ガチャ上の楼閣 ~ゲーム女子は今日も寝たい~

とき

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 確定したプロットはだいたい次のような感じである。

 ある日、主人公は現代日本にそっくりなパラレルワールドに飛ばされてしまう。
 そこで謎のメカに襲われる。
 窮地に巫女の姿をした少女が現れ、英結を召喚して戦わせた。
 彼女の名はメイ。英結を感知できる不思議な力を持っている。
 英結とは日本各地に根付いた神様で、認めた人間に力を貸してくれる。
 主人公はメイと一緒に、各地を回って英結を仲間にしつつ、神出鬼没のメカと戦うことになる。

 ……という話なのだが、メカがいったい何者なのかは設定が存在しなかった。
 いろいろ揉めたあげく、あとで決めればいいということになり、そのままになっている。
 天ヶ瀬曰く、「ファンタジー作品で、なぜモンスターが存在しているか、どうやって生殖してるかなんて語られることはほとんどない。だからわざわざ設定する必要はないんだ。途中でいい理由が思いつけば、そのときにそれを書けばいい」ということだった。
 謎のメカだと見た目的に感情移入できないのではと、生駒が強く主張していたが、そこはグラフィッカーチームのデザイン班がなんとかするということで落ち着いた。後回しになっているのは恐ろしいが、畑違いのことなので文見は何も言えなかった。そこらへんは文見も天ヶ瀬も、一回絵を見てみないことには判断できないのだ。正直、その判断が正しいと思えなかったが、いったんその流れになってしまっては、文見ではどうしようもない。
 また、もともと敵も英結を使ってくるので「英結対決が熱い」というのを想定していたが、敵が謎のメカになったのでその話をできなくなってしまった。
 メカはしゃべれないので、戦闘の前後で敵と会話したり、熱い関係が築かれたりしない。
 代わりに味方側に英結を使うキャラを増やした。美少女キャラたちが主人公のライバルとして登場する。いわゆるハーレムストーリーだった。
 これは生駒の案だった。美少女キャラがたくさんいたほうが人気が出るに決まっているので、社長も賛同している。
 いろいろ妥協してきたが、文見はどうしても「リメインズエナジー」という用語は残したかった。自分が設定したものの中でも、よくできた設定だと自信があったのだ。
 だが、ややこしくなるというのでダメだった。
 説明しにくい設定も、この不思議なリメインズエナジーを使えばなんとなく説明できると主張したのだが、「なぜ説明しにくいのか。ちゃんと説明すればいいだけでは」と正論を言われて、言い返すことができなかった。
 あまりにも力不足で悔しかった。
 その後、何度も思い出しては枕を涙で濡らすことになったが、もう終わったことである。




 長いやり直しを乗り越え、ようやくシナリオの実作業に入っていく。
 4月にシナリオ班に任命され、もう8月になろうとしていた。予定より二ヶ月は遅れてしまっている。
 ゲームのリリースは来年の12月に設定された。途中、アルファ版、ベータ版といった社内でゲームの面白さを確認するための工程を乗り越え、完成を目指すことになる。
 文見の作った設定に従って、他のパートが作業を行い、ゲーム画面やキャラを作成したり、フィールドの移動、戦闘、キャラの成長といったサイクルを組み込んだりする。そこで問題ないとされたら、ベータ版へと進め、どんどんゲームに様々な要素が組み込まれていく。
 文見に効率なんて考える余裕はなく、迷惑かけてきた分、他のパートのために無我夢中で尽くしていった。
 どのように進めていいのか分からなかったが、目につくものから作業を始め、「これを決めてほしい」「あの資料作って」と言われたものを片っ端からこなしていく。
 キャラについて説明したり、どんなモチーフにするか議論したり、なんだかんだで会議が多く、手帳が会議だらけになる。やり手のビジネスマンになったようで、ちょっと嬉しかった。
 大きい会社であればだいたいルーチンが決まっているのだろうが、ノベルティアイテムにはそれがまったくない。ノウハウ自体は井出が持っていたが、共有されることはなかった。こういうのは文字にしてマニュアル化するか、OJTのように一緒に仕事をして覚えるしかなさそうだ。でも今はそんなことできないので、体当たりで覚えていく。
 一方、新プロジェクト本格始動ということで、派遣社員を雇い、メンバー増強が行われた。
 それに伴い、オフィス内での席替えが行われ、大きく分けて「エンゲージケージ」チームと「ヒロイックリメインズ」チームにまとめられた。
 これまで文見の隣は久世だったが、今は木津がいて、反対側は新人の門真(かどま)だった。
 門真は文見の下につき、シナリオパートを補助してくれることになった。
 文見のはじめての部下である。

