸にて数々の武功を挙げてその名を轟かせた。さらに太閤の死後は加藤肥後守清正、福島左衛門尉正則ら武断派と共に石田治部少と対立し、関が原の大戦では木曽川で西軍の侵攻を食い止めるなど活躍を見せ、戦後紀州和歌山三十七万石を与えられている。
ただ風聞に聞く限りでは典型的な猪武者で、氏勝のもっとも苦手とする相手であるように思っていた。されどじっさい対面してみると、物腰も柔らかく理知的な、なかなかの好人物である。
わざわざ立ち寄ってもらってただ帰すわけにもいかず、その夜は酒席が用意された。さすがに五郎太丸は同席させられなかったが、小伝次正信をはじめとする小姓たちも総出の賑やかな席となった。されど体調が悪いと弾正長政は顔を見せず、現れたのは幸長ひとりであった。
「かような用意までしていただいたのに、父がすまぬの」
幸長は申し訳なさそうな顔で言う。されど高齢の長政に無理をさせるのも本意ではないので、気にすることはないと答えた。それよりも、幸長の表情がどこか晴れないことのほうが気になっていた。それは決して、父のことばかりではないように思えていたのだ。
「されど、五郎太丸さまにだけでもお会いできてよかった。でなければ、江戸まで出て行ってまったくの無駄足になるところであった。礼を申し上げる」
「無駄足、とは?」
「実はの、江戸では上さまはおろか、名代の中納言どのにもお会いできなかったのよ」
聞くと江戸城に出向くと、秀忠は別の大名の歓待中とのことで、さらに代理の土居大炊頭にしか会うことが叶わなかったという。そうして形ばかりの挨拶を済ませると、まるで追い返されるかのように城をあとにするしかなかったと。長政はそれに憤慨し、すっかり不機嫌になってしまったらしい。もしかしたら今宵の酒席に顔を見せなかったのも、身体のことは口実で、ようやく会えたのが四歳の子供であったということで、ますます臍を曲げてしまったゆえかもしれなかった。
「おそらく上さまは、いまだ父を赦してはおらぬのであろう」
「さようなことは……」と言いかけて言葉を呑んだのは、氏勝もまたそうかもしれぬと思ったゆえであった。家康と言えば我慢の人と言われているが、そういう手合いは同時に執念深く、恨みも決して忘れないものである。
浅野弾正長政は、関ケ原の戦の前、伏見にて発覚した家康暗殺計画の首謀者のひとりとされている。そのために一度は蟄居を命じられ、家督も命じられるままに子の幸長に譲って隠居させられた。されどその幸長が徳川のために功を挙げたことで、疑いは晴れたものと思っていた。それでもまだ、家康の中には長政への蟠りが残っているのであろうか。
「それは父も同じじゃ。父もまた、いまだ心の底では徳川の天下を認めておらぬ。もしかしたらそれが、上さまにもわかっておるのやもしれぬな」
「紀伊守さまもさようではござらぬか?」
氏勝が問うと、幸長は問いの真意を推し量るように、黙って顔を見返してきた。おそらく何かの失言を引き出そうとしているとでも思われたのであろう。そうではないと伝えるために、氏勝は続ける。
「ご案じめされますな。我の忠義はただ五郎太丸さまおひとりがため。上さまにも幕府にも忠義などございませぬ」
その言葉に、傍らの正信がぎょっとした顔をした。されどそれも知ったことではないと、氏勝は静かに杯を呷る。
「変わった御仁でござるな、傅役どのは……山下どのと申されたか」
「山下信濃守にございます。以後、どうぞお見知りおきを」
幸長は小さく笑って、しばらく空の盃を手の上で弄んでいた。されどやがて、意を決したようにまた口を開く。
「すべては内府さま(秀頼のこと。家康の右大臣昇格に伴って内大臣に就いた)がためよ。徳川の世を認め、誼をなおいっそう強めてゆくしか、豊臣に生き残る道はない。そう思うておる」
おそらく豊臣恩顧の将たちにも、同じように考えている者が多いのであろう。此の度家康の孫である千姫を正室として受け入れたのもそれゆえか。
幸長が紀州へと帰途に就いたのち、氏勝はお亀の方に家康の真意を慥かめるように求めた。まことに浅野家を、今でも赦してはいないのかと。
「何ゆえ、私たちがさようなことを慥かめねばならぬのですか?」
お亀は氏勝の言葉に、訝しげな顔を見せた。同じ徳川家中ならともかく、長く豊臣の将であった浅野家である。そのために、何ゆえおのれが骨折りせねばならぬと思うのも無理はない。
