鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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新しい家族

幾度目かの深い呼吸とともに、カタリーナは波のような痛みに耐えていた。
時間の感覚は曖昧で、ただ遠くで誰かの声が聞こえるような、夢と現の狭間にいるようだった。

医師の「もう一度、力を入れてください」の声に応じて、カタリーナは最後の力を振り絞った。

そして、次の瞬間
かすかに空気を震わせた産声が、部屋の中に響き渡る。

助産師がすぐに小さな命を受け止め、手早く包み込んでから、明るい声で言った。
「おめでとうございます、元気な男の子です」

部屋の空気がふっと和らぎ、ささやかな歓声と拍手が起こった。
カタリーナのまなざしにも、自然と微笑みが宿る。

その声を聞いた瞬間、カタリーナの目に涙があふれた。
全身の力が抜けていく。
けれどその表情には、苦しみよりも深い安堵と、確かな喜びがあった。

「ありがとう……ようこそ……」

近くには、乳母がティモシオの肩にそっと手を置きながら立っていた。
ティモシオはカタリーナに何かあったのではと心配しながらも、赤子の産声に顔を輝かせていた。
乳母がそっと囁くように言った。「ティモシオ様、弟君ですよ。元気な男の子です」

その言葉にティモシオの瞳がぱっと輝き、思わず「ほんとに? ぼく、弟ができたんだ!」と声をあげた。
母と弟の姿を、目を見張るようにじっと見つめている。

赤子はすぐに母の胸元にそっと抱かれ、か細いながらも温かなぬくもりを伝えてきた。
その小さな鼓動を感じながら、カタリーナはそっと目を閉じた。
(あなたが生まれてきてくれて、ほんとうに……ありがとう)

そのときだった。

「カタリーナ──!」

駆け込んできた声に、部屋の空気が揺れた。

息を切らしたレオナルドが、戸口に立っていた。
乱れた髪と埃を被った外套、その姿に、どれだけ急いで戻ってきたかが痛いほど伝わる。

目が合った瞬間、カタリーナはかすかに笑った。
「……遅かったわよ」

それでも、その声には責める響きはなかった。
安堵と、会えたことへの静かな喜びだけが滲んでいた。

レオナルドはゆっくりと歩み寄り、カタリーナと赤子の傍らに膝をついた。

「ありがとう……ありがとう、カタリーナ……」

彼の手が、そっと赤子の頬に触れる。
温もりに触れたその瞬間、レオナルドの瞳にも、光が宿った。

「この子が、無事に──」
「ええ。あなたに、そっくり」

その言葉に、レオナルドはわずかに頬を緩めた。

そして、そっと扉の隙間から顔をのぞかせていたティモシオを見つけると、レオナルドは優しく手を招いた。
「ティモ、来てごらん。おまえはもう……立派なお兄ちゃんだよ」

カタリーナも微笑みながら、「あなたの弟よ。ほら、ご挨拶してあげて」と声をかけた。

ティモシオは少し緊張した面持ちでそばに寄り、小さな声で「こんにちは……ぼく、お兄ちゃんだよ」と赤子に語りかけた。

その姿に、カタリーナもレオナルドも、静かに目を細めた。

家族としての、新たな一歩が、確かにそこに刻まれていた。

その夜、暖炉の火がやさしく揺れる寝室の一角で、赤子を囲んで三人が静かに座っていた。

「この子の名前、どうしようか」

カタリーナがそう口にすると、レオナルドが赤子の顔を覗き込みながら言った。
「ティモのときのように……ちゃんと、意味を込めたいな」

ティモシオは膝にあごを乗せながら、真剣な顔で考えていた。
「うーん……ぼくは、“やさしい名前”がいいな。赤ちゃんが、にこにこになるような」

その言葉に、カタリーナは微笑み、レオナルドと目を合わせる。

「では……“リヴィオ”というのはどうかしら?」

レオナルドは目を細め、頷いた。
「“命”と“平和”を意味する名か。……いいな」

「リヴィオ……お兄ちゃんが守るよ」

ティモシオの声に、再び小さな産声が響いた。
その場にあたたかな笑いが生まれ、新たな名が家族の記憶に刻まれた。

その様子を見守っていた侍女たちは微笑みながら顔を見合わせ、乳母はティモシオの背中をやさしく撫でた。
「立派なお兄ちゃんですね」と囁いたその声に、ティモシオは誇らしげにうなずいた。

医師も静かに立ち上がり、「母子ともに健康です。よくがんばられました」と言葉を添え、執事は安堵の息をつきながら小さく礼をした。

部屋の中には、穏やかで温かな空気が満ちていた。


****


赤子はすやすやとカタリーナの胸の上で眠っていた。
小さな手が、カタリーナの胸元をぎゅっと握っている。

レオナルドはその様子を見つめながら、静かに息を吐いた。
喉元まで込み上げてくる言葉を、うまく口に出せずにいたが、
それでも、胸の内は確かに満たされていた。

「……ありがとう、本当に……ありがとう」

それは、命を宿し、産み出した妻への言葉であり、
こうして家族として歩み続けてくれることへの、深い感謝だった。

ティモシオは、母の寝台のそばに座ったまま、ずっと弟の顔を見つめていた。
目を輝かせながら、「赤ちゃん、ちっちゃい……ぼくに似てる気がする」とつぶやく。

その言葉に、カタリーナも笑った。

「ええ、似てるわ。ふたりとも、わたしたちの宝物よ」

レオナルドはそっとカタリーナの髪を撫でた。
その仕草に、かつての距離がほんの少し縮まったような気がして、
カタリーナは目を閉じて、そのあたたかさを胸に受け止めた。

外では夜が深まり、空に星が瞬いていた。
屋敷の中には、今、確かに家族という灯がともっていた。

***
レオナルドは赤子の小さな手に自分の指を差し出し、その柔らかな握り返しに、思わず目を細めた。

「リヴィオ……これが、お前の名前だ」

彼がそっとその名を口にした瞬間、部屋にまたひとつ、静かな灯がともるようだった。

ティモシオが赤子のそばにしゃがみ込み、小さな手を優しく握った。

「リヴィオ、おとうちゃまと、おかあさまと、ぼくがいるからね。……いっぱい遊ぼうね」

その言葉に、周囲にいた侍女たちや乳母も笑みを浮かべた。
赤子の誕生は、屋敷全体に新しい風を吹き込んでいた。

カタリーナはベッドにもたれながら、その光景を静かに見つめていた。
リヴィオを抱きしめるこの瞬間を、心に刻むように──

(どうかこの子の人生が、穏やかで、幸せなものでありますように)

そしてそれは、母としての新たな祈りでもあった。



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