尾張名古屋の夢をみる

神尾 宥人

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第四章

(三)

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 それから遷府の準備が進むにつれ、名古屋の氏勝の仮屋敷を訪ねてくる者も多くなってきていた。その多くは遷府に伴う苦情であり、抗議でもあった。やはり清州の町衆たちには、居を移すことへの抵抗も少なくなかったらしい。商人たちはこれまでと同じように商いを続けられるのか不安を訴え、寺の住持たちは由緒ある地を離れることを拒み、悪所の者たちはこれを機に排斥されるのではないかと疑心暗鬼に囚われていた。氏勝はそうした者たちにも丁寧に遷府の意義を説き続けたが、交渉は難航していると言わざるを得なかった。
 されど明けて慶長十五年(一六一〇年)一月、ついに石垣の普請がはじまると、その不安もすぐに解消した。普請助役の大名たちが職人や人夫たちを大挙して引き連れてきて、名古屋は忽ちのうちに大変な賑わいになったゆえだ。中でも肥後守清正は切り出した角石を引き運ぶ際、石を毛氈で飾り立てた上、容姿美麗な小姓を乗せて歌い踊らせ、見物人を呼び寄せた。さらには道々に酒肴餅豆をばら撒いて歩いたものだから、まさに突然の祭りの如き騒ぎとなった。その上京より三百人にも及ぶ妓女たちを呼び寄せ、万松寺にて連日勧進歌舞伎を開かせた。
 その騒ぎを見れば清州の町衆も、これが大きな商機であることがわかったのであろう。今までの不平はどこへやら、我先にと店を畳んで名古屋への移転に取り掛かった。氏勝も今度は、移り住んでくる町衆たちに新居を割り当てるので大忙しとなった。されどそれも清洲最大の商家である茶屋ちゃやの当主・茶屋長意ながよしこと中島新四郎(初代茶屋四郎次郎・清延の三男)の協力によって、滞りなく進むようになる。困難に思えた遷府も、一転して何もかもが上手く回り出したようにも思えた。
「どうやら順調なようでございますね。何よりなことで」
 そんなある夜のことである。不意の声に目を向けると、いつの間にか縁に小男がひとり腰掛けていた。こんな訪いかたをする者はひとりしかいなかった。
「たまにはちゃんと門から入ってきたらどうだ、藤七」
「日陰者には日陰者の振る舞いってもんがありまさぁ。ご無体なことは言わないでくださいな」
 この夜は以前のように、どこかの商人風の姿に戻っていた。どうやら女に化けるのは、駿府の城に潜り込むときだけらしい。ちなみにこの藤七のことは、お亀の方にもおのれが雇った謀者ちょうじゃであると伝えてある。それゆえたまに姿を消しても、不審に思われずに済んでいる。
「それにおぬしには、お方さまの周辺を任せてあったはずだが?」
「いやあ、その必要はありませんや。あの城にゃ、大御所の手の伊賀者が虱のようにうろつき回っていますゆえ。それにあの連中とは、どうも反りが合わないといいますか……」
「ということは、おぬしは伊賀の出ではないのか」
 そう鎌をかけてみたが、藤七はへらへらと笑うだけで何も答えなかった。どうやら依然として、おのれの素性については何も話す気がないらしい。まあそれならそれでいい、と氏勝も問いを変える。
「して、今宵はいったい何の用だ」
「いえね、用というほどのことでもないのですが……」と、藤七は勿体を付けるように言葉を濁した。「ただ、気は抜けれませぬようお声がけまで。好事魔多しとも言いますゆえ」
「言われずともわかっておる。それとも何か穏やかならぬことでもあるのなら、隠さずに申せ」
 どうも藤七の歯に物が挟まったかのような言い種が気になった。慥かに皮肉屋ではあるが、こうした持って回った調子は珍しい。
「穏やかならぬ、とも言い切れませぬが……ちと、気になることが」
 藤七はまだ迷いながらも、ようやくそう切り出してきた。
「この名古屋にも、伊賀者があちこち潜んで目を光らせておる様子ですが、その中に嫌な気配がひとつ」
「気配というと、やはりおぬしの同類……忍びか」
 それならば、さほど気にすることもないように思えた。何しろ今この名古屋には、二十からの大大名たちが集結しているのだ。みなそれぞれに手の者を引き連れて来ているであろうし、その中には護衛の忍びも少なくないはずだ。そう告げると、藤七もそれは承知しているようだった。
「だとしても……やはり引っ掛かるので。念のため、お気を付けをと思いまして」
「どこの者なのか、おぬしにさえもわからぬのか?」
「我ゆえ、気配に気付いておるのでございますよ。他の者たちは、いることにすら気付いていないはずです。それほどの手練れですゆえ、気になるのです。それにどうやら、山下さまのことも嗅ぎまわっているようですし」
「我のこともか……まさか、出雲守の手の者か?」
「出雲守……さて。何か心当たりでも?」
 そう問い返されて、氏勝は「……何でもない」と言葉を濁した。されど藤七の訝しげな目に負けて、三月ほど前のちょっとした出来事を打ち明ける。
 