「先輩、何をすればいいですか?」

 先輩という言葉がむずがゆく感じる。
 これまで完全に下っ端だったので、しっかりしなくては気が引き締まるところもある。
 門真は第二新卒の24歳。新卒でどこかに就職したあとすぐにやめて、今年、ノベに転職してきた。
 私服勤務ということもあって、門真の見た目は完全に男子大学生という感じだった。
 というより、秋葉原によくいるアニメオタク。
 もともとアニメやゲームが好きで秋葉原にはよく通っていたらしいが、職場も秋葉原となり、仕事でそこにいるのか、プライベートなのかまったく分からない格好をしている。

「んー。とりあえず、資料を読み込んでおいて。何か分からないことあったら、すぐに聞いてね」
「了解です」

 相手は新人だから仕事内容をほとんど知らない。でも、シナリオ業務は文見も知らないことばかりで、とっさに何の仕事を与えればいいのか分からなかった。
 仕事はとうてい一人でこなすことはできないので、うまく分担できるように切り分けないといけない。
 やはりメインストーリーは本作の軸になるので、自分で書かないといけないだろう。とすれば、門真に任せられるのはサブストーリー。
 サブストーリーはある程度プロットが作ってあり、それに合わせてシーンを書き進めればいいだけだ。サブキャラの設定がまだ緩かったり、キャラデザインが出来ていなかったりするので不安はあるが、任せるならその調整ごとお願いしたほうがよさそうだった。

「……それにしても」

 門真が資料に目を通しながら言う。

「遺跡の擬人化ってやっぱ微妙ですね。売れるんですかね?」
「あはは……」

 もはや言われ慣れたコメントである。
 悪気がないのは分かっている。新人らしい素朴な疑問だ。

「割と遺跡にも、擬人化にも需要あるんだよ。あとはあたしたちのシナリオ次第だね」

 今さら擬人化について言われても傷ついたりしない。というよりも、すでに傷だらけ。

「シナリオって書いたことある?」
「あー、高校のとき、ちょっと小説を書いてたぐらいですね。二次小説みたいなもんですが」
「えー、すごいじゃん。あたしは全然やってなかったよ」
「いえいえ、全然ですよ。完全に素人なので、いろいろ教えてもらえると助かります」

 門真はおごらない素直のタイプのようだ。
 しかし門真がどれくらい文章を書けるのか分からないので、どのぐらい当てにしていいのか見当がつかない。
 まったく書けなかったら、ただでさえ遅れているのだから、今後さらに大変なことになる。社長にもっとシナリオに詳しい人を入れてください、と文句を言わないとダメだろう。
 だが、自分よりも遙かに才能があったら、先任として立つ瀬がなくなってしまうので、それはそれで困る。
 また、これまで部下を持ったことがなかったので、先輩として指導できるのかも不安になる。
 相手は社会人として経験が浅く、シナリオも詳しくないとなれば、しっかりとした指導が必要だ。どのように教えようかと考えるが、前提知識として必要なものが多すぎて、それを説明しているとなかなか実作業に届かない気がしてくる。
 悩ましいことばかり。正直、面倒だなと思ってしまう。
 仕事マニュアルがあれば「これ読んどいて」と言えるが、そんなものはないし、これから用意するのも非常に骨が折れる。
 もしかしたら、井出はこういう事情があって、他の人にシナリオを任せないのかもしれない。教える時間があれば自分で書いたほうが速いのだ。
 実際、日中はほとんど仕事にならなかった。門真の世話と会議出席で終わってしまう。
 夕飯を食べてからがプライベートタイム。
 プライベートといっても、余暇ではなく仕事だ。

