『私本大江山』~酒呑童子異聞~

天愚巽五

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鬼の巻 上

両面の鬼、侍を襲うこと

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 暗がりの中を四人の影が走り抜ける。
 その後を何人かわからぬほどの人数の足音が追っていた。月明かりの中、人の影が伸び縮みして、怒気がこもった声が闇を割いている。

「止まれと言われて、止まる阿呆はおりませんな」
「まったくだ。しかし兎追なぜ来た?」

 走り続けで息が上がったらしく、兎追は口元を覆った手拭いを下にずらした。

「虫の知らせでございますよ」
「嘘をつけ」
「実のところ親水殿に言いつけられ申した。御坊殿、どうやらあの商人どもの良からぬ話を聞いておったようで」

 馬之助は得心がいった。随分とまわりくどい言い回であったが、親水にも確証がなかったのであろう。

「あのものたち何をしておった?御坊はそれも知っておるのか?」
「流石に某にそこまではお話してくださりませなんだ。しかししつこい」

 四人を追っている人数は十人ほどであろう。暗闇で見失っているようで、あちらこちらから声がしている。

「この辺りでよかろう。別れるぞ。忌部の屋敷に逃げ込めば、奴らとて諦める」
「まだ随分ありますな」

 ついてきた二人は覆面を取っていない。それは顔を見られていないという事であった。

「お主らはこのまま行け。面が割れておらんから大丈夫だろう」
「お一人で行かせるわけにはまいりませんよ」
「ならば兎追は付いて来い」

 二手に別れる。影が二手に分かれたのを追跡者たちははっきりと見た。

「別れたぞ」
「この人数に逃げれると思うたか」

 馬之助は山手へと逃げた。その先には竹藪が広がっている。
 生まれたときからこの辺りの山で生きてきた馬之助と兎追には、この竹藪の先がわかっている。朔月でも間違えることはない。
 
「撒けますかな」
「入って来てくれたら万事目出度しだな。まともな頭をしておったら、この闇夜に山には入らんだろうが」

 馬之助の予想を裏切り、追跡者は二人をおって竹藪から山へと侵入していた。頭に血が上っているのか、徒歩どもは躊躇が無い。

 二人は竹藪の中を突っ切る。竹藪は人の手が入っているのか、道が出来ていた。
 枯れ枝を踏む音。積もった竹の枯葉を擦る音。音の全てが馬之助たちに追跡者の居場所を伝えていた。