「某がかの将を気に入ったゆえ……では得心してくださいませぬか」
「くださいませぬ」と、即答であった。「戯れは結構、さっさと本心を申されませ。それに得心したなら、言う通りにしてもよいでしょう。信濃守、そなたには借りもありますし」
「……では」
と、氏勝は居住まいを正し、小さく咳払いをした。そうしてまっすぐお亀を見つめ、切り出す。
「先日の一件ののち考えましたところ、五郎太丸さまには存外、お味方がいないことに気が付き申した」
「さようなことはあるまい」と、お亀は意外そうに目を見開いた。「主計頭どのがおられるではないですか。それに何と言っても、上さまは五郎太がお気に入りでございます」
「平岩さまも上さまも、いつまでもご存命ではありますまい。おふたりが身罷ったのち、我らは徳川の中でどのように生きてゆけば良いのか。それを考えねばなりませぬ」
目の前の女性は、しばらくぱちぱちと目を瞬かせていた。それから小さくため息をついて、案じるような声で言った。
「さような言が誰ぞの耳に入れば、切腹どころでは済みませぬぞ?」
「まことのことではありませぬか。上さまとて人でございます。人であれば、親が子より先に死ぬは自然のこと。それに五郎太丸さまは遅い子にございました。ゆえに我らが殿はその人間の多くを、父君のいない世に生きねばなりませぬ」
「で、あったとしてもです」お亀は表情を変えずに反駁する。「それでも五郎太は上さまの子なのです。ならば徳川ある限り、家中の誰もが守り支えてくれるはずでございましょう」
「敵対する相手が、たとえ中納言さまであってもですか?」
その言葉に、お亀はとうとう黙り込んだ。そんな想定は、かの女性の頭にはなかったことなのだろう。されど氏勝たちは、それを想定しなければならなかった。
ややあって、ひどく疲れたような声で尋ねてきた。「では、私たちはどうすればよいと言うのですか?」
「我らは人脈を広げ、新たにお味方を作らねばなりません。何があっても……さよう、たとえ中納言さま相手であっても、我らに合力してくださるようなお味方を」
「さような者がいるのでしょうか?」
「そうですね……例えば、長福丸さまとお付きの皆々方。おそらく立場は同じにございます。年の近い兄弟として、助け合う必要がございましょう」
長福丸の傅役である安藤帯刀は、氏勝とは比べものにならぬ古強者だ。徳川家に仕えても長く、内情にもよほど通じている。おのが主の立場が決して盤石ではないことにも気付いておろう。ならば向こうも、五郎太丸らとの共闘を視野に入れているはずだ。
お亀の方と、長福丸の生母であるお万の方との関係についてはわからない。側室の中にも、もしかしたら男には想像もつかない鞘当てがあるのやもしれぬ。それでもここは種々の感情は抑えて、手を携えて欲しいところであった。
「その他にと考えますと、やはり外へと求めるしかないでしょう。徳川ご家中の皆々方は、まずお家を守ることを考えるはずです。いよいよとなれば中納言さまに付くことでしょう」
「ゆえ、浅野家というわけですか」
「はい」氏勝は頷いた。「紀州浅野三十七万石、味方に付けて損はありませぬ」
その上親豊臣方の大物である浅野家と、徳川の一族である五郎太丸との間に良好な関係を築くことができれば、なおいっそう世は安寧に近付くに違いなかった。それは秀頼と千姫の婚儀を進めた家康の意向にも沿うはずである。何ひとつ取っても、無駄になることはなかった。
それと入れ替わるようにして、将軍となった家康は上洛していった。嫡男秀忠の長女・千姫と、豊臣内大臣秀頼の婚儀のためである。
日の本に残った最後の火種と言える徳川と豊臣が縁戚となることで、いよいよ天下は静謐に向かいつつある。そんな期待感が、巷には満ちはじめていた。ただし今日の和平は明日の対立の種ともなるという、乱世の記憶もいまだ消えてはいない。
そんな夏の盛りのことである。駿府に腰を落ち着けた五郎太丸を訪ねてきた者があった。太閤秀吉の縁戚であり、豊臣恩顧の大名たちの中でも最大の勢力を誇る重鎮・浅野弾正少弼長政と、その子紀伊守幸長である。
この春幕府が開かれたのに伴って、諸国の大名たちはこぞって江戸へ祝賀に集まってきていた。かの者らは将軍の名代として対応した中納言秀忠へと謁見していったが、その中で浅野親子だけは家康不在の駿府にも立ち寄り、五郎太丸へ挨拶に現れたのである。