「さて夜の部、始めるか!」

 一年目ということで新人にはあまり残業させてはいけないことになっている。まだ頼めることも少ないので新人には定時で帰ってもらい、イヤホンをして好きなゲームのサントラを聴きながら、ひたすら自分の作業をする。
 当面はメインストーリーの脚本をやる。これがなければゲームにならないし、他のメンバーがどういうストーリーなのか把握するためにも、できるだけ早く完成させておきたい。
 とはいえ、そう簡単には進まない。
 文見も本格的なシナリオを書くのは初めてなのだ。本で書き方を調べたり、他のゲームシナリオを参考にしたりして、自分のプロットをストーリーに落とし込んでいく。
 プロットを作ってきたときには気付かなかったことも多く、自然な流れになるよう、少しずつストーリーや人間関係を改めながら進めていった。
 脚本が出来上がったら、それをもとにスクリプトを打っていくことになる。
 スクリプトというのは、イベントシーンを動的に表現するための作業だ。キャラを登場させたり、しゃべらせたり、エフェクトを光らせたりと、ゲームらしい表現を作っていく。
 作業は単純だが膨大な量になるため、ものすごく骨が折れる。文見や佐々里は入社して以来、これをやらされていた。
 昔はすべて手打ちでスクリプトを書いていたが、ちょっと前に八幡がツールを改良してくれ、ボタンを押したり、ドラッグしたりと、直感的にイベントシーンを作れるようになっている。
 だがまずは脚本作り。スクリプトの作業に入るのは数ヶ月から半年ぐらい先のことだ。




 門真にはサブストーリーの脚本を依頼していたが、一週間経っても上げてこなかった。

「すみません、手こずっていて」
「初めてだからしょうがないよ。満足いくものができたらみせて」

 英結と英結が食事をして友好を深め合う、という単純なシーンだったので、あまり時間をかけてほしくなかったが、相手は初心者なので、ここで焦らせても仕方ないだろう判断した。
 何より自分の作業が忙しすぎて、門真の相手をしている余裕がなかったので、自分の力でやり遂げてほしいという期待を込めて放置することにしたのだ。
 だが待てども待てども、その後、何も言ってこない。
 さらに一週間が経ってしまった。
 便りがないのは良い知らせというが、さすがにこれ以上放っておくわけにはいかないので、声をかける。

「門真くん、そろそろどうかな? 完成した?」
「あー、どうでしょう。ビミョーかなと思いますけど」
「途中まででいいから見せてくれる?」
「いいですけど、つまらないですよ?」

 けっこうネガティブめな返事を返されるが、恥ずかしがってるんだなと文見は思った。
 新入社員はこういうもの。特にクリエイティブな仕事において、出来上がったものを人に見せるのは恥ずかしい。
 文見はコスプレもやっていたこともあり、そこまで自分の作品を他人に見せることに抵抗はなかった。けれど周りに聞いてみると、コスプレ衣装を作るだけで恥ずかしいし、それを見せるのはもちろん、着るのは恥ずかしくて死ぬと言っていた。
 文見は無理を言ってファイルを送ってもらう。
 本人が嫌がっていようと、スケジュールを管理して、後輩を指導するのが仕事なのだから仕方ない。

「お、できてるじゃん。数人分、サンプルで書いてくれればよかったんだけど、もう10人完成してるんだ?」

 門真が渋るものだから、まったくできていないのかと不安だったが、そんなことはなかった。消費した分は作業が進んでいるようで安心する。

「ン……ンンンン……」

 文見は門真の書いたシナリオを読み、目を泳がせながらうめき声を上げる。

「ダメですか?」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってね。ゆっくり読ませて」

 門真の脚本を少し読んだ感じ、ダメそうだった。
 何がダメかと言うと、文見が作り、社長承認を受けているプロットを無視して書かれているのだ。
 プロットには、誰と誰が食事して、どういう会話をして、どんな仲になるのかが簡単に書かれている。
 しかし門真の書いたものは、それとは完全に別の流れになっている。
 たとえば、大間崎と下関のシーン。本州最北と本州最西のキャラが食事をする。
 実際の大間崎はマグロ、下関はフグが有名だ。魚トークをしてどちらがおいしいか議論になるが、結局はどちらもおいしいという他愛もない話である。
 具体的にどんなドタバタが起きて仲良しになるかは門真に任されている。だが門真は、大間崎が下関を言い負かしていた。

