『私本大江山』~酒呑童子異聞~

天愚巽五

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人の巻 都のこと

都の野盗、堀江の姫を攫わんと欲すること

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 青白さを通り越し、土気色になった肌。やつれて頬に影が差した顔。深いクマが目の下に刻まれ、黄ばんだ白目は血走り小さな黒目が炯々と怪しく光っている。

 元々冷酷な性格が滲み出たような顔つきで、袖から見える腕は、毛深く公家の間では評判の悪い人相をしている。それがますます恐ろしく、見る者を委縮させるほど狂気が顕になっていた。

 呪っていた。
 男は都の全てを呪っていた。

 黒の束帯姿で朝廷から戻ったばかりなのであろう。陽が高いうちから部屋にこもり、薄暗い中で何やら呟いている。
 都。いや日ノ本の全てを呪わんと欲している男は時の内大臣、その年の夏には右大臣に上がる藤原道兼であった。

 男の後ろに僧が一人。

「わしがあの時、先の帝を連れ出さなければ」
「そうだ道兼殿。お主の働き誰よりも大きい」
「なぜじゃ?なぜわしを蔑ろにする」
「笑っておるのよ。権勢欲しさに薄汚れた仕事をしたとな。みなそう道兼殿を評しておる」
「なぜじゃ…わしがやらねば、今の藤原の権勢はない」
「愚か者に貧乏くじを引かせたと、みなに言って回って笑い物にしておるぞ…」

 男の目が一層見開かれる。血涙が垂れ落ちそうなほど血走った眼。

「お主の父者もお主が何をしたところで、何も気にはしなかったであろう?良くやったなどと言われたこともなかった」

 男は押し黙る。

「お主のような醜い見た目の者は、誰も相手はしない。誰も気にはしない」
「誰も我を求めない…」
「求められたのはあの大酒のみの愚か者。見栄と華美だけで世間を誑かしておる愚か者」
「なぜあやつに…あやつよりも我のほうが、日ノ本の差配者に相応しい。なにも成さず、娘を一人帝に輿入れさせただけで、なぜ我らの長となっているのだ…」
「そうじゃ。本来あそこにいるべきは道兼殿。あの御仁には相応しくない」

 僧の声が道兼の心の奥底にへばりついた真っ黒い妬みと嫉みを刺激している。囁き声に力がこもり、それを聞く道兼の表情が消えていく。

「呪え。呪うてあの者の愚かさを世に暴きだすがいい」

 甘く甘美な声色。

「呪う…」
「そうじゃ。お主こそ、雅な都に必要な者。間違いを正し、愚か者には死を」

 道兼は僧の言葉に小さく頷いている。黒目の力が無くなり、瞳孔が大きくなっていく。

「我に…美しき都。雅な都を…」

 何度も同じことを繰り返し呟く。
 呆けたように、同じ呟きを繰り返し始めた道兼から、僧が身体を離した。

 部屋の影に僧の影が重なる。

 わずかに身体を揺らし、同じ言葉を繰り返す道兼一人が残された。


 ◇


 正歴五年のことであった。

 都はようやく冬の寒さが和らいできていた。しかし都に住む者たちは、春の心地よさのような気に成れずにいる。

 藤原摂関家は二つの手段によって富と権力を盤石の物としている。一つは領家から荘園寄進を受け、本家となることであった。

 公家の私有地である荘園という体裁が整えば、税を免除される免田となる。そのため免税を求めて有力農民は荘園寄進をこぞって進めていた。しかしそう簡単にはいかない。寄進荘園という行いに藤原摂関家は荘園整理令を行うのである。

 国司・受領の権限で行われる荘園整理令。それは寄進荘園の免田に、根拠の有無を調査するというものであった。

 整理令によって脅された寄進元は、便宜を図ってもらうため、おのずと摂関家に関わる領家に土地を預けることとなる。
 土地を荘園として寄進してしまえば、律令の重い税から逃れられる。富農たちの開発地寄進はますます多くなっていった。

 反面、国司・受領の人事権を藤原摂関家が専らにしていた。
 ここに縁故が蔓延っている。下級貴族にとって国司・受領の地位は富を蓄えるために魅力的な役職である。一定以上の税は、そのまま国司の給料となっていたのがその理由であった。