 
 それはまだ城の普請がはじまる前、氏勝が名古屋に仮の居を定めて間もない頃のことだ。肥後守清正の他にも、もうひとり大名がここを訪ねてきたことがあった。それが、金森出雲守可重ありしげであった。
 正直に言えば、氏勝はその訪問に心乱さずにはいられなかった。金森といえば氏勝の若き日に、主家である内ヶ島家を攻めて従わせた相手に他ならなかったからである。そしてあの地震のあと、父時慶に濡れ衣を着せて死に追いやったのもそうだった。いわば氏勝にとって仇とも言える相手である。
 時慶のその後については、ずいぶんのちになってからようやく人伝に知らされた。金森の軍勢は雪が解けたのちに足倉の集落に現れ、父母を追い立てた。そして時慶はそれに抗うことなく、また濡れ衣であるとわかった上ですべてを受け入れ、領民たちの赦免と引き換えに腹を切ったとのことだった。氏勝にそれを伝えた者は、それはそれは見事な最期であったと涙ながらに讃えていた。父はあのとき氏勝に言ったことを、違えることなく実行して果てたのだ。そして金森は、内ケ島が所有していた金山・銀山をすべて接収し、おのれのものとした。
 現在の当主である出雲守可重は、あの当時は長屋喜三ながやきぞうと名乗っており、金森勢の一隊を率いていた。そして飛騨を領したのち、嫡子のいなかった金森法印素玄ほういんそげんの養子となり家督を継いだのだ。聞くところによれば内ヶ島がひとたび金森の軍門に下った際も、最後まで降伏を受け入れず攻め滅ぼすことを主張していた強硬派であるとのことだった。もしかしたらあの地震のあとの暴挙も、この可重の企んだものであったかもしれない。むしろそう考えるのがもっとも自然と言えた。
 その可重が普請助役の二十人の中に入っていることは、もちろん氏勝も知っていた。されど今のおのれはあくまでも徳川右兵衛督の家臣であり、ここで揉め事など起こせば主の顔に泥を塗ることになる。ただ下手に顔を合わせれば、そのときはおのれを抑えられるかがわからなかった。ゆえ、出来得る限り関わりを持たぬようにしていたのだった。
 その可重が、よりにもよって自ずから氏勝の前に姿を現した。とはいえ氏勝の素性については何も知らないようだ。目の前にかつて取り逃がした山下の嫡男が座っているとはつゆ知らず、ただ普請の割り当てに苦情を申し立てに来たのだった。此度の石垣の普請は、二十の普請助役たちに石高に応じて割り振られている。されどおのれの受け持ちは、石高のわりに多いのではないかと。
「そうした話でしたら、どうか普請奉行の佐久間さまか滝川さまにお申し出くだされ。我は城の普請には関わっておりませんゆえ」
 氏勝は必死で平静を装いながら、やっとのことでそう答えた。その答えに、可重は床を拳で叩いて激昂する。
「それでは埒が明かぬゆえ、こうして来たのだ!」
 元はさほどの悪相でもなかったのであろうが、額や頬に傷が刻まれ、また戦でへし折られたのか鼻梁も潰れ曲がっている。その顔をさらに歪ませながら、可重は凄むように睨みつけてきた。どうやらずいぶんと気の短い男であるようだ。齢は氏勝よりもひと回りは上であろう。ならばいい加減、円熟の落ち着きも身に付けていて良さそうなものであろうに。
「あやつらなど所詮木っ端よ。大御所に話を通す権限など持っておらぬ」
「ならば某も同じく木っ端にござる。普請の割り当てを左右できるような権限など持っておりませぬよ」
「だが浅野の横車が通ったのは、おぬしの進言があったゆえと聞いた。ならば我らの為にも骨を折るのが筋ではないのか」
 どうやら幸長が普請助役に入るにあたって、義利と氏勝が口を利いたという話はいつの間にか広まっているらしかった。ただしそれはあくまで、幸長と義利との特別な関係あってのことである。また浅野家に対しても格別の便宜をはかったというわけでもなく、むしろ負担となる話を自ずから申し出てくれたので、その義に礼をもって応えたというだけの話だ。
 それに対してこの可重の申し入れは、ただおのれのためだけの文句付けに過ぎない。もちろんこのところの各地の普請は諸侯にばかり負担を強いるもので、不満が募るのもわからぬでもないのだが。
「我らの知行はわずか三万三千石に過ぎぬ。されど此度の普請には、六万石相当の労役の供出を強いられておる。これはさすがに不当ではないのか。ここは何が何でも再考してもらわねば、我らも引き下がれぬ」
「何度も申し上げるが、普請の割り当ては某が決めたことではないゆえ、不平をぶつけられてもどうにもできませぬ」
 氏勝はうんざりしながらも答えた。身の裡で膨れ上がっていた怒りも、今はひとまず抑えることもできそうだった。
「その上で申し上げれば、金森どのへの割り当てはさほど不公平とも思えませぬ」
「何だと?」
「飛騨は慥かに山深く石高も高くはないが、それを補って余りある富がありましょう。領内から取れる金銀に硝石。それらの生み出す富は、米に換算すれば十万石相当にもなるはず。それを思えば、割り当てはむしろ少ないとも言えるではないでしょうか」
 それらは改めて調べずともわかっていることであった。何しろ元は我らが内ヶ島のものであったのだ。
「それでもなお不服だと申されるのであれば、さっさと国に引き上げるがよろしかろう。某も別に止めはいたしませぬ」
「ほう?」と、可重は引き攣ったような笑みを浮かべた。「引き上げて良いと申すか。ならば遠慮なくそうさせてもらうが。そもそも江戸や駿府ならいざ知らず、何ゆえ息子の城の普請にまで駆り出されねばならぬのか、得心ゆかなかったところよ」
「構いませぬぞ。早々に国へ帰り、戦支度をされるが良い」
 幕府の命に従えぬということは、すなわち叛旗を翻すということであった。たかだか三万三千石の身でどこまで抗えるかわからぬが、やるだけやってみれば良い。
 おのれの物言いが脅しにならぬことを悟って、可重はかっと顔を紅潮させた。
「この……木っ端役人が。幕府の威を借りて好きなことを吐かしやがって!」
 幕府の役人なんぞになったつもりはなかったので、そう言われたところで気にもならなかった。ただ何ゆえであろうか、この男が口を開いて何かを言うたびに、胸の裡の怒りが熱を失ってゆき、氏勝は冷静さを取り戻してゆく。あとには、こんな矮小な男のために父は死なねばならなかったのかという虚しさだけが残った。
 可重はそれからしばらく悪態をついたあとで、床を踏み鳴らしながら去って行った。あの様子ではあとで闇討ちぐらいは仕掛けてくるかとも思ったが、今のところはまだ何もない。来るなら来るで、そのときはこちらも遠慮なく仇討ちができるというものだと、密かに心待ちにもしていたのだが。
 
