ただ生きたいだけなのに

とき

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春の風とどこ吹く風

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 あれから数ヶ月が経った。
 未梨亞は相変わらず愛良の家に居候しているが、ためたバイト代で声優の養成所に入った。
 夢に向けて歩き出したのだ。
 いつまでここに居座る気なんだろうと愛良は思うが、しばらくはここのままがいいとも思っていた。

「んー、いまいち盛り上がりに欠けますね。あんまりキャラに感情移入できないんですよー。はっきり言って、全然面白くないです」

 未梨亞はタブレットを愛良に返す。
 タブレットには、取り込んだ愛良の小説が入っている。

「ひどっ……。なんかフォロー入れてくれてもいいじゃない」
「率直な意見が欲しいって言ったじゃないですかぁ」

 確かに愛良はそう言ったのだが、そういうことじゃない。

「まあ、考え直してみるよ」

 愛良も、夢に向けて歩き出している。
 ようやく自分の考えたストーリーを小説にすることができた。未梨亞に読んで感想をもらったのだが、完成にはまだ遠かった。
 素人の小説を読んで感想をもらう機会は少ないので、気兼ねなく頼めて、気遣いなく感想をくれる未梨亞は貴重だった。
 それに意見をもらうほうも、あまり落ち込んだり怒ったりせずに済む。これも一緒に住んでるからできる距離感だと、愛良は考えていた。
 いずれ賞にも応募してみたいし、そのストーリーを未梨亞が声優として演じることができればと、妄想もしてしまう。
 夢のまた夢の話だが、それは承知の上。自分のペースで進めていくつもりだった。

「それより、結婚式に着ていく服は決まったんですか?」

 結婚式は当然、愛良のではない。由真のだ。

「せっかくだから新しいの買うことにしたー」

 人生何かあるかもしれない。そう思ってお金は残しておく主義だったが、最近は欲しいものがあれば、すぐ買うようにしていた。
 お金にはそれほど困っていないので、欲しいものは我慢するより、手に入れるほうが、何倍も自分のためになると思ったのだ。

「未梨亞こそいいの? 実家帰らなくて」

 未梨亞の母がいよいよ再婚するのだ。式は挙げないようだが、身内の挨拶ぐらいのパーティーは考えているようだった。

「いいんです。今の状態では会わせる顔がありませんから」

 未梨亞の母はちゃんと仕事に就けと言ってきた。ならば、ちゃんと声優に舞い戻って、安定してから会ったほうが、いろんな意味で良いと思ったのだ。

「名字は変わるの?」
「変わらないですよ。親と子は独立してるんです。申請したら変えることもできますけど」
「へえ。未梨亞って名字、不破なんだよね」
「そうですけど?」

 いつも下の名前で呼ぶので、名字はあまり親しみがなかった。

「ふわふわしてるから、っぽいよね」
「ええっ……。今さらクソギャグですか……」
「クソ言うな」

 愛良は未梨亞の頭をはたく。

「いやほらさ、どうして未梨亞って名前なんだろうと思って」
「変な名前ですもんね」
「あたしが言うのもアレだけど、外国語名に漢字を当てた名前だよね」
「そうですねー。恥ずかしいなぁって思った時期もあります」
「不破未梨亞、ふわみりあ、ふぁみりあ……。ファミリアなんじゃないかなって」
「ファミリア?」
「スペイン語で家族のこと。英語だとファミリーだね」
「え? クソギャグ……?」

 未梨亞はひどく嫌そうな顔をする。
 愛良は再び未梨亞の頭をはたく。

「ちゃうわ。ほら、未梨亞のご両親は、そういう意味を込めて名付けたんじゃないかなーって」
「むうう……。その可能性もありそうで、否定できないのがちょっと悲しいです……」

 未梨亞はひどく不服そうな顔をする。人の名前で遊ばれるのは納得いかないのだ。

「まあまあ、愛があったんだと思うよ」
「そうですかねえ……」
「あと英語にも、ファミリアって単語があって、それは親友っていう意味」
「親友……」
「いい言葉でしょ?」
「はい! なんだかいい感じがしてきました!」

 未梨亞はコロッと態度を変える。

「あの親につけられたのは納得いかないですが、愛良さんに言われたら悪い気しないです! 愛良さんの名前は、その名の通り、親の愛がいっぱい詰まってそうですね!」
「ははは……」

 なるほど。人に名前を褒められるのは恥ずかしいが、嫌な気はしない。
 自分の名前の意味も、どう捉えるか自分次第なのだ。

「これからもよろしくね、ファミリア」
「ン……。やっぱやめません、それ……」

 未梨亞の顔がすごく怪訝になる。

「えー、可愛いのに。ファミリアには使い魔という意味もあるんだよね」
「私はペットですか……」
「そうでしょ? お金と世話ばかりかかる」
「ひどいっ!」
「あはは」

 ペットの犬や猫のように可愛い、というのは同い年の女として言わないでおく。

「でも、愛良さんに拾ってもらえてよかったです」
「なにそれ」
「店長が言ってたんですけど、古本は読んでほしい人の手に渡ったときに価値が出るって」
「へー?」
「中古の未梨亞は、愛良さんに拾ってもらえました」
「えー。生々しいんだけどー」

 別に未梨亞を中古だと思ってないし、飼っているつもりもない。今はよきパートナーだ。

「けど、巡り合わせとしては最高じゃないですか? 夢を失った夢追い人が出会い、再び動き出すんです」
「ン」

 出会えてよかった。そう思うのは愛良も同じだ。
 諦めていた夢を追いかけるきっかけと勇気をくれた。

「そうかもね」

 夏目漱石の『こころ』はただのバッドエンドではない。先生の自殺によって、明治時代、明治の精神の終わりを示しているという。
 理屈やポリシーを掲げることによって、人間は人間らしい姿を作り出すことができる。しかしそれは同時に自分を縛り付けて、抑えきれないエゴとの共存に苦悩させられる。
 そんな時代は終わった。

「やりたいことを胸張って邁進できる時代になったんだ。誰になんと言われようと、好きなように意味を結びつけて、自分が生きやすいようにすればいい」
「ほえ?」
「好きなことやれってこと」
「はい、そうですね!」

 未梨亞は意味も分からないまま同意する。

「今日は豪華ディナーにしようか?」
「いいですね! 中華にしましょう!」
「ええ? 中華? 前も肥後さんにおごってもらってたじゃん。別のにしようよ」
「絶対中華です。すべての道は中華に通ず、って言いますもん」
「それ違うから……」

 すべての道はローマに通ず。
 目的までの手段や方法はいくらでもある。

「次は絶対イタリアンだからね」

 途中で立ち止まろうが、回り道しようが、目指すべき場所は変わらないのだ。
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