「回りこめ!山手に逃げたぞ!」

 的が外れた指示が飛ぶ、二人はその先にある開けた場へと向かう。
 二人が竹に囲まれた広場へ入ると、追跡者が四人後に続いてきていた。

 馬之助も兎追も汗もかいていない。追跡者たちは荒く息を吐き出していた。

「ここまでだな。手間とらせやがって」

 言葉ほど荷卸し徒歩どもには余裕が無い。兎追が刀に手をかけて一歩進みでた。

「馬之助様。やっちまっていいんでしょ?」
「峰打ちだぞ」

 兎追から殺気か漏れ出している。喧嘩自慢の荷卸し徒歩どもが、殺気に飲まれていく。

 尻込みし躊躇する。その一瞬であった。

 音もなく竹がしなり、荷卸し徒歩の頭上にふってくる。目の前に立っていた侍二人は思わず空を見上げた。
 先頭にいた徒歩が頭を掴まれ、上空へと連れ去られた。

「なんだありゃ…」

 兎追は呆気にとられた。背の高い竹の上に何かがいる。荷卸し徒歩もそちらへ目線をやった。

 ゾブリ

 肉を噛み引き裂く音。そして骨を噛み砕く音が空から降ってくる。
 大量の血が、荷卸し徒歩の頭へ降り注いできた。

「うわぁ」
「見ろ!」

 見上げた一人が血まみれの顔で空を指さしていた。ガチガチと歯を鳴らせ震えはじめる。

「あなや!」

 叫び声と同時であった。空から脊椎のついたままの首が放り投げられた。長い背骨には赤黒い血塊がこびり付き、内臓の一部が骨の先に着いたままであった。

 血臭があたりに広がる。

「ひぃ、ふぅ、みぃ」

 しわがれて割れた声が頭の上から聞こえてくる。

「今日はようけあるのぅ」
「肉じゃ、人の肉じゃ」

 会話するような声、しかし影は一つ。

「軟骨が美味いのぅ」
「脳髄は一番じゃ」

 涎を啜る音が同時に起きる。月明かりがそのものを照らし出す。

 両面の鬼。
 田吉と鬼畜丸だったものが、引き割かれた人間の胴体を掴んで内臓を掴みだし口に運んでいた。

 荷卸し徒歩どもは、現実離れしたものを直視して、思考が止まった。数歩下がって距離を取る。
 
 荷卸し徒歩の間に鬼が飛び降りた。
 一人の男の頭を踏み抜き、そのまま胴をへし折る。頭が胴体にめり込み痙攣している。

「おう、おう。肉じゃ」

 長い手足、その中にさらに二本の手が生えている。動いている手は赤黒く、異様に筋肉が盛り上がっていた。

「喰ろうてよいと言われておる」
「今宵は遠慮はいらぬぞ」

 田吉の口と鬼畜丸の口から交互に声が発せられ、臭気をまき散らしていた。毒気にあてられた荷卸し徒歩が現実に引き戻される。

 鬼の目の前にいた若い徒歩の頭に、長い指と尖った爪がかかる。ビキビキと肉と骨が引き延ばされる音。
 痛みに男は抵抗するが、ミリミリと首が伸びていく。鬼の指が捻られ肉が千切れる音がしたその瞬間、鬼の腕に刃先が音もなく滑り込んだ。

 徒歩の首がねじ切れ、血の涙と鼻血。そして耳からも血を垂らしながら、ガクリと倒れ込んだ。

 鬼の腕が半ばまで切られ、だらりと垂れ下がる。兎追の太刀が鬼の手に絡めとられる。手をひるがえし、太刀を引く

「切れぬか?」
「何の!それほど硬くはござらぬ」

 鬼は切られた腕を見つめていたが、痛みに耐えかねたようで、兎追から離れた。

「痛や!」
「痛や!」

 鬼が苦痛の叫び声を発した。二つの頭が交互に声を出す。

「おのれ」
「切りおった」

 鬼は半ば切られた腕を摩る。骨を斬ったためかグラグラと揺れていた。その腕を支え傷口同士を合わせる。

「繋がらぬ」
「繋がらぬ」
「惨い」
「つらい」

 鬼が兎追を血走った眼で睨む。口が裂け犬歯が飛び出てくる。全身が赤黒くなり光沢を持ち始めた。田吉の顔は禿げあがり目が剥き出てくる。
 鬼畜丸の顔は変わらないが、その首の下あたりから新しい腕が生えてくる。

