背神のミルローズ

たみえ

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|急《まくあけ》

高貴な牡丹

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『――わたしころして』

 ……恐れていた事態が、ついに訪れてしまった。

「――オレ様がこれから紡ぐ凶帖にテメェらクソ魔女ども、まずは一人残らずその名を刻みやがれ!」

 そして不覚にも、あまりに突然訪れたに思わず反射的に抵抗して生じた短い動揺の隙をつかれ、あっさりと名をてしまった。不甲斐ない。
 咄嗟に近くに立て掛けてあったパイプ椅子の足に映った、歪んだ己の姿を確認――本来の赤みがかっていた瞳が、ミルローズの瞳と同じ紫に変化しているのが己が縛られた、その証拠だった。

「なん、どうし、わた、わたしは……っ」

 己が縛られたことよりも、突如もたらされた神の御告げの内容にぽたぽたと涙をとめどなく流し、無力と混乱ゆえに過呼吸に陥り唖然と絶望するカサンドラの瞳に表面上の変化は見受けられないが……それは単に、ミルローズがそうしているからに他ならないだけで、カサンドラの奥底の核もまた、牡丹と同じくしっかりと縛られているはずであった。
 ……そうする理由はきっと魔女の内でも特異なその力、利用し尽す心積もりだからなのだろう。憐れな……。

「では、後のことは任せますね」
「――ハッ、せいぜい高みの見物してやがれクソが!」
「はい、もちろんです。気を付けていってらっしゃい」
「らっしゃぁ~い」

 顔を顰めながら捨て台詞を吐いたミルローズが、鈴蘭様とディプラデニアの煽るような見送りに対し、更に顔を顰めてこめかみをぴくぴくと引き攣らせながらも無言で背を向け壁を破壊して飛び出していった。
 早々に脱落してしまった己の不甲斐なさにギリッ、と唇を噛み締め血を流す。

 ……分かっていたことだ。元より叶うはずもなかったのだ、と。
 神がアレを生む前よりも、ずっと前に覚悟していたことなのだから――。

「――さて」

 鈴蘭様が薄っすらと笑みを浮かべ、こちらに身体を向けた。

「カサンドラ。残念ですが、諦めて下さい。聞こえたでしょう? 神の意思を」
「はっ、はっ、はっ、でっ、ですがっ、わ、わたしっ、の、今までっ」

 荒れ狂う感情の処理が追い付かず、途切れ途切れに言葉を紡ぐカサンドラの姿はあまりに痛々しかった。
 魔女の誰もが諦念するなかで――それでもと、どうにかこの事態を回避しようと必死に方々駆け回り、最も尽力したのは間違いなくカサンドラだった。

「はい。ご苦労様でした。おかげで全くの無駄にはなりませんでしたよ」
「う、うそ、あな、あなたさまがっ!」

 その全てを台無しにしたのだ、と鈴蘭様を強く睨みつけて怒りをぶつけるカサンドラ。
 怒り一色に染まったおかげか過呼吸は落ち着き、しかしその声は絞り出すようにか細く震えていた。

「――違いますよ?」

 鈴蘭様が、カサンドラの恨みの籠った言葉へなんてことないように心外そうに首を傾げて否定した。

「私はむしろ、本来ならばとうに千切れていただろうか細い蜘蛛の糸を補強し、垂らしてあげたようなものです」

 ……何を言っているのか。
 情け容赦なくその頼みの糸を切ったのは――鈴蘭様のはずである。

「何を……あの娘がッ! してしまった時点で、全てが神へ筒抜けではありませんか……ッ!」

 カサンドラの言う通りである。先程の暴挙は、いわば事前に用意していた手札を全て曝け出して丸裸に剥かれたも同然の出来事であった。さらにいえば既に事態は始まってしまい――もう、抗うことは不可能だった。
 そういった最悪の状況に陥っているのだという絶望を込めて悲愴な声で訴えるように震えるカサンドラを一瞥し、鈴蘭様はにこにこと楽しそうに答えた。

「この導きは、必要な工程でした」

 ザァァァァァァ……――。……ガザニアの雨か。
 破壊された壁の外から響いてきた音と漂ってきた香に、陽気な魔女の姿を刹那に思い浮かべ――。

「――神をためには」
「「は?」」

 ザァァァァァァ……――。

 降り始めた雨音に紛れて聞こえてきた鈴蘭様の言葉の意味が咄嗟に理解出来ず、カサンドラと共に間抜けな声が漏れた。
 神を、……? 神とは死、そのもの。それを戻すとは、つまり――。

「はい。神をころすのではなく、――

 こちらが意味を理解して何かを言う前に、断定するようにを紡がれた。
 その意図する結末に理解が浸透すればするほど、何某かの否やを言えるような覚悟はみるみるうちに萎んでいった……――酷く最悪で不快な話だ。
 だが……。

「…………」

 だが、鈴蘭様の言葉にどうしようもなく納得――安堵、してしまった。卑しいにもほどがある。
 悲痛も嘲笑も浮かべられない。絶対に、浮かべてはならない。そのような権利は、無い。
 ――最低の愚物が! 何が守り人か! 何が高貴な牡丹だ、役立たずが!
 愚かにも最期まで選べず、結局は半端なままで見放すことになった、ただの屑野郎が……ッ!