 おのずと国司の役を得るために賄賂が蔓延る。寄進荘園から取る年貢と、国司から送られる賄賂。しかし事態はもっと汚らわしい。
 
 役を得た国司は、当然のように藤原摂関家におもねった荘園整理を行うのである。
 藤原摂関家を本家に持つ領家への荘園寄進には手心が加えられる。国司はおのれの懐具合もあるため、なるべく荘園を認めない。摂関家に関わらない荘園を潰し、そこからは多くの税を取るため、過酷な取り立てを行う。

 平安時代の縁故経済は、急速に律令を破壊していった。とくに兼家から道長までその傾向が強い。

 税逃れのため生まれた縁故主義の多重構造が、歪で汚らしい社会構造の根幹になり、それは民・百姓を苦しめることとなる。
 始末が悪いことに、この搾取構造は国司・受領による公領と、藤原摂関家に見られる荘園だけでなかった。
 地方貴族の末裔である神社。さらには衆生を苦しみから解放することを説く寺ですら、荘園の中に入れば百姓を苦しめ、搾取をおこなっている。

 藤原摂関家が隆盛を極めた時代、それは、間違いなく末法の世であった。仏も神も衆生を救うことはない。生臭い収奪が日ノ本のどこでも行われている。

 搾り上げられる百姓が、富豪の輩に抗うにはその土地から逃げることでしか方法が無くなっていく。
 奇怪に歪んだ社会構造と過剰な搾取によって産み出された棄民は、都を中心に集まっていた。夜の灯に寄り集まる羽虫のように、雅で風流な平安の都に打ち捨てられた百姓は集まり、やがて怨みを募らせる。
 雅な平安の都と、華麗な公家社会。それは濁り、淀み切った汚泥が腐敗臭を放つ溝川の上に作られた幻想の桃源郷なのであった。

 悪夢のの桃源郷。百姓の不幸の上に作り上げられた怨みの都。そこに現実が突きつけられる。
 藤原道隆が権力の極みにいたこの時期。都は棄民によって持ち込まれた疫病に犯されていた。そして都に寄り集まった弱き者たちは、やがて取られる側から取る側へと変貌していく。より直接的に暴力によって、奪う側になった棄民は、徒党を組んで野盗へと変わり、都人を苦しめることとなる。
 神仏が藤原摂関家の政を呪うかのように、貧富貴賤に関わらず、天然痘は都人の命を奪い尽くそうと猛威を振るい。公家社会に怨みを募らせた野盗は、欲望に任せて新たな不幸を産み出していた。

 そんな中に我王・赤面という野盗山賊の者たちが徒党を組み、都を脅かしていた。


 ◇◆


 正暦五年はまさに地獄絵図であった。春先になり少し疱瘡も収まりを見せてきている。
 実際には夏にかけてさらに猛威を振るい、六月ごろには都中の掘水に死体が詰まり、死体を掻き流させることまでしたと本朝世紀にある。

 公家にとって疫病は物忌みすれば避けられるものではあった。しかし正暦年間の疫病は、公家の命も関係なく奪い去っている。

 そのような時勢、堀川沿いにある中納言藤原公季の別邸に一人の美しい女がいた。

 歳は十六。切れ長だが、はっきりとして力強い瞳。少し高い鼻。色白の肌に生える長い黒髪。白い肌にそこだけはうっすらと血色が良い頬と、紅を塗っていないが赤く小さめな口元。

 平安の男どもなら、だれでも振り向く容姿をしている。まだわずかに童の名残があるのも男どもの気をそそる。

 女の名は桂子と言う。公季の養女である。公季の鴨川の堀江近くにある屋敷に住んだことから、堀江姫と呼ばれていた。

 堀江姫はその美しさを持て余していた。

 養父の公季は姫をことのほか可愛がった。秀麗な容姿がそうさせた。いずれは何処かよき家へ嫁がせようという親心もあり、公家の教養も身に付けさせている。

 あまりの可愛がりようは、歳をまたいだ疫病に対して過度に姫を守ることになった。
 そのため姫は、外にも出られず雅な公家の交わりにも関われず、日々鬱々とさして興味も持てない手習いをして過ごしている。

 姫は何度目かの溜息を吐き出し。文台に行儀悪く肘を乗せた。人に会うのは下女の茜か手習いの師くらいしかいなかった。その茜は今も部屋の外に控えているであろう。

「茜。そこにいます?」

 間があった。

「はい。おりますよ。どうかなされました?」
「何か面白い話は無い?都が今どうだとか」

 茜は御簾を上げる。縁から内には入ってこない。
 齢の頃は三十路辺り、丸顔で色白。切れ長の目をしている。華奢で人の好さが身体全体から滲み出ている。顔にはわずかに痘痕が残っているのは、子供の頃に天然痘に罹ったことが理由であった。