「どうしてプロットと違うの?」
「え? ダメなんですか?」
「ダメって……」

 その言葉はカルチャーショックだった。
 プロットは言わば、シナリオの設計図、指示書である。それを無視してたらプロットの意味がない。
 しかし門真に悪気はないように見える。本気で疑問に思っているようだ。

「プロットはいろんな人に承認をもらって決まったものなの。それを変更するなら、それなりの理由が欲しいし、変更内容をまた承認してもらわないと」
「でも面白くないですよね」

 文見は絶句した。
 プロットの内容が面白くないから書き換えた、というのだ。
 それがあまりにも身勝手な意見だというのもあるが、文見が書いたものをズバッと斬り捨てるものであり、文見は大ダメージを受けていた。
 「あなたの書いた話はつまらないので変えましたけど、何かいけないんですか?」と言われたも同義。
 実際には、門真はプロットを書いたのが文見であるという認識がないのだろう。だから純粋で罪な意見を言える。

「キャラがちゃんと言い合いしたほうが面白いと思うんですよ。大間崎は豪快なキャラだし、下関を押し込めるほうが立つんじゃないかと。最後は仲良しになるとか、微妙ですよね」

 文見の心にどんどん矢が突き刺さる。
 生駒とのやりとりもきつかったが、相手に邪気がない分だけその鏃は深く突き刺さってくる。

「ででで、でもね……」

 あまりの動揺にどもってしまう。

「プロットには仲良しになるって書いてあるでしょ? このサブストーリーはキャラ同士が仲良くなるために存在するものだから、喧嘩状態のまま終わっても困るの」
「じゃあ、イベント数増やして仲直り編も作るのはどうですか?」
「それはごもっともなんだけど、各キャラ1シーンずつと決まっていて、大間崎と下関だけ増やすってわけにはいかないでしょ?」
「そうなんですか? 別に僕が書きますけど?」

 これは大人の事情だ。
 キャラとキャラの関係を描くのにたくさんのシーンがあったほうがいいに決まっている。だが、増やすだけコストが上がってしまう。ライターはさらにたくさん書かないといけないし、そのあと作った分のスクリプト打ちが必要になる。そして正常に動作するかモニターチェックする必要がある。おおまかにいうと、シーン×3でコストが増えていくわけだ。

「そうしたいのは分かるんだけど……。仕事には費用対効果というのがあって、キャラ同士のストーリーがあればお客さんは喜んでくれて、それが多ければ多いほど嬉しいよね。でも、数を増やすのは作る側の負担が大きい割に、お客さんの満足度が上がらないの。だから、このご飯サブストーリーは各キャラ一つずつってなってるんだ」

 門真は眉をひそめただけで答えなかった。
 不満で何か言いたいことがあるようだが、我慢しているのだ。

「そういうわけで、プロットに従って一つずつ作ってもらえる?」
「はい……」

 門真は渋々従ってくれた。
 ショックを受けて、翌日会社に来ないんじゃないかと不安になったが、どうにか来てくれた。けれど、あさっては来月はと思うと不安で仕方がなかった。




 八尾から夕飯のお誘いが来ていた。
 今日も門真を叱りつけ、その反動でダメージを受けていたので、文見は気分転換にと思って了承した。
 ご飯を食べて気力を回復し、夜の部に備えるのだ。
 六時になって会社を飛び出すと、それだけで元気になった気がする。
 今日は近くの定食屋に来ていた。なんてことはない、普段使いのお店。

「道成はもう上がり?」
「ああ。文見は残業?」
「うん、しばらくは忙しくて早く帰れないかなー」
「うわあ、ブラックだなあ」
「ふふ、そこまでじゃないけどね」

 身内で自分の会社はブラック企業だとふざけて言うことはあるが、実際そこまでひどい労働環境ではない。
 裁量労働制なので基本的に残業代は出ない。長い労働時間に対して給料が適正に払われているか疑問ではあるが、それは他のゲーム会社やクリエイティブな仕事と同じである。
 休日も代休ももらえているし、労働時間が法律や就業規則を越えて超過することはないように配慮してくれているので、さすがにブラック企業というのは言い過ぎである。
 もちろん上司に大きな声で怒鳴られたり、嫌なことを強要されたりもない。