「なんとあさましい姿だ」

 馬之助が太刀を構えた兎追の横にならび、自身の太刀を抜いている。

「兎追、お主は先に行け」
「そうはなりませんよ」
「助けを呼びに行けと言っとるのだ」
「ご冗談を。あれは某の獲物でござる」

 兎追の冗談にかぶせるように空気が唸った。鬼が間合いを詰め、兎追に迫る。兎追の顔面に拳が迫ってきた。充分に間合があったが、鬼の腕が伸びてくる。

 太刀を鬼の拳に合わせ、両手で防いだ。
 兎追の手に尋常ではない衝撃が走る。同時に肉に刃がめり込む感触が伝わる。

 一間ほど吹き飛ばされ、兎追は竹の葉の上に倒された。頬がわずかに赤くなっている。

「兎追!」
「なんの!」

 立ち上がる兎追の手には太刀が握られていない。
 鬼の拳が割けて、そこに兎追の太刀がめり込んでいた。血が滴り落ちている。

「太刀がのうなった」
「のうなった」
「防ぐすべはないぞ」
「ないぞ」
「次はその首をねじ切ってやろう」
「腸をひきだして…」

 二つの首が楽しそうに和している。その声に被るように金属の音が重なった。

 ジャラン

 重そうな錫杖を打つ音。馬之助の耳にも聞こえる。

 ジャラン

 鬼があたりを見渡し始めた。

 馬之助の後ろからゆっくりと坊主姿の影が現れ、こちらへ向かって来る。
 錫杖を打つ音が大きくなる。

「御坊…」

 月明かりが親水の顔を照らし出す。険しい表情で、錫杖を打ち付ける。
 鬼が親水を威嚇するように歯をむき出しにした。

「臭い坊主がきた」
「お主のような臭いのが来るところではないぞ」

 怯え。
 鬼の声には怯えが見て取れる。馬之助はそれを見逃さなかった。

 親水がさらに鬼に近づく。

「寄るな!」
「来るでない!」

 親水が鬼を追い込む。鬼はへたり込み、膝をついた。
 
 親水の口から小さく真言が唱えられている。

「やめよ!」
「やめよ!」
「坊主。やめよ!」

 錫杖が激しく振るわれる。そのまま鬼の周りを歩き始めた。

 独特な歩き。三の倍数になるように足を踏み鳴らす。地面を踏みつけると同時に錫杖がならされる。

 反閇。

 馬之助はすぐにその歩行に気づいた。鬼が見る間に弱っていく。親水はその歩行で結界を張っている。

 親水が元の位置に戻り、馬之助の前立った。
 鬼はすでに体も小さくなり、肌が青白い。

「すみました」

 親水が鬼を見下ろしながら馬之助に話しかける。

「これは…」
「外法によって生み出された鬼」

 鬼は激しく痙攣している。両面は地面に突っ伏していた。首と首が繋がっている所が、異様に盛り上がっている。

「作り出されて日が浅かったのが幸いでした」
「なんとおぞましい。御坊、これは生きているのですか?」

 親水は首を振る。

「この者は人としては生きておりません。生きながら鬼にされたのでしょう」

 鬼の首の付け根を親水が指さす。

「このものを哀れと思わるならば、ここを切り離し、止めを」

 馬之助が太刀を振り下ろした。瘤が切り離され両面が剥がれ落ちる。
 鬼は声も出さなかった。

 鬼だったものの身体が崩れ始める。上半身だけの田吉の身体と、胸と腹を割かれた鬼畜丸の体だけが残った。
 腐敗し、目玉は無くなっている。所々皮膚が剥がれ、肉が見えていた。
 切り離された瘤だけが、ウネウネと動いている。

「なんと、まだ動いておる」

 親水が皮袋にその瘤を入れた。

「この者たちが鬼ならば、これは鬼を作る種のようなものでございますよ」
「御坊はなぜそのようなことを知っておるので?」

 馬之助の問は当然の疑問であった。

「詳しい話は黒麻呂様のお屋敷で、明日にいたしましょう。まぁ拙僧の仕事はこれを調べることでございます」

 親水の口調がいつものように戻っている。少し疲れたような顔になっていた。

「兎追殿。麻紐がおそらく切れておりましょう。今宵は出来れば黒麻呂様のお屋敷のうちでお過ごしくだされ。明日新しいのをお渡しいたします」

 そう告げると親水は竹藪を後にした。
 兎追が右手を上げると、千切れた麻紐が腕にたれさがっていた。


 ◇


 朝日が馬之助の顔にあたる。忌部屋敷の中庭に座した馬之助と兎追はしばらく待たされていた。
 昨晩のことが兎追には現実感が無かった。急速に腐り果てる鬼の残骸を始末し、親水の勧めによって、忌部屋敷の内で過ごしたのだが、別段変わることがなかった。