「姫。またでございますか?」
「だって、つまんないもん」

 茜の表情は厳しい。

「お屋敷の外には出てはなりませぬよ」
「どうして?もう疱瘡は随分おさまったのでしょう?」
「疫病はまだわかりません。昨日も検非違使方が掘水をさらっておられました。道端にはまだ穢が残っております」
「でも他の屋敷の方々はもう楽しみを再開されていると」
「そのような事ございません。誰がそんな嘘を」

 堀川姫はふくれっ面をする。その仕草すら可愛げが溢れていた。

「姫、先年の終わりに何処かの娘が野盗に攫われた話を聞いておりましょう?」

 姫は気怠そうに茜の顔を見る。

 疱瘡が流行り始め、同時に野盗の活動が活発となった昨年。都では人攫いが頻発していた。公家衆は庶民の悩みと高を括っていたのだが、冬に差し掛かるころになると、高貴な家柄の娘にまで被害が及ぶようになっているという。
 体裁もあり公にはしていないが、人の口から漏れ聞こえる噂話は完全に封じることは出来ないものである。

「中御門の娘様は可愛そうでしたね」

 中御門の娘とは、中御門に屋敷を置いていた藤原縁者の下級貴族の娘であった。父親は勧学院の学頭であったが、近辺では評判が高い娘で、それが野盗に狙われた。

「まだ流行病がそれほど問題になっておりませんでしたし、野盗の噂にもあがらなかったので不用心だったのでしょう」

 中御門の娘は夜に誘い出されたという。下手人は野盗の我王であると噂されていたが、本当のところはよくわかっていない。

 茜が念を押した。

「くれぐれもいらぬ気を起こされませぬように。ただでさえ姫様には恋文が多いのです。夜に誰ぞを招き入れるなど今は控えていただきますよ」

 ぴしゃりと言いつけられ、姫は文台に体を預けた。


 ◇◆◇


 羅城門の上に三日月が浮き上がっている。都の闇は深く、羅生門はその闇の中に怪しく浮き立っている。

 死穢が覆いつくしている。疱瘡で倒れた者が羅生門の外へと運び出され積み重なっていた。穢れを都から捨て去れば、難を逃れられると公家衆は信じ込んでいる。

 死体がすぐ横に転がる羅生門。そこに十数人の影が蠢いている。その中に一人、細身だが体の大きな賊が、門の柱に身を横たえていた。
 染み一つない白い顔、面長で体躯が優れている。服装は野盗のそれで貫頭衣に獣の革でしつらえた帷子を着込んでいた。

 野盗我王。都を騒がす新進気鋭の盗賊頭。瓢を手の打ちで回している。

「赤面。そろそろ参ろうか」

 月影に隠れたもう一人の男の姿が現れる。
 我王とは正反対。体躯が短く横に大きい。髭面だが腕力が強そうである。赤黒い肌をして、鼻が異様に大きい。ギョロギョロと目玉を動かし手下を見渡している。

「行くか。堀江の娘確かに美女だ」

 影が動く。月明かりに野盗どもの顔が浮かぶ。どの顔も人相が悪い。油垢にまみれ髭も整えられていなかった。

 全員が立ち上がる。音もなく羅生門から堀川の屋敷へと向かう。

 人はいない。検非違使どもの動きは把握している。
 野盗どもは羅生門を東に進み鴨川まで出る。都の端であり、検非違使どもも夜ならば鴨川までは出張っていなかった。そのまま北に鴨川を遡る。灯も灯さないが月明かりだけで野盗どもには充分であった。

 鴨川から四条に抜け、烏丸を通る。公家の別邸が並ぶその一角に野盗どもは行きついた。

「灯は消えているな」

 我王が屋敷の塀を見上げる・赤面が後に続いていた。

「所詮、公家の屋敷よ。ましてや都の外れ多少騒いだところで検非違使も来ん」
「不用心な事だ。いや屋を襲われることなど考えてもおらんのだろうな」

 手下どもが居並ぶ。我王は手にした松明に火を着けた。
 赤面以下、手下どもがみな一斉に松明を灯し、前に並ぶものが手に得物を持つ。我王は数人の手下を連れ、裏手へと回った