 
 もちろん過去の経緯についてまでは話すことはできなかったが、とりあえずここで起きたことだけを伝えると、藤七は些か呆れたような表情で「……なるほど」とつぶやいた。
「まあ、そっちは正直案ずるまでもないことかと。金森ごときにここで騒ぎを起こせる度胸はありゃしません。何しろ今ここには、怖いお方が大集合しておりますからね。それに比べれば、金森なんぞそれこそ木っ端でございます」
 まあ、それはわかっている。ただやはりどうしても胸に引っ掛かっていたことだったので、慥かめておきたかっただけのことだ。
「ですが念のため、騒動の種は除いておきますか。この先あれこれと手を焼かされるのも困りものでございましょう」
「おぬしは、仕物(暗殺)もこなすのか?」
「まあ、あまり得手ではありませぬが」
 と、藤七はこともなげに笑った。とはいえ氏勝としても、そこまで大事にするつもりもない。もちろん本心を言えばこの城にあのような男が関わって欲しくないが、それはあくまでも私事である。今は尾張徳川家の家臣として、普請が恙なく進むことを優先させなければならない。
「止めておけ。今はそれよりも、おぬしの言う嫌な気配のほうが大事よ」
 もちろんこの男の思い違いということもあり得るが、警戒は厳にして過ぎることはない。この普請には、万にひとつの瑕もあってはならないのである。
「あと考えられるとすれば、やはり上さまであろうか?」
 あくまでも風聞であるが、幕府は伊賀者の御庭番の他にも、剣術指南役である柳生の一族の者を諜者として使役しているとも言われている。一部では裏柳生などとも呼ばれているその者たちの、毛色の違いが藤七に嫌な気配を感じさせているということも考えられなくもなかった。
「それもなきにしもあらずと言ったところでしょうが……どうも済みませんね、曖昧なことしか言えなくて」
 藤七はそう苦笑して頭を下げた。氏勝は「……構わぬ」と首を振る。
「ともあれ今は、どうぞ気を抜かれませんようにとのみお伝えしておきまする。こちらも当分は、山下さまの傍に居りますので、何かおありの際は頼ってくだされ」
 そうさせてもらうとだけ答えると、藤七は音もなくふわりと立ち上がり、溶けるように夜の闇へと消えていった。何だかんだで、あの者とも長い付き合いである。腕前もそれなりに信頼してもいる。少なくとも、おのれの身辺については任せてもよさそうだった。
 

