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とある公爵家侍女の生涯
エピローグ:王子妃になる覚悟はよろしくて?
しおりを挟む「侯爵家令嬢アリアンヌ!」
ルテティア国立学園の卒業パーティー。国王陛下ご夫妻の祝辞や学園長挨拶も終わり、陛下ご夫妻がご退席されて卒業生や在校生、父兄らがダンスや歓談に興じ始めたそのタイミングで、その大きな声は響きわたった。
「はい、こちらに控えてございます」
侯爵家令嬢のアリアンヌが進み出る。彼女の視線の先には、最奥の一段上がった王族席に仁王立ちになる第一王子フィリップ。
アリアンヌの婚約者だ。
アリアンヌはこの卒業パーティーが終われば新3年生となる15歳。そしてフィリップは今年卒業を迎える16歳だ。
「フィリップ殿下、改めてご卒業おめでとうござい──」
「そんなことはどうでもいい!」
アリアンヌの祝辞をフィリップが大声で遮った。
彼の隣には、なぜかひとりの令嬢の姿がある。
「そなた、このエロイーズを虐めたであろう!」
突然始まったフィリップによるアリアンヌへの糾弾。アリアンヌは困惑し、周囲は戸惑い、ざわつき、だがフィリップは意に介さず忌々しげにアリアンヌを睨めつけ、エロイーズの腰を抱く。
エロイーズが俯いて顔を隠しながらも、アリアンヌに対して勝ち誇ったような笑みを浮かべたのがアリアンヌには見えてしまった。
「わたくしには身に覚えがございません」
「言い逃れなど見苦しい!すでに証拠も、証言も上がっておるのだぞ!」
そうしてフィリップはアリアンヌの“罪状”を述べる。
曰く、エロイーズの私物を隠し、取り巻きに嫌味を言わせ、階段から突き落として害そうとした。それでもなおエロイーズが意に沿わぬため、このパーティーのさなかに彼女のドレスに故意にワインを溢してフィリップと踊れないよう仕向けた、と。
アリアンヌに思い当たるのはワインの件だけだ。だがそれも、彼女が呼んだ給仕から受け取ろうとしたワイングラスを給仕が渡し損ねたせいである。
アリアンヌはチラリと周囲を見渡した。その視界の隅にニヤニヤと嫉妬と悪意の視線を感じ、耳の端に冷笑と侮蔑の囁きを捉え、彼女はようやく嵌められたのだと思い至った。
「お聞きくださいませ殿下──」
「言い訳など聞かぬ!」
フィリップはアリアンヌの言葉を遮り、エロイーズの柔らかな腰をより強く抱く。彼女を守ろうとするかのように。
それに合わせたフリをしながら、エロイーズがその豊満な胸をフィリップの胸板に押し付けたのがはっきりと分かった。
「浅ましくも嫉妬して下級生を虐めておいて、罪を認め大人しく反省するどころか開き直るなど言語道断!そなたのような悪女を我が妻として王族に迎え入れることなどできぬ!
よってそなたとの婚約をここに破棄し、新たにこのエロイーズを私の婚約者とする!」
フィリップはそう一息に言い切った。
そして言ってやったぞとばかりに誇らしげに胸を張る。
「そういうことですの。残念でしたわねアリアンヌ様、殿下は可愛げのない貴女様よりもわたくしをお選びになったの。悪く思わないでね」
もはや勝ち誇った顔を隠しもせずに、フィリップの腕の中からエロイーズが宣言した。
「本気で仰るのですか殿下。エロイーズ嬢は男爵家のご令嬢、王子妃教育も受けておらぬはずですが」
「そんなものは!これからやればいい!」
「ですが!」
「くどい!」
「わたくし、愛するフィリップ様のためなら王子妃教育も苦になりませんわ」
「陛下はこのことを、お許しに?」
「私は王太子だぞ!私の決めたことだ、陛下もきっとお認めくださる!」
フィリップは第一王子だがまだ王太子ではない。にも関わらず、彼は立太子が既定路線だとばかりにまだ許されてもいない地位を僭称したのだ。
そのことにアリアンヌの心胆が冷えた。もしこれが陛下のお耳に届けば、間違いなくフィリップ様もエロイーズ嬢も罪に問われてしまう。
どうすれば、どうすれば丸く収まるのか。
このままでは自分も殿下も破滅する。
第一王子の婚約者に選ばれて5年、自分はともかくこんな形で第一王子を失うのは国家の損失以外の何物でもない。
だが、アリアンヌには妙案が浮かばない。疎まれていることは薄々分かってはいたが、まさかこんな最悪のタイミングで婚約破棄などと言い出して、しかも冤罪のでっち上げに僭称まで付いてしまって、もはやアリアンヌの手に負える事態ではなくなりつつある。
手足が冷える、喉が渇く。絶望がアリアンヌの心を支配してゆく。
ああ、オーレリアお母様。どうかわたくしに知恵を、この場を収める妙案をお授けくださいませ!
「これから王子妃教育をお受けになる、と聞こえましたが?」
その時、よく通る冷ややかな声が場の空気を切り裂いた。
声のした方に一同が思わず顔を向ける。大広間のバルコニーに面した大きな窓のそばに、その人物は立っていた。
飾り気の少ないながらも上質なロングドレス。気品溢れる佇まい。スッと背を伸ばして、両手は軽く曲げて腰骨の前で重ね、真っ直ぐにフィリップと、その隣のエロイーズを見つめている。
「なっ!?」
フィリップの顔が驚愕に歪む。
「学園長先生!」
救いの神とばかりにアリアンヌの声が弾む。
先ほど陛下ご夫妻とともに広間を後にしたはずの、学園長がそこに立っていたのだ。
「お話は聞かせて頂きました。フィリップ殿下」
冷めきった声で学園長はフィリップを呼ぶ。
「アリアンヌ様との婚約を破棄され、そちらのエロイーズ嬢を婚約者とする。二言はありませんね?」
「あ、あるわけないだろう!」
学園長の視線に気圧されながらもフィリップは声を張り上げる。幼い頃から教育係としてずっと師事してきた、この女性がフィリップはどうしても苦手だった。それがまさか、卒業を控えた去年の暮れに突如国立学園の学園長に就任してしまうとはなんたる不運。
できれば彼女に知られる前に全部終わらせたかったのに。だが聞かれたからには勢いで押し切るしかない。
「よろしい」
学園長は真っ直ぐ背を伸ばしたまま直立し微動だにしない。ガリオン王国の誇る四大淑女のひとりと称される完璧な所作は、歳を経てなお彼女を美しく際立たせていた。
「エロイーズ嬢も、王子妃となるお覚悟がお有りなのですね?」
「えっ………?は、はい………」
なにを聞かれたのか分からないまま、エロイーズは頷くしかない。
1年生のエロイーズは今まで学園長と直接話したことなどほとんどなかった。だから学園長の白銀の瞳に見据えられて、慄き圧倒され翻弄されるばかりだ。いま彼女が立てているのは、単にフィリップの腕に抱かれて支えられているからに過ぎない。
「では──」
スッと学園長の背筋が整う。
それまでも完璧な姿勢だと見えていたが、どうやら学園長はこれでも楽な姿勢を取っていたらしい。
そして学園長は壇上のふたりに静かに言い放ったのだ。
「一度、お試しで受けてみられますか?“王子妃教育”を」
《fin.》
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