 外の喧騒に堀江屋敷に控えた警護が門の外に出張る。

「何処の者どもか?」

 問われて応える赤面ではない。掲げた手斧を指し示した。

 手下どもが長槍を構えて門に向かって躍りかかった。屋敷の警護は勢いに飲まれる。

 そこは公家屋敷の警護を任された侍であった。勢いに飲まれそうになりながらも、なんとかその場に踏みとどまる。
 長槍を突き出す野盗。その切っ先を払い門の外へ追いやる。

「門を閉じろ!」

 侍頭の声に侍たちが一斉に門を閉めようとする。しかし一度開いた門に野盗どもは絡みつき閉じさせまいと踏ん張っている。

 突き出される刃。男どもの怒号。堀江屋敷が騒然としていた。

 外の喧騒に堀江の姫は下女とともに自室に引いている。野盗の目的が何かわからない。
 下男の一人が庭先に現れる。

「姫、裏手から急ぎお逃げくだされ」

 侍がいつまでもつかわからなかった。

「このような夜に外に出ても…」
「すでに周りの公家屋敷から検非違使に報告が行っております。姫はまず安全な場所に。奴らの狙いは姫でございます」

 下男は顔下げる。夜着で外に出るわけにもいかず、茜が急ぎ姫に小袖、小袴を着せ、市女笠をかぶせた。

「検非違使庁へ。検非違使もこちらへ向かっておりましょう」

 姫が涙目で茜を見る。

「茜、あなた方も急ぎ屋敷の外へ」
「私どもの事は心配なさらず。早ういってくだされ」

 喧騒が大きくなってくる。侍のほうが数が少ない。いつまでもつかわからなかった。

 下男に導かれ、堀江屋敷を抜け出した堀江の姫はそのまま検非違使庁へと向かおうとするが、普段から歩くことも稀な公家の姫ではすぐに足元が怪しくなった。
 そもそも早く動くということが無い。ようやく三条通りに差し掛かった時、五人の野盗に追いつかれる。

 頼みは連れ出した下男だけであった。

 野盗、我王が堀江姫の前に立ちはだかる。

「ご苦労さん」

 我王の言葉に堀江姫の顔が青くなった。下男が腰を屈め手揉みしながら近づいていく。

「言付け通り、連れ出してまいりましたぞ」
「確かに美しいな」

 堀江姫は下男が自分を野盗に差し出したと気付く。しかし現状を変える術は無かった。

 下男が我王に両の手を差し出す。

「報酬を」

 我王は下男に冷たい目を向けた。

「良かろう」

 我王が金子袋を手渡す。それほど大きさは無かったが、それでも下男にしていれば十分すぎるほどであった。
 金子を受け取ると、すぐさま下男はその場を後にする。

「さて、姫様。ご同行願いましょう」

 そう告げる我王の顔は、この世のものとは思えぬほど卑猥な笑みが浮かんでいた。


 ◇◆◇◆


 気を失った堀江姫を担ぎ、我王は下粟田方面へと向かっていた。すでに鴨川堀江の喧騒は聞こえる距離にはいない。
 そのまま南下し南都方面へと向かう。我王、赤面の根城は笠置にあった。

 六道に差し掛かろうとしたとき、辻に人影がある。
 闇夜にただ一人、女がぼんやりと立っていた。

 歳はまだ若い。おそらく十代中ごろに見える。都の女とは異なり大きな瞳をして暗闇でもわかるほど紅い唇をしている。
 濃紺の壺装束姿。顔はわずかにしか見せていない。しかし我王とその手下は女の姿に見とれてしまった。