 
 鬱蒼とした木々の枝を、高野山の吹き下ろしの風がさざめくように揺らしている。その木々の合間には正円をわずかに欠いた月が浮かび、青い光でほとんど崩れかけたあばら家同然の庵を照らしていた。
 庵は無人というわけではなかった。その縁にはひとりの痩せた男が座り、月を見上げながら静かに酒杯を傾けている。老人であった。乱雑に結った蓬髪も、長く伸びた髭もすっかり白い。袖や裾から覗く手足も、枯れ枝のように痩せこけている。されど両の目だけは、月光を集めたように爛々と光っていた。
「五郎太石、というものを知っておるか、才蔵?」
 老人がぼそりと、闇に向かって呼びかけた。その声の先の叢には、いつの間にかぼんやりとした人影が跪いていた。
「巨石を積んで石垣を築く際に、最後に楔として埋め込む石よ。それによって石が堅く締まり、城の強靭な土台となるのだ」
 闇の中から応えはなかった。されど老人は、淡々とした声音で独り語りのように続ける。
「されど同時に、石垣の弱点ともなる。その五郎太石を除きさえすれば、堅固な石垣さえ崩れ去る。いとも脆く、な」
 老人はまた椀を傾けると、その手を月に向かって掲げてみせた。その目の先に、見えない石垣が高く聳えているかのように。
「さて……天下はますます静謐。されどその堅固な石垣の、五郎太石はどこであろうの」
 それでも必ずあるはずだ。老人はそう確信していた。もちろんこの石垣ははるかに複雑にして難解。場所だけでなく、時宜も大事である。ともすれば、おのれの命のほうが先に尽きるやもしれぬ。
 されど老人は絶望などしていなかった。たとえこの身が持たずとも、そのときは倅がいる。この十余年、手ずから磨き上げてきたおのが分身。必ずや、この意志を受け継いでくれるに違いない。
「静謐なぞまやかしじゃ。人は、そう簡単に変わらぬ。そのときまで精々、泡沫うたかたの夢を見ておるが良い……徳川内府よ」
 老人は呪詛のようにしゃがれ声でつぶやくと、低く、されど満足げに笑った。
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