エスタシオン

野々峠ぽん

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一章

10,惨劇①

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「兄上! 姉上!」

 大庭園を揺るがす轟音の直後、ユリウスとジューンは血相を変えて駆け出した。
 しかし、もうもうと立ち上る粉塵に視界が遮られ、兄姉の安否がわからない。ユリウスは鼻を利かせ、利かぬ視界の中周囲を探った。すると、なにか人影が動くのを発見する。

「兄上、姉上! ご無事かっ?」
「お義兄さま、お義姉さま!?」

 叫ぶように尋ねると、バサリ! と大きな羽音と共に、強い風が巻き起こった。
 ゴウ、と旋風が土埃を吹き散らし、一瞬にして視界がクリアになる。
 目前に現れた光景に、皆息をのんだ。
 タイロスの拳は、庭園の地面を深々と殴り割っていた。壊れた石畳が高く積もり、粉砕された大地から土埃が立ち上っている。拳が深く突き立ったすぐ側に、間一髪逃れたらしいオーガストがアプリリスを抱えて膝をついていた。

「兄上! よかっ――」

 ユリウスが駆け寄ろうとすると、オーガストは厳しく制止の声を放つ。

「ユリウス、来るな!」

 オーガストは、両翼を二、三度強く震わせ風を起こし、周囲の粉塵を払う。
 さらに明らかになる視界に、タイロスが巨大な背をめきめきと軋ませ、逆の腕を振り上げるのが飛び込んできた。周囲の貴族たちは悲鳴を上げ、一斉にどよどよと後ずさる。
 ユリウスは、咄嗟にジューンを抱え後方に思い切り跳躍した。
 すぐさま、長大な腕を鞭のようにしならせ、周囲を払うような一撃が来る。
 再び、庭園に轟音が響いた。凄まじい破壊音を立て、テーブルが、木がへし折られ粉砕される。
 ユリウスは地面に深く身を伏せ、難を逃れた。腕の下でジューンが苦しげに呻き、身じろぎする。

「ジューン、平気か?」
「痛ったた――うん、大丈夫」

 ユリウスは、すぐに立ち上がろうとするジューンを押し留めつつ、周囲の様子を窺う。思い切り踏み切ったので、タイロスからかなり遠ざかったようだ。
 庭園は酷い有様になっていた。地面は抉られ、木や花は無残に折られ、破壊されたテーブルや装飾は瓦礫と化している。貴族たちは悲鳴を上げ逃げまどっていた。衛士達が彼らを避難させようとするが、混乱状態にある人々を制御することが出来ない。
 そこに、さらに二撃目が振り下ろされる。
 グシャリ、と柔らかいものが潰れる音。
 再び持ち上がったタイロスの拳は、真っ赤に染まっていた。

「うっ……!」
「見るな!」

 隣でジューンが口を押えてえづいた。咄嗟に、ユリウスが手のひらで彼女の目を覆う。

「何よ、これっ……! お義兄さま、一体どうしちゃったのよ!?」

 ジューンが動揺も露わに叫んだ。ユリウスも、今にも駆け寄ろうとするジューンを抑えながら、静かに動転していた。
 兄が人を殺してしまった――その大それた事実を、受け止められない。

「ユリウス! ジューン!」

 より酷くなった喧噪の中、その声は凛と響いた。
 バサリ、と大きな羽音の後、目前に兄が舞い降りた。両腕にアプリリスとセレニアを抱えている。

「オーガストお義兄さま!」

 ジューンが目を輝かせた。オーガストは腕に抱えていた二人を下ろすと、真剣な目で三人に指示をした。

「アプリリス、三人を守ってここからすぐ逃げろ。ユリウス、ジューン、絶対に姉から離れるなよ」
「オーガストお義兄さまはどうするの? タイロスお義兄さまも――」
「俺は、この場を治める――心配するな。兄上のことも傷つけたりしない」