 夜に一人このような辺鄙な場所に女がいるはずがない。

「おい女」

 我王が娘を呼び止める。

 女は笠を深くかぶり。我王に向いた。女は我王の問いかけに笑みで返した。
 美しい顔。幼い顔立ちであるがそれが余計に淫靡なものを感じさせる。

「我王殿でございますね」

 柔らかい声。我王の手下どもが呆けたような顔を作る。しかし名を呼ばれたことに我王は警戒心を高めた。

「わしを知っているか?何者じゃ」
「茨木と申せばわかりまするか」

 野盗に緊張が走る。

 新たに都を騒がせている野盗。それが茨木であった。
 化野から右京を荒らし、その数は五十とも百ともいわれる手下を従えていると噂ばかりが先行している。

 先より袴垂が姿を見せなくなり、疫病にやられたなどと噂が広まった。伝説となった袴垂にかわり、我王・赤面とともに茨木の名が高まっていた。

「野盗の茨木童子と言えば、鬼も逃げ出す大男と皆が言うておる。戯言はよせ女」
「恐ろしゅうございますか?」

 娘の言葉に居並ぶ手下どもが、虚仮にされたと熱を上げた。

「女、言葉には気を付けよ。わしらに何用じゃ?」
「我王殿はついででございますよ。わたしはそちらの姫君の方に用がございます」

 剣呑な空気があたりに満ちた。我王の手下が殺気立つ。
 茨木は臆することなく華やかな笑みを浮かべた。

「腕ずくで奪ってみよ女。お主が本当の茨木ならば難しくはなかろう」

 手下が得物を抜く。殺意が剥き出しになる。

 茨木童子の後ろに広がる闇が動いた。人の形に変わる影。六尺を越える大男が茨木の横にいる。茜色の水干と珍しい出で立ち。顔立ちは凛々しく、意思が強そうで赤黒く日に焼けた肌をしている。

「あれか?」
「はい。主殿」

 我王と手下は気を飲まれた。男の側に立つと女の異様さが際立つ。

「何やつだ!」

 我王が恐怖に耐え声を張った。
 
 男がおもむろに盗賊に近づいていく。槍を構えた手下が道を塞いだ。
 突き出せば槍先が突き刺さる距離。

「主殿。殺生は…」
「わかっておるよ」

 男が顔を背けた瞬間、槍が突き出される。男は槍の切っ先を見もせず掴んで見せた。

「しっかり掴んでおけ」

 男はさらに突き出された槍を掴むと両の手をひるがえした。

 手下が宙を舞う。槍は男の手に残った。無造作に槍を放り投げた。

「化け物…」

 手下が慄く。気を飲まれていく。自然と我王の前まで道が開いた。
 我王もまた悪党の頭をしているだけのことはある。男の前に立った。

「名を聞こう」
「聞いてどうする?」
「野盗茨木の名が広まったは、お主の力量であろう。おそらく頭はお主の方だ」
「どうかな。茨木はここにおる誰よりも腕は確かぞ」
「笑止なことを」
「試しても良いが、我等は加減を知らん。みな死ぬことになる。殺すのは茨木が許してくれぬのでな。できればその姫を置いて去ってくれるとよい」

 我王の顔が変わる。表情が無くなり、冷たい目を見せた。
 おもむろに刀を突き出し腹に向かって体ごと突っ込んでいく。

 男と我王が重なった。腹に刃が滑り込む絵を我王は見た。人を殺すことに我王は迷いがない。

 我王の刃は男の脇腹をすり抜ける。身を僅かに交わした男は、しっかりと刀を持った我王の手首を掴んでいた。

「酒吞殿!なりませぬ!」

 茨木の声。拳を握った手を酒吞と呼ばれた男は平手に変えた。両の手で我王の腕を掴む。

 我王の手首は握り潰されていた。刀を落とし、膝をつく。

「命を拾った。茨木に感謝しろ」

 堀江の姫を担ぐ男に近づく。恐れ慄いた男は、姫をその場において腰を低くしながら引いた。
 男、酒呑は担ぎ上げると踵を返す。茨木も後に続こうとする。

「待て!」

 酒呑が振り返る。

「なんじゃ」
「名を聞いておらんぞ」
「茨木が言うたであろう。わしは酒呑じゃ」
「いずれ貸しは返す」

 我王の目が復讐に煮えていた。

「いつでも来るがいい。わしらは丹波の大江山を住処にしとる。女もおる。まぁお主らとは目的が違うがな」
「何を言うておる」

 酒呑が腕を見せ、拳を握った。

 腕が赤黒く膨れ上がり、血管が浮き上がる。熱を帯び、わずかに湯気が昇る。男の腿ほどもある腕を見せつけ、掌を広げた。

 黒く禍々しい爪を動かす。

「わしら人を喰わねばならぬ。人は人らしゅうしておけ。来るのであれば馳走の一つもとらせてやろう」

 手下がみな青い顔をして酒呑から離れていく。
 酒呑と茨木は囲う手下をぐるりと見渡すと、もう一度踵を返した。我王と手下は、二人が闇に溶け消えるまで一歩もその場を動けずにいた。
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