 少し寝過ごして、中庭に顔を出したときには馬之助がすでに来ている。
 親水も黒麻呂もまだ姿を見なかった。

「遅うございますな」
「寝過ごした貴様が言うな」

 馬之助は屋敷の変化を敏感に見ていた。庭に小さな石が幾つか増えているように思える。

 親水が庭先に姿を見せた。少し疲れたように見えたが、二人の顔を見ると手を合わせる。

「昨晩はご苦労様でした」
「御坊の助けがなければ、我らも危うかった」

 親水が新しい麻紐を兎追に差し出す。結局これが何をしたのかはわからず仕舞いであった。

「今宵あたり、鬼がお二人の前に現れるやもしれません。先の両面の鬼、あやつは小物でありましたが、次は首魁かもしれませんので」

 兎追が引きつった笑いを浮かべている。親水は何事もなさそうに伝えているが、昨晩のような恐ろしい鬼に二人が狙われていると暗に告げていた。

「待たせた」

 少ししゃがれた声が屋敷から聞こえてくる。ようやく黒麻呂が顔を出した。

 やつれている。
 黒麻呂の顔にはそれとわかるほど生気が失せていた。目の下にクマがはっきりと表れている。体のほうも心なしか細くなったように、馬之助は感じていた。

「黒麻呂様、これはなんとしたこと」

 思わず馬之助が近づこうとしたが、黒麻呂が手で制する。

「よい、よい。なぁにそこにおる親水殿のおかげで随分良くなった。親水殿改めて礼を申す」

 黒麻呂は縁側に座った。疲れた様子がまだ残っている。

「馬之助、わしの目算が甘かったのだ」

 馬之助には確信があった。牛市に関り、馬之助は何かを隠している。

「黒麻呂様、お話いただけまするな?」
「もちろんだ。 ここに至って隠していては、お主らの命にも関わってくる」

 黒麻呂が親水に目配せする。
 親水は黙って頷いた。

「親水殿、もうあれらは供養したのか?」
「はい。黒麻呂様、すでに終わっております。ただお二人にお話しいただくために一つお借りしました」

 そう言うと、親水は庭の隅にあった桶を二つ、二人の前に置いた。
 親水が桶の蓋を同時に開ける。

 一つは、昨晩鬼の首から切り取った瘤であった。陽が当たり、脂ぎった茶褐色の瘤が蠢いている。
 もう一つは犬の首であった。
 舌を伸ばし、目を見開いている。まだ腐り始めてはいなかった。

「うぬ…」

 馬之助が唸った。兎追は犬の首を見ていられず、桶から体を離す。

「黒麻呂様これは…」
「さてどこから話してよい物かな。この牛市の謀から話しておいた方がよいか」

 黒麻呂の顔にははっきりと疲れが現れていた。

 黒麻呂が語り始める。

 忌部氏がこの牛市を執り行うことを決めたのが一年ほど前。
 許可を得るべく国司に使いをだしたのであるが、許可、不許可はおろか返答すら返してこない。業を煮やした忌部氏の長衆は、牛市を開くことを藤原氏へ持ち込んだのである。

 摂家との繋がりを作りたいという長衆の思惑もあった。
 律令は崩れ、公地公民も名ばかりになり、藤原の長者の考え一つで、国司のすげ替えが行われる。実際藤原の荘園は国免荘となり、国司の徴税権を免れている所も現れ始めていた。阿波の忌部氏が藤原氏との繋がりを太くしようと試みるのは、時代の流れであった。

 捻じ込まれた格好の国司、善道真貞はようやく市の許可を寄越してきた。
 この時朝廷で、律令の解釈書『令義解』の撰集に携わっていた真貞は、赴任することすらしなかった人物である。

 荘園領主であった忌部氏は、それでも体裁を守ったわけであるが、藤原氏を頼ったことが災いした。牛市の談合で藤原氏の差配を一部受け入れることを条件にされてしまった。

 藤原氏は牛商人の一部を都から受け入れることを条件に出す。忌部の長衆も摂関家の意向と繋がりを重く見た。だが都の商家などという多少面倒な輩の相手をすることは煩わしい。
 そこでその役を黒麻呂に押し付けてきたわけである。

 黒麻呂は充分に働いた。小難しい仕来りや我儘を受け入れ、宥めすかし商人どもを何とか御していく。その中に恵比須丸がいたのである。
 恵比須丸は最初から黒麻呂に協力的であった。面倒な老商人との折衝などにも手を貸してくれたのである。