「ほお、働き方改革で昔に比べるとよくなったみたいだな」
「うん。ベテランさんに聞くと、昔の業界はひどかったみたいだね。初任給の20万円で毎日10時まで働かされるんだって。深夜残業は10時からだからその前に帰されちゃうと、残業代ゼロ。毎日3時間残業で20日間……つまり60時間がただ働きになるから、アルバイトみたいな給料になるみたい」
「うわ、きっつー。みなし労働時間もないのか。ひどいな」
「それが許されてた時代なんだよ。好きでエンターテイメントの仕事してるんだから、給料安くても満足だろって」
「はぁー……。そう考えると俺たち恵まれてるな」

 それはやはり本当にそう思ってしまう。先達が積み上げてきた苦労や努力のおかげで、労働環境が少しずつよくなってきている。

「道成はどうなの? 今は販売員なんだっけ」
「全然よくない!」
「そうなんだ?」

 八尾が食い気味に言うので苦笑してしまう。

「なんでこんなところで働かされてるんだろ、って毎日思うんだよ」
「もともと営業なんだっけ? あたしも、研修で秋葉原のゲーム屋で働かせてもらったことある。いい経験にはなったけど、正直無駄だったかなって思った。うち、スマホゲーしかないからねー」
「電気屋によく、メーカーのロゴがついた服着てる店員いるだろ?」
「いるいる。なんか詳しそうな店員さん」
「それ。今やってるの。いろいろ経験してほしい、っていう会社の考えは分かるんだけど、ただの苦行になってるんだよ。若いときはとりあえず苦労しとけ、みたいな」
「分かるー。本職に関係ないもんね」
「今はだいぶよくなったけど、昔は電気屋がメーカーに販売員出せって要求してたらしいんだ。お前んところの商品置かせてやるんだから、タダで労働力出せって」
「え? タダで?」
「タダで。今でもタダなんだけど、昔は単純にタダで使える店員としてコキ使われたらしい。さすがに独占禁止法がどうたらで禁止されたけど」
「脅迫みたいなもん? 言い方アレだけど」
「そういうこと。メーカーは小売店に逆らえないから、労働力を提供せざるを得ないんだ。だからこうして俺は研修という名のタダ働きをさせられてるわけで。まあ、自分の会社から給料出てるけど」
「秋葉原で、業界の闇を毎日見させられていたとは……」

 メーカーの服を着ている人は、単純にそのメーカーの商品に詳しい人だと思っていた。だがそんな裏があるとは考えもしなかった。

「もっと闇が深いのは、その販売員にも種類があって、俺みたいに正社員もいれば、メーカーが雇った派遣社員もいるんだよ」
「うん? メーカーが販売員を雇ってるの? それっておかしくない? お店が雇えばいい話だよね」
「おかしいから脅迫だろ、違法だろって言われるわけ。でもそれは今も続いていて、メーカーが雇って、お店はそれをタダで商品説明係として利用できるんだ」
「うえー、変な世界……。お店が雇って正社員にしてあげればいいのに」
「正社員に登用される人もいるようだけど、その商品が好きで売り場にいたいって人も多いんだよ。たとえばカメラ好きの販売員で、お客さんもカメラが好きだから同じ趣味で会話できれば楽しいし、それが役に立つなら嬉しいってことだな」
「ははあ、なるほどな。それは分かるかも」
「お店の正社員になると、在庫管理や売り上げ目標とかあって大変だけど、彼らはそれがないから気楽なわけだ」

 好きなことを仕事にして、しかもおいしいとこ取りで楽しんでいる、ということのようだ。
 確かにうらやましくも感じる。自分も好きなことをやっているけど、責任と納期に追われて大変だ。

「んー。でも、道成は面白くないわけね?」

 それははじめから違和感として持っていた。
 八尾は相手を気遣うばかり、本当より楽しそうにしゃべったり、つらいことを隠したりする。だが仕事の話をする八尾は、正直面白そうではない。

「なんでバレた?」
「分かるよ。自分の会社、ブラックって思ってそう」
「ははあ、図星だ。文見には敵わないなー」
「なんだかなんだで、付き合……。長いからね」

 高校の三年間、恋人としてのお付き合いがある。「付き合い長い」と言おうと思ったが、今は恋人ではないので、言葉が混じってしまうのがちょっとためらわれた。
 八尾はこれまで元気よくしゃべっていたが、ため息をついて話し始める。

