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チョコくんのとろけた思考
しおりを挟む「っ……」
どぷっ、とジャムがマグカップの底に落ちていく。茶色、アカネ曰くチョコレート色のマグカップは、何度これを受け止めただろう。先ほどまで押しつけていた飲み口は、テラテラと透明な液体で光っている。
ふわりと鼻に侵入した濃厚な自分のにおい。生まれてからの付き合いであるので自身の体臭には慣れているが、これはわざわざ嗅ぐようなものではない。
「正気じゃないな」
そんなことは分かってる。でも、喜んで、幸せそうに口に含むアカネを見てしまえば、もうやめることなんてできなかった。毎日食べさせるって約束もしてしまったし。
己を知らずのうちに、取り込んでいくパートナー。少しずつそれはアカネの身体に馴染んで、最後は身体中をずっとぐるぐる回って支配し続けるのだ。
沸騰した水をマグカップに注ぎ、軽くスプーンで混ぜてテーブルの上に置いた。もうすぐ降りてくるアカネが飲む頃にはちょうど良い温度になる。
「……はぁ。よし、今日は……ん、果物でいいか」
ぶつけられない感情を抑えなければ。思考を切り替えて、アカネの朝食作りに専念することにする。
すでに私は朝食を食べ終わっている。アカネが食事をする私に「チョコくん……そんなに辛いものばっかり食べて唐辛子みたいなにおいになったら……おれどうしよう……」と言った日から、アカネの前で食べることは無くなった。まぁそんなことで、私の体臭は変わったりしないけど。悲しむ顔は出来るだけ見たくない。
それに、放っておいたら木の実しか食べないアカネの食事をサポートしなければいけない。ぴったりとくっついて、アカネの口に、栄養のある食べ物を入れるのだ。「からい、からい」と悲しむアカネは可哀想で仕方ないが、初めて出会った時のような骨と皮しかないような状態には戻したくないんだ。私なんかが食べている場合じゃないだろう。
この国ではデザートとして食べられている果物を、いくつか小さくカットしたのが今日のアカネの朝食。昨夜はびいびい泣きながら、魚を食べたので、栄養はそこまでないが、舌に優しい朝食にする。
どたどたという足音とともにアカネが現れた。寝起きのアカネも良い、ね。
「おはよう。チョコくん!」
「おはよう、アカネ」
ぎゅっと私の腰に抱きついたアカネはスースースーと私のにおいを嗅いでいる。
「ああ、良かった。今日もチョコくんはここにいる……」
可愛すぎる。普通の食べ物がまた食べられなくなる恐怖からか、アカネは毎朝私の存在を確認してくれる。
恋人同士になる前、アカネはこんな状態で、私から離れようとしていた。あのまま手放していたらアカネは今頃どうなってただろう。手が震える。恋人になれて、これから先もずっと一緒にいることができて、本当に良かった。絶対に離さない。
「ほら、アカネ。朝食を食べて」
「んー……」
ごしごしと目を擦るアカネの手を剥がしつつ、椅子に座らせ、口元に小さく切り分けた料理を運ぶ。
「おれ、先にホット・チョコレート飲みたい……だめ?」
「……そうだね。……冷めないうちに飲んで」
「ありがとう!……んぐ!おいしい」
飲み口に唇を付けて、ゆっくり口に入れた。とろんとしたアカネの表情にたまらない気持ちになる。
ドン引きされそうな行為を私はしてるが、私たち2人の関係は付き合う前からそれほど変わっていない。
付き合ってから一月が経った今でも、私たちはキスも性行為もしていない。私と出会う前はろくに食事ができなかったアカネは、今もまだ栄養が足りてなく、細すぎるからだ。明るい性格でいつも元気だが、健康とは言いがたい。無理をさせるわけにはいかなかった。キスなんてしたら私の我慢が……。
こんなに魅力的なのに襲えないというのは拷問に近いが、優しく世話してあげると気持ちよさそうにしている、可愛いアカネを壊したくない。
「……よし!チョコくん、ごはん食べさせて?」
アカネが普通に食事ができていたという、転移前の体重に戻るまで手は出さない。この私のルールをアカネに話してはいない。しかし、毎日体重を測り、風呂上がりに肉付きを確認してるせいか、アカネも頑張って食べようとしてくれている。
*
幼いころから、欲しいと思ったものは、頑張って自分で手に入れてきた。
特殊な体質で産まれた私に、家族は普通以上の愛をくれ、溺愛してくれた。もちろん、においが感じなかったわけではなく、アカネ曰く「あまいチョコレートのにおい」はしっかりにおっていた。
赤子の頃、双子である私の兄、カーティスが私が吸った後の母の乳を吸うのは嫌がっていたのはなぜかはっきりと覚えている……唾液が、不味かったのだろう。
それでも、母も父も、受け入れてくれた。私とそっくりな、カーティスは「見分けがついて良いな」と私を笑わせてくれた。今でも、年に一度は実家に帰るし、近くに住んでいるカーティスと頻繁に酒を飲む。家族仲は大変良好だ。
しかし、周りの反応は違った。「臭い」「近寄るな」……。
家族は恥じるべきではない、個性だと言っていたが、私は、幼いうちからにおい消しのソープ、強烈な香水、怪しげな薬……頑張って手に入れて片っ端から試した。
学べば対処法が見つかるかもしれないと思い、学校に通い様々なことを調べた。金さえあればなんとかなると思い、S級冒険者になった。結果、全てを隠してくれる「におい消しのローブ」に出会った。
長く続けた努力のおかげで、こんな体質であっても、周りの人達、友人がそんなことを気にせずに受け入れてくれるほどの実力を得ることができた。
それで良いと思っていたし、これが普通でこれ以上は考え付かなかった。自分のにおいは、良い匂いではないということは自分でも知っている。あの日、アカネを見るまでは、本当にそう思っていたんだ。
強い魔物に出会い、なんとか倒したが腹を切られて冒険者ギルドで倒れてしまったあの日。におい消しのローブを脱がされた私は、意識を手放しそうになりながらも周りの状況を何故か正確に把握した。
「臭い」「なんだこの匂いは!」……迷惑をかけて申し訳ない。そう思った。
1人の少年が目についた。ぼさぼさな黒髪と、ぎょろりとした黒い瞳、顔色も悪い。栄養状態が良くないのだろう、骨だけのような身体は今にも倒れそうだった。
弱っている少年には、私のこのにおいは毒だろうに、その目は飢えている獣のように私を見つめていて不思議だった。
まるでご馳走が目の前にあるような、アカネのとろけた顔は一瞬で私を虜にしたのだ。
勘違いかと思ったがそんなことはなかった。ふふん、私に良いにおいなんて言ってくれる人がいるなんて。この子は、絶対に手に入れよう。
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