それはこの幼君にとって、はじめてと言っていい対外的な会見であった。その大仕事を、五郎太丸は齢四つとは思えぬ落ち着きぶりでこなしてみせた。そうして対面を済ませて部屋を出ると、見送りに付き添っていた氏勝に、紀伊守幸長が話しかけてきた。
「実に聡明な若君であらせられる。上さまも行く末が楽しみなことでござろうな」
世辞とわかっていても、主を称えられれば嬉しいものである。氏勝も相変わらず傍からはわかりにくいものの、ふわりと表情を緩めた。
紀伊守は氏勝よりも八つばかり若く、まだ二十代の若武者であったが、その勇名は徳川でも知らぬ者はいなかった。朝鮮征伐の折は渡海勢に加わり、大陸にて数々の武功を挙げてその名を轟かせた。さらに太閤の死後は加藤肥後守清正、福島左衛門尉正則ら武断派と共に石田治部少と対立し、関が原の大戦では木曽川で西軍の侵攻を食い止めるなど活躍を見せ、戦後紀州和歌山三十七万石を与えられている。
ただ風聞に聞く限りでは典型的な猪武者で、氏勝のもっとも苦手とする相手であるように思っていた。されどじっさい対面してみると、物腰も柔らかく理知的な、なかなかの好人物である。
わざわざ立ち寄ってもらってただ帰すわけにもいかず、その夜は酒席が用意された。さすがに五郎太丸は同席させられなかったが、小伝次正信をはじめとする小姓たちも総出の賑やかな席となった。されど体調が悪いと弾正長政は顔を見せず、現れたのは幸長ひとりであった。
「かような用意までしていただいたのに、父がすまぬの」
幸長は申し訳なさそうな顔で言う。されど高齢の長政に無理をさせるのも本意ではないので、気にすることはないと答えた。それよりも、幸長の表情がどこか晴れないことのほうが気になっていた。それは決して、父のことばかりではないように思えていたのだ。
「されど、五郎太丸さまにだけでもお会いできてよかった。でなければ、江戸まで出て行ってまったくの無駄足になるところであった。礼を申し上げる」
「無駄足、とは?」
「実はの、江戸では上さまはおろか、名代の中納言どのにもお会いできなかったのよ」
聞くと江戸城に出向くと、秀忠は別の大名の歓待中とのことで、さらに代理の土居大炊頭にしか会うことが叶わなかったという。そうして形ばかりの挨拶を済ませると、まるで追い返されるかのように城をあとにするしかなかったと。長政はそれに憤慨し、すっかり不機嫌になってしまったらしい。もしかしたら今宵の酒席に顔を見せなかったのも、身体のことは口実で、ようやく会えたのが四歳の子供であったということで、ますます臍を曲げてしまったゆえかもしれなかった。
「おそらく上さまは、いまだ父を赦してはおらぬのであろう」
「さようなことは……」と言いかけて言葉を呑んだのは、氏勝もまたそうかもしれぬと思ったゆえであった。家康と言えば我慢の人と言われているが、そういう手合いは同時に執念深く、恨みも決して忘れないものである。
浅野弾正長政は、関ケ原の戦の前、伏見にて発覚した家康暗殺計画の首謀者のひとりとされている。そのために一度は蟄居を命じられ、家督も命じられるままに子の幸長に譲って隠居させられた。されどその幸長が徳川のために功を挙げたことで、疑いは晴れたものと思っていた。それでもまだ、家康の中には長政への蟠りが残っているのであろうか。
「それは父も同じじゃ。父もまた、いまだ心の底では徳川の天下を認めておらぬ。もしかしたらそれが、上さまにもわかっておるのやもしれぬな」
「紀伊守さまもさようではござらぬか?」
氏勝が問うと、幸長は問いの真意を推し量るように、黙って顔を見返してきた。おそらく何かの失言を引き出そうとしているとでも思われたのであろう。そうではないと伝えるために、氏勝は続ける。
「ご案じめされますな。我の忠義はただ五郎太丸さまおひとりがため。上さまにも幕府にも忠義などございませぬ」
その言葉に、傍らの正信がぎょっとした顔をした。されどそれも知ったことではないと、氏勝は静かに杯を呷る。
「変わった御仁でござるな、傅役どのは……山下どのと申されたか」
「山下信濃守にございます。以後、どうぞお見知りおきを」
幸長は小さく笑って、しばらく空の盃を手の上で弄んでいた。されどやがて、意を決したようにまた口を開く。
