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3色:蒼天の露草色
5.雨色、涙色
しおりを挟む「あ、今日も来てたんだね」
教授のお使いで、図書館の資料室に論文を探しに来たおれは、藤棚の下のベンチに座り足をぶらぶらと揺らしている女の子の姿を見つけた。今日は学校帰りなのか、洒落たステッチの効いた、ワイン色のランドセルを背負っている。
蘇芳に会いに来たのだろうが、周囲を見回してもその姿はなかった。午後の最終の講義の終了にはもう少し間がある時間帯だからだろう。ぱらぱらと降り出した雨も気にかかり、思わず声を掛けると、女の子はどんよりとした空を眺めていた目をこちらに向けた。なんだか少し、元気がなさそうだ。
「こんにちは」
にこりと微笑んで、彼女の方に向かって歩いていく。女の子はおれの顔を見てほっとしたように表情を緩めた。
「蘇芳……絵の上手なおにいちゃんを探しに来たんだよね。もう少ししたら来るんじゃないかな」
蘇芳がどの程度この子との関わりを持っているのか、今日もまた「絵を教える」つもりなのかはわからないが、どのみち講義が終わればこの道を通って帰るはずだ。何もなければ基本は真面目に授業にも出ているらしい「優秀な」後輩だから、たぶん大丈夫だろうと思いながらそう言ってみた。
「うん……」
そう答える女の子の表情はやはり沈んで見える。おれはベンチの前に屈んで、女の子に視線の高さを合わせた。
「どうかしたの? 元気がないみたいだけど」
女の子は正面に屈んだおれの目をじっと見る。そこに何かの目印を探すように。しばらくすると、少し表情が柔らかくなり、瞳にも力が戻ったように見えた。
「……雨が降って来たなと思ったら、なんだか悲しくなっちゃったの」
ぽつりとそう呟く。小さな雨粒が白衣の肩を濡らしていくのを感じながら、おれは首を傾げた。
「……悲しく? それは、どうして?」
「…………わからない」
女の子は困惑したように首を振る。膝の上に置いてあるスケッチブックの上で、小さな掌をぎゅっと握りしめて俯いた。
「彩さん」
後ろから声を掛けられ、振り向くと講義棟から出てきた蘇芳が数人の友人とこちらに歩いてくるところだった。蘇芳はおれの傍で俯いている女の子に気づいたのか、一緒にいた友人たちに「先行っといて」と簡潔に伝え、こちらに視線を向ける。
「どうかしました?」
「……いや、たぶんおまえを訪ねてきたんだろうけど、なんか様子がおかしいというか……元気がないんだ」
「……? おまえ、今度は晴れた日に来たいって言ってなかったか? 晴れた日の風景を描いてあげたいって」
蘇芳はそう言って、おれの隣に屈みこみ、女の子の表情を覗き込んだ。蘇芳の問いかけに顔を上げた女の子は、不思議そうに首を傾げる。
「……うん。でも、どうして晴れた日の景色を描きたかったんだろう……?」
帰り道を失った迷子のように、不安げに呟かれた言葉に、蘇芳は微かに眉をひそめた。
「…………そのスケッチブック、見せてもらっていいか? 今日描いてたページはどこだ?」
蘇芳がそう尋ねると、女の子は膝に乗せていたスケッチブックの真ん中あたりのページを開いて見せた。藤棚の屋根から落ちた滴が、厚めの画用紙の上にぱたりと落ちて弾かれる。蘇芳の肩越しに手元を覗き込んだおれは、意外な「色合い」に目を瞠った。
このベンチから見える風景は、レンガ色の広場と、その周囲を彩る青紫の紫陽花の植え込み。あまり手入れが行き届いていない花壇には、紫陽花の葉陰に守られるようにして露草などの野の花も生き生きと咲いている。少し先には、今はもうすっかり緑色に衣替えをした桜並木。午後最終の講義も終わった、こんな雨の夕方にはもう学生の姿もなく、しとしとと降る雨音だけが響いている。
女の子の描いた絵には、そんな何気ない風景が、とても丁寧に描かれていた。拙くも優しい輪郭で描かれた紫陽花の花は、ひとつひとつの花弁まで柔らかく揺れるようである。しかし、その生き生きとしていたはずの風景は、なぜか掠れたような黒の色鉛筆で塗りつぶされていた。
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