「ようやく。市の日取りもきまり、やつらが国入りすることになったのだ。後は恙無くつつがな市が成功すればよかった」

 気持ちよさそうに陽に当たりながら黒麻呂が呟いた。

「しかしおかしなことが起こり始めた」

 馬之助の疑問はそこにあった。
 牛市の仕切りをし始め、阿波に都の商人が出入りするころ、馬之助たち侍の仕事が忙しくなっていた。

「恵比須丸に会わされたあたりから、我らの仕事も増えてきました。地の者との諍いが多く仲裁に出ることが増えておりましたな」

 兎追の言葉に馬之助も頷く。

「そうだ。同時に牛の病が流行っていた。実のところ親水殿が現れるまで、手の施しようがなかったのだ」

 そう言うと、黒麻呂は黒ずんだ何かを縁側の縁に置く。それは一部が噛み切られたような木造の人型であった。

「恵比須丸が出入りするようになったとき、これが軒下に投げられていた」
「なんと…」

 兎追が気色悪そうに人形を見ている。人の悪意が詰まったような代物には触れたくもなさそうである。

「そして陰陽師を使った?そうでございますね」
「ああ。探りを入れさせたのだ。この犬の首は、その時に使った呪の成れの果てよ」
「それで陰陽師はああなったと?」
「長らく仕えてくれていたのだ。残念なことをした」

 黒麻呂は顔を伏せた。
 呪事など侍の馬之助に話せるわけもない。黒麻呂の心内の迷いは大変であった。
 
 頼みの陰陽師も無くし、怪しげな呪言師や陰陽師の真似事をしている占師などを雇入れ、試してみたが、全員逃げるか、狂うか、殺されるかの何れかになった。
 牛痣はますます広がり、不安も大きくなる。牛市自体が開けなくなる恐れすら生まれた。

「都からの牛には病がでていないのですよ。やはりおかしいと思いました。たまたま牛の治療をしているときに黒麻呂様を見かけたのです」

 親水が黒麻呂を見たのは、まったくの偶然であった。最初に見たとき、はっきりと悪しき呪の影が黒麻呂に纏わりついていた。

「御坊がいうには、陰陽師や占師どもが仕掛けたのが悪かったそうだ。相手はこちらのことがわかっている。呪を返されていたようだな」
「それでこれほどお窶れに」
「御坊が屋敷に結界を張り、呪を払ってくださらなんだら、どうなっておったかわからぬ。それでこれが御坊の探しておった牛痣の原因か?」
 
 黒麻呂が肉の塊を気味悪そうに指さした。

「はい。恐ろしい呪いの塊でございます。触れればたちまち取り込まれましょう」

 親水は桶の蓋を閉めた。焼き払い炭も数年は供養せねばならぬと親水は言った。

「高野山にこの一件を案じて頼ったのは、国司様でございます」

 意外なことを親水は口にした。

「国司様が?なぜだ。あの方は阿波に興味を持たれていない」
「そうでございますね。ただ決して国の民を見捨てるような方でもございませんが」

 親水が桶を庭の隅に戻す。普段なら手伝うであろう兎追ですら、その桶に触ることを避けた。

「拙僧も最初は疑っておりました。都の商人が悪さしているくらいに考えていたのです」
「利益を独占し、阿波の牛を売れなくするためですな」
「左様。その程度のことと考えていましたが、どうも規模が大きい。それに黒麻呂様にかけられた呪でございます。こちらは唐国の術と見ました。
 それよりも問題は、瘤の鬼でしてね。これは随分と古い。黒麻呂様は聞いておいででしょうかな?忌部の長衆なら知っておいでかもしれません。疫瘤人なる俘囚が畿内にいることを」

 黒麻呂の顔色が変わっていた。
 疫瘤人、確かに黒麻呂は彼らのことを知っていた。

「…知っている。御坊なぜそれをお主が知っているのだ」
「誰しも隠しておかねばならぬことはありますからな。ましてや国ともなると、十や百ではききませぬ。牛を使った呪など南都が廃れてから聞いたこともありませんでした」

 親水が庭の手水を使う。念入りに指先まで荒い、水を口に含む。吐き出し、さらに顔を洗った。冷水を手拭いで拭きとると、息を大きく吐き出した。

「忌部様が阿波で疫瘤人の何かを探り当て、それを元に移民させたこと。それを朝廷や我が高野山が、どうしようなどという事ではありません。
 ただこの件に疫瘤人の持つ術や法が使われて、あの箱が何者かに狙われていることが問題なのです」

 親水の要を得ない話に馬之助と兎追は聞き入っていたが、聞かされている黒麻呂の顔色は、ますます青くなっていった。
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