「すべては内府さま(秀頼のこと。家康の右大臣昇格に伴って内大臣に就いた)がためよ。徳川の世を認め、誼をなおいっそう強めてゆくしか、豊臣に生き残る道はない。そう思うておる」
おそらく豊臣恩顧の将たちにも、同じように考えている者が多いのであろう。此の度家康の孫である千姫を正室として受け入れたのもそれゆえか。
幸長が紀州へと帰途に就いたのち、氏勝はお亀の方に家康の真意を慥かめるように求めた。まことに浅野家を、今でも赦してはいないのかと。
「何ゆえ、私たちがさようなことを慥かめねばならぬのですか?」
お亀は氏勝の言葉に、訝しげな顔を見せた。同じ徳川家中ならともかく、長く豊臣の将であった浅野家である。そのために、何ゆえおのれが骨折りせねばならぬと思うのも無理はない。
「某がかの将を気に入ったゆえ……では得心してくださいませぬか」
「くださいませぬ」と、即答であった。「戯れは結構、さっさと本心を申されませ。それに得心したなら、言う通りにしてもよいでしょう。信濃守、そなたには借りもありますし」
「……では」
と、氏勝は居住まいを正し、小さく咳払いをした。そうしてまっすぐお亀を見つめ、切り出す。
「先日の一件ののち考えましたところ、五郎太丸さまには存外、お味方がいないことに気が付き申した」
「さようなことはあるまい」と、お亀は意外そうに目を見開いた。「主計頭どのがおられるではないですか。それに何と言っても、上さまは五郎太がお気に入りでございます」
「平岩さまも上さまも、いつまでもご存命ではありますまい。おふたりが身罷ったのち、我らは徳川の中でどのように生きてゆけば良いのか。それを考えねばなりませぬ」
目の前の女性は、しばらくぱちぱちと目を瞬かせていた。それから小さくため息をついて、案じるような声で言った。
「さような言が誰ぞの耳に入れば、切腹どころでは済みませぬぞ?」
「まことのことではありませぬか。上さまとて人でございます。人であれば、親が子より先に死ぬは自然のこと。それに五郎太丸さまは遅い子にございました。ゆえに我らが殿はその人間の多くを、父君のいない世に生きねばなりませぬ」
「で、あったとしてもです」お亀は表情を変えずに反駁する。「それでも五郎太は上さまの子なのです。ならば徳川ある限り、家中の誰もが守り支えてくれるはずでございましょう」
「敵対する相手が、たとえ中納言さまであってもですか?」
その言葉に、お亀はとうとう黙り込んだ。そんな想定は、かの女性の頭にはなかったことなのだろう。されど氏勝たちは、それを想定しなければならなかった。
ややあって、ひどく疲れたような声で尋ねてきた。「では、私たちはどうすればよいと言うのですか?」
「我らは人脈を広げ、新たにお味方を作らねばなりません。何があっても……さよう、たとえ中納言さま相手であっても、我らに合力してくださるようなお味方を」
「さような者がいるのでしょうか?」
「そうですね……例えば、長福丸さまとお付きの皆々方。おそらく立場は同じにございます。年の近い兄弟として、助け合う必要がございましょう」
長福丸の傅役である安藤帯刀は、氏勝とは比べものにならぬ古強者だ。徳川家に仕えても長く、内情にもよほど通じている。おのが主の立場が決して盤石ではないことにも気付いておろう。ならば向こうも、五郎太丸らとの共闘を視野に入れているはずだ。
お亀の方と、長福丸の生母であるお万の方との関係についてはわからない。側室の中にも、もしかしたら男には想像もつかない鞘当てがあるのやもしれぬ。それでもここは種々の感情は抑えて、手を携えて欲しいところであった。
「その他にと考えますと、やはり外へと求めるしかないでしょう。徳川ご家中の皆々方は、まずお家を守ることを考えるはずです。いよいよとなれば中納言さまに付くことでしょう」
「ゆえ、浅野家というわけですか」
「はい」氏勝は頷いた。「紀州浅野三十七万石、味方に付けて損はありませぬ」
その上親豊臣方の大物である浅野家と、徳川の一族である五郎太丸との間に良好な関係を築くことができれば、なおいっそう世は安寧に近付くに違いなかった。それは秀頼と千姫の婚儀を進めた家康の意向にも沿うはずである。何ひとつ取っても、無駄になることはなかった。
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