「――ッ」

 内心で罵詈雑言吐いても狂気は永久に晴れないだろう――故にもはやこれまで、と心得た。
 神の意思に従いか、鈴蘭様に従いか。
 ……他の選択肢は、ここに至りて存在し得無い――無。

 濃厚な血の味を無理矢理飲み込み、己の無力を棚上げに苛立ち紛れので思わず鈴蘭様を睨んでしまったが、意にも介さず薄ら寒い笑みで軽くあしらわれた。
 歯牙にもかけない態度、それはそうだろう。何故ならば、鈴蘭様は選択なされた。そこが決定的にこちらとは丸きり違っているのだから――。

「そんな怖い顔をしないで下さい。あなたがたにとっては酷く救いのある、とてもマシな結末でしょう?」

 ――ああ、確かにマシな結末だろう。腹立たしいことに。
 血の味を無理に飲み込んだせいか、苦渋に喉の奥が灼け付くようであった。

「あなたたちには、そのためのとっておきで特別な役割を用意しました。おめでとうございます」

 パチパチパチ、と馬鹿にしたような声音で言いながら鈴蘭様が軽く指先を合わせて歓迎の意を表した。その態度からは、まるでこちらが絶対に断らないだろうという確信があるようだった。……否、確信しているのだろう。なにせ丁寧に、しかし巧妙にこちらを追い詰めた当人なのだから。
 鈴蘭様のことだ――確実に、碌な役割ではないだろう。しかし、全うすれば結果は伴う。

「――許容、できません……」

 苦し紛れの反抗か、役割について聞く前にカサンドラが唸るように虚ろな声を出した。
 ……その想いは理解出来るが、出来るが故に賛同は出来なかった。

「私はこれまで、最期の審判に間に合うようにと、ありとあらゆる準備を行ってきました……!」

 土壇場で全て台無しにされてしまいましたが、と苦し気にカサンドラが零す。
 当初は鈴蘭様も積極的に協力していたはずだった、それなのに一体いつ覚悟を決められていたのか……。

「生命の滅亡は、仕方ありません。なぜなら生命の自業自得から生じる必定の浄化なのですから。――ですが、生命のを贖う過程で神を失うわけにはいかない。それは本末転倒でしかないのだから」

 ――神を失うことと、生命が滅亡すること。
 それは同義になりえないし比較にもならない、比較すべきものではない。
 あまりに価値が違うのだ。

 今まで何の為の行動原理だったのかと、とうに無為に帰してしまったそれの確認をするように諦め悪く言葉を尽くしていくカサンドラの言葉はあまりに痛々しい。
 ……一瞬にして全て崩れ落ち去ってしまったのだという事実が、ひどく受け入れ難いのだろう。

「――全てを赦すには、神が足りません」

 ……故に細々と。
 どうにか猶予を稼ぐために数多の魔女を騙し騙し身代わりに献上し、裁きを遅らせようと試みた。
 発した言葉の裏に含まれた意味は、あまりに重かった――。

「それなのに神を、人として殺すなど……」

 ――あまりに、惨い。
 苦み走った表情には、続きを紡がずともそう書かれているようであった。

「――――」

 思わず、視線を逸らしてしまった。残酷であることは重々承知であったからだ。
 それでも――。

「……まだ、遅くはありません」

 話ながら思考整理して落ち着いてきたのか、息を整えつつカサンドラが往生際悪く言葉を絞り出した。

「あと少し……ほんの少しであっても、今からでもあの娘で足りるための猶予を――」
「あ。言い忘れていました。それ、どちらにしろ失敗ので」
「――――」

 ぱち、ぱち、とゆっくり瞬いてから、言葉の意味を理解して目を見開いたままカサンドラがぴしりと固まった。
 鈴蘭様が生まれる前より地道に積み重ねてきた、カサンドラの全てに対する容赦ない否定であったからだろう。

「カサンドラ、あなたには大役があります。神を、その役割が」
「な、……」

 絶句するカサンドラ。あまりにあまりな役に、はくはくと声にならない声が漏れるだけであった。

「そして、あなたにも大役があります。神を、その役割が」
「――承、知」

 ああ――どうしようも救いようが無い。最低な屑野郎。

「他の魔女には、その為の道具になってもらいますので。ミルローズが全て狩るまで、高みの見物です――いいですね、ラディちゃん?」
「はぁ~い」
「事前にお姉ちゃんが決めた通り、あなたは使い魔です。ここからは全てミルローズの指示に従ってください」
「へぇーい、ミルっち待ってまぁ~っす」

 今の今まで退屈そうに外を眺めていたディプラデニアが、鈴蘭様とのやり取りでにんまり返事して後、ぼやけて消えていった。
 ……次元の狭間に飛んだのだろう。流石は若くして頂点に君臨する魔女。あるべき痕跡がまるで見当たらない。神が使い魔に指定する根拠が垣間見えた。

「見て下さい。絶景ですよ」

 破壊された壁の向こう側を指さしながら、鈴蘭様が平然とのたまう。
 その他人事のような態度には、魔女らの足掻きをせせら笑うかのような侮辱が込められていた。
 気力を振り絞って立ち上がり、その光景を眺める。魔女らが、あまりに虚しい光景を。

「――――」

 皮肉なことに、早々に縛られたおかげで己はに動けるのだ、と染み入るように実感させられる、そのような空虚な景色であった。
 ――神が、本気で手心を加えてくるとは。零す息に、どうしようもない虚しさと安堵が入り混じってしまう。

「……惨害惨禍の惨い光景でござる故に」

 カサンドラには悪いが――堪えようとするだけ、己の卑しい心情を現すように歪んだ笑みが漏れそうになった。
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