「はぁ……実はけっこう参っちゃってさ。営業としてこの会社入ったのに、いきなり秋葉原で店員って何やってんだろうと考えてしまうんだよ……。正直つまんない。小売りも大切だけど、俺はもっと規模の大きい販売やってんの。なんでこんなことさせられてんのかな。罰ゲームかよ……」

 これまで押さえていた感情が吐露される。きっと本音だ。
 八尾が落ち込んでる姿はほとんど見たことなかった。大きい体がいつもより小さく見える。

「会社にとっていらない人間と思われてるのかな。ちょっと成績悪いこともあったし、口答えして嫌われたのかもしれない。でもこんな目に遭わせなくてもいいよな……」
「道成……」

 その苦労は分かるところがある。
 今は認められてシナリオをやらせてもらっているが、それまではつまらない単純作業の繰り返しだった。一生ずっとこのままなのかと不安になったものだ。給料をもらっているんだからしょうがないと、何も言えず耐えるしかなかった。

「まさか仕事やめるの?」

 愚痴の内容が同期の佐々里と似ていた。
 現状を疑い始めると止まらない。自分にこの会社は合わないと思ってしまうのだ。

「やめたい。……でもやめない。やめたらせっかく入った会社がもったないし、次いいところ入れるか分からないからな」
「そうだよね。希望の会社入ったなら残ったほうがいいよ。きっとつらいのも今だけで、また営業戻れるよ」
「毎日それを願ってるけど、どうだかな……。ほんと派遣の人がうらやましく思える。好きなことだけやれんのはいいよなー」

 その発言を聞いて、文見は眉をひそめた。
 八尾はうらやましいと言ったが、ニュアンスとして馬鹿にしている感じもあったからだ。

「派遣の人が逃げてるように見えるの?」
「逃げてるだろ。仕事でもまったく責任抱えず、好き勝手やってるし、他の仕事に飛ばされるって危機感もないしな。自分の人生どう思ってんだろ。こっちは将来が不安でいつも悩んでるのに」
「ふーん」

 八尾らしくない。なんだか不快だった。
 木津じゃないが、「責任抱えるのが嫌ならやめればいいのに」と思ってしまう。
 有名電機メーカーの正社員というポジションが惜しいだけなんじゃないか。派遣社員と同じ仕事をさせられて不満なのかもしれないが、その人を批判する必要はない。
 人を悪く言うような人じゃなかったのに……。
 文見は正直失望していた。

「文見はやめたいと思ったことはないのか?」
「そりゃつらいことはあるけど、ないね」
「いいなあ。好きなことやってんだな」
「は?」

 思わず声が出た。
 これにはカチンと来てしまったのだ。
 ゲーム会社の実情を知らない人によく言われることではあるが、「一日中ゲームやってんでしょ? ずるい!」のようなことを八尾に言われるのは非常に不愉快だった。

「何でも気持ち次第だよ。嫌だと思っているうちは何だって嫌になる」
「それは恵まれてるから言えるんだ。一回落とされてみろよ、生きているのが嫌になるぞ」
「落ちてる? まだ正社員でしょ。何も変わらないじゃない。今はダメでも、きっとよくなるよ」
「気楽でいいな。俺もゲーム会社受ければよかったわ」

 がたっ。
 文見は勢いよく席を立った。

「ごめん、帰るね」

 さすがに我慢できなくなった。
 これ以上、八尾と話していると暴言が出そうだ。

「おい、どうしたんだよ。飯、食ってけよ」
「ペットに餌あげるに忘れちゃった。すぐ帰らなきゃ」

 ただの嘘。ペットなんて飼っていない。
 正確には「仕事終わってないから、会社に戻るね」だ。
 それはそもそも一番初めに伝えてあるので、なんの言い訳にもなってない。

「おい!」

 八尾の言葉をスルーしてお店を出た。
 注文したまま出てしまったので、定食屋の方には申し訳ない。きっと八尾が二食食べてくれるはず。
 なんだかイライラした。
 人はこうも変わってしまうのか。仕事環境はそこまで凶悪なのだろうか。