 オーガストは、皆を安心させるように笑った。アプリリスは、その場に残りたそうな顔をしたが、飲み込んで力強く頷いた。

「……わかりました、兄上。ご武運を」
「頼むぞ、妹よ」

 オーガストが両翼を一度強く躍動させると、すぐに宙に浮かんだ。そのまま行こうとして、一度振り返る。

「セレニア、無事で。婚儀の日に、こんなことになってすまない」

 美しい女は答えず、不思議そうな目で夫を見た。オーガストは少し苦笑すると、今度こそ飛び去っていく。

「兄上!」
「お義兄さま、帰ってきてね!」

 騒ぎの渦中へ飛ぶオーガストの背に、弟妹は声を上げた。アプリリスは、きっと眉を吊り上げて三人の背を叩く。

「では、行くぞ。我らが兄上たちを煩わせるわけにはいかぬ!」




 中王宮の衛士達は、平和に慣れており急な修羅場に浮き足だっていた。混乱はますます酷くなり、周囲に土埃と血の匂いが充満していた。
 タイロスは這いずりながら、腕を振り回し周囲を破壊し続けている。その体の下に、逃げ遅れた令嬢が一人動けなくなっていた。

「助けて!」

 必死の声で手を伸ばす令嬢を救出しようと若い衛士が巨躯に潜り込んだ。その直後、急な方向転換をした巨体が二人の体に圧し掛かる。ぼきぼきめりめりと身肉を磨り潰すような音と、凄まじい悲鳴が周囲に響いた。

「ああ、なんと浅ましい……! 衛士は何をしておる? はようあの化け物を抑えぬか!」
「お、お声が高うございますぞ。あれは、王太子――」
「何を言うか、あれがこの国の王太子のはずがなかろうっ? あれを見よ!」

 惨状にわめいていた老齢の貴族が、若い貴族に唾を飛ばしながら、杖でタイロスを指し示した。
 タイロスの背に、巨大な丸い瘤が浮いている。その瘤がめこりめこりと音を立てる度、巨体がますます巨大さを増した。
 タイロスの骨は瞬く間に成長し、その速度に追いつけなかった皮膚がブチブチと音を立てて裂けていた。夥しい血液が糸の様に素肌を伝い、破れて襤褸くず同然の衣を赤く染めていた。
 痛みに呻くこともなく破壊を続ける姿は、化け物としか言いようがない。

「それに、あの”痣”を見よ! 王太子は咎者ではなかった筈だろう!」

 老齢の貴族が叫んだとき、上体を起こしたタイロスが腕を高く振り上げる。巨大な腕がしなった瞬間、露わになった胸元をびっしりと覆う錆色の痣が見えた。ドン! と重い音を立て、彼らの頭上に拳が振り下ろされる。

「いやぁぁあ、これはこれは! なんと恐ろしい光景か!」

 ひょこひょこと瓦礫と死体の間をつま先立ちで行きながら、レイガ・ゲンマが陽気な声をあげた。タイロスの背後に陣取ると、目を輝かせた。

「なんという破壊力、なんという肉体の頑強さだ! それにあの骨の伸びる速さと言ったらどうだ、まるで夏場のきゅうりのようじゃあないか? 素晴らしい、これが巨人族の真なる力か。おお見よノイマン、あの凄まじい痣を。あれぞまさに咎の証だ!」
「御前、あまりはしゃがれますな。彼は存外耳が良い」

 ゲンマ氏は子供のようにはしゃぎながら、蛇のような青年――ノイマンを振り返った。対するノイマンは沈着な物腰で、主を背に庇いタイロスの挙動を見極めていた。
 彼は、タイロスの肩がピクリと動いたのを認め、主を抱え横っ飛びに飛びのいた。直後、さっきまで立っていた場所が吹き飛んだ。ゲンマ氏は、お付きの肩越しに目を出して、歓声を上げた。

「おお、おお。これが咎者か、私が見たくてたまらなかった! しかも、どうもあれは「レムリス」だぞ。こんな形でお目にかかれるとはなあ」

 ゲンマ氏は、興味深そうにタイロスを観察する。周囲を衛士や貴族が慌ただしく行きかうが、お構いなしである。

「御前」
「ん?」

 ノイマンが静かに上空を指し示すと、ゲンマ氏は素直に目を上げた。
 すると、夜空を燦然と輝く金の翼が、大きく旋回しながら降りてくるところであった。

「おおぉ! 婿殿!!」

 ゲンマ氏は歓声をあげた。
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