「大丈夫か? 目が死んでるぞ」

 夜の九時。
 両肘をついてぼんやりモニターを眺めていると、メインプログラマーの八幡に声をかけられた。

「あ、ごめんなさい。ぼうっとして」

 文見は慌てて体を起こす。
 ちょっと体がだるかった。八尾とあんなことがあって気分が悪いし、夕飯を食べ損ねてお腹も空いていた。
 今思えば、料金くらい払っておけばよかったと思う。これでは八尾への借りになってしまう。

「ほう、別にいいけどな」

 そのまま立ち去ると思ったが、八幡はすでに帰った門真の椅子に座った。

「門真、ダメそうか?」
「いえ、そうわけじゃないです。あたしの指導が至らなくて……」
「苦労してるんだろ?」
「はい……」

 確かに門真を見張りながら、自分の仕事をするのはかなりハードだった。
 もしかすると、八尾にあんなことを言ってしまったのも、仕事の疲れがあるかもしれない。心が疲弊し、まともな判断ができなくなっているのだ。
 仕事もプライベートもうまくいってないようで、文見はそこでもまた落ち込む。

「あんまり相性よくないのか、ちょっとしたことで対立しちゃうんですよね。それで時間とられるし、疲れるしで……」

 自分が先輩としてうまくやれていないのもあるが、門真は納得いく理由がないと仕事が進まないようで、相手のやる気を削がないよう説得するのが大変だった。
 でも書くもの自体は悪くないので、うまく制御できない自分の責任だと思っている。

「人間だからな。そういうこともある」
「何かいい方法ないですかね……」
「そうだな……。好きにやらせてみたらいいんじゃないか?」
「え? それじゃ余計大変なことになりません?」

 前にみたいにプロットを無視して作られたら、あとで作り直しになってしまう。

「いや、きっと大丈夫だ」
「どうしてですか?」

 はじめに放置して失敗している。新人にちゃんと指示しないと、無駄なことをやらせてしまう。
 発言は無責任のようだが、八幡がなんの考えもなしにそんなことを言うように思えなかった。

「ああいうタイプは任されたときにパフォーマンスを発揮するんだ。始める前に注意点をしっかり確認しておけば大丈夫。そのあとはうまくやってみせるさ。不安になれば向こうから確認してくるから、放っておけばいい」
「はあ、そんなものですかね?」
「たぶんな」

 半信半疑だったが、門真にあまり干渉しないのも一手に思えた。
 よく話せば分かる、というけれど、あまり話しすぎもよくないときもある。やりたいようにやらせたほうがこじれないで済む。
 あまり構ってあげる時間もないのも事実だ。

「今日は帰れ。気分が乗らないときに働いても意味ないぞ」
「そ、そうですね……。今日は帰ります。お疲れ様でした」

 このまま会社にいても仕事は進みそうにない。心のもやもやも晴れない。お風呂入って寝て、全部リセットしないと。
 文見はパソコンの電源を落として帰宅した。

「これがあたしの仕事がある! 絶対やりとげなきゃ」

 つらくても八尾のように嘆くだけの人になりたくない。
 人がそこまで強い生き物でないのは知っているが、自分の仕事に誇りをもてないならやめたほうがいい。そのほうが自分のためだ。




 翌日から八幡の言ったことを実践してみることにした。
 といっても放置するだけだが。
 数日放っておいたところ、向こうから相談してきた。

「あの、すみません。ここなんですが、吉野ヶ里が山内丸山にちょっかい出さたら怒ったりしますかね? 冷静に対処しそうな気がするんですけど」
「ああ、なるほどね。想定より吉野ヶ里がだいぶ丸くなってるから、そこは怒らないほうが自然かも」

 八幡の言った通りだ。
 こちらの様子を見て、何やらもじもじしたのち、思い切って話しかけてきたのだ。
 これまでなら門真は何も断りなく変更してきたところ。しかし今回はちゃんと確認してきた。

「ありがとうございます。それでいってみます。あとすみません、スケジュールなんですがこれだと厳しそうで……」
「どんな感じ?」
「間に合うことは間に合います。でも、品質高めるならもうちょっと期間が欲しいです」

 ビジネスにおいて当たり前で、ちょっとした会話だが、大きな成功を収めたような感じがした。
 発生するかもしれなかったやり直しを回避し、仕事の質を一つ高めることができた。
 そして、やったことは放置しただけなのだが、門真は信頼されたように思い、門真は文見を信用するようになった。
 これはこれからの業務を思えば非常に